魔界の魔女
「お前達……それは、本当なの?」
此処は、陽の一切が届かぬ最果ての地……魔界。
草木は枯れ果て、地はひび割れ、
永劫の夜に沈むその地の中心に、魔王城は不気味な威容を誇って佇んでいる。
────その最奥。
玉座の間にて……
闇よりもなお暗い、漆黒の長髪をゆるやかに靡かせながら、
玉座に腰掛ける一人の魔女がいた。
真紅に染まった唇、冷ややかで妖艶な瞳。
恐怖と畏敬の象徴たる存在……魔界の魔女、“ドミシオン”
彼女は玉座の前に跪く二人の配下を見下ろし、
低く……しかし確かに響く声で、問いかけた。
「えぇ、本当ですとも。
……先王陛下!」
報告を担った配下の一人は、恐怖の色など微塵も見せず、
まるで外での出来事を誰かに聞かせたくて仕方がない子供のように、声を弾ませた。
「竜は闇の呪いを、確実に取り込みつつあります!
竜の守護魔法を受けた人物とも接触し、
この目で確認しましたから間違いありません!
彼の竜が闇に染まり堕ち、破壊の力を開花させるのは……
もう間もなくでしょう!」
その言葉の隣で、
もう一人の配下は終始無言のまま、ただ一歩下がり、
音も立てずに深く首を垂れていた。
恐怖も歓喜も読み取れないその態度は、
まるで“報告の場に置かれた駒”のようだった。
「そう……それは、いいわね。
実に悦ばしいわ……!」
魔女の唇が、ゆっくりと弧を描いた。
次いで、瞳孔が爛々と妖しく光り、
抑えきれぬ歓喜が溢れ出すように、甲高い笑い声が玉座の間に響き渡る。
「あと少しで、この世界は我がモノ……。
あぁ……楽しみ……。この時を、どれほど待ち侘びたことか!」
反響する笑い声は、
まるで空間そのものを震わせるかのようだった。
報告を終えた配下達は、慣れた様子で静かに頭を垂れ、魔女が笑い終えるのを待つ。
……だが、玉座の間に居並ぶ他の配下達は違った。
その声に、肩を震わせ、息を潜め、恐怖に縛られるように身を竦めていた。
やがて――
笑いを収めた魔女は、ふと視線を横へと移した。
自らのすぐ傍に控えて立つ、一人の青年へ。
「これで……ようやく、あの仔竜も私に従うのね。
よくやったわ、シュウ……。私の、可愛いお人形さん……。
やっぱりお前は、私の自慢の息子よ」
その青年の髪もまた、母と同じ闇色に染まっている。
否応なく示される、血の繋がり。
彼こそが……
アロマルムを襲い、翠嵐に闇の呪いを埋め込んだ張本人。
──現魔王、“シュウ”。
魔女が彼に視線を向けた瞬間……
シュウの胸元に留められた朱殷色のブローチが、
鈍く、不気味な光を放ち始めた。
それは、彼一人のものではない。
玉座の間にいる配下達の胸元にも、同じ意匠のブローチが光を宿し、まるで呼応するかのように一斉に輝きを強める。
赤黒い光は空間を満たし、包まれた者達の瞳から、
生気がゆっくりと失われていく。
最も強い光を浴びていたシュウも……
例外ではなかった。
「……ありがとう、母さん」
虚ろな目を伏せたまま、
感情の欠片も感じさせない声で、彼は答える。
その反応に、魔女は満足げに微笑み、
さらに口角を吊り上げた。
「お前のおかげで、私の夢は叶う……。
これからも、“私の為”に頑張ってね?期待しているわ」
「……もちろんだよ」
またしても、感情のない声。
だが魔女は、それを気にも留めない。
「ああ……貴方達も、ご苦労さま。
今日はもう、休みなさい」
「はい、先王陛下!」 「失礼いたします」
報告役の配下達が深く一礼すると、
魔女は彼らの返事を最後まで聞くこともなく踵を返す。
そうして……鼻歌を口ずさみながら、上機嫌に。
闇の回廊へと、その姿を消していった。
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その後――
魔女からの指示を受けて玉座の間を後にした二人の配下は、
長く続く城内の廊下を自室へ向かいながら歩いていた。
魔界特有の重たい空気の中、
彼女たちの足音だけが静かに反響している。
「任務とはいえ、帝国のお祭りでは
フツーに遊んじゃったよ」
そう言ったのは、黒毛のメッシュが混ざった赤髪に、青と黄色のオッドアイを持つ少女だった。
軽く伸びをしながら、隣を歩くもう一人の魔女の配下……青年へと視線を向ける。
「帝国なんて今まで行ったことなかったし、
そもそも全ッ然興味なかったけど……
割と面白かったよね〜?」
「そうだねぇ……。
少なくとも、此処よりはマシだと思うよぉ」
青年は薄茶色の長い髪に、紅梅色の瞳を持つ。
深く被った帽子の下で、彼の瞳はいつも閉じられているが、緩んだ口元の動きだけで感情が手に取るように分かった。
その返答に、少女は眉をひそめる。
「此処よりマシって……
そもそも魔界にいい所なんてある?
