芸術の破壊
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美しい旋律に導かれるように、
透明感のある音色が空間を満たしていく。
照明を受けて宝石のように輝く衣装を身にまとい、
踊子たちが軽やかに舞うたび、舞台には新たなきらめきが咲き乱れた。
天井から吊るされた装飾が水面のように揺れ、
逆さに広がるクラゲの傘がふわりと開くたび、光が柔らかく散っていった。
咲き誇る可憐な花々の間を、色とりどりの蝶がひらひらと舞い回り──
逆さクラゲの舞は、まるで夢の中の景色そのものだった。
……帝国中から民が押し寄せる理由が、
これではっきりわかった。
私は思わず息を呑みながら、ただただ舞台に見入っていた。
もちろん、トラブルの件は忘れていない。
虫眼鏡はすぐ取り出せるように握っているし、永護の予知夢の内容は五英雄にもきちんと共有済みだった。
警戒も……している。しているつもり、ではある。
……が、どうしても目が離せないのだ。
だって、綺麗すぎる!素敵すぎる……!
この世の芸術を全部ひと皿に盛って提供されたような完璧なステージ。
これを目に焼き付けずにいられる人なんているのだろうか?
そうだよ──お祭りのメインは逆さクラゲの舞なんだから。
楽しめるうちに! トラブルが起こる前に!
楽しんでおいて何が悪いのか!
……そんな開き直りを胸の奥にそっと押し込みながら、私は今日いちばんの集中力を“舞台を堪能する事”に注いでいたのだった。
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《ソフィア視点》
舞が始まる前…
私はレインちゃんや探偵さんから、祭りの料理に毒が混入していた事、そして永護さんの不穏な予知夢の内容を聞いた。
お祭りの準備期間中に聖水が汚染される事件があったから、本番でも何か起こるかもしれないと警戒はしていたけれど……まさか私の目が届かないところで、既にそんな事態が進んでいたなんて…。
報告を聞きながら、胸の奥にじわりと重たい不安が広がっていく。
執拗に祭りを潰そうとする、どこの誰とも知れない悪意――
その存在が肌にまとわりつくようで、落ち着かなかった。
誰が……何のために、こんな酷い事をするんだろう…。
「───ソフィア」
「え、翠雨様!?どうしてここへ?」
先の事ばかり考えていた私は、不意にかけられた声に肩を跳ねさせた。
気がつけば、舞台裏の薄暗い幕の隙間から、翠雨様が静かに姿を現していた。
本番前に、わざわざこんなところまで足を運んでくださるとは思わず、余計に驚いてしまう。
「本番前にすまないな」
「い、いえ!そんな!どうかお気になさらず!」
私が慌てて姿勢を正すと、彼女は表情を少しだけ曇らせ、その理由を穏やかな声で語ってくださった。
「……永護の予知夢の件は既に聞いているでしょう?
その関係で、孫達に屋敷へ帰るよう言われてしまってな。
どうやら、お前の本番を見届けてやれそうもないのです……。
だからせめて、本番前に激励の言葉でもかけておこうと思って、こうして顔を合わせに来たのだが……」
聞けば、これから起こるトラブルに巻き込まれぬよう、アルテちゃん達が翠山への帰還を強く勧めたらしい。
翠雨様は翠山の四山領主長であり、小夜公爵家の当主。
その身に何かあれば、翠山全体が揺らぐ事になる。
しかも彼女もまた、十年前の大戦争の際に受けた魔王の呪いによって、本来の妖力の回復ができない身……。
妖族にとって妖力は生の源。
消費した分が戻らないなら、戦うどころか、生き抜く事すら難しくなってしまう。
危険が迫る場に残るのは、あまりに無謀だ。
私も、恩師である翠雨様をこの領地で危険にさらすわけにはいかない。
帰還の判断は正しいと思う。
「そうだったんですか……。
でも確かに、翠雨様に何かあっては大変です。
どうか私の事はお気になさらず、お気をつけてお帰りください。……この儀式は、私が必ず成功させてみせますから!」
今まで翠雨様から教わってきたすべてを、絶対に無駄にしない――
