悪魔へ捧げた魂
『英雄の御三方と帝国軍人が御一人…ですか…。
私一人では少々手に余りますね。
……仕方ありません。暴力沙汰は好きではありませんが、これも理想の新世界の為…。
奴らに、力を借りるとしましょう』
程なくして…デボティラに追いついた私達が四人で彼女を包囲すると、デボティラは忌々しそうにそう言った。
「なんなの、奴らって一体…」
「私達の味方でないのは明らかね…。
全員、警戒態勢を崩さないで!」
私が不安になってそう呟くと、レインちゃんは全員に向けて指示を出した。
その隙に、怪物と化したデボティラは、禍々しい茨のような形の力を操って、どんどん会場を荒らしていく。
すると…忽ち周囲から、悲痛な叫び声が溢れた。
逃げ遅れた民達が血を流している……。
怪我人が出てしまったようだ。
どうしよう…もしデボティラが、このまま殺人まで引き起こせば、彼女が引き返す道は完全に閉ざされてしまう…。
私はそれを心配して、頭が痛くなりながらも怪我人の治療に当たる。
『さぁ!醜い怪物達よ!
好きなだけ…暴れ、狂うがいい!』
民の事など気にもとめず…茨の力で破壊の限りを尽くすデボティラが、ニヤリ…と、嫌な笑みを浮かべて一声上げると、会場にその声が響く…。
まるで不協和音のように不気味な声…。
それに反応するかのように出てきたのは、沢山の化け物達だった。
それもただの化け物ではない、見覚えがある…。
だって、アレは……
───「「影の化け物?!」」
間違いない、内戦で多くの隊員を甚振り、
王都を襲撃していた化け物達だ。
纏っている瘴気の量が尋常ではない。
ッ……あんなものに触れたら、最悪の場合、
人が一発で死んでしまうかもしれない。
"瘴気"とは、それほどまでに私達生き物にとって有毒で有害な存在なのだ。
半年くらい前……探偵ちゃんが帝国に来たばかりの時、彼女が瘴廃国の怪物に負わされた"瘴気が入り交じった怪我"を、アルテちゃんが自分の手に移した事があった。
あの時……あんなに少量の瘴気でも、私の瘴気を祓う力を使っても、アルテちゃんの手が完治するのに数ヶ月はかかった。
この怪物の瘴気と比べれば、
かなり濃度も低かったのにも関わらず…。
「ひぇっ…何あの数?!殺す気?!
デボティラ、頭沸いてんじゃないの?!」
私が瘴気の量に圧倒されている間にも、怪物はどんどん増えていた。
探偵ちゃんは、増え続ける怪物を見てそう叫びながらもホノちゃんを連れ回し、闇雲に魔法をぶつけていた。
でも、流石はレインちゃんの下で修行していた魔法使い……と言うべきか、彼女の攻撃魔法は投げやりながらも怪物達にちゃんと効いていた。
すると…
デボティラはそれを見て、更に冷たい視線を向けてくる。
『ッ威勢のいい小娘…忌々しい…!
ですが……怪物達よ!
そこの娘は後だ!民を…里を襲え!』
『グルルルル…』
『ギィエエエエ!!』
デボティラがそう言うと、影の化物達は彼女の指示に従って里の民や観客達の方へと走り出した。
里を覆う程大勢の民達はパニック状態になってあちこちへ逃げ回っている。
…ッダメだ、リハイトさん達だけじゃ、この人数の避難は追いつかないし、まとめあげられない!
「い、いやッ…助けて!」
「ママぁッー!怖いよー!!」
「ッうわぁ!やめてくれぇ!!」
まだ避難できていなかった不運な民達は、すぐに怪物達に囲まれてしまった。
「ッ……!」
酷い…なんて惨い事をするの?!
やっぱりここでデボティラを止めないと…。
私はそう考えながらも、民達の救出に走った。
人命救助が先になってしまうけど、絶対にデボティラを倒さなくては……。
「避難が遅れている皆さんは、とにかく結界まで走って!あの怪物には絶対近づかないで!」
私は治療が必要な民達を探しながら、
動ける人を優先的に結界へと避難させる。
「デボティラ、アンタ最低!
