同じ影背負う竜と魔王
アロマルム様の神殿を出ると、冷たい外気が肌を刺した。
けれど、胸の奥にはさっきまでの騒がしさがまだ残っていて、妙に身体が熱い。
博士に宝珠の情報を伝えるため、
探偵さんは師匠と共にカッドレグルントへ戻るらしい。
……ので、
私は一人、翠山にあるという祠の確認へ向かう事になった。
「…コンドには、しっかり伝えておく。
祠の確認は、お前に任せたぞ」
「アルテ…行ってくる! それじゃ、またね!」
二人が振り返る。
温かい眼差しと、ほんの少しの不安を帯びた風が
私の胸をくすぐった。
私は背筋を正し、しっかりと頷く。
「はい!こちらはお任せを」
そしてその後…
二人が町へ向かってゆく背を眺めながら、私は声をかけた。
「あ…お二人共〜! 」
───けれど、気がついたときには、
無意識に声が大きくなっていたようで…自分でも驚く。
「この辺りは凶暴化した魔物が沢山いるので、
怪我しないように、気を付けてくださいね〜!」
「お前がなッ!」
「アルテがねッ!」
ぴたりと息の合った怒鳴り返しに、
私は思わず肩をすくめてしまった。
それと同時に、込み上げてきた笑いがこぼれる。
「ふっ……あはは…」
本当に…。
「───毎回心配させて…申し訳ないな」
✧✧✦┈┈┈┈.✦·········✦.┈┈┈┈✦✧✧
二人の姿が木々の向こうへ完全に溶けると、
静寂が残った。
耳に届くのは、葉の揺れる音と、遠くで水が滴る気配だけ。
私は翠山へ向かうため、
密林を抜ける道に足を踏み入れた。
湿り気のある土の匂いが鼻をかすめ、
木々が道の上に影を落としている。
一人でいる時は…戦闘を避けること……。
魔物がいても、一人で倒そうとしないこと…。
未調査の変異種がいたら逃げること……。
仲間達から散々言われてきた言葉が、
頭の中で丁寧に並べ替えられていく…。
私は自然と歩幅を小さくし、
……大丈夫。気をつけてさえいれば…。
呪いになんて負けはしない…。
そう自分へ言い聞かせるように心の中で呟きながら、
密林の先へと歩みを進めた。
──────しかし…
その時だった。
前方から、ふいに足音がした。
ひどく静まり返った木々のあいだから、
わずかな葉擦れとともに、
冷たい風を切るような気配が……ゆっくりと近づいてくる。
「……。」
───空気が、変わった。
つい先ほどまで凪いでいた密林に、どこからともなく「……ブン、ブン」と重たく湿った羽音が満ちていく。
黒い霧のように蠢くそれらは、すべて──“虫”。
まるで誰かの降臨を告げるように、ひとつの中心へ吸い寄せられ、形を成していった。
「ッ……」
その光景に、私は息をのむ。
虫たちはみるみる渦を描き、
薄闇の中心から――人影が立ち上がる。
───シュッと音を立て、大きく切り裂かれた空間。
その狭間から長い黒髪がふわりと宙に広がり、
肌に触れる空気さえ冷たく変わっていく。
「君……なにか急ぎの用でもあるの?」
朱殷の光を宿した瞳だけが、静かに私を射抜いた。
「いえ…そこまで急ぎではありませんが。
……私に、なにか?」
「そっか。……どうやら僕に割く時間はあるみたいだね」
"彼"はやわらかく微笑む。その笑みは優しいのに、底の見えない闇をひそませていた。
「そうそう、ちゃんと“君”に用があったから来たんだよ。こんなにも害虫が蔓延っている場所までね?」
彼はそう言って何かを摘み上げる。
見ると…それは確かに、人へ害を与える危険な虫だった。
「貴方は……」
まとわりつくような邪気を放っているのは、彼ではない。
胸元のブローチだ。
濁った光を放つそれは、
私が毎日身に着けているものと同じ──“朱殷のブローチ”。
私は無意識に自分のブローチを抑え、じっと彼を見つめる。
すると、黙り込んだ私を不思議に思ったのか、彼は首を傾げた。
「あれ、どうしたの?まさか僕の事忘れちゃったの?
