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生彩放つ無神世界  作者: 美緑
〜第七章〜破壊讃歌
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名も無き影の囁き

里へ戻ると、レインちゃんとコンド君、探偵ちゃんはすでに帰ってきていた。

避難誘導をしていたリハイトさんとアルテちゃん、永護さん、破天さん、雅火さんも、皆そろって無事だ。

胸の奥に、じんわりと安堵が広がる。

民達も、デボティラが会場から離れた隙をついて、無事に里から離れる事ができたようだ。


私は深く息を吸い込み、デボティラへと向き直った。


「デボティラ、

貴方は大切な家族だけど……

私は、この里の巫女として、貴方を裁きます」


周囲には仲間達が輪を作るように立ち、厳しい沈黙で見守っていた。

その中心で、私は“巫女”としての責務を選んだ。


「どんな罰も……受け入れます。ソフィア様……」


先ほどまでの気迫は消え、デボティラはすっかり毒気を抜かれたように項垂れる。反抗の気配どころか、目にはただ疲れた諦めだけがあった。


「歩むべき道を……成すべき事を誤らなければ、

貴方はきっと、私達にとって素晴らしい理解者になってくれたかもしれないのに……残念だよ」


「ッ……ソフィア様……申し訳ございません……」


「貴方がしたのは、取り返しのつかない事。

守るべき民達を、貴方は傷つけた……。

これは立派な重罪……罰は重くなるよ」


「覚悟は、できております……どうぞ御裁きくださいませ」


デボティラは苦しげに顔を歪めながらも、

私の言葉を一つ一つ呑み込むように受け止めていく。


私は一度、胸の奥に溜まった重い塊を吐き出すように深呼吸した。

……この手で彼女の命を奪わずに済むのなら、それでよかった。

だが“裁き”だけは避けられない。

それが、胸の奥に痛みをつくる。


「……貴方への罰は、監獄塔に150年の幽閉。

そして魔法・異能力の永久封印を課します」


「……承知いたしました」


その宣告を受けても、デボティラは驚きすら見せなかった。

ただ、静かに受け入れた。

私は魔法封じの拘束器具を取り付けながら、ほんの少し声を落として語りかける。


「デボティラ……。

どんな罪も、やってしまったら無かった事にはできない。

後からどんな罰を受けても、償いきる事はできない。

けど……もし。

もしもいつか、貴方が監獄塔から出てこられたら……

今度は、私の声に耳を傾けてくれる?」


「?!……ソフィア様……

こんな私の事を……待っていて……くださるのですか……?」


デボティラは信じられないという顔で見つめてくる。

私は、少しだけ微笑んだ。


「貴方の暴走を止められなかった私にも責任はある。

……だから、私も罪を――」

「ソフィア様……!」


私の言葉を遮るように、デボティラは勢いよく私に抱きついた。

その腕は震え、頬にはぽろぽろと涙が溢れている。


「ッごめんなさい……ソフィア様……。

私は、貴方の事を……何一つ理解できていなかった……。

こんな事になるなら……もっと……

貴方の声に耳を傾けていれば……

()()の手を……とらなければ……!」


「ッ?!」


その言葉に、私は椅子を蹴って立ち上がっていた。

周りの皆も息を呑む。


当然だ――

彼女を唆した破壊者が、まだ近くに潜んでいる可能性があるのだから。


「待って、デボティラ!それ……どういう事?!

今回の騒動、協力者がいるの?!」


問い詰めると、デボティラは怯えたように頷き、素直に答えた。


「……はい。私は、今回の騒動以外にも奴等と協力してきました。

“お前の野望を果たす為に手を貸すから、こちらにも協力しろ”……と」


「デボティラ……まさか、貴方……他にも罪を?!」


「い、いえ!違います!

私は聖水を汚染し、宝珠を使って祭りを破壊するよう言われただけで……!

……それに、もう此処に破壊者はいないはずです」


デボティラは顔を青ざめさせながらも、

これまでしてきた事を絞り出すように告白した。


「宝珠……?どうしてそんな事を……?」


レインちゃんが、息を呑んだまま問い返す。


「……そこまでは分かりません…。

奴等が何をしたいのかという明確な目的は、

一切聞かされていませんから。

まぁ……あんな奴等の目的なら、やましい事に違いありませんが……」


デボティラは悔しそうに唇を噛んだ。

私は少し間を置き、次の疑問を口にする。


「……聖水を汚染したのがデボティラなのはわかったけど、

もしかして……祭りの料理に毒を入れたのは、デボティラじゃないの?」


「料理に……毒?!