なーにが平和な世界だ!コノヤロウ!」
探偵ちゃんはそう叫びながら、尚も怪物と戦っていた。
コンド君とレインちゃんはデボティラを足止めしてくれてはいるが、次々と現れる影の化物の対処に手こずってしまっている。
…どうしよう、このままだと押し負ける!
「うッ……」
焦った私は、英雄力のコントロールが難しくなり、眠気に襲われかけた。
「チッ……コイツ等…!」
「うひゃ、ほんまになッんやコレ?!
バケモンの数多すぎやろ!」
「兄者、落ち着いてください!」
必死につなぎ止めている私の意識が遠のきそうになっていると、リハイトさんや破天さん達の声が聞こえてくる…。
ただでさえ混乱している民達を守るのは大変なのに、ここまで大量の怪物に邪魔されたら…。
「あぁ…どうしよう、どうしたら……
このままじゃ…勝てない」
私は必死に眠気を振り払うが、
焦りで思考が上手く回らなくなっていた。
「……あ」
だからだろうか…背後から迫り来る巨大な影に、
私は攻撃を仕掛けられる寸前まで全く気がつけなかった。
──────ギギギギッ……。
私が認識した時には、
既に怪物の攻撃が私へと向かってきていたのだ。
「──ッそんな…!」
私は受け身の体勢をとったが、これで攻撃を防ぎきれるとは思えない。
少なくとも瘴気による致命傷は覚悟しなければならないだろう…。
私は迫り寄る激痛に恐怖心を覚え…その場でただ目を閉じた。
───しかし、
「させぬ…!」
そんな短い声と共に、目の前にいたはずの恐ろしい怪物の咆哮は完全に途切れた。
「……え?」
いつまで経っても衝撃がこないので、私は恐る恐る目を開ける。
すると……
私の目の前にいたのは、先程の怪物ではなく、
永護さんと、アルテちゃんだった。
『───妖術駆使…氷雨の式神よ。
今こそ、我らに助太刀し給え。
兇漢を薙ぐ逆襲の刃…氷震斬・改』
永護さんは、式神(精霊や使い魔と同じような存在)を素早く召喚すると、私が瞬きする間にも出現し続ける怪物達の体を、刀で次々と薙ぎ払う。
『───不惜身命…私は何も失わず、奪わせない。
始祖よ、偉大なる竜よ…。今こそ…天恵を授け給え。
第十詠唱…守護竜の庇護"曙光護符"』
そしてその間にアルテちゃんは、
私や民達を守る為に強力な守護魔法を展開していた。
「ッ二人とも…!」
「巫女ちゃん、怪我してない?」
アルテちゃんは、私に手を差し出すと心配そうに、そう聞いてきた。
「あ、ありがとう…!
私は大丈夫、怪我は無いよ」
彼女の手を取りながら私は、自分の体を見返して答える。
すると、アルテちゃんは一瞬だけ安堵したような表情を見せると、私に素早く守護魔法をかけながらこう言った。
「良かった。
……巫女ちゃん、ここは私達にお任せを。
…どんな怪物が来ようとも、
彼等は私達が守ってみせます!
だから巫女ちゃんは、破壊者……いえ、
"彼女"との戦闘に集中してください!」
「アルテちゃん……ッうん!ありがとう!
ここは二人に任せるね」
私は二人にお礼をすると、
武器を握り直してデボティラの下へと急いだ。
アルテちゃんは…永護さんと一緒に、
デボティラが暴走してからすぐ動いていたんだ…。
それなのに、私は…敵がデボティラだってわかった時…動揺して……咄嗟に動けなかった。
恐らく永護さんが予知夢で見た"トラブル"は、
デボティラが引き起こしたこの騒ぎの事なのだろう。
「……ッ」
…それがわかっても、認めたくなかった。
でも…目を背けるのは、もうやめよう。
私は、暴走するデボティラを前にして動けなかった自分を心の中で責めたが、すぐに気持ちを切り替えた。
だって、今更何を思っても過去は変えられない。
今の私達に変えられるのは…未来だけ。
私はデボティラに……破壊者に、打ち勝つ未来の為。
懸命に走った。
。◌〜 ᐩᕀ┈┈┈┈⋆⸜♱⸝⋆┈┈┈┈ᕀᐩ 〜◌。
『魔音作曲…火と水の精霊“レザー”よ。
僕、“コンド”は君と共に譜面を辿る。
制裁の炎よ、愚かなる者に鉄槌を…!