そう固く誓い、私は胸を張って答えた。
見届けていただけないのは寂しいけれど、
翠雨様の安全には変えられない。
すると翠雨様は、まるで幼い頃のように、
そっと私の頭に手を置いて優しく撫でてくださった。
「えぇ。心配などしていませんよ。
今までの稽古を耐え抜いたお前ならば、
きっと大丈夫でしょう。
私の舞を継ぎし、次代の病祓者……
カテドールフェアリーの神子、ソフィアよ。
今宵の儀式、期待している」
「ッ──はい!」
胸が熱くなるのを抑えきれず、私は力強く返事をした。
失敗なんてできない。
幼い頃から憧れてきた翠雨様に『期待している』と告げられたのだから……緊張よりも、嬉しさの方が勝ってしまう。
「……お前の舞を見届ける事は叶わないが、
せめて神具の用意は私がしよう」
私の決意を聞き届けたかのように、
翠雨様は神具と聖水を手に取り、儀式の準備に移られた。
逆さクラゲの舞では、“神具”と呼ばれる特別な道具を使用する。
聖水と同じく、今日まで厳重に保管されていたのはこのためだ。
神具とは、聖水のように聖なる力を宿すものの性能を倍増させるもの――
神棚に供える神具とは異なり、古い伝承では創世の神の力が宿るとまで言われる存在。
真偽は分からなくても、儀式に欠かせない事だけは確かだ。
「翠雨様が神具を用意してくださるなら、
儀式の成功は確実ですね!」
神具を手際よく扱いながら聖水の力を引き出していく翠雨様の美しい所作に目を奪われ、私は思わず声を弾ませた。
彼女がここまでしてくださったのだ――
もう絶対に失敗できない。
……翠雨様の舞の継承者として、恥じぬ舞台にしなきゃ。
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「ソフィア様……ご準備は、整いましたか?」
「うん、大丈夫。行けるよ」
いよいよ本番の時が来た。
デボティラに声をかけられた私は、深く息を吸い込み、そう答えて舞台へ向かった。
翠雨様が調合してくださった――
不治の病に対抗できる、特別なワクチンを携えて。
「……。」
舞台へと歩みながら、
私はどうしても考えずにはいられなかった。
結局、聖水を汚染した犯人は見つからなかった。
でも、今日まで聖水そのものは守り抜けた。
さっき調合したワクチンだって、混入物の心配はないはず……。
大丈夫。きっと……大丈夫だよ。
今年も、病から皆を守れる……大丈夫。
自分にそう繰り返し言い聞かせ、光の海のように眩しい照明に迎えられながら舞台へ上がった。
目がくらむような光の中で足元を確かめ、私はこの里――カテドールフェアリーに古くから伝わる伝統の舞を披露し始める。
……それでも、胸の奥の不安は消えなかった。
探偵さん達が教えてくれた“トラブル”。
それが何で、どんなタイミングで起こるのか分からないからこそ、意識の端で警鐘が鳴り続けている。
――でも、
今はとにかく、この舞を成功させなきゃ。
翠雨様の顔に泥を塗るような真似、できないもの!
膨らむ不安を振り払い、私はステップに集中した。
魔力と祈りを込めた舞とともに、ワクチンに宿された聖なる光が周囲へと広がっていく。
里全体を包み込むように――病から皆を守るように。
舞を続けながら、ふと別の思いが胸に浮かぶ。
一年に一度行われるこの儀式は、
古い伝統と厳格な形式を持つ重い行事。
翠雨様が引退された今、
この重大な儀式を担うのは私だ。
そう、これからはずっと……。
……あぁ、やっぱり緊張する。
探偵さんや翠雨様が傍にいてくれた時は、
もっと大丈夫だと思えたのに。
今の私の胸の内をデボティラに見られたら、きっと
「余計な事を考えてはなりません」
と、あの真剣な顔で叱られるんだろう。
そう思い、私はちらりと舞台裏の彼女を見て、
苦笑してしまった。
その瞬間――
今日の本番前に探偵さんから言われた言葉がふと蘇る。
『ねぇ、ソフィアはいいの?
このままずっと、デボティラに従い続けるの?
そんな……都合のいい存在のままで……本当にいいの?
