聖水汚染再び
「なるほど……加護神様が宝珠の在り処を……」
「あぁ。悪用される前に、その聖獣に会っておいた方がいいと思ってな」
クトール邸に戻った私達は、暖炉の火がぱちぱちと跳ねる広間で、神殿での出来事をコンドに報告した。
リハイトはアロマルム様から聞いた宝珠の情報を伝え、私はアルテと役割分担した事を説明する。
「アルテが祠を探してくれてるから、
祠までは簡単に行けると思うよ!」
「そうなんだ!……確かに翠山なら、全ての山域が小夜家の庭のようなモノだからね。うん、アルテから祠の報告が届いたら、すぐ動けるように準備しておくよ。二人共、貴重な情報をありがとう。必ず宝珠を取り戻してくる」
コンドは椅子を蹴る勢いで立ち上がり、
さっそく外套を手に取った。
「……え?まさか一人で行くつもり?」
当然のように一人で出発する気満々の彼を見て、
私は思わず固まってしまった。
邸の大窓から差し込む昼の日差しが、コンドの背を長く伸ばす。
その大きな影を見て、私は考える。
う〜ん…。
コンドは英雄だし強い……だけど、次期皇帝候補者だし…一人で行かせるのは、不安だよな…。
護衛がいてくれたら安心だったんだけど…何故か今は王都に召集されているようで、帝国軍の隊員達も帝国防衛の任務があるとか何とか……。
……困った。
「ねぇコンド……私も加護の宝珠探し、手伝いたい!ついて行ってもいい?」
私がそう言うと、彼の表情がぱっと花開いた。
「翠山まで付いてきてくれるの?ありがとう探偵!
特務隊員の君が来てくれるなら心強いよ。
…翠山は魔界モルダーシアに一番近い場所だから、
凶暴な魔物も多い。戦闘は避けられないと思うから……準備は念入りにね?」
「うん!了解!」
危険だと言いながらも止めずに受け入れてくれる。
そのことが、少しだけ嬉しかった。
信頼……されてるのかな。されてるといいな。
そう思いつつ支度に参加すると、リハイトが申し訳なさそうに眉を寄せた。
「俺も行ってやりたいところなんだが……最近、錬金術の依頼が増えていて、これ以上工房を空けていられない。悪いな、コンド」
「大丈夫。君の仕事が以前のように充実してきたのは、僕にとっても嬉しいことだからね」
コンドは微笑み、彼の肩を軽く叩いた。
窓の外を見ると今でも豪雪の厳しさを思い出す。
あの事件を乗り越えたからこそ、依頼も戻ってきたんだろう。
……倍になって。
私はリハイトの持つ依頼リストを覗いて、思わず感心した。
レインの屋敷で私が魔法修行している間にも、彼は芸術心祭の品を何度も届けていた。あの美しい品々を錬金術で作っていたのだと思うと……本当に器用な人だよね。
「それじゃっお互い頑張ろうね!」
「はいはい……あ、そうだ探偵」
呑気に声をかけた私へ、
リハイトは素早く釘を刺す。
「翠山は本当に危険だ。命が惜しければ、
コンドの指示にきっちり従えよ」
「えぇ……う、うん。気を付ける!」
コンドとリハイトにここまで念押しされるなんて……
翠山って、本当にそんな危険な場所なの?
彼の言葉に返事をしながらも、胸の奥がざわつく。
そして、同じくらい――
アルテのことが気になった。
アルテは翠山の四山領主…なんだよね?
普段からそんなとこで仕事してるの……?
祠探しもあの子一人に任せちゃったし…心配だ。
「無理……してなければいいけど…」
こういう時、
親みたいな気分になるの、何でなんだろう。
「……。」
私は不思議な懐かしさが溢れてくるような感覚に首を傾げる。……けど、
いや…多分アルテがいつも
無茶ばっかりする子だからだ!
と、この事については一旦片付け…
「よぉし!」
とりあえず今回こそ!私の好奇心でコンドに迷惑をかけないようにしないと!
…気合を入れ直した。
そうして覚悟を決めるように
私が拳を握りしめた、その時……。
――ガタッ!
