約束のブローチ
あの日の事は……あまり、よく覚えていない。
…けれど、忘れてはいけない。
私の……弱さ故の悲劇を。
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目を開けると……
黒い風が、砦の庭をねじ切るように吹き荒れていた。
風向きが反転し、竜脈の流れがたわみ、そこに裂け目のような影が立ちのぼる。
妖族でありながら魔界の瘴気をまとった――
ドミシオン様が、まるで舞うように山里を破壊していく。
その腕の中には、華暖が捕えられていた。
胸の奥で、風がざわつく。
祖竜の血……神獣の力が、
危機を告げるように鳴っていた。
傷塗れで縺れる足を引きずって近づけば、
ドミシオン様が私を見下ろし、唇を弧にする。
「あら、自分から来てくれるなんて嬉しいわ。
可愛い仔竜の白真珠ちゃん?」
その声が、耳の奥をざらりと撫でた。
私は震える足を前に出す。
「華暖を……妹を、離してください!」
「あら、それはできないわ……
貴女が来てくれるのなら考えるけれど」
彼女の髪先が、黒い風にひゅう、と揺れた。
その風は、この世界の風じゃなかった。
竜の翼で操る風と違う――腐った瘴気の風だ。
「貴女はこの国の英雄……
だから魔界には来てくれないし、
協力もしてくれないでしょ?
だから連れて行くの、この娘を」
私のせいで華暖が…怖い思いをしている。
私は必死に叫んだ。
「始祖の血を引くのは私だけ……
その子は関係ないんです!だからどうか…!」
「関係ない?でも使いようはあるわ。
だって貴女はこの子が大切なようだし…人質としてね」
「……ッ」
私が言葉を失っていると、
ドミシオン様の背後に立つ少年――
"シュウ"が、無感情に私を見た。
その瞳に光はなく、
まるで魂の抜けた抜け殻みたいだった。
……それが余計に、怖かった。
「さぁシュウ、私の優秀な黒真珠…。
この仔竜ちゃんにも、お前の呪いをかけてあげなさい?」
黒い霧が彼の手のひらから垂れ落ち、
空気を凍えさせる。
私は手を伸ばし、喉が裂けるほど叫んだ。
「お願いッ返して…!華暖!華暖ッ!」
風が泣き叫ぶ。
私の背にある、竜としての“翼になるはずだった力”は、幼さ故に震えているだけで……何も、守れなかった。
黒い呪いが、体に触れた瞬間、
竜の血が悲鳴をあげるように逆流したのを感じた。
私の髪色と同じ白翠の風が暴れ、地面の砂を巻き上げた。
竜の咆哮にも似たその風は、周囲の大人たちの姿を揺らし、ただ一つだけ鮮明に───華暖の姿を照らし出す。
あぁ…間に合わなかった。
私は誰も……妹一人すら、護れない。
シュウの呪いはすでに華暖にも降りかけていた。
瘴気が小さな体を覆い、“こちら側”の世界との縁を断とうとしていた。
「やめて……やめてぇッ」
ドミシオン様は、華暖を抱いたまま瘴気の裂け目へ消える。
風が悲痛に吹き荒れ、
呪いに侵食された山里は多くのものを失った。
……。
……あれ?
でも…おかしいな……。
私はあの時……どうして…攫われなかったんだっけ…
『必ず……迎えに…』
誰かと…大切な、約束をした……気がする。
「一人にしないって……言った、のに…」
……。
そんな自分自身の呟きで、私は目を覚ました。
「……。」
覚醒しつつある思考を巡らせながら手を動かすと、
何かが触れる。
「……?」
そのまま拾い上げると、視界に広がるのは
───"朱殷色のブローチ"。
あぁ…そうだった。
なぜ忘れていたんだろう……。
これは恩人から貰った大切な贈り物。
あの時、私を救ってくれた恩人からの……大切な…。
「……いつになったら、迎えに来るの…
───"兄さん"」




