聖獣神アロマルム
な、なんてこったい……本当に夢、見なかった。
翌朝……。
私は目を開けた瞬間、あまりのスッキリ具合に一瞬状況が飲み込めなかった。
ここ数カ月、眠れば必ず……呼んでもいないのに、
あの謎の人物が夢に現れていた…のに。
アルテの異能力……ほんとにすごい…。
まさか眠っても“あの人”が出てこないなんて…。
ううん……
そもそも、夢そのものを見なかった…。
寝台から起き上がりながら、私は心の中で呟く。
こんなに穏やかな朝は帝国に来てから初めてだ。
「あの人、用がないときも出てきてたからな…。
……暇人なのかな?」
思わず口に出してしまい、慌てて首を振る。
夢の住人に暇とかあるんだろうか。
いや、というか朝から何考えてんだ私。
そんな独り言をこぼしながら、急いで身支度を整える。
部屋の扉を開けると、
アルテがすでに支度万端で待っていた。
いつも通り静かな笑み……だけど、昨日の“過去”の話がどうしても胸に引っかかって、私はうまく視線を合わせられない。
「おはようございます、探偵さん。
昨晩は……よく眠れました?」
「お、おはよう。うん、今までで一番ぐっすり…!
…あの力、本当にすごいよ」
言いながら、なんだか言葉がぎこちなくなる。
凄いと思ったのは本当……。
だけど、アルテの過去の重さを思うと、
気安く踏み込めない感じがして、胸がざわついた。
「それなら良かったです。では、行きましょうか。
師匠が待っています」
「う、うん。行こう」
調子が狂ったままだったけど、私は無理やり気持ちを切り替え、早足で宿の外へ出る。
朝のひんやりした空気が、
少しだけ……頭を冷やしてくれた。
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コンドが本格的に統治を始めてからというもの、
カッドレグルントの空気はすっかり明るく、軽くなった。
朝の街路を抜けていくと、屋根に反射する光までどこか解放感を帯びて見える。
活気づいた町を背に、
私達三人は町から少し離れた密林へ入った。
湿った土の匂い。肩に落ちる葉の滴…。
リハイトが黙々と茂みをかき分け、
私とアルテはその背を追う。
そんな調子で、ちょっと長く険しい探検を続けると、やがて――彼の足がふっと止まった。
「…此処だ」
低く呟かれた声に、私は思わず顔を上げる。
「わぁ…これが、神様のいる神殿…」
緑に深く覆われたその奥。
霧のような、光の粒のようなモノが漂い、
影の中にひっそりと――なのに圧倒的な存在感で――神殿が佇んでいた。
見上げた瞬間、背筋が自然と伸び、
呼吸すら整えたくなるほどの気配を感じた。
リハイトもアルテも、
一歩だけ進んだところで立ち止まる。
無意識に一定の距離を取ってしまうほど、
近寄り難い何かがあるのだ。
「師匠…」
宝珠を握ったリハイトに、
アルテが小さく震える声で尋ねた。
「加護神様は、私達の目に見えるような…
具現的な存在なのでしょうか…?」
「……さぁ、な」
すると彼は眉を寄せ、
顎に軽く指を当てて考え込む。
「俺も会った事が無いから……なんとも」
…二人は慎重だなぁ。
そんな二人を眺めつつ、私は吸い寄せられるように神殿へ数歩近づいてしまった。
すると、その瞬間───
──────ガコンッ…ゴゴゴゴゴ……
と、神殿の巨大な門が、
私の目の前で音を立てて開いた。
「うぅおわぁッ…!か、勝手に開いた!」
急に大きく開いた門に驚いて
心臓が跳ね上がり、変な声が出る。
「おい探偵ッ!迂闊に近づくな!
いきなり試練が始まって、
強い魔物なんかが出て来るかもしれないだろ」
「私のせいじゃないよ!触ってないもん、まだ」
「まだってなんだッ触んな」
私がそのまま開いた門を凝視していると、
リハイトが慌てて駆け寄って来た。
なんで何もしてないのに急に開いたんだ…?と思って辺りを見回すと、彼の手にする宝珠が微かに光を放っているではないか!