前も言ったけどさ……ソフィアの事は、ソフィア自身が一番分かってるんだから。
自分がしたい事、他人の為だけに我慢しなくてもいいんだよ?』
……そう、私はいつも彼女の言いなりだった。
「……探偵さんの、言う通りだ。
私……一体今まで何してたんだろう」
小さく呟いたその時、全てのワクチンを撒き終えた。
私にとって最大の役目である“病祓の儀式”が、ようやく終わったのだ。
「皆さん、今日のために素晴らしい舞台を創り上げて下さり、ありがとう。
皆さんに“白藤の雨の加護”があらん事を。
……今年も、帝国の民が健康でありますように。
カテドールフェアリーの巫女、ソフィア・ロンサールは願います」
言葉を紡ぎ終えると、温かい拍手が波のように広がった。
……良かった。
これなら翠雨様にも胸を張って報告できる、はず。
模範的なスピーチを終えた私は一礼し、
舞台を降りようと足を踏み出した。
――だが。
「……?」
次の瞬間、
私はその歩みを止める事になった。
……いつの間にか、さっきまで舞台裏にいたはずのデボティラが、私の行く手をふさぐように立っていたからだ。
彼女は――その顔に、
うっすらと笑みを浮かべていた。
「……。」
んんー……うん、ごめん。
こんな事思うの本当に……すッごく失礼なんだろうけど、でもデボティラ、その表情……なんだかとっても不気味だよ!
それに、どうして舞台の上に?
舞台は演者がきちんと退くまで“神聖な場”として閉じられているはず。
そこへ割り込むなんて……ッ、まさか何かあった?
探偵さんが言っていた、あの“トラブル”……?!
そんな疑念が一気に胸を駆け巡る中、
デボティラは不自然なほど口角を吊り上げたまま、
ゆっくりと口を開いた。
「嗚呼……本当に素晴らしい舞でした。
ソフィア様……今宵は貴方が、この世で一番慈悲深く、美しい。
えぇそう。まるで――女神の如く……」
「え……?」
彼女の言葉に理解が追いつかず、私は間の抜けた声を漏らしてしまった。
それから、どうしても“何を言ってるの?”という表情になってしまったのは許してほしい。
だって、本当にわからないんだもの……今言われた言葉の意味が。
戸惑う私をよそに、デボティラは軽やかな足取りで舞台の上を歩き回りながら、流れるように言葉を続けた。
その動きはしなやかなのに、どこか異様で、目が離せない。
「ソフィア様、人とは実に愚かだと思いませんか?
病や死を恐れるくせに、いつだって日々争う事をやめない…。命が惜しいというのなら、己が傷つく力なんてもの、振るわなければいいのに。
あぁ、まったく……度し難い」
「あ、えっと……そう、だね?
うん……平和が、一番……だよね?」
「そう!そうです!そうなのです!ソフィア様!」
デボティラは私の言葉に過剰なほど嬉しそうに頷き、目をきらりと細めた。
「だから私は考えました!考えたのです…!
どうすれば、愚かしい者どもが無駄な争いでそのちっぽけな命を無駄にしないのか……!
どうすれば、この世が真に平和になるのかを!」
「あ、うん……?」
――う、ッついていけない。
いきなりどうしちゃったの、デボティラ……!
混乱しながらも返事を返すしかない私。
だってデボティラは、誰よりも伝統を重んじ、儀式を“完璧”にこなす人だった。
その彼女がこんな奇妙な行動を取るなんて……理由がわからなくて、その場に立ち尽くすしかなかった。
「……案外、答えは簡単でした。
力を――いえ、魔法を!"芸術"を!
この世界から、すべて無くしてしまえば良いのです!」
「えっ!?」
私は本格的に、自分の耳を疑った。
そして……そこでようやく、デボティラが取り返しのつかない…とんでもない誤ちを犯そうとしているのだと理解する。
「ッま、待って!デボティラ、一旦落ち着い――」
「魔法の根源は芸術の力。
ならばまず、芸術を消す必要があるでしょう?
だから私は――"この祭りごと"潰そうと、開催以前から何度も手を打ちました。
……まあ、失敗しましたが」
「……は……え…?
ま、まさか……今までの事件全部……貴方が……?
