一番の生徒
怒涛の午前中が嘘みたいに、私はホノを小脇に抱えながら、魔法の授業を受けていた。
時間は穏やかに流れ……屋敷の敷地に差し込む光が心地よくて、さっきまでの緊張がようやく抜けていく。
「いいこと、探偵?
魔法を使うには、使い魔との連携が大切なの」
レインは指先で宙に魔法陣を描きながら、ゆっくりとこちらを見た。
その動作ひとつひとつが、裁縫していた時みたいに丁寧で綺麗。
「そのために“今から魔法を使います”っていう合図が必要なのよ。それが"詠唱"ね」
そう言ってレインが小さく詠唱をつぶやくと、彼女の傍らで控えていたヴァルタが、低く『グルル!』と応えた。
すると、その瞬間――
レインの指先から、ぱちん!、と小さな雷が飛ぶ。
───ピシャッ。
『モフアアァ……』
今のは静電気だろうか…?
ホノの毛が、信じられないくらい見事に逆立った。
「ぷッ……ホノ、ボッサボサ」
…これは正真正銘の毛玉だ。
思わず笑ったら、ホノが“ひどいよ〜”という顔で私の胸をつんつん叩いてきた。
でもその顔すら可愛くて、ついつい口元が緩んでしまう。
「今のは雷呪文だったんだけど……
ホノは雷と相性悪そうね…」
爆発したホノの毛を一生懸命整えていると、レインは肩をすくめて微笑んだ。
「詠唱って、相棒への合図だったんだね!
私もかっこいい詠唱使いたい!」
『モモッフゥ!』
魔法陣を払うように指をほどく彼女を見て、私とホノは目を輝かせる。
すると、レインは暫く考えるような素振りをしてから口を開いた。
「そうね…。でもまずは、あなたの“得意魔法属性”を決めましょう」
「え!属性って、自分で決められるの?!」
彼女の言葉を聞いて、私は思わず身を乗り出す。
もし属性を選べるなら……
アルテと同じ“風”だって───。
そんな淡い期待が胸の中でふくらんでいく。
……けれど、
「多少選べるのは事実だけど……適性のない魔法は、いくら練習しても上達しないのよ」
レインは魔導書を開きながら、首を横に振った。
「合わない属性を無理やり結びつけても、適合者には敵わない……だから殆どの場合、最終的には自分に合った属性を見つけて決めることになるわ」
「じゃあ風はムリかぁ…」
アルテの力…風守のサポート役にはなれないという事実に、私は肩を落とす。
「うーん……」
すると…レインが、まるで何かを“視ている”ような、不思議な視線を向けてきた。
「……探偵は、"水"魔法が得意そうね」
「え?!」
"水"……。
レインの口からさらっと出たその属性に、私は思わず目を瞬かせた。
レインの前で魔法を使った記憶が無いからだ。
帝国に来た初日…アルテと一緒に戦ったあの時と、レザーを助けた瞬間以来、私は魔法らしい魔法なんて全然使っていなかったのに……。
私…やっぱり水が得意魔法属性なのかな?
「なんでわかるの?」
自然属性は"風"を除いても八種類もある。
当てずっぽうで水属性だと見抜く事はほぼ不可能なはずだ。
「そういえばまだ教えてなかったわね」
不思議に思って首を傾げると、レインはその方法を教えてくれた。
「魔力ってね、人によって“質”や“特徴”が全然違うの。……で、魔力量が増えていくと、他人の魔力の質を感じ取れるようになるのよ」
「へぇ…!感じ取れるって、どうやって?」
「魔力は"好きな芸術の方向性"によって、感じ方が大きく変わるのよ。色や形で視える人もいれば、音や言葉として聞こえる人もいるわ」
彼女はそう説明しながら、軽く笑う。
そして…自分の目を指さしながら、こう言った。
「探偵の魔力、私には……雫の刺繍模様に視えたの」
「刺繍…?……あ!
レインは裁縫の芸術に力を注いでるからか!」
「えぇ。そうだと思うわ」
私の言葉を肯定するレイン。
そんな彼女を見て、私は思い返す。
そういえば……アルテが一番初めに戦わせてくれた魔物…てる坊は、水属性が弱点だったな…。
……はッ!ならもしかして、アルテも私の魔力の質を視た上で、てる坊と戦わせてくれたのかもしれない…。
だとしたら……彼女は、至極安全に気を配りつつ、魔物との戦い方を教えてくれていたのだ。
だと言うのに私は怖いだのなんだのゴネて…!
