英雄として生きる道
『どうして……どうしてまだ分からないのですか?!
何故、私の邪魔をなさるのですか?!
どれほど貴女方がこの帝国の為に戦い続けようとも、この世に"力"というおぞましいものが存在する限り、この先に良い未来などありません!』
白藤色の森を駆けながら、私は再びデボティラに追いつき、言葉をぶつけていた。
淡い光を宿した木々が揺れ、枝葉がざわめく音さえ、私達の口論を遠くから見守っているようだった。
…瘴気を払うには、詠唱の時間が必要になる。
ならば彼女の隙を作らなければならない。
そのために選んだ方法が――口論だった。
今この瞬間、私達に必要なのはきっと戦いではなく、「向き合う事」だと感じたから。
「いい事がなくたって構わない。
未来がどんなに残酷でも……私は、私のすべき事から逃げたりなんてしたくない。
それに……希望を捨てなければ、未来を変える方法はきっとあるよ」
『ですが……現実を見てください!
毎日……毎日、毎日!毎日ッ!
英雄方や特務軍人が戦い続けて守っているこの星を!
貴方達をいいように利用する醜く欲望まみれの貴族達……くだらない争いに周囲を巻き込む愚か者達……
自堕落で、自分の弱さすら自覚しない、守られるだけの民達……!どれだけ時が流れようとも何も改善しない……変わろうとしない世界……ッ!あぁ、なんてどうしようもないのでしょう!
貴方達のような優しい方達では――
変えられないでしょう?見捨てられないのでしょう?
なんて、お可哀そう……お労しい……!!』
悪魔へと変貌したデボティラの表情は読み取れない。
それでも、その声音だけは嘘偽りのない同情で満ちていて……私は一瞬、彼女の悪意がどこかへ消えたような錯覚すら覚えた。
――そもそも彼女が今回の騒動を起こした理由は、誰よりも強く、この星の平和を望んだからだ。
ただその願いが、正義が、過剰に膨れ上がり、道を外れただけ。
もし、もしも……こうなる前に、
どこかで踏みとどまれていたのなら……
同じ平和を願う者同士として、和解できる未来だってあったのかもしれない。
「うん……そうだね。その通りだよ。
平和とは程遠いし、私だって帝国の現状を簡単に変えられるなんて思ってないよ」
白藤色の花弁がふわりと落ちる中、私は俯いて呟いた。
彼女に届いているのかも分からない声で、
それでも続けた。
「でも……私達を――五英雄を見くびらないで!
邪神から星を救うと決めたのは私の意思…!
私達が選択した道がこれ!
いつか絶対、この星を変えてみせる!
だから、貴方は余計な事、しないで!」
その瞬間、デボティラは激昂し、紫がかった瘴気を迸らせた。
風が荒れ、花々が萎び、白藤の香りが苦い空気に飲まれていく。
茨が私の腕を掠め、細い裂傷から血が滲む。
けれど、こんな痛みを気にしている場合じゃなかった。
『それでは貴方が……貴方達が救われないでしょう!
私が、世界を…!運命をも変えて差し上げます!』
「違う……違うよ……!
自分の運命は、自分にしか変えられない。
生きる道は、自己責任……!
だから……だから、貴方が私達の未来を決めつけるなんて……間違ってる!」
『ですからッ……私は、ソフィア様のために――!』
「──違うッ!だって……」
私の声に、デボティラの動きが止まった。
「だって、それは全部……貴方の為、でしょ?」
『な"ッ?!』
その隙を逃さず、私は静かに、しかし確信を持って続けた。
「その言葉を言った時、
貴方がただ純粋に“私の為”を思ってくれていた事が……今まで一度でもあった?