ふむ……おそらく、これに反応したのだろう。
光ってるから間違いない!多分。
そうして
開かれた門の奥は、恐ろしいほど黒かった。
まるで光そのものが飲み込まれているようで、
見ようとすると視界が吸い込まれそうになる。
うわ、奥が真っ暗で…なんにも見えないや…。
私達は足を踏み出すことを躊躇し、しばらく警戒したまま立ちすくむ。
…しかし何も起きない。
静寂だけが、暗闇の奥からじっとこちらを見ている。
魔物の気配も、風の揺らぎすら無い。
それを確認して、アルテが息を整えて言った。
「だ…大丈夫そうですね。
…入ってみますか?」
「…あぁ、念の為、警戒して進むぞ…」
リハイトが頷き、ゆっくりと先頭へ歩み出した。
私達も彼のすぐ後ろに続く。
暗い通路を慎重に、足音を殺しながら進むと、
やがて……
遠くに一筋だけ、淡い光が見えて…
私達はその光に吸い寄せられるように進んだ。
「ッ……うっ…」
──────そうして暗闇を抜けた瞬間、
視界が真白に弾けた。
「ま、眩しぃ…」
反射的に手で目を覆った私の耳に、
どこか楽しげな、けれど確かに“格の違う”声が降ってくる。
「おやおや…まさかこんなに早く英雄くんが、
僕の神殿に訪れるとはね…」
─────だれ…?
声の主を確かめようと私が振り向くよりも先に、
“ガタン”と音がしそうなほど、リハイトが硬直した。
「……なぜ、貴方がここに……?!」
それは驚愕と、ほんの少しの緊張がにじむ声だった。
まるで、伝承の中の人物と唐突に再会したような――そんな反応。
…リ、リハイトがここまで驚く相手って……誰?
私も慌てて光の方へ顔を向ける。
すると視界が慣れていくにつれ、そこに
“人ではない存在”が浮かんでいるのが分かった。
羽も無いのに、ふわりと宙に浮いている……。
髪は淡いエクルベージュで、光を受けてまるで柔らかい風そのものの色。瞳は淡いワイン色で、こちらを見つめるたび揺らぎが走る。
額の一角。
馬のような耳。
その輪郭を縁取る光は後光のように眩しくて――。
か、神様だ……!
疎い私でもそう感じてしまうほどの神々しさと存在感に圧倒されてしまった。
『お会いできて光栄です。"聖獣神アロマルム様"…』
───そう声を揃えながら、
アルテとリハイトがすぐ片膝をついたので、私も慌てて跪く。
「ようこそ英雄達。 ……そうそう。
君達が知っての通り、僕は"聖獣神アロマルム"…。
聖獣の神だよ。そして…英雄リハイトくん、
君に加護を与えし加護神でもある」
神様……"アロマルム様"はふわりと地へ降り立ち、
にこやかに言った。
「そんなに畏まらなくてもいいんだよ。
敬語も敬称も必要ないさ。
神…と言っても所詮僕達は、人によって創られたあやふやな存在でしかないからね。
……どうか楽にしておくれ?」
人によって、創られた……?
アロマルム様の言葉を聞いて、私は首を傾ける。
人が神様を創るとは…一体どういう事なんだろう…。
……なんて私が困惑していると、
リハイトが一歩前へ進み、
" いつもよりかは "丁寧な口調で迷いなく告げる。
「……なら、お言葉に甘えて。
早速、貴方の試練を受けさせてほしい」
「おやおや…そんなに焦らなくてもいいんだよ?」
彼の言葉を聞くと、
アロマルム様はそう言って首を傾けた。
彼は微笑みながら、軽く両手を広げる。
「邪神が本格的に襲撃してくるまで、
まだ時間はあるのだからね…」
けれど、リハイトは首を横に振り、視線を鋭くした。
「……いや…。
邪神が予定通りの時期に襲来して来るとは限らない。
実際…帝国内の魔物も、凶暴化巨大化した個体が大幅に増加しているからな…。
猶予があるからと油断はできないし…早く力を付けておいて損は無い」
彼のセリフは淡々としているのに、
その横顔には決意の影が滲んでいた。
それを見て、アロマルム様は肩をすくめるようにして微笑む。
「ふむ…気は進まないけど、仕方ない。そこまで言われたらね…」
そしてそんな軽いやり取りの後、アロマルム様は手をひらりと振り、試練の説明を始めた。
「僕の試練は至って単純だよ。
僕が喚び出す試練の魔物を全て倒すだけさ。
あぁ、でも一つだけ条件がある。
リハイトくん、君の英雄の力は“共鳴”。
だからこの試練では、君が使役する魔物や魔獣との
“相性”を見せてほしいんだ。
試練が始まる前に…共に戦う相棒を一体だけ、
この場に召喚しておくれ」
「ふーん?じゃあ…
私達は、見てるだけしかできないね…」
ぽつりと漏らした私の声に、
アルテが少し寂しそうに笑った。
「ええ、二人で師匠の応援をしましょうね」
しかし…試練説明を聞き終えたところで、
リハイトがふいに視線を動かした。
その視線の先には――私とアルテ…。
「アロマルム様…"コイツ"は、
その条件に含まれるのだろうか?」
「……え」
思わず声が漏れた。
うっそでしょ"コイツ"って、まさか私?