うそ…嘘……でしょ……?ね、ねぇ!デボティラッ!」
「私は嘘など吐きません、ソフィア様。
私の言葉はすべて事実です」
止めようとする私の声は、
彼女の次の言葉であっさりとかき消された。
「もうすぐ邪神が復活する……。
我々には“新たな神”が必要なのです。
今宵はこんなにも、大勢の――
“芸術の力に酔いしれた愚者達”が集っているのですもの。
この好機、逃すわけがないでしょう?」
「そんな……ッ。ねぇ、どうして!?
このお祭りも、この儀式も……貴方が翠雨様と一緒に何十年も守ってきたんでしょ?
私が生まれる前からずっと、この里の人を、帝国の民を、恐ろしい病から守るために……貴方が創った……創り上げてきた舞台なのに!
どうして……それを貴方自身が壊すの…!?」
「……私は、いつだって平穏を望んでいました。
病に倒れる事も、飢える事も、争う事もない世界を。
でも、気づいてしまったのですよ。
どれほど死の病から民を救おうと、人々が余計な力を持つ限り、平和など訪れないのだと。
だからこそ、元凶を断つ。どうです?とても簡単な話でしょう?
長年私と共に儀式を支えてくださった翠雨様が引退されてもなお、平和はとうとう訪れず、世界は混乱し続けています。
最近では帝国内で大規模な内戦まで起こった。
……死者の数、思い出せますか?よぉーく思い出してみてください。
あんなにも愚かしい事が他にあるでしょうか?」
…もう、彼女に何を言っても無駄なのだと……わかりたくなかった。
でも、わかってしまった。
デボティラとは、もう“向き合う覚悟”を決めなきゃいけない。
本当は信じていたいのに……もう無理なのだ。
「デボティラ……。
貴方の考えは、わかった。
……でも、今貴方がしようとしている事は、帝国だけじゃない。
この星のすべての秩序を揺るがす行為なんだよ。
絶対に、許すわけにはいかない」
「まだ分からないのですか、ソフィア様。
固められた“愚かな秩序”を崩す事でしか、新たな世界は生まれません。
そもそも、私の追い求める平和に、今の秩序など必要ないのですよ」
そう言って、
デボティラは私を冷ややかに見下ろした。
「……ッ」
――その視線に、胸がひやりと冷たくなる。
あぁ……知ってる、この目。
小さな頃からずっと、彼女が私に向けてきた……
あの冷たくて、刺すようで、心を押しつぶすような視線。
逃げたくなるほど、よく知っている目だった。
私の両親は国外で仕事をする事が多く、
幼い頃から私の面倒を見てくれていたのは、
いつだってデボティラだった。
だから──
どんな扱いを受けても、私は彼女に少なからず“恩”のようなものを感じていた。
言いつけは、できるだけ守ってきた。
守らなければ、あの氷みたいに冷たい瞳を向けられてしまうから。
子供時代の私は、その視線がとても怖かった。
そしていつの間にか、彼女のあの目は私の中で小さなトラウマになっていた。
…でも、もう怖気付いてなんていられない。
「デボティラ……。貴方と一緒にいた日々、その全部が辛かったわけじゃない。
…でも私は、ずっと貴方の事が怖かった。
今だって逃げたいよ。逃げ出してしまいたい。
盲目的に従っていた方が、ずっと楽なんだもの」
そう言ってしまった私は、ほんの少しだけ視線を落とした。
するとデボティラは、まるで待ち構えていたかのように息を弾ませ、熱に浮かされたような声で語りかけてくる。
「えぇそうでしょう!そうでしょうとも!
その“楽な道”を歩みましょう!
貴方のお力があれば、この世界は生まれ変わっ──」
「でも貴方には、もう従わない」
───私は彼女の言葉を遮った。
反抗の声なんて、人生で初めてだった。
……けれどこれは、確かに“私自身の意思”だ。
私は会場の観客席を見渡し、探偵さんを探した。
見つけた瞬間、なるべく大げさな笑顔を作って見せる。“もう、大丈夫”という気持ちを込めて。
「……!」
探偵さんは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに力強く頷き返してくれた。そして──
「よく言った! ソフィア、偉ーいッ!