終止符を打ち、罪を貫き叩き込む音色。
第六詠唱…炎帝演舞“ブレットノート”』
『魔力覚醒…古代魔法行使!
雷と光の麗しき精霊“ヴァルタ”よ。
私の声に応え、魔力を解き放ちなさい。
私の名は“レイン”…あらゆる魔法を把捉せし者!
彷徨う悪意を追撃する雷光よ──
炙り出し、仕留める為に散り広がりなさい。
古代呪文、第十二詠唱…
エクスパンション・フルグル』
私が息を切らしながらデボティラの元へ戻ると、
既にコンド君とレインちゃんが先陣を切り、轟音と閃光の中でデボティラと交戦していた。
『当たり前ですが…人員が多ければ多いほど、
魔法属性が増えて厄介ですね…。
まったく…怪物の数にも限りがあるというのに…』
魔法の衝撃波に羽を揺らしながら、
デボティラは心底うんざりしたように肩を竦めた。
あぁ……本当に、この人は。
民を化け物に襲わせることへ、
心の底から何も感じていないんだ。
……そんなはず、なかったのに。
私は、ひび割れていく自分の感情に気づく度、
胸の奥が痛んだ。
貴方に、これ以上の罪を重ねさせない為にも…。
……もう終わらせなくちゃ。デボティラ。
『魔聖発現…水と植物に愛されし精霊“霖”よ。
私“ソフィア”と共に、皆の力になろう。
……罪責感があるのなら……良心が痛むのならば、
神が差し伸べたその手を、どうか離さないで。
纏繞せし神木のツルよ!
第五詠唱…滞る罪咎“アトーンメントチェーン”』
余計な迷いを振り払うように、私は一気に詠唱を解き放った。
大地が脈打ち、そこから伸びたツルが一気に太く鋭く成長し、デボティラの四肢へ絡みつく。
『な“ツ……ソ、ソフィア様?!』
身動きの取れなくなった彼女は驚愕し、
私をまっすぐに見つめて叫んだ。
「そのツルは、瘴気や悪意に反応するの…。
デボティラ……
やっぱり貴方の掲げる夢は悪意に満ちている。
悪魔に魂を売ってまで選んだ“それ”は、正しい選択じゃなかったんだよ」
『ッ私の正義を冒涜しないでください!
すべては新世界のため!
……それに、貴方が幸せになれる道はコレしかないのですよ!』
「ぅ、わぁ……すごい自信だね…。
ここまで来ると逆に尊敬してしまうよ」
「たく、話にならないわね…。ソフィア、いける?」
「うん…任せて!」
怒鳴るデボティラを見て、コンド君は困ったように眉を寄せ、レインちゃんはこめかみを押さえて深いため息をつく。
だが二人ともすぐ魔力を整え、私は迎撃の合図を受け取った。
──デボティラ。
私が何を言っても、貴方は私の“道”を決めつけ続けるつもりなんだね。
でも、それは絶対にさせない。
自分の道は、自分で選ぶから!
『古代魔法行使……
者の掌中に収められし雷玉──
其れは災いを転じ、己が力とする秘宝…。
鉄槌よ!降り注げ!
高難易度・第十詠唱…
トニトゥルス・アドウェルサ』
『古代魔法行使……
水魔が引き起こす澎湃の災よ!
悪辣な罪へと降り注ぐ凄雨となれ!
古代呪文、第十五詠唱…
プルウィア・ヒュドラルギュルム』
雷鳴が空を裂き、
私の生み出した雲から重い銀色の雨が降り注ぐ。
巨大化したデボティラは避けきれず、稲妻も水銀もその身を打った。
『ッ…おやめ下さい!!』
怒号が響く中、
コンド君と探偵ちゃんが魔力を高め始める。
「探偵!ここで畳み掛けるよ!」
「オッケー!コンド!