あぁ…今すぐ謝りたい。
彼女の気遣いに今更気が付いて、私は少しだけ頭が痛くなった。次アルテに会ったら……頭が上がらない。
「ええと……じゃあ、もうひとつは?」
新たな悩みにぶつかりつつも二つ目の属性を知りたくて、私がレインを促すと、彼女は真剣な表情のまま教えてくれる。
「うーん……岩、小石ね。土属性かもしれないわ」
「え……つ、土?!
なんか泥ができそうな組み合わせだなぁ……」
思わず心の声が漏れた。
水と土…と言っても魔法だし、磨けば宝石みたいに綺麗だったり、かっこよかったり、派手になったりする可能性もあるはずなのに……私の頭には、“ドロドロ”という最悪のイメージしか浮かばない。
「ごめんねホノ……君のふわふわな毛、これから泥で汚しまくるかも」
ホノを撫でながら、私は深〜い溜息をついた。
するとレインは、しょげ返っている私を見て、少しだけ声を落とした。
「……まぁ、扱えないとは思うんだけど。“風”…試してみる? 得意属性が決まっていない今の状態のほうが、調整はしやすいはずよ」
「いいの?!」
お試しとはいえ、友達と同じ属性の魔法が試せるなんて……なんて、素敵な提案なんだろう…!
胸から前のめりになる勢いで聞き返したら、レインが一瞬だけ瞬きした。
「や、やる気に満ち溢れてるわね……」
彼女は軽く引き気味に肩をすくめて…でもすぐに小さく息を吐く。
「わかったわ。はいはい、付き合ってあげる」
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「今回あなたの適性を測るために使う呪文は“クライム・ハリケーン”。 初級の風魔法よ」
レインがそう言うのを聞きながら、私は彼女に教わった詠唱を口の中でこねくり回していた。
すると、どうしても気になることが浮かんできてしまう。
「ねぇねぇレイン、ずっと気になってたんだけど」
「何かしら?」
「英雄達の魔法って難しそうな長い詠唱が多いのに、初級魔法はなんでこんな簡単なの?」
その問いを思いつくまま尋ねると、レインは、まるで優秀な生徒を見つけた先生みたいに目を細めて、私の頭を撫でてくれる。
「いいところに気が付いたわね。詠唱は相棒への合図でもあるけれど、同時に“言霊”を込める行為なの。
高度な魔法ほど、詠唱は長くなるのよ」
「へぇ〜…。でもリハイトは異能力があるから無詠唱でも強そうな魔法使ってたよね? あれってどういう仕組みなの?」
頭をひねりながら言うと、レインは軽く指を立てて説明を続けた。
「仕組み?簡単よ。リハイトの異能力は、詠唱をしなくても相棒に一瞬で合図を送れるの。それと同時に、“使いたい魔法を心でイメージする"だけで言霊も込められるの」
「うわ!チートだ!」
「彼は、それに見合った努力をしたのよ」
むぅ……努力と言われると、何も言えない。
私はまだ、まともに魔法一つ使えないんだから。
「そうだわ探偵。異能力のことだけど……
“簡易的で威力の弱い魔法”と“異能力”だけは、誰でも無詠唱で発動できるの。威力を高めたいのなら、もちろん詠唱が必要だけどね」
「へぇ…!異能力って、威力上げる必要なければ詠唱なしでも使えるんだ…。なるほど、だから私……」
詠唱しなくても、皆の心の傷を軽くできるんだ…。
自分の異能力を思い返して、私はそっと納得する。
でも、レインの話はまだ続いていた。
「探偵。“異能力使い”には注意しなさい」
その声の調子が急に変わったので、私は思わず、緊張して固まってしまう。
「無詠唱…つまり、気付かない間に術にかけられる可能性があるの。それに……異能力はそもそも威力の高い技…」
レインの視線が、私を真っすぐ刺してくる。
「だから相手が“誰であろうと”、異能力を把握するまでは……いえ、把握してからも、絶対に気を抜かないこと」
「ッ……わか、わかった」
言葉が、喉の途中で止まった。
確かに……
この帝国は、信用できる相手なんてほんの一握りだ。
それが事実だからこそ、レインからの忠告は重たく…私の胸の中に沈んでいった。
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しばらく座学で頭をフル回転させた後、私はホノと向き合って魔法の練習場の真ん中に立っていた。
ここは屋敷の敷地内にある特別な場所で、どんなに魔法を暴走させても結界が守ってくれるらしい。
つまり――何を壊しても吹き飛ばしても怒られない最高の環境!