もしかして魔物か魔獣扱いしてる?
嫌がらせか??と一瞬割と本気で焦ったけど、
そんなはずもなく……。
「あぁ勿論!
翠嵐くんは、“神獣”の力を持っているからね。
彼女は確か、君と対の英雄力…。
うん、二人で試練を受けた方がいい経験になるはずだ」
アロマルム様はニコッと笑い、
"アルテ"へと視線を向けた。
すると次はアルテが肩をビクッと跳ねさせる。
大きく丸くなった瞳が、彼女の動揺を隠しきれていない。
「わ…私も戦うんですね……。
わかりました。師匠の足を引っ張らないよう、
死なない程度に頑張ります……」
アルテはぎこちなく笑おうとして……
結局うまく笑えないまま俯く。
その様子に、リハイトがため息をひとつ落とした。眉が少しだけ険しくなる。
「無茶はするな。呪いが拗れるだろ。
そこまでしなくていい。
今日は、俺達の連携がどこまで通用するか…
それを試したいだけだ」
そう言ったリハイトの声は低かったけれど、
叱るというより"心配"の色が濃い。
アルテは一瞬驚いたように彼を見上げ、
それからゆっくり表情を緩めた。
「……わかりました」
彼女の肩からふっと力が抜けて、
呼吸が自然なものに変わっていく。
それだけで、二人のあいだに張っていた緊張の糸がほどけていくのを、私はすぐに感じ取った。
アルテがリハイトの隣へ駆け寄ると、
彼は無言のまま、自分の左手――
"紋章"の刻まれた手を彼女へ向けた。
その仕草は迷いがなくて……二人の間にある「何か」を象徴しているみたいだった。
アルテも静かに頷き、紋章のある右手を差し出す。
そうして二つの紋章が向かい合うと、
リハイトが低く呟いた。
『───リミット解放』
──瞬間……私の髪がふわりと浮く。
「ッ……!」
…いや、それだけではない。
とてもない風圧が、一気に押し押せてきた。
「な、なんなのッ…いきなり…」
風の発生源を探して辺りを見渡すと、
私は信じられない光景を目にする。
「アルテッ?!」
彼女の身体から、
止め処ない風と目映ゆい光が放たれていたのだ。
「ッ眩し……直視できない…」
私は思わず腕で目を覆った。
「ねぇリハイト!アルテは大丈夫なの?!」
光の渦の中に吞まれそうなほど全身覆われきってしまったアルテを見て、気づけば声が裏返っていた。
けれど、リハイトは表情ひとつ変えず私を見る。
「心配するな探偵…。
これはただ“本来の力”を解放しただけだ」
「ほ、本来の方…?」
そう言われても、分からないし、目の前の光はどう考えても尋常ではない。
私が困惑していると、リハイトは続ける。
「神獣の力は強大すぎて、一人じゃ操りきれないんだよ。
それを抑えるのが、俺の共鳴の力。
普段は俺の力で、暴走を引き起こさないように力を制御してるんだ。
アルテは自分一人で力を制御できない…。
俺は神獣の力を借りないと、邪神に対抗できない。
…だから対の力……二つで一つの力なんだ」
その言葉からは、彼がどれだけの覚悟を背負ってきたのかが伝わってきた。
「な、なるほど…欠けてる部分を補う…
それって、アルテの苦手な"協調性"が大事だね!」
私の感想に、リハイトは苦笑しながら頷く。
「まったく…邪神に対抗できるレベルに達するのはいつになる事やら…。
問題児と一緒に行動するのだって大変なのに…」
そんな愚痴を聞いていたら――
ふと、光そのものが脈打つように揺れた。
え…これ、さっきより大きくなってない!?