よぉーし、やっちゃうぞー!」
『古代魔法行使……
純音、楽音、噪音…基盤となる三つの音。
それ等全てを結び合わせ、
祖国に響かせる大いなる音の波……。
古代呪文、第十三詠唱…
アルトゥス・ソヌスウンダ』
『私に敵対する者は、みーんな逃がさず、
捕らえて、固めて、閉じ込める!
第五詠唱…泥んこまみれ“グラウンド・クレイ”!』
『ッガッぬあァア゛ア゛ア゛ァァァ…!!』
轟く音波が空気を震わせ、
デボティラは一瞬でその波に呑まれる。
続いて、探偵ちゃんの泥の檻が地面ごと盛り上がり、彼女の巨体をがっちりと封じ込めた。
『───ッ邪魔をするな…!』
羽も動かせない状態でも、
デボティラはなお私達に牙を剥く。
『怪物達よ!もっとだ!もっと現れよ!』
彼女の叫びに呼応するように影がざわりと波打ち、
次々に怪物が湧き出した。
地面から伸びる茨も暴走し、里はもう目も当てられない惨状だ。
…うぅ、まだこんなに……!?
処理が追いつかないよ……!
拘束してもなお襲いかかる怪物の群れに、
私達は息が上がり始めていた。
『フフフ…アーハッハッ!そうです!
さぁ!暴れなさい!壊しなさい!』
大量の怪物を前に私達が疲労の色を見せるや否や、
デボティラは途端に上機嫌になった。
ッまだそんな余力が残っていたの?
……でも、落ち着いて。
観客はアルテちゃん達が守ってくれている。
今の私達がやるべきことはただ一つ──
デボティラを、止めること。
私は湧き上がる恐怖と混乱を振り払い、
召喚された怪物をすべて無視して、拘束されたデボティラめがけてありったけの魔力をぶつけた。
何度も…何度も……。
けれど、その途中で私はふと違和感を覚えて――
魔法の発動を止めた。
「おかしい…」
「えぇ、そうね……」
私の独り言に、いつの間にか隣へ駆け寄っていたレインちゃんが頷く。
視線の先には、泥の檻に封じられ、雷と水銀の雨を浴び続けてもなお、息一つ乱さないデボティラ。
「彼女…どうしてあんなに元気なのかしら?」
「まるで…僕達の攻撃が効いていないみたいだ……」
レインちゃんとコンド君の不安に満ちた声が、胸の奥に重く沈み込んだ。
そう――おかしいのはそこだ。
体は捕縛されて身動きできず、私達の魔法は何十発と直撃している。
それなのにデボティラは、皮肉げな笑みすら浮かべていた。
魔法が効かない? そんなはず――
だって、彼女は魔法無効の能力なんて持っていなかった。
焦りながら、私は必死に思考を巡らせる。
……悪魔化したことで何かが変わった?
だとしたら “いつもと違う部分” が答えのはず――!
『おや?クフフッ…。
英雄の皆様……何をなさっているのです?
良いのですか?怪物共を放っておいても!』
嘲るような声が、煙る瘴気の向こうから響く。
挑発の笑み。
周囲にはまだ黒い影の怪物達が蠢いている。
そんな余裕を見せる彼女に――
「うるっさーーい!!虫眼鏡で弱点見れないし、態度大き過ぎてムッカつく!!」
ついに、探偵ちゃんがキレた。
彼女から放たれた魔法がデボティラの急所に直撃し、
鈍い衝撃音が空気を震わせる。
『グッ…本当に、執拗いですね!』
だがやはり――傷一つつかない。
デボティラはただ不機嫌に睨み返すだけだった。
「……あれ? 今の……まさか?!」
しかしその様子を見て、私は確信にたどり着く。
そして…それを理解した瞬間、背筋が凍った。
そんな……嘘、でしょう……?
「ソフィア!何かわかったの?」
「……うん、」
レインちゃんの鋭い声。
私は小さく頷き、震える息を整えて言った。
「デボティラが纏ってるあの瘴気……
魔法が当たった瞬間にだけ、体の外へ溢れ出してるの」
「え……瘴気?」
コンド君は息を呑み、レインちゃんも言葉を失ったように目を見開く。
探偵ちゃんだけがキョトンとした顔で首を傾げる。
「えぇ…あれって瘴気だったんだ…。
道理であんなに禍々しいわけよね…。
……って、ん?