「強い風は吹いてないみたいだし、今なら多少は安全ね。……さぁ、いつでもどうぞ、探偵」
レインの合図を聞いて、胸がドキンと跳ねる。
「ふ、ふーう……。いくよホノ!」
私はゆっくり深呼吸してからホノを呼んだ。
『ク、クライム・ハリケーン!!』
『モ、モ、モフゥ!』
ぎこちない私の詠唱に合わせて、ホノが魔法陣をぽわっと光らせ、ふわりと風を作り出す。
すると次の瞬間――私達の体が風に持ち上げられ、ゆっくり空へ舞い上がった。
…はわ!う、浮いた!私、風で浮いてる!
「あら! 意外と上手じゃない!」
下からレインが楽しそうな声を上げたのが聞こえて、私は期待いっぱいに問いかける。
「レ、レイン……!
もしかして私、風使えるのかな?!これ、適性あるかもじゃない?!」
「それはどうかしら。
もう少し様子を見てみないと…」
レインは腕を組み、でも何だか楽しそうに私を見守っている。
…あぁ空が近い。鳥になったみたい。
近づいてくる空を見上げて、私は目を輝かせた。
しかし……
風が使えたら私、少しはアルテの役に立てるかも…!
……と、そう思った瞬間だった。
───ヒュルルル…ゴォォォォォッ!
それまで順調に調節できていた風が、突然牙を剥いた。
『モ…モ、モッフィィィ?!』
「え、ちょっ、はやっ――?!」
当然抗う術など無いので、私もホノもぐるんと巻き込まれた。
「ほげえぇぇぇ?!?!」
もう何が何だかわからない。視界が回りすぎて、地面が上なのか下なのかもわからない。
『モモモモモーーッ!』
「ホノ掴まって!いや掴む手ないか!!」
私の情けない叫び声と、ホノの必死の鳴き声が混ざる。
「あ、これ無理だ…ど、どうしようレインー!!」
なんとかホノを抱き寄せたものの、風はますます暴れ出し、私ごと空へ放り上げようとしてくる。
それでも無理やり頭を動かし、地面の方向を確かめて下を見ると――レインは腕を組んで、完全に呆れ顔だった。
「……やっぱり“風”は予測不能ね。
探偵、残念だけど貴方風魔法向いてないわ」
風の適合者ではないとハッキリ言われてしまい、そんなぁ…と落ち込みたいが、今はそれどころじゃない。
「ふぅ……探偵、ちょっと待ってなさい」
「ま、待つけど!
なるべく早くお願いしますうぅわうぅ!!」
私はホノを抱き寄せながら、半泣きで叫んだ。
「ヴァルタ。異能力行使よ」
しかし、レインはこんな状況でもやはり冷静で、変わらぬ抑揚のまま、白虎の精霊…ヴァルタを呼ぶ。
『ガルゥ…!』
彼女の声に応えるようにヴァルタが吠えたのが聞こえた…けど……え、ちょっと待って。どうやって助けるの?この状況。
「レ、レイン?!何する気なのー?!」
「じっとしてなさい、探偵。
すぐそこから“引っ張り出す”から」
「ひ、引っ張――うげッ?!」
今から何が起こるのか、私の理解が追いつく前に、レインは私へ向かって細い光の糸…のような物を放った。
すると、それがフワッと私の体に巻き付き、次の瞬間――
…え?動ける?
いや違う、これレインが操ってる?!
暴風の中なのに、
私はいとも簡単に外へ引き出されてしまった。
そして……
あっ。風の外、浮かない。
ッ私達落ちてる!!めちゃくちゃ勢いよく!!!
当たり前だが重力に抵抗できず、急降下した。
「レイン!?!?!?
ねぇ!!速度やばいよーーー!!!」
「はーい、じっとしてー」
落ちてる人への声のかけ方じゃないぃぃぃッ!!
糸の影響か手足をバタバタさせる事もできず、私はホノを抱き抱えたまま地面目掛けて落ちる……が、何故か落下衝突寸前で、羽でも生えたようにゆっくり地面へ舞い戻った。
……へ?
今のでどうして無事でいられたのか…
訳が分からなくて唖然としていると、レインが駆け寄ってくる。
「探偵、怪我してないでしょ?」
「え、あ…うん!
ない…!ありがとうレイン!!」
レインが今何をしたのかは分からないけど、彼女が助けてくれたのは間違いないので、私はすぐにお礼を伝えた。
…た、助かった。
深く頭を下げると、レインが呆れ笑いをしながら口を開く。
「はぁ……“異能力使いには注意しなさい”なんて言った舌の根も乾かないうちに、私が使う羽目になるなんてね……」
「ふはっ……確かに」
それを聞いて、私はつい笑ってしまった。
「それで?気分悪くなってない?
私の異能力は“相手の体を糸で操る”の。身体への害は無いはずだけど」
「うん、ぜんっぜん!平気!
それに、今のが異能力か……凄い!かっこいい!」
意図せずレインの異能力を知り、私は目を輝かせる。
…裁縫得意だから糸なのかな?
