滲み咲く呪い
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神殿の扉は開け放たれたままで、
まるで──誰でも好きな時に踏み込めると言わんばかりだった。
傷だらけの身体を引きずりながら、
私はアロマルム様がいるはずの部屋へ駆け込む。
「ッはぁ…はぁ……じゅ、獣神様…!
どこ…どこに、いらっしゃるのですか!」
声を張り上げて探すものの、試練の部屋にアロマルム様の姿はない。 つい先程まで確かにそこにあった気配が、跡形もなく掻き消えていた。
不安が胸を締め付ける。
思わず部屋中へと視線を走らせた、その時──
「おや? 翠嵐くんじゃないか!」
突然、背後から柔らかい声が落ちてきた。
「よ…良かった、獣神…さ…ま……?」
「ん?忘れ物かい? それとも僕に何か御用かな?」
安堵の息が漏れ、振り向いた瞬間──
私は息を呑んだ。
そこに立っていたのは、まるで幼い子どものように縮んだ姿のアロマルム様だったから。
「そ、そのお姿は…」
「あぁ! 僕がどうしてこんな姿になってしまったか、気になるんだね?」
固まりかけた私を前に、
アロマルム様はポンと手を叩く。
「実は神殿の中で、他の宝珠の場所を探っていたら、いきなり侵入者に襲われてね…。
奇襲をかけるわ、結界を破るわで、好き放題してくれたよ。まったく……今の魔王は困ったさんだね…!」
軽い口調で言うには、
あまりにも重すぎる内容だった。
それでもアロマルム様は続ける。
「彼の相手をしていたら、思った以上に力を消耗してしまってね。加護神は力を過度に使うと、どうも体が縮んでしまうらしい…。
暫くは宝珠探しも難しいかもしれないね」
そう言って肩を落とすと、
彼はすぐに私の傷へと視線を向けた。
「それで、翠嵐くん…その傷は?
……何かあったのかい?」
「あ…その……実は私も彼に…」
私は促されるままに、
神殿を出た後の出来事をすべて話した。
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「なるほど…魔王に狙われるとは厄介だね。
よりにもよって、闇に染まりやすい力を持つ君をターゲットにするとは…」
「えぇ、竜だからこそでしょう。
闇の呪術を前に…手も足も出ませんでした。
本当に…不甲斐ないです」
落ち込む私の前に、アロマルム様は海水──
いや、先程と同じ聖水を差し出してきた。
そのまま絵の具として使いたいくらい綺麗ではある……けれど相変わらず…凄い色だと思う。
飲むのを…口に含む事すら躊躇ってしまう程の
完璧な食欲減退色だ。
「手紙……いや、招待状を押し付けて来たのなら
その時までは手を出してくる事は無いかもしれないね。
油断は禁物だけど……暫く休んだ方がいい」
私は味わう事もせず一気に聖水を飲み干し、
シュウが残していった手紙……"招待状"を開いた。
『───虫達が息を潜め、
冷えた風が木々の色を奪っていく季節。
日没の頃、モルダーシア城で宴を催す。
君の従兄弟も仲間も、
望むなら全員連れてくるといい。
“迎える準備”はこちらでしておくからさ。
どうか、遅れずに。
楽しみにしているよ、翠嵐。 …シュウ』
妙に整った綺麗な文字が、余計に腹立たしかった。
私は吹き荒れそうになる気持ちを落ち着かせたくて、
開けた封を閉じようと手を動かす。
───しかし、その瞬間…
封筒の底で、取り出し損ねていた紙がひっそりと光を反射した。
「……。」
差出人の名前を見て、私は思わず固まった。
そこには──"ドミシオン"と、確かにそう書かれている。
ドミシオン…様。
彼女はシュウの母であり、魔界で最も恐れられる魔女。
……そして、私の妹を攫った元凶。
そういえば…彼はこの手紙を渡す時、「母さんから」と言っていた。
本当に渡したかったのは、この手紙だったのだろう…。
震える指で開くと、美しい文字で──
しかし背筋を凍らせるような言葉が綴られていた。
『 ───拝啓,
灼けつく夏陽が王都を黄金の絹で包み、
花々までもが舞台の装飾のように見える季節となりました。
眩い光の裏側で、花弁の隙間に潜む影は静かに呼吸しております。
きっともう、貴女の足元にも寄り添い始めていることでしょう。
我が息子シュウがこの手紙を届けます。
彼は私の望みを忠実に果たす子ですが──
ほんの少し“遊び心”を散らしておきましたの。
絹糸のように細く、けれど決して断ち切れぬ悪戯を。
さて、秋の宴では……
貴女の“可愛い妹ちゃん”に、会えるかもしれませんわね。
ですが油断なさらないように。
祖竜の血を引く貴女の力は、光を浴びれば護りの花となり、
闇に触れれば世界を壊す毒花へと変わる。
その二面性を誰よりも知るのは、貴女自身でしょう?