……ううん。結局、全部“貴方自身の為”だった。
貴方は私の事を……“私自身”として見た事なんて、一度もなかったよね。
……それでも私は、今日まで貴方の事、ちゃんと家族だと思ってたよ」
『そ、そんな……私は……』
揺らいだ瞳が、かすかに人としての光を取り戻した気がした。
けれど、それでもまだ彼女は折れてくれない。
「貴方の言う通り……この先どれだけ戦っても、意味なんて無いのかもしれない。
邪神なんて相手にしたら、勝てない可能性の方がずっと高い。勿論怖いよ。すごく苦しいよ。
英雄なんて、本当はずっとやめたかった。
でも――それでも続けてこられたのは、この星がどこまでも美しくて、大切で、大好きだから。
ただ壊れてほしくなかったから……」
白藤色がはらはらと散り、光の粒が森の奥へ流れていく。
「理由がどれだけ単純でも……
譲れない気持ちが一つでもあれば、戦い続けられる。
私達“英雄”は――芸術の創造神様が創り上げた“この星”を護り続ける!
誰になんと言われようとも、この命をかけて……!」
デボティラは、息を失ったように黙った。
静かだった。
風が止まり、森が見守るように息を潜める。
「貴方の掲げた正義……全部が悪だとは思わないよ。
貴方の言い分にも、確かに正しい部分はあった。
平和は大切だよ。貴方の中に眠る慈悲や、同情もね。
でも――やっぱり、貴方のやり方は間違ってる」
私は静かに武器を掲げた。
きっと今なら……今の彼女になら、届く。
“瘴気だけ”を祓える。救える。
「私の生き方は私が決める。皆と同じように……。
私もこれからは、自分の人生を自分で背負っていくよ」
目を閉じて、霖と共に詠唱を紡ぐ。
――古代呪文、第十詠唱コレクト・アルボス。
光が迸り、白藤色の森の中央に巨大な大樹が出現した。
その枝葉は優しく……しかし確かに、デボティラを包み込み込んだ。
……さぁ、瘴気は残らず取り除こう。
貴方にソレは不要だから。
『異能力行使…
我が名はソフィア・ラファエル・ロンサール…。
"ラファエル"の名の下に
汝の過去の傷を洗い流し、新たなる始まりを導くと約束しよう。
水鏡よ、闇をひらき、傷と悲しみを穢れごと清めよ――そして真実の光を映せ。
最終詠唱…神変祈願アルストロメリア』
異能力は詠唱を使うと大幅に効力が増す。
私の異能力は瘴気を祓って浄化する力……。
それを増幅させれば、この里全体の瘴気は祓いきれるはず。
「お願い……戻ってきて、デボティラッ!」
『───あ"あぁ…ッあ"あ"ア゛ア゛ア゛ァッ!!!』
私の叫びと共に、彼女の中から邪悪な気配が抜け出してきた。
瘴気を飲み込むたび、魔法の幹は輝きを増し、
そして──霧雨のようにふっと消えていく。
『あぁ……わ、私は……』
瘴気を失ったデボティラは、細い身体を震わせながら……
「ッ……デボティラ!」
元の、エルフの姿に戻っていた。
白藤の光の宝珠も、私の手元へ帰ってくる。
私はそっと歩み寄り、彼女を抱きしめた。
「ごめんなさい……デボティラ。
私が……貴方と向き合う事から逃げなければ、
もっと違う未来だってあったよね……」
長い年月を生きてきた彼女の身体は、小さくて、驚くほど頼りなかった。
『う……あ、ああぁぁぁぁ……!』
肩を震わせ、彼女はしばらく泣き続けた。
あぁ……終わったのだ。
ようやく、私達の長いすれ違いは――終わった。
これからは、この関係を一から修復していかなければならないけれど、きっと、まだ間に合う。
どれだけ歪でも、壊れかけていても、確かに私達は家族なのだから。
私は抱きしめる腕に力をこめた。
もう二度と、すれ違わない為に。
間違った道を進まないように。
離さないでいよう。
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私がソフィア様と出会ったのは、彼女が生まれたその日だった。