虫しかいないじゃん、此処」
「え〜、でも可愛いでしょ?」
その答えも、明らかに彼女の求めるものではなかった。
「ッいや可愛くないし!
私、虫ムリだから。マジで何とかしてほしー。
あーあ、魔王サマが虫使いじゃなければ
全部解決すんのにさー」
「え〜」
なかなか肯定してもらえないことに苛立ったのか、
少女はこの国の頂点に立つ存在……魔王へと、遠慮のない悪態をぶつけ始める。
「探せば可愛い虫もいるよ〜。
ほら、てんとう虫とかぁ」
「いや、“虫”の時点でキモイから。
はあぁぁ……。
魔王といい、シャムといい……
アンタ達ほんっと趣味悪いわ〜」
「えぇ……そうかなぁ……?」
“シャム”と呼ばれた青年は、きょとんと首を傾げる。
「俺、やっぱりクイーンの好みが分からないよ」
そして、そのシャムから“クイーン”と呼ばれた少女は、
彼のとぼけた言葉にさらに苛立ちを募らせ、先程よりも荒い口調で言い返した。
「とにかく虫が嫌なの!
あんなキモいやつ、駆除か排除か抹殺でしょ?!
マジで国中に殺虫剤ばら撒くべきだよ!」
クイーンはそう吐き捨てながら、城の柱に施された虫の装飾へ、
魔力を込めた拳を叩きつける。
───パキッ……。
乾いた音と共に亀裂が走り、装飾はいとも簡単に砕けてしまった。
すると――
「あーぁ……。
モチーフが虫の割には綺麗な装飾だったのに、
壊れちゃったじゃないか」
そう言いながら、モルダーシアの”現”魔王……
魔女の子息である“シュウ”が姿を現した。
「仮にも貴族なんだから、
もう少しお淑やかに行動できないのかな、君は」
音も立てずに近づいてきた彼は、魔女の傍にいた時とは打って変わって、どこか柔らかな笑みを浮かべている。
「げ……出た、虫王」
クイーンは突然現れた彼を見て、
まるで苦虫を噛み潰したような表情をしながら、心底嫌そうに呟いた。
「……僕、一応君の上司なんだけどな」
それでもシュウは笑顔を崩さない。
「そんなのどーでもいいし。
それより何の用? パワハラ?」
「パワハラって……君ねぇ……」
身に覚えがない言葉を投げつけられ、シュウはさすがに項垂れる。
──しかし、それも束の間。
頭を押さえたまま溜息をつき、間を置いてからシャムへ視線を向けた。
「別に、君だけに用があるわけじゃないよ」
「……もしかして、また
ドミシオン様には秘密の……
僕らだけの任務、なのかな?」
遠慮がちに尋ねるシャムに、シュウは苦笑しながら頷いた。
「……そうだよ。
遂に、“竜を此処へ連れて来い”って言われちゃってね。
来年までは待ってくれると思ってたんだけど……
どうやら、僕の読みが甘かったみたいだ」
「……それって、まさか……
僕達が彼女を連れて来る役目を?」
シャムはそれを聞いて、先王――魔女からの任務を
自分達が任されるのでは…と先読みして目を見開いた。
……しかしシュウは、口籠った声でこう言った。
「……だって僕が行ったら、
あの娘、簡単に連れて来れ……じゃなかった!