すでに貴女の心の奥では〈呪いの種〉が根を張り始めています。
柔らかい心の繊維を伝い、影のように静かに──美しく侵食の花を咲かせつつありますのよ。
きっと宴が開かれる頃には花は満開となり、
貴女の心も身体も、そのすべてが私の意のままに揺れる存在となるでしょう。
えぇ……私の配下として。
貴女がどのように咲き、どのように散るのか──
楽しみにしていますわ。
翠嵐、覚えておきなさい。
この世界の美は残酷で、影は深く舞い、
光は時に最も破壊的な輝きを放つということを…。
その力を闇に染めるか、光に留めるか──
選ぶのは貴女。
……けれど、私の呪いはすでに、引き返せぬ地点まで届いておりますのよ。
良いお返事を期待していますわ、私の可愛い白真珠ちゃん。
──敬具 モルダーシア王家
ドミシオン・マルファス・アルコーン・モルダーシア』
「……」
息が止まった。
文字の一つ一つが、まるで毒のようだった。
自然と、視線が髪先へ落ちる。
白翠の髪には──
今まで影響が薄かった部分にまで、
墨を落としたような"闇"が滲み始めていた。
十年前から感じていた呪いの影。
それが再び、確実に触れてきている。
あぁ…シュウはやっぱり……
闇の呪いを“掛け直し”に来たのだ。
この身体は、また侵食されている。
もし闇に負けて、破壊の力を暴走させてしまったら……私は…。
「……怖い」
毛先へと広がる闇に怯えていると、
アロマルム様がそっと近づき、水鏡のような鏡を差し出した。
覗き込むと──
白翠の根元が淡く黒く滲み、
水面に揺れる影のように広がっていた。
「……確かに、少しずつ侵食されているようだね」
静かな声に、現実の重さが宿る。
私は鏡を握りしめ、招待状と手紙へ視線を戻した。
……どう考えても罠。
それでも、逃げられない。
実際自力で城へ入れないのは事実で……
華暖を救うためなら、多少の無茶は──。
「───キミは」
そう思った瞬間…アロマルム様が静かに言った。
「何でも一人で解決しようとするね」
「…え?」
思考を読まれたようで、心臓が跳ねた。
「自分の事だからといって“全部”自分でやらなくてはいけない、なんて事は無いはずだよ」
「…でも、私のせいで誰かが傷付いたら……迷惑をかけたら……私は、英雄なのに……ただでさえ皆の足を引っ張っているのに……更に頼るなんて…。
誰も護れないままなのは嫌なんです。
もっと強くならないと……強くないと……」
言葉を吐くたび、攫われた妹や
救えなかった人々の影が浮かぶ…。
もし次は仲間達が、シュウが、探偵さんが……。
あぁ…そう思うだけで、胸が潰れそうだった。
「怖いんです……どうしたら……私、誰も……」
「支え合うのが本来の“人”の在り方だよ」
私の震える言葉を遮り、アロマルム様は続けた。
「英雄が強くて当たり前?
頼らなくて当たり前?
……そんな理不尽、ずっと納得できなかっただろう?
君達は“英雄としての力を持って生まれた”だけの、ただの子供なんだよ」
言葉が出ず、私は黙り込む。
英雄でも……普通の人と同じように扱われていい…?
子供……私が……?
ただの子供とは……何だっただろう…。
「……。」
……わからない。
でも、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「仲間達に頼りにされた事、あるだろう?
なら、君が力を借りるのも普通のことだ。
……まさか、君の仲間達は頼られても手を貸さないような薄情者なのかい?」
「! いいえ、絶対にそんな事はありません!
彼等は……いつだって私を気にかけてくれて……
自分よりも私を優先してくれる…。
決して、仲間を見捨てる人達ではありません」
強く否定すると、アロマルム様は柔らかく微笑んだ。
「なら、頼りなさい。
大切に思ってくれる人達の気持ちを無下にしないように。残酷な世の中だからこそ……器用に生きなさい。
自分を大事にしないと、大切な人も護れないからね」
その言葉が、胸の奥に深く響いた。
仲間と向き合い、信じること。
それが私に欠けていたのなら……変わりたい。
仲間と、“彼”との約束を守るためにも。
「……善処します」
強い意志が灯り、
私は深く礼をしてから神殿を飛び出した。
「……祠を探さないと」
来た時よりもずっと迷いのない足取りで、
私は翠山へと向かった。
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…神殿からその様子を見守っていたアロマルムは、
静かに呟いた。
「本来であれば、君達の人生は……
星のために傷つけられ、縛られるべきものじゃない。
君達自身のためだけにあっていいはずなんだ。
それなのに――
君達が、それを当たり前だと思える世界に変えられなかった僕らを。君達の人生を、君たち自身のためだけに自由に使わせてやれなかった僕らを……
どうか……許しておくれ…」
アロマルムは、英雄たちに向けて
何度も、何度も、胸の奥から謝罪の言葉を紡ぐ。
「今の僕らには……
君達を邪神のもとへ導くことしかできないんだ…。
はは……。子ども相手に、こんなにも残酷な使命を背負わせるなんて。
…本当に、“英雄”失格だね……」
そして彼は、誰に向けるともなく……
嘗て誰かがそっと口にした言葉を思い出すように呟いた。
『私の愛しい……愛しい子供達…。
誠実で勇敢な アズラーイール…
皆を癒す、愛らしき ラファエル…
この星で最も賢く、美しい メティス…
誰より仲間を想い、器用な ウァプラ…
心が強く、仲間を護る クエレブレ…』
その一つひとつの名を噛みしめるように唱え終えると、彼は自嘲するように短く笑い、どこか遠い空へと視線を上げた。
「……貴女は今も、我らの力に縋らず、
ただ一人で闘っているのでしょうね」