開いていた窓から、風を切る音とともに
黄金にも似た光…白い虎が飛び込んできた。
「ヴァッヴァルタ?!」
レインの精霊ヴァルタだ。
稲妻のようなビリビリした輝きと振動でカーテンが揺れ、室内の空気がパチパチと音を立てる。
『聞いてッ、大変!……緊急事態発生よ!』
「えぇ!どうしたのレイン?!」
「……何があった?」
私とリハイトが反応すると、ヴァルタの身体が更に強く輝き、レインの焦った声が響いた。
『カテドールフェアリーが大変なの!もうすぐ芸術心祭なのは知ってるでしょ? 実は……聖水が、また使い物にならなくなったのよ!』
「えぇぇぇッ?!また聖水が?!」
胸がざわつく。あの汚染事件が脳裏をかすめる。
偶然なんかじゃない……そんな予感がする。
『しかも、今回は聖水の元となる“泉”までもが汚染されてしまったのよ』
「そんな?!……神具は、大丈夫?」
コンドが身を乗り出すと、レインは苦しげな声で答えた。
『えぇ神具は無事。でも泉ほどの澄んだ水……すぐには用意できないわ……』
ヴァルタ越しの声は、どこか沈み込んでいた。
彼女が頭を抱えている姿が、まるで目に浮かぶ。
「ねぇ……聖水の管理場所知ってるのって限られた人だけだよね? 公開してないし、場所も変えたのに……どうして“レインが管理してる”ってバレたんだろう?」
疑問が口をついて出ると、レインは低く呟いた。
『……あの時、会話を聞かれていたのかしら』
しばらく沈黙が続き、次の瞬間――
彼女の声が鋭くなる。
『もういいわ。ここまで悪質な真似をするなら……私だって全力で犯人を探し出す!』
レインが一人で捜索すると言うので、
私達はそれを託すことにした。
「なら犯人探しは置いといて…問題は聖水だな。
多少質が落ちてもいいなら、用意できないこともないが……どうする?」
リハイトが依頼リストを見ながら尋ねると、
彼女は苦い声で…それはもう信じられないほど嫌そうに返した。
『……ものすッごく頼みたくないけど、
仕方ないわ緊急時だものね…。
えぇ、仕方ないからアンタに聖水の入手…
……お願いするわ』
「おう、高く付くぞ」
『ンあ"ぁもうッ分かってる!だから嫌だったのよ!』
…なるほど理由は金か。それは確かに嫌だな。
「お金が高いからやなの?」
「おバカさんね、そんな訳ないじゃない」
私が尋ねると、ヴァルタの向こうから呆れたように息を吐く気配まで伝わってきた。
「これでも私は公爵なのよ」
彼女はわざとらしく肩をすくめるような音を立てる。
続けて、声の調子がずしんと重くなった。
「寧ろお金ならどれだけ良かったか……」
その言い方が本気なのを悟り、
こちらも思わず息を呑む。
するとレインは、
怒りとも嘆きともつかない声で畳み掛けた。
「リハイトはねぇ…貴重な素材だの、魔界産だの、滅多に出回らない技術だの……そういうのばッッかり要求してくるのよッ!めんどッくさいったらありゃしないッ!!」
ヴァルタの傍に座っていたリハイトは、ぐいっと椅子の背にもたれながら、悪びれもせず指先で机をトントン叩いた。
「あぁいつも助かってる。今回は二倍でいいぞ」
その表情は唇の端だけで、明らかに人を煽る笑みだ。
「はっ倒すわよ???」
レインの怒声がヴァルタ越しでもびりびり響く。
空気が揺れたような錯覚すらあった。
リハイトはその圧に、ほんのわずかに肩をすくめたが……。
う〜ん…どう見てもコレは怖がるというより面白がってるな。
寧ろ、わざと余計に怒らせて反応を見るのを楽しんでいるようですらある。
「はッ冗談だよ、冗談、なぁレイン嬢?」
片手をひらひらさせながら、彼はまるで子どもを宥めるような調子で笑った。
すると、
「ねぇ一回本気でぶちのめさせて」
あぁレインの口調が治安悪く崩れてしまった…。
おいやめとけリハイト、これ以上やったら死ぬぞ。
私はわりと本気で心配した。
だって怒った彼女がどれだけ容赦ないか身をもって知っているのだ。魔法の修行中何度殺されかけた事か……あまり舐めないでほしい(?)
「本当に冗談だ」
しかしどうやら私の心配は無用だったようだ。
リハイトは引き際を分かっているのだろう…。
苦笑しながら続けた。
「聖水がなければ里だけでなく帝国も危ない。
これは英雄業の一環としてやっておくさ。
もちろん無償でな」
『……あぁそう…良かった。
いや、事件を防げてないから良くはないけど…。
とにかく帝国を守るために頼むわよ』
そう言い残し、ヴァルタはレインの声を乗せたまま飛び去っていく。
その後ろ姿が消える直前、レインの怒りを含んだ声が響いた。
『あの泉を汚すなんて…重罪よ。絶対に赦さない……』
「あぁ……行っちゃった。
芸術心祭までに犯人、見つかるといいけど」
窓から吹き込む風がひやりと頬を撫でる。
なんだか胸がざわざわする。
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翠山へ向かう道は、思った以上に険しかった。
湿った土の匂いと、谷から吹き上がる冷たい風。
両側を覆う深緑の木々は鬱蒼としていて、昼なのに薄暗い。
「翠山って、本当に……険しい山だね……」
「うん、急な登り坂が多くて大変だよね。それにしても、まさかアルテが緊急任務で祠まで案内できなくなるなんて……」
足元の石が転がるたび、私はバランスを取りながら登った。
その道中、アルテから翠羽を通じて連絡が来ていた。
『博士、申し訳ありません…緊急任務のため同行できなくなりました。ただし祠の場所は特定済みです。代わりに案内してくれる方がいるので安心を。待ち合わせ場所は翠羽に持たせた紙に書いておきました』
「アルテ……大丈夫かな」
「大丈夫だよ。緊急任務は珍しくないし、アルテならすぐ遂行するさ」
コンドは強い調子で言うけれど、彼も少し心配そうに見えた。
木漏れ日が彼の頬に光を落として、影が揺れている。
「そう?無理してないといいけど……。
あ、そういえば祠に案内してくれる人って誰なんだろ?」
「それが……僕も知らないんだ」
「そっか。じゃあとにかく、指定された場所へ行くしかないね」
深い森を抜け、私たちは翠羽から受け取った紙を頼りに、薄霧のかかった山道を進んでいった。
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