私はとある神社の管理者として、
カテドールフェアリーに暮らしていた。
その神社の名は天泣神社——別名“レモラリクマ”。
神話時代からひっそりと残り続け、あらゆる神が疲れた心を休める場所とも言われる神社。
そして同時に、創造主が封じられたとされる場所でもあった。
だからこそ、人々はこの神社を恐れ、滅多に近づかない。
参拝客もほとんどおらず、風だけが抜けていく。
苔むした石段、雨に洗われた木扉、静まり返った境内……。
通う者がいなければ維持する意味もない。
私にとってレモラリクマは、祖先が代々管理してきたから仕方なく引き継いだだけの、
価値など見いだせない、ただの古びた建物だった。
そんなある日——。
私はソフィア様のご両親と出会った。
海中王国フォンリーマリーの王族と血を分ける名門、
そして英雄を輩出するとされる家門。
スレッド家と共にカテドールフェアリーの共守領主を務める、ロンサール夫妻。
彼らは変わり者だった。
廃れゆくレモラリクマを目にして、本気で涙ぐむほど悲しみ、
それどころか「維持費はすべて出すから、この神社を守ってほしい」と頭を下げてきたのだ。
断る理由もない私は管理を続けることにしたが、
結局やることなど、毎日境内を掃くくらいしかない。
雨の日も晴れの日も、私はただ黙々と神社を磨き続けていた。
そうして月日は流れ……
やがて、ロンサール夫妻の間にソフィア様が誕生した。
彼女が生まれたその日から、夫妻は頻繁にレモラリクマを訪れ、
泣いたり笑ったりする小さなソフィア様を、時に私に預けていった。
貴族として多忙な彼らに代わり、私は彼女と過ごす時間が自然と増えていった。
境内を駆け回り、花を摘み、鈴を鳴らし、拝殿で小さな声で真似事の祈りを捧げる——
いつしか里の者達は、彼女を“巫女”と呼ぶようになった。
治癒魔法に長け、瘴気を祓う異能力まで持ち合わせた才女。
そのうえ穏やかで、優しくて……誰もが愛さずにはいられない少女。
私も、確かに彼女を愛していた。
だからこそ——
彼女が“英雄”であると知った時、胸が裂かれるほど絶望した。
こんなにも尊いこの子が、
帝国のために命を懸けて戦い続けねばならない存在だなんて……。
どうして受け入れられるだろう。
それだけでも十分苦しいのに、
追い討ちをかけるように、ロンサール夫妻は十年前の大戦争で亡くなった。
彼らはその日、帝国の外へと赴いていた。
破瘴の結界は帝国外には届かず、多くの他国がその日に滅んだ。
……それ自体は、まだ理解できた。
ただ彼らの死を悼むだけで済むはずだった。
だが私は“恐ろしい事実”を知ってしまった。
ロンサール夫妻だけではない。
皇族であるコンド様以外の英雄様方……。
彼らの両親も、同じ日に、揃って国外へ向かわされていたのだ。
四大貴族が足並みを揃えて帝国を離れるなど、前例がない。
催しや外交行事を調べても、影も形もない。
——これは偶然ではない。
意図的に、英雄達が手の届かない遠方へ送られたのだ。
帝国が求めるのは、英雄の犠牲……。
英雄によって保たれる“偽りの平和”。
邪神に抗える彼らの力だけが欲しい。
そのために、彼らの意思も、支えとなる保護者も邪魔なのだ。
気づいた瞬間、全身が震えた。
あぁ……なんておぞましい。
なんて醜く、なんて恐ろしい。
気づいてしまった私は、その場で帝国を焼き払ってしまいたいほどの憎悪に飲まれた。
……だが、相手は帝国。
私一人で潰せる規模ではない。
そう考えた時……ふと脳裏に浮かんだのが“破壊者”の存在だった。
彼らの、粗野で凶暴で、品の欠片もない力。
借りるだけでも反吐が出る。
けれどもう、手段を選んでいる場合ではなかった。
すべては——
この帝国に“真の平和”をもたらすため。
英雄のような、哀れで惨めな存在を二度と生み出さないため。
そんな重く濁った憎悪を抱えたまま、私は破壊者となったのだ。