…自己紹介は、いらないよね?」
そう言って姿を現したその人影は――
”現魔王、シュウ”。
声色は軽やかなのに、その奥底で闇がゆらめいている。
それでも、どこか本気で心配している気配すら混じっていて、私は視線を逸らしながら言う。
「……えぇ。お久しぶりですね。
破壊者が一人、現魔王陛下…シュウ」
それはもう…敬意と皮肉をたっぷり込めて。
すると、彼は見る間に笑顔になる。
「あぁ覚えていてくれて光栄だよ!
…君の記憶力が正常で安心した!」
……私達は従兄妹なのだ。
忘れるもなにもない。
───それに。
「……妹を、返してください」
妹を攫われた痛みを、忘れられるわけがない。
「君は会うたび、そればっかりだなぁ……」
彼は呆れたように吐き、
けれど一瞬だけ、視線が揺れる。
その“揺れ”の意味まで読み取れないのが、妙に胸をざわつかせた。
……いつもそう。
彼──シュウだけは、心が視えない……。
眼を凝らしても弾かれるようなこの感覚…。
まるで竜眼の力そのものを阻害されているかのよう…。
彼の胸元の……"朱殷のブローチ"が、光をわずかに弾いた。
そのせいか、触れようとした彼の内側は、まるで霧の向こうのように掴めない。
「……あの子は関係ないでしょう」
「そりゃ関係ないさ。だって、ただの人質だからね。
忘れちゃった?」
「……なら、魔王城の結界を解いてください」
「アハハッ、僕がいないうちに城へ乗り込む気?
嫌だね。あれ、結構時間かかるんだよ」
そう言いながら、
彼は私の足元の落ち葉を、そっと払った。
触れはしない。けれど、その気遣いだけで――
あぁ、この人はやはり、“変わりきれてはいない”。
と……解ってしまう。
「それに君、毎回自分で術を解いてるじゃないか。
……でも何度来たって同じだよ。追い返す」
声は冷たい。
なのに、その冷たさが“演技”に思えてしまうほど、
今の仕草は優しかった。
「……ご用件は?」
「君を攫いに」
「あら?まぁ……ふふっ」
彼の言葉に、私は思わず…
心から笑ってしまいそうになる。
「あははっ…!」
いや、堪えきれず笑ってしまった。
だってそうではないか…。
今まで散々追い払ってきたくせに、私を攫う?
冗談にしか聞こえない。
これが笑わずにいられるだろうか…。
「…ご冗談を。貴方が私を城へ招いたことなど、
一度もありませんでしょう?」
「そうだっけ? なら、今回は特別だ」
しかしその瞬間、彼の気配が鋭く反転する。
“攫う”という言葉に、どうやら嘘はなかったらしい。
視界が弾け、風が裂ける。
あぁ……本当に、貴方の考えは読めない。
✧✧✦┈┈┈┈.✦·········✦.┈┈┈┈✦✧✧
「……『妖魔解放・風足迅速』!」
短縮詠唱を翠羽に届けると、風が全身を駆け抜ける。
私は一気に背後へ回り込んだ。
だがシュウは肩をすくめ、
「へぇ? やるね……翠嵐。
僕の背後にまわるなんてさ」
楽しげに笑う。
その声は優しいままだった。
「まるでオオスカシバみたいに一直線で正確…
君にしては、なかなかいい動きだ!」
けれど――
「でもね……」
彼の指先が、わずかに動く。
「───っな?!」
次の瞬間、私の防御結界が音もなく砕け散った。
「半端者の君が、完全体の僕に…
力で勝てるはずないだろう?」
そこに立つのは、
柔らかな気配を一掃した“魔王”の本性そのもの…。
その冷酷さが攻撃となり、
一気に押し寄せ降りかかってくる。
「ッ───かはっ……!」
胸の奥で呪詛が爆ぜ、喉が焼けた。
あぁなんて容赦のない……。
これではまともな詠唱を翠羽に届けられないではないか…。
「ねぇ、素手でどう対抗するつもりだったの?
魔法だけで勝てると思った?」
わざとらしい冷笑。
……けれど、息を整える時間だけは与えてくれている。
「君は弱いんだからさ、武器を使うべきだったのに……あ、もしかして手加減してくれてたのかなぁ?