それは、どういう事ですか?!

私はそんな計画……全く知らされていません!」


返ってきたのは、真っ青になった困惑だけだった。


――やはり。

毒の件は、別の事件だ。

そしてこの里には、まだ“黒幕”の影が潜んでいる。



「ねぇ、結局その人達は……一体、何者なの?」


私は続けざまに問いかけた。

場を包む緊張が、ほんの一瞬だけ静止する。


デボティラは唇を震わせ、答えようと息を吸った。


――しかし。


「…それは……かいッ……?!

……グッ……ひッ、ギ……ッあ”ぁ”ッ?!」


「え……デボティラ?!?」


声を発した途端、彼女の様子が激変した。

喉元を押さえ、体を折り曲げ、

まるで見えない手に締め上げられているかのように苦しみ始める。


「――ッ、まさか……?!

か、彼奴……口封じ……を……

ソ……ソフィア様!

……お逃げ、くだ……さい!あぶ、な……っ」


「きゃあッ?!」


言い切るより早く、

デボティラは私の肩を強く突き飛ばし、無理やり距離を取らせた。


そして次の瞬間――

彼女の喉が泡立つように爛れ、悲鳴も形にならないまま、


バァンッ――!


乾いた破裂音が里中に響いた。


「ッ……?!」

風が止まり、世界が一瞬だけ凍りつく。


そこに“デボティラ”という存在は、もういなかった。

残されていたのは、地面に散った毒液のような、正体不明のどす黒い液体だけ。


「そ…そんな……デボティラッ……!」


私は思わず駆け寄った。


「ソフィア、離れて!

その液体、触れたら危ないかもしれないわ!」


でもレインちゃんが鋭く制した。

分かっている。理屈では、分かっている。


だけど――

「でもッ……!」


私は足を止められなかった。


この目で彼女が“消えた瞬間”を見たとしても、

それでも受け入れられない。


「いやッ……嫌だッデボティラ……!

ようやく……ようやく貴方と向き合えたのに……

まだ伝えたい事が……沢山あるのに……!」


掴めるはずのない空間へ手を伸ばし続ける。


……しかしそこには、もう何もない。

ただ冷たい風だけが、無情に指の隙間をすり抜けていく。


――その時。


「ソフィ……ア…さま……」


どこからともなく、かすかな声がした。


『どうか……貴方は……平和な世界で……生き…て……』


それは耳ではなく、

胸の奥に直接届いたような……儚い声だった。


「あっ……あぁ……! 」

私は膝から崩れ落ち、地面に手をつく。


「デボティラ――ッ!!」


涙が止まらない。

彼女は“死体”すら残らなかった。


この世界に残されたのはただ、最後に私へ向けられた――

あの一言だけだった。



。◌〜 ᐩᕀ┈┈┈┈⋆⸜♱⸝⋆┈┈┈┈ᕀᐩ 〜◌。



「そ……んな……」


私が別れを告げなければならなかったのは、

デボティラだけではなかった。


「あぁッ、翠雨様!!」


里の奥、白藤色の光がまだ残る森の端で――

変身の解けた翠雨様が、人の姿のまま静かに横たわっていた。


その周囲には、怪物との激闘の余韻が、

荒れた地面と焦げた草に生々しく残っている。


「……私達を助けたから、こんな事に……!

私があの時、一人で怪物を倒せていたら……翠雨様は……!」


堪えていた涙が一気に溢れ、頬を伝う。

私は濡れた手でさらに翠雨様にしがみついた。

しかし――

翠雨様は、そんな私を見て、ゆっくりと首を横に振った。


「……いいえ。私はすでに長い時を生き、ほとんどの力を使い切っていました。

お前も知っている通り……

私達翠山の民は、魔王の呪いによって原動力を奪われている。

私の死因は……今まで積み重なった疲労。その果てだ。

言ってしまえば、寿命です。

生き物が避けられぬ終わりの時……それが少し早まっただけの事。

お前が気に病む必要など、どこにもない……」


言い終えた翠雨様は、わずかに咳き込んだ。

それでも苦しんでいる様子はない。


むしろ――

ずっと前から自分の死を受け入れていたかのような、穏やかな顔をしていた。

……その事が、私には何よりつらかった。


「本当は……永護の予知夢のおかげで……分かっていたのです。

……今日が、私の命日であると……」


翠雨様はふっと微笑む。

私はその笑みに胸が締め付けられ、咄嗟に手に魔力を込めて叫んだ。


「ッ……命日になんて、絶対させません!