よぉーし! ソフィアの敵は私達の敵だ!
私達も一緒に闘うよ!!」
と、舞台上に仲間を引き連れながら雪崩れ込んできた。
──パ、パワフルだぁ……。
でも心強い。ありがとう、探偵さん。
……ううん、探偵“ ちゃん ”!
自分の意思で立つと決めた今、
やっと彼女を本当の友達だと胸を張って思える。
「デボティラはかなり強いから、
気を引き締めてね、探偵ちゃん!」
「え、探偵ちゃん…? って、う、うん!わかった!」
探偵ちゃんに声を掛けた後、私は自分の武器を手に取った。
紙垂が揺れる特殊な槍──
巫女としての誇りを全部つぎ込んで創り上げた、私だけの武器だ。
柄を握り込むと、胸の奥で緊張が鋭く弾けた。
これから、デボティラと戦う。
その現実がぐっと重くのしかかる。
武器を構えようとした時、もう一つ大切な存在を呼ぶのを思い出し、私はそっと声をかけた。
「……おいで、霖」
私の呼びかけに応じて、空気がふわりと揺らぎ、水の粒がきらめきを残しながら“その子”が姿を現す。
私の精霊──霖。
幼い頃、翠雨様に憧れて雨の名をつけた、私の大切な相棒だ。
「えぇ?!こんな所にクラゲ?!」
隣から聞こえてくる探偵ちゃんの驚愕の声に、私は思わず苦笑する。
そういえば、探偵ちゃんの前で精霊を喚んだ事はなかった。
霖は水生生物のクラゲ。
初めて見たら驚くのも無理はない。
「そういえば……
アリアの精霊とか使い魔も見た事ない……
アリアは人魚だし、水生生物がパートナーなのかも……地上は水が少ないから召喚しづらいとか……?」
探偵ちゃんはブツブツ呟きながら霖を観察していているけど──うーん、ごめんね。霖の事、気になるだろうけど、今は後にしようね。
私は彼女の肩を軽く叩き、意識を戻す。
「ハッ……! ご、ごめんソフィア!
って、え……あれって……」
すると正気に戻った探偵ちゃんが息を呑み、
デボティラの方を凝視した。
「……。」
……嫌な予感がして、
私は恐る恐る、彼女の視線の先を見る。
そして結論から言うと、
その嫌な予感は、完璧に当たってしまった。
デボティラの手には、藤色に輝く“加護の宝珠”が握られていた。
教会の奥で厳重に保管されていたはずの宝珠が……
どうして彼女の手に?!
「ッそれは私の……宝珠?! どうやって……!
いえ、それより、それを使って一体何を──」
悪用される前に取り返そうと、一歩踏み出した瞬間──
「ソフィア様、どうしてそんな顔をなさるのです?
何を躊躇うのです?
貴方も、世界の平和を望んでいるでしょう?」
デボティラは恍惚とした笑みを浮かべたまま、静かに続けた。
「ご安心ください。
貴方の英雄力は奪いません。
治癒の力は、この世に必要な素晴らしい力……。
そして世界中の力を回収した後、その全てを貴方に捧げるつもりです。
貴方が癒せぬものなど存在しない世界──
貴方こそ、世界の“新しい女神様”となるのですよ!」
そして、あろう事か、彼女は躊躇なく宝珠を自らの体内に埋め込んだ。……埋め込んで、しまった。
「ッデボティラ……貴方ッ、なんて事を!」
「嗚呼!本当に……今まで貴方に沢山の聖書を読ませておいてよかった!
神を知り尽くした慈悲深い貴方ならば……
この星の女神に相応しい!
さぁ、宝珠よ…!今こそ始めましょう!
……芸術の破壊を!古き理と力の抹消を!
私は"破壊者"が一人── ベルゼブブの名を掲げる者!
デボティラ・ベルゼブブ・オラクルム!!」
……今まで、あれほど聖書を読むように言われていたのは……このため。これが、理由……?
デボティラは、私を利用するために育ててきた……?
血が繋がっていなくても、家族みたいに大切にしてくれると思っていたのに…信じていた、のに……どうして。
「破壊者だと?!」
「嘘……デボティラ。
まさかアンタ、今までソフィアを……
そんなおぞましい計画に巻き込むために?!