だとしたらごめんね?……僕が強くて!」
「ッ……」
シュウが指先を軽く弾くと、禍々しい黒炎が床一面に広がり、私を取り囲んだ。
熱は……ない。
なのに「ボウッ」という音だけが耳を焼き、背筋を凍らせる。
「……相変わらず、
炎の気配だけで震えるんだね、翠嵐」
あの夜の記憶が蘇り、息が浅くなる。
――妹が炎に包まれて、泣き叫んでいた夜。
何もかも焼き尽くされた地獄のような眺め。
……あぁ、今でも…恐ろしい。
私が本能的に後ずさって怯むと、
彼はその変化を見逃さなかった。
「あらら…驚くほど成長してないね?
この程度の力で魔王城に乗り込んで来てたんだ?」
声は静か。
なのに、周囲の虫たちが一斉に羽を鳴らし、
魔王の威圧感を際立たせる。
「ッ……」
私は即座に胸の前で守護魔法を展開するも……
「───ほら、揺らいだ」
細められた彼の瞳に映るのは、
亀裂が生じる私の魔法……。
「……君は昔から詰めが甘い」
その言葉と同時に、黒炎が牙をむいて迫り、
あらゆる術を防げるはずの守護魔法は粉々に砕け散った。
「ッ……かはッ…!」
重い呪いが心臓へ叩き込まれ、全身が脈打つように痛む。
あぁ…痛い、苦しい……全身が刺されたみたいだ。
でも…
そこでようやく黒炎がすっと消え――代わりに、身体がふわりと浮いた。
「……ヘタに暴れると、落ちるよ」
倒れ落ちる前に、シュウの浮遊魔法が私を支えていたのだ。
攻撃の容赦はなくとも
地面へ叩きつけるつもりはないらしい。
優しさと残酷さが…同時に刺してくる。
「君の負けだ、翠嵐。
さぁ行こうか……魔界へ。
共に世界のすべてを、虫ケラのように潰そう」
「ッ…い、ぇ……丁重に、お断り……します……」
「へぇ……まだ抵抗できたんだ?」
ほんの一瞬、彼の表情がかすかにゆるんだ気がした。
…いや、気のせいかもしれない。
心が読めない今の私では確かめようがない。
「まぁ構わないよ。最初から、君がすんなり来るなんて期待してなかったし」
あぁ……嘘だ。それははっきりわかった。
今の声音は、私が拒んだことで安心している声だった。
「今日は、ほんのご挨拶。
あぁ……それとコレ、母さんから」
シュウはそう言って手紙を取り出す。
「まだ動けない? 仕方ないな……ここに置くからね?」
差し出された手紙は、
指先が触れるか触れないかの絶妙な距離に置かれた。
これだけ容赦なく負傷させておいて、
こういうところだけ妙に丁寧なのが腹立たしい。
けれどその“丁寧さ”には、私に触れまいとする奇妙な遠慮――いや、情けとすら呼べる何かが混ざっていて…余計に戸惑う。
「……ご丁寧に、どうも」
「じゃあね、翠嵐。
次に君が来る時は、結界を張らず、城門も開けてあげる。
……感謝してほしいな?」
「……それはそれは……幸甚に、存じます……」
私はゆっくりと息を吸い、喉の奥の血の味を誤魔化しながら言った。
声は震えていない。むしろ落ち着いていた。
その落ち着きが、皮肉にさらに鋭さを加える。
そんな私の様子を面白がるように――
「あ、そういえばさ」
去り際、彼はふと振り返る。
「……まだ、なにか?」
「虫籠……“神”だっけ?
暇だからちょっかい出してみたんだけど……
さすがカミサマ、なかなか強いね。油断したよ〜?」
「っ?! シュウ……獣神様に何をしたんです!」
「ふっ……あはッ……
アッハハハハハ!」
残酷に響く笑い声。
──でも私には、
その横顔がどうしても、泣き出す寸前の子どものように見えてしまった。
強がりの仮面が、ひび割れて光を漏らしているような……そんな顔。
「……シュウ…」
思わず呼びかけた声は、情けないほど震えていた。
私の眼でも視えない、閉ざされた心。
その奥でどれほどの矛盾が渦巻いているのか、
今は、何一つ分からなかった。
けど……ただ、苦しかった。
私達は、家族なのに…。
なんで…どうして、共にいることすら許されないのだろう。
「ッ……」
私は彼と同じ"朱殷のブローチ"を握りしめ、
アロマルム様のもとへと駆け出した。
「ッ獣神様……どうかご無事で…!」