待っていてください翠雨様! 今すぐ治療を――!」


「必要ありません」

「ッでも……!」


手を伸ばした瞬間、翠雨様は驚くほどの速さで私の手を掴み止めた。

それでも私は諦めきれず、治癒の魔力を練り上げようとした。

すると翠雨様は、消え入りそうなほど小さな声で、それでも確かな強さをもって告げた。


「……ここでお前が余計な力を使えば……

その強力な力の反動で、お前は長い眠りについてしまう。

そうなれば――その間、誰が怪我を負った民達を癒すのですか……」


「ッそれは……!」

「助けるべき対象の優先度を見誤るな……。なすべき事を、なさい……」


二度目の叱責。

私は言い返す言葉を完全に失った。


デボティラは……もう、いない。

この里を導くのは――これからは私だ。

責任の重さが改めて胸に落ち、私は俯いた。


しばらくそうしていると、

翠雨様がそっと私の手を包むように握った。


「翠雨様……?」


理由が分からず顔を上げると、翠雨様は何も言わない。

ただ、穏やかな表情で手を握り続けていた。

そして――

彼女がゆっくりと手を放した、その瞬間。


「え……」


あたたかい力が、翠雨様の手から私へ流れ込んでくるのを感じた。

思わず自分の手元を見ると……


「これは……?!」


そこには、翠雨様の妖力を象徴する刻印が淡く浮かび上がっていた。


「どうして……翠雨様の力が……?」


驚きに固まる私に、翠雨様は静かに微笑んだ。


「人々を癒す力を持つお前ならば……私の力も、うまく扱えるはず。

ソフィア……お前に、私の“翠雨の力”を授けます。

この先は……自分の信じる道を歩みなさい」


それだけ言うと、翠雨様は震える指で里の方角を指し示した。


――もう、私に伝えるべき事はそれで全てだ、というように。


「……ッ」

私は手の中で光り続ける刻印を見つめ、そして立ち上がった。


「翠雨様……今まで、本当に……ありがとうございました。

ッ……行ってきます」


最期の挨拶を告げ、私は踵を返す。

振り返れば、離れられなくなる気がした。


家族を失っても、仲間を失っても、

敬愛する存在が消えてしまっても――

英雄は立ち止まれない。


巫女としての責務も、世界を守る役目も、この先も私が背負っていく。


それでも、私はこの道を選んだ。


自分のやり方で世界を変えると、デボティラに誓ったのだから。


進んだ先にある、この星の希望を信じて――

私は、足を踏み出した。




︎✧︎✧✦┈┈┈┈.✦·········✦.┈┈┈┈✦✧✧︎

〈アルテ視点〉



『翠雨様…!!!』


巫女ちゃんが里へ駆け戻って行った後…

離れた場所から二人の会話を見守っていた私達は、翠雨様の傍へと一斉に駆け寄った。


「破天、雅火、翠嵐……そして、永護」


翠雨様は、私達一人一人を見てからゆっくりと口を開く。


「お前達に、翠山を任せる。

決して……悪しき者達に負けては…なりません」


『…承知致しました』


翠雨様は最低限の指示を出すだけで、私達に向けて他には何も言おうとしない。

全ての力を巫女ちゃんに受け渡した今…翠雨様に残された時間は、ほんの僅かしかない。

そう思うと、私はどうしても涙を堪える事が出来なかった。


…翠雨様がこの祭りのどこかで、天に召されてしまう事は、

永護の予知夢を通して、ずっと前から知っていた。


だから、私達は何度も…この運命を変えようとして来た。

それがどんなに不可能に等しい事か…分かっていながら。



…私達が初めてこの事を知ったのは、探偵さんがこの帝国へと舞い降りて来たあの日……。


兄さん達は、屋敷で永護から予知夢の内容を聞き…

私は師匠の邸宅で、同じく永護から知らされた。


『──今年の芸術心祭で、翠雨様が死んでしまう』…。


それを知った時…

私の目の前は、真っ暗に染まった。


私はあと何度、家族を失わなければならないのか…と、

自分の運命を恨みそうになりながら、屋敷へ駆け戻った。

しかし、私がそこで見たのは、自分の命日を知ったにも関わらず、

普段通りの様子で執務にあたる翠雨様の姿だった。


「……。」

私達は、あの日から何度……翠雨様の運命を変えようとしてきただろうか。


結局…彼女は最期まで、自身の死から逃げようとはしなかった。

私達の説得は、何の意味も無かったのだ。


喩え未来を変える術があったとして…

本人が自らの運命を変えようとしない限り、未来は絶対に揺らいではくれない。

翠雨様は誰よりも聡明で優しくて、偉大なお方だから…

里の為に命を捧げる事に躊躇いがなかった。