なんで皆そんなに驚いてるの?」
二人は私に代わって、静かに説明を続けた。
「瘴気は、怪物や怪物、邪神みたいな“本物の邪悪”の原動力なんだ。
それが彼女の体から出てるってことは――
今のデボティラは怪物と同じ。
瘴気に身体を支えられて動いてiる状態なんだよ」
レインちゃんも続ける。
「そして……瘴気が攻撃を弾いてしまう以上、
まずは“瘴気そのもの”を断ち切らないと……」
「なるほど…あれ?
でも、瘴気が原動力なら……」
探偵ちゃんはそこまで言って、ハッと自分の口を塞いだ。
そう――
きっと、気付いてしまったのだ。
瘴気を祓えば、デボティラは……。
「皆、大丈夫……私が、祓う」
なるべく笑ってみせた。
けれど胸の奥は張り裂けそうだった。
デボティラが"自ら"改心しない限り――
彼女を救う方法は、もう残っていない。
「……ッ」
私は武器を天へ掲げ、祈りの詠唱を紡ぎ始める。
『世界を創造せし神の遺した
瘴気を祓いし光の波動よ――』
……しかし、そのときだった。
『お話は聞かせてもらいました!』
場の空気を切り裂くような明るい声が、複数響いた。
驚いて振り返ると――
「え、貴方達!?」
「ソフィア様、私達も共に行きます!」
「戦力にはなりませんが……
瘴気を跳ね除ける結界は張れます!」
「それに……
貴方一人だけを危険に晒したくありません!」
そこに立っていたのは、教会の巫女見習い達。
私に仕えるあの子達だった。
彼女達は顔を強張らせながらも――
勇気を振り絞って前に進む。
「ッだ、だめ!危ないよ!
デボティラは私がなんとかするから、みんなは逃げて!」
本当は嬉しい。心が震えるほど。
でも――守りたい。家族のような彼女達を。
「今まで助けてもらってばかりでした。
だから今度は私達が、お力になりたいんです!」
「見習いでも巫女です!
貴方の異能力に適わずとも、
瘴気を祓う術は多少心得ています!」
「待って!ダメ!戻って!!貴方の力じゃ、きっと……」
必死に伸ばした私の手は……誰にも届かなかった。
震える肩を押さえながらも、
彼女達はデボティラの方へ駆け出していく。
恐怖で足が震えているのが見える。
それでも、その背中はまっすぐだった。
『小娘共……よくも、今更……。
ッ、寄って集って……邪魔です…!』
「「きゃあぁぁー?!」」
彼女達のもとへ駆け寄ろうとした、その瞬間だった。
デボティラは、私が追いつくより早く、
その身に纏った濃度の高い瘴気から茨を伸ばし、
巫女見習い達をまとめて振り払った。
───ドサッと、
乾いた衝撃音と共に小柄な身体が地面へ崩れ落ちる。
「い、いたい…」
「デボティラ…様……」
「なぜ、このような事を……」
「ッ皆…!」
胸の奥がぐらりと揺れた。
まずは彼女達の治療を――
でも、デボティラを放っておけば被害はさらに広がる。
私は迷いを抱えたまま、咄嗟に彼女達を庇うよう前に立った。
だが、デボティラの怒りは、なおも彼女達へ向いたままだ。
『黙れッ……お前達のような小心者の能無しが、
私に歯向かうなど…!』
瘴気が渦を巻いたかと思うと、そのまま形を持ち、黒々とした怪物へと姿を変えた。
デボティラはそれを一斉に解き放つ。
狙うのは――言うまでもない、巫女見習いの少女達だ。
しまった……ッ!