光の塊はアルテの体より大きく膨れ上がり、
広間全体へ風が渦を巻いて吹き抜ける。
神殿の天井の装飾が震え、砂がぱらぱらと落ちてきた。
私が呆然と見守る中、
光は“呼吸するように”収縮し――
そして、破裂するのではなく、花が咲くように静かにほどけた。
光の中心から現れたのは――
巨大な影。
いや、“竜”だった。
「ア、アル…アルテなの?」
震えた声が、勝手に口から漏れた。
アルテの髪色と同じ淡い翠色の毛並みが風に揺れ、
長い触覚がひらりと私の頬をかすめる。
枝のような角は白く光り、
大きな翼は、広げなくても神殿の空気を圧迫するほど存在感があった。
その竜は、巨大な頭をぐっと私へ近づけ――
普段の彼女と変わらぬ優しい声で話す。
『あぁ…探偵さん、すみません…。
いきなり変身したら驚かせてしまいますよね。
これが神獣の力。"私自身が竜になる"んです』
驚くどころか、私はつい……
───ふ…ッふわあぁぁ…!
差し出された竜の頬を触ってしまった。
お、思ったより……モフモフ……!
彼女の毛はふわりとして温かく、竜というより巨大な生きた風そのものにさわっているような感触で……気づけば、両手でわしゃわしゃしていた。
「…探偵…そろそろ試練を受けたいんだが…」
「あ……ご、ごめん…つい」
頭上からリハイトの呆れた声が落ちてきて、
私はようやくアルテの毛に添えていた手を離した。
名残惜しさで指先がふわっと空を切る。
竜の姿になったアルテは、私のほうへ戸惑ったように長い耳を傾ける。
撫でていた時には分からなかったけど、こうして少し距離を取ると、風が彼女の翼の膜を微かに震わせていた。
私が充分離れると、
リハイトは慣れた身軽さで竜の背へ跳び乗る。
そして…
乗った途端ふと思い出したように、こちらを振り返ってこう言った。
「そうだ…探偵。
コイツの毛を撫でれるのは英雄の特権だからな」
「え、英雄の特権?! 何それ…?
そんな変テコな特権、聞いた事ない!」
私が食いつくと、
アルテまで困惑して声を漏らした。
『自分の事なのに私も初めて聞きました…』
「冗談だからな」
「うっっっわ」
冗談を真剣に信じてしまった私は、思わずジト目でリハイトを睨む。
すると彼を乗せたアルテが、長い竜のまつげをぱちぱちさせて、くすっと笑った。
『あらまぁ……ふふっ』
その柔らかい笑い声が響くと同時に、
アルテはぐっと身体を沈め……
───次の瞬間、
風を巻き込みながらふわりと宙へ浮かび上がった。
翼が広がるたび、神殿内部の空気がざわりと揺れ、床の砂が舞い上がる。
上昇する彼らの動きに合わせて、アロマルム様が軽く手を打った。
澄んだ音が広間全体に広がり、空気が一瞬だけ震える。
「この試練を突破した暁には……リハイトくん、
君の英雄の力を覚醒させてあげよう。
では…準備はいいかな?」
リハイトは竜の首の付け根に片手を添えたまま、
短く答えた。
「……いつでも」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、
アロマルム様は片腕を軽く振る。
──────ただそれだけの動作なのに。
広間の空気が黒く波打ち、視界が一瞬ゆがんだ。
床石の継ぎ目がぱきりと音を立てて割れ、
そこから黒い霧が漏れ出す……。
やがて霧は形を持ち始め、異形の輪郭がぞろぞろと立ち上がった。
背後の壁面に反響するように、低い唸り声が次々と響く。
「…二人共…頑張れッ!」
竜の翼が大きく打ち下ろされ、風圧が私の髪を乱暴にさらう。
揺れる視界の中、私は必死に喉の奥から声を絞り出し、彼らの背に向けて叫んだ。
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