私達の両親に代わって、私達をここまで育ててくれた大切な家族…。

諦めたくない…生きていてほしい……。

そんな我儘ばかりが、いつまでも心の中を埋め尽くす。


私達が立ち尽くしていると、弱りゆく翠雨様が、静かに告げる。


「……お前達……何を……しているのです。

翠山を背負う者には……この程度の事で……泣いている暇など……あってはならない。

さあ、全員……翠山へ向かいなさい……疾く!」


その言葉を受けても、誰一人として動こうとしなかった。


そして──


「……それには従えません」


一番に声を上げたのは雅火だった。すぐに破天兄さんが続く。


「せや……これが本当の別れなら、きっちり挨拶せぇへんと……

ワイらとて、貴方との別れ……平気やあれへんので」


「お前達……」


二人の言葉を聞いた翠雨様は、目を見開いて固まってしまった。

きっと私達が、これまで一度も逆らった事がなかったからだろう…。


——けれど。

今日だけは、どうしても従えなかった。


この人は私達の誇りで、支えで…

……家族、だったのだから。


「悠長にしている場合ではないのは、もちろん……承知しています。

でも……私達は、貴方との別れを……受け入れるのが……本当に苦しくて……。

お願いします、翠雨様……!せめて、最期まで……貴方の傍にいさせてください」


私も二人に続いて、震える声を上げると、そっと翠雨様の手を握りしめた。


「翠雨様……申し訳ありません……。

未来……運命を変えられなかった事が……悔しいのです……とても」


最後に声をかけたのは永護だった。

彼は誰よりも早く、この未来を目にしてしまった。

予知夢という残酷な“未来の傷”を背負ってきた永護は……

きっと私達の誰より深く心を刻まれたはずだ。


“見えているのに、変えられない未来”——

その苦しみは、心を見透かしてしまう私の力に、どこか似ている。

永護が予知夢を見るたび、私は胸が締めつけられ、どうしても彼に同情してしまうのだ。



「……お前達は、本当に……仕方のない子らだ」


翠雨様は、頑なに傍を離れようとしない私達を見て、

大きな溜息をつきながら、呆れたように……それでも優しく笑った。


「……この先、私はもう……お前達の力になってやれません。

私の責務を……押し付けるだけ……。

お前達が、大人にならざるを得ない道以外を……

祖母として示してやれない事……申し訳なく思う……。

恐らく……私が消える事で、

お前達に課せられる役目は……より重いものとなるだろう……。

だが……お前達なら、大丈夫だと……私は、信じています」


そう言って、翠雨様は手招きをした。

本当なら近づく必要などないほど、私達はずっと傍にいたのに……

その仕草があまりにも優しくて、四人は吸い寄せられるように身を寄せた。

隙間もないほどに、ぎゅっと。


そして——


「あの子と……華暖を……

連れ戻してやれなかった事は……今でも……大きな心残り……。

だが……それでも。

私の愛しい子ら……破天、雅火、翠嵐、永護……。

……翠山の子ども達と触れ合ったこの生涯は……

本当に……幸せだった……。

ありがとう……。

お前達の未来に……行く末に……幸多からん事を……願う」


その言葉を終えると、翠雨様は……衰弱しきった身体を、最期の力でぐっと起こした。

そして四人を、強く——

ほんの一瞬、でも、一生忘れられないほど強く抱きしめた。


「あ……」「……!」「ッ……」「翠雨……様……?」


予想もできなかった抱擁に、誰も抱き返す事ができなかった。

疾うに限界を超えていた翠雨様の身体は、

力が抜けるとそのまま地に崩れ落ちた。


最後の力を、私達を“未来へ送り出すためだけに”使ってしまったのだ。

地に横たわる翠雨様は、もう私達を見ていなかった。


ただ虚空に向かって、小さく、小さく、呟くように——


「嗚呼……菩提は望まない……が……

せめて……“あの子の心”を……救えたら……どんなに……」


しかし、声は途切れた。もう、それ以上は、何も。

瞼はそっと閉じられ、細かった呼吸は、すぐに静寂へと変わった。


「……ッ翠雨様!」


雅火が叫ぶ。

……返事は、もうない。


「翠雨様……。

無事に、旅立たれたのですね……」


私は、穏やかな表情で眠るように横たわる翠雨様を見て、そう呟いた。

……そう思わなければ、膝が崩れ、立ち上がれなくなりそうだった。


心残りがあると言っていたが、翠雨様は幸せだったのだろうか。

私達を気遣って、無理に笑っていたのではないか。


本当に……これで良かったの……?