一人で相手取るには多すぎる。
全ての怪物を短時間で倒すなんて不可能だ。
後ろを振り返ると――レインちゃんやコンド君、探偵ちゃん達も、別の怪物に囲まれてしまっていた。
あの程度なら三人なら問題なく倒せる……けれど、ここまで来てくれる頃には、間に合わない。
……ッそんな……これじゃあ……。
胸の奥で、絶望が黒く広がっていく。
でも、立ち止まるわけにはいかない。
「……ッ」
たとえ、どんなに無茶でも――。
コンド君のように邪を封じる希望の光があれば。
レインちゃんのように底なしの魔力があれば。
リハイトさんのように魔物や魔獣を操れたら。
アルテちゃんのように、みんなを守る盾になれたら。
……そんな" ないものねだり "が、胸を切なく締めつけた。
それでも、握った武器を離すことはなかった。
腕が震えても、前へ出る脚だけは止めない。
……弱気になってる場合じゃない。
私だって――"英雄"なんだ。
「この命をかけて、抗ってみせる!」
覚悟を決めて魔力を限界まで呼び起こし、
私が両手へ集中させた――
───その時。
『───よくぞ言った!』
澄んだ、よく響く声が空気を震わせた。
「……ッ」
同時に私の視界一帯を“銀色”の閃光が覆う。
そして、次の瞬間――
「え……」
周囲の怪物は、一匹残らず消滅していた。
風に舞う砂埃だけが残り、
そこには荒れた森の地面が広がっているだけ。
私は武器を構えた姿勢のまま、呼吸すら忘れて固まった。
今、何が――?
その疑問を抱いたまま周囲を探ると、前方から鋭く力強い――
しかしどこか神聖でもある“妖力”が押し寄せてきた。
その気配を辿って視線を向ける。
そこにいたのは、九つの尾をたなびかせる大きな狐――に化けた"翠雨様"だった。
『彼女等は、私に任せなさい…。
お前は引き続き……奴の相手をするのだ』
落ち着き払った声と表情で、翠雨様は巫女見習い達を見つめていた。
視線を追うと、彼女達は恐怖と緊張の限界だったのだろう……全員、気を失って倒れていた。
「な、なぜ翠雨様がこちらに?!」
確かに――帰ると、孫達に言われたからそろそろ帰ると、そう言っていたのに。
私が驚きで言葉を失っていると、翠雨様は再び鋭く声を飛ばした。
『早く行きなさい、ソフィア!
あ奴が逃げてしまう!』
促されて振り返れば、デボティラは既に姿を消していた。
「――ッでも、翠雨様が妖力を使ったら……!」
あれほどの妖力を今の身体で使えば、翠雨様が無事でいられるはずがない。
それを知っているからこそ、足が動かない。
『元より我が身は、そう長く無い……!
私の事は気にせず行きなさい!
なすべき事を、決して見誤るな!
選択を間違える事は許されない!
お前はこの里の領主であり、この星の英雄の一人…。
そして、なにより私の……舞の継承者なのだから!』
胸に突き刺さるような叱咤が、心を奮い立たせた。
翠雨様の声が震えていないのが、余計に痛かった。
あぁでも……迷っている暇なんてない。
私は――やらなきゃいけない。
『さぁ行け!ソフィアッ!』
「ッ――はい!
必ずデボティラを止めてみせます!」
溢れそうになる涙を振り払い、私は翠雨様に深く頭を下げ、拘束を解いて逃げたデボティラの気配を追って駆け出した。
泣いている時間なんて無い。
ただ必死に、前へ走った。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
白藤色の森の中――
風が吹くたび、九つの尾がゆるやかに揺れた。
だがその揺れは、もう力強さを失い、
ただ風に身を預けるように、頼りなく靡いているだけだった。
ソフィアが駆け去った後。
翠雨はふっと膝を折り、その場へ静かに倒れ込んだ。
さきほどの怪物退治で、
彼女は自らに残された最後の妖力を、
ひとしずく残らず使い切ってしまったのだ。
「……。」
それでも彼女の表情は穏やかで、苦しみの色も見えない。
側には、巫女見習いの少女達が倒れていた。
彼女達の顔をひとりひとり確かめた後、
翠雨はゆっくりと目を閉じる。
──"自身の死"……。
それを恐れる事も無く、悲しむ事も…悔やむ事もしない。
そこには負の感情などなかった。
ただ静かに、静かに。
己の魂が朽ち、舞い散っていくその時を待つだけ。
「……これで、よい……」
風に溶けるようなかすかな声が、白藤の森に落ちた。
煌めく命が散りゆくのを、
誰に見送られるでもなく――
それでも、翠雨は満ち足りていた。