ッよくも……!」
デボティラが“破壊者”と名乗った瞬間、
リハイトさんとレインちゃんが叫び、
コンド君とアルテちゃんは変貌していく彼女をただ呆然と見つめていた。
「ソフィア、余所見しないで!」
「……うん」
レインちゃんに声を掛けられ、
私は、深く息を吸った。
──そうだ、今更何を思っても状況が好転する事は無い。
今はただ、彼女を止める事だけが重要。
私は槍を握り直し、決意とともにその刃先をデボティラに向けた。
「……ッ。」
……いや、本当に“アレ”はデボティラなのだろうか?
そんな疑念が胸をよぎったのも当然だった。
だって……
つい先ほどまで彼女が立っていたはずの場所には──
もはや原型を失い、おぞましい怪物へと変貌した"悪魔"が鎮座していたのだから。
頭には岩のように無骨で鋭い角が二本突き出し、
虫を思わせる濁った大きな複眼がぎょろりと光り、
裂けた口元は人間の表情の名残すら留めていない。
背中には、腐臭を撒き散らす蝿の羽が四枚……。
伸びた手足は獣や鳥など複数の生き物を無理やりつなぎ合わせたようで、まるで禁忌の合成獣そのものだった。
それまで呆然としていた観客達も、
この異形の出現には耐えられなかったらしい。
「化け物……ば、化け物だッ?!」
「ッいやあぁぁぁ?!何なの?!」
「ど、どこに逃げればいい?!」
「いたッ……おさないでよッ!」
「人が多すぎる!ッ出口は何処だ?!?!」
会場は一気に悲鳴と混乱で満ち、
無秩序な逃走と椅子の倒れる音が渦を巻いた。
『クフフッ……クハッ!アッハハハハハッ!!
さぁさぁご覧下さい、ソフィア様!
素晴らしいでしょう? この姿!
私は今から、新世界の解放者となるのです!!』
「デボティラ、貴方は…ッ!」
声高らかに自身の変貌を誇る彼女を、私は──
醜い、と、そう思ってしまった。
あぁ、デボティラ。貴方に、こんな感情を抱きたくなんてなかったのに。
「…やっぱりもう限界だよ」
『…え?』
「今までずっと……
ずっとずっと目を背けて、背け続けてきた。
だけど、もし貴方がこのまま悪い道に進むのなら、
次は……"貴方の意"に背いて、それを止める!」
私は深く息を吸い込み、
詠唱へ移ろうと意識を集中させた。
『……ッ』
しかし、デボティラは私の魔力の動きを察したのか、一瞬で舞台から飛び降りる。
『はぁ……そうですか。
私を止めますか……。
協力もしなければ、見逃しもしないと……。
貴方は私の邪魔をするのですね。
……残念ですよ、ソフィア様。
ならば、もう貴方に用はありません。
さようなら……私の事はどうかお構いなく』
「ッ、待ちなさい!」
すぐに詠唱を中断し、私は迷わず彼女を追う。
逃がす訳にはいかない。
本当ならデボティラを説得したい──
けれどそれ以上に、宝珠を取り戻さないといけない。
あれが破壊者の手に渡れば、帝国も星も救えない。
そんな未来、絶対に許せないし、あってはならない事だ。
「…破壊者に加護の宝珠を奪われる訳にはいかない…。僕もソフィアと共にあの破壊者を追うよ」
「私も行くわ!」
「あ、三人とも待って!私も!」
後ろからコンド君、レインちゃん、そして探偵ちゃんの声が重なる。
「なら、俺は客の避難を」
「私は守護魔法をかけて回ります」
「ワイの結界内なら少しは安全やで!」
「そうですね。この術には"破瘴の結界"と似た効果が組み込まれているので……
一先ず兄者の結界内へ観客の皆様を避難させましょう!」
リハイトさんとアルテちゃん、破天さん、雅火さんの声も続いた。
──そうだ。
デボティラと戦っているのは、私一人じゃない。
探偵ちゃんが言っていた通り、此処には皆がいる。
大丈夫。
皆と一緒なら、闘える。