問いかけても、もう返ってはこない。

そんな沈黙を破ったのは破天兄さんだった。


「さぁ……!託された仕事は、山ほどある……。

ワイらは、四山領主……翠雨様の分まで……山を護らんと……な!」


明るく振る舞う兄さんの瞳にも、

大粒の涙が滲んでいた。


「ッ……兄さん!」


私も、雅火も、永護も……兄さんの声に限界が崩れ、涙が溢れた。


「な、なんや……もう、泣きなや……

そない泣かれたら……ッワイまで……泣いてまうやろ……!」


兄さんもまた、私達と同じように声を上げて泣いた。

四人で泣き崩れたその場所で、翠雨様の不在という現実が、胸に鋭く突き刺さる。

翠雨様は、私達の保護者であり、翠山の象徴であり、希望だった。


すぐに立ち直れるはずがない。

私達も、山の民達も。


……それでも。

それでも、翠雨様は、山の未来を私達に託してくださった。


翠雨様……この悲しみも、苦しみも、

必ず乗り越えると誓います。



だから今だけは……どうか、

少しだけ……泣かせてください。


私は天に向かって小さく祈りを捧げ、

兄弟達と共に……流れるまま涙をこぼし続けた。





┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈





脅威の去った森の奥――

薄闇の中に、ひとつの影が佇んでいた。


影は、子供のように幼い姿。

その目に映っていたのは、デボティラと翠雨の、あまりにも静かな結末だった。


「……。」


子供は何も言わない。

ただ、淡々と一部始終を見届けると、

踵を返し、森を去ろうとした――その時。


――ばしゃり。


森には場違いなほど派手な色合いのシャコの使い魔が姿を現し、子供の行く手を塞いだ。

シャコはつぶらな瞳で子供を見据えると、主の声を伝えるため、口を開く。


『未熟な使者よ……お使いはできたか?』


低い声が、森の空気を震わせた。

子供はうんざりした顔で手を差し出し、ぶらりと何かを持ち上げて見せる。

…それは、息絶えたばかりのエルフの亡骸。……デボティラの死体だった。


「私、使者なんかじゃないしー。

こんな面倒ごと押し付けないでよー」


ぽとり、と。子供は死体を投げ捨てる。

死体は毒に侵され、黒に染まっていた。

シャコが死体に近付くと、主の満足げな声が響く。


『ふッ……よくやった。

コレはまだ利用価値がある。有効活用させてもらおうか』


「うげ~……

死体なんか回収して、何する気か知らないけどさー。

てかー宝珠は、いいのー?」


問いかける子供に、主は即答した。


『アレは便利だが……無くても困らん。

本命は……いや、それより今すぐ帰還しろ。

万が(いち)見つかったら、お前は処分する』


声の主は、周囲に満ち始めた英雄達の強い魔力を敏感に察したらしい。


「処分したければすればー?どうぞご勝手にー」


しかし子供は、まったく動じない。

そのあまりの無関心ぶりに、主は深いため息を洩らした。


『本当に……“あっち”と違ってお前は捻くれている』


「性悪なのはそっちでしょー?

第一印象が最悪すぎてさー、好感度なんて最初からゼロだしー?

あっちだって、そのうち気づくんじゃないのー?」


『ハッ。気づいたところで、アレに何ができる』


「はいはーい、

突然創られてー、こき使われてー、行き着く先はたぶん過労死~♪」


子供が棒読みで歌い出すと、主は心底うんざりした声を発した。


『耳障りだ。黙って帰還しろ』


使い魔はその言葉を最後に、すっと姿を消す。

森には再び静けさが戻った。


「……帰ろうとしてたの、止めたのそっちだろーがよー」


ぶつぶつ文句を言いながら、

子供はデボティラの死体をひょいと掴み上げる。


その時、ふと――

里の方向へと目を向けた。

そこには、修復に励む人々と、一人の少女の姿。


子供はじっとその少女を見つめる。

そして、聞こえるはずもない言葉をそっと空気に落とした。


「……好奇心も大概にしなよー。じゃないと――」


それだけ言い残し、子供は影となって森から消えた。


沈む夕日が森を染め、影は光に溶けていく。

怪しげな気配も魔力の痕跡も、何ひとつ残さないまま……。


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