パーティーの余興には、
君達くらいの手練れがピッタリだと思ってね!!
ほら、いきなり魔王が赴いたら面白くないでしょ?
どう? 頼めるよね?」
そのあまりにもわざとらしい言葉に、シャムは即座に悟って頷いた。
――シュウは、自分達に任務の“失敗”を望んでいるのだと。
ただそれと同時に、
自分達が彼女――“翠嵐”よりも弱いと言われているようで、
少し複雑な気持ちになった。
「うッげぇー……。
めんどくさい、パス」
しかし、クイーンは違った。
彼女はシャムの腕を引き寄せ、自分の背後に庇うように立たせると、
シュウへ真っ向から言い放つ。
「竜って強いんでしょ?
私、戦闘苦手だしフツーに嫌。
血みどろになって戦うとか、
めんどくさいし。
自分で行って来て?」
「それじゃ、よろしくー」
「おい!話聞いてた?!ックソ上司!!
マジでアンタのそういうトコ、
先王サマそっくり!」
怒鳴り声を背に受けながらも、シュウはそのまま立ち去ろうとする。
だが、ふと足を止め、その場で振り返った。
「……クイーン。
君だって馬鹿じゃないんだから、わかってるでしょ?
彼女は君の“実の姉”なんだ。
僕は、君が家族に会いたいだろうと思って提案してるのに」
突然の真剣な声音に、クイーンは息を詰まらせる。
視線を逸らし、ぶっきらぼうに答えた。
「は?……別に。
今更会いたいとか…思って、ないし……
だって、顔すら覚えてないもん。
……家族なのに」
そう……クイーンは、魔女ドミシオンの狙う竜、
“翠嵐の妹”だったのだ。
「……少なくとも、彼女は
君に会いたいと思ってるけどね」
「え……」
「彼女は君に会う為に、
この十年間……城の結界を
何度も破壊しに来てたんだよ」
「……!
そんなの、私……知らなかった」
クイーンは、魔女によって魔界へ攫われて以来、厳重に管理された生活を送ってきた。
家族と会う機会など、一度もなかった。
彼女は、竜を捉える為の“人質”に過ぎなかったのだから。
「え、嘘でしょ……?
鈍感すぎない? 大丈夫?」
「…あー……すっごいムカつく……」
シュウの視線は、どこか哀れむようで……
その態度に、クイーンは自分の感情が揺れたこと自体を悔やみ、眉間に皺を寄せた。
それでも、もう反抗的な言葉は返さなかった。
「……私だって、少しは
“家族”に期待してるから……
この耳飾りを、ずっと……」
そう呟きながら、彼女は小夜家の一員である証……特別な耳飾りに触れる。
鮮やかな赤い宝石は、
どこか寂しげに光を放っていた。
「そう……なら、やっぱり君は
彼女との再会を喜ぶべきだ。
せいぜい、自分の価値を見直してみなよ。
小夜家のお姫様。
どれだけ引き離されようとも、
君はまだ……
ちゃーんと愛されてるんだからさ」
そう言い残し、シュウは手を振りながら去って行った。
「……」
「……クイーン」
俯いて黙り込んでしまった彼女に、
それまで静かに見守っていたシャムが、そっと声をかける。
「わかってる……
行くよ。行けばいいんでしょ!」
クイーンは突然そう叫ぶと、勢いよく廊下を駆け出した。
「なに他人事みたいにしてんの、シャム!
アンタも連れ回してやるんだからね!」
「……!
う、うん!」
シャムも慌てて、長い廊下を追いかける。
──二人の様子も、
シュウとの会話の内容も、
すべてドミシオンが把握しているとは……
誰も気づいてはいなかった。
彼らの行く末に待つのは、
果たして、どんな結末なのだろうか……。