凄いなぁ…異能力ってあんな事できるんだ!
「ふっ……あはっ!あっははは!!」
感激混じりにそう思って見ていたら、
レインが突然吹き出した。
「え?!な、何?!私また何かした?!」
「違うのよ……昔、今と同じようなことがあってね」
無意識に変な事でもしたのか自分を疑うと、レインは首を横に振り、懐かしそうに話し始めた。
昔……レインには、風属性の適合者でありながら魔法を使うのが下手な生徒がいたらしい。
そして、その子が暴走した風に巻かれた時、今回と同じように、彼女が助けたのだという。
「その時は狭い部屋だったから、巻き込まれた子もいて大変だったのよ」
「へぇ〜!道理で助け方が手慣れてると思った!
風魔法って、適合者でも難しいんだね……。
あ……ねぇ、その子、その後どうなったの?」
風魔法の適合者でレインの生徒……。
その子の事がもっと知りたくて聞くと、レインはどこか誇らしげな表情で口を開いた。
「誰よりも努力して、今では誰よりも風魔法を使いこなすようになったわ」
「え……"今"?"誰よりも”?
って、それって――」
私はそれを聞いて固まる。
思いもよらなかった人物が浮かび上がったからだ。
「探偵。実はね、私、
アルテの魔法の先生でもあるのよ」
「ッえぇーーーー?!」
薄々答えがわかっていても驚いた。
悪戯っぽく笑うレインは、私が衝撃から変な声を上げると、話を続ける。
「あの子、貴方と同じで、初めは詠唱の仕方も知らなかったの。…立場上教わる余裕なんて無かったからね」
レインはそこで話を区切ると、少しだけ困ったように頭を抱えた。
「英雄になってからも暫くは精霊に頼らず、妖術だけで戦ってたのよ……本当に危なっかしい子だったわ、昔から」
アルテにもそんな時期があったなんて…
とても信じられないけど、考えてみれば、初めから完璧にできる人なんて、なかなかいないのだという当たり前のことに気が付いた。
…私も、頑張ってみようかな。
私に合った魔法で。
「レイン!私、水と土で頑張ってみる!
アルテみたいに上手く扱えるようになりたい!」
「…言ったわね? じゃあ早速、得意魔法属性認定の儀を済ませましょう。この儀式の後は、他の属性が扱いづらくなるけど……その代わり、得意属性は大幅に強化されるの」
決意を固めてレインに声をかけると、彼女は挑戦的な…それでいて優しい眼差しを向けてくれる。
「貴方も、これでようやく魔法使いになれるわね。
探偵、準備はいい?」
「あ……」
しかし、私はレインの言葉を聞いて固まった。
…"魔法使いになる"という事は……私はもう…。
「……探偵?」
なかなか返事を返さない私を見て、レインは不思議そうに首を傾げた。
…今言わなきゃ……きっと後悔する。
「レイン、お願いがあるんだけど…」
私は緊張で滲む汗が流れるのを感じながら、彼女に頭を下げた。
すると、レインも真摯に向き合ってくれる。
「……なにかしら」
彼女の真剣な態度は、
私を後押しするのに充分だった。
「私、これからもレインの生徒として、魔法の勉強したい。お願い……強くなりたいんだ」
私は今、"魔法の使い方を学ぶ為"にレインの屋敷にいる。それはつまり、基礎を覚えたら屋敷にはいられないという事…。
レインが多忙な身である事は承知しているし、邪魔はしたくない。だけど、強くなりたかった。
……英雄達を……友達を支える為に。
「わかった」
断らないでほしい…と、私が祈るような気持ちでいると、レインはあっさりと了承してくれた。
「!、ありが…」
「だけど、一つだけ条件があるわ」
しかし、どうやら条件付きらしい。
…いやそれでもいい。まだ屋敷で学べるのなら!
どんな条件でも受け入れられるように、私が覚悟を決めると、彼女は片眉を上げて笑う。
「貴方はアルテに次ぐ優秀な生徒を目指しなさい?
そうすれば、少しは英雄の力になれるかもしれないわ」
それは先程同様……
挑戦的で、優しい表情だった。
「あの子は大勢いる私の生徒達の中でも一番の生徒よ。その二番目に……なれるかしら?」
「なる…!なってみせるよ!」
これ以上ない好条件に、私は飛びついた。
強くなる為レインについて行くのだから、上を目指すのは当然だ。
「それじゃ今度こそ……準備はいい?」
「うん!いつでも!」
改めてレインの生徒として認められた私は、儀式を終え、遂に魔法使いになった。
――そして、その日から。
私は、精霊や使い魔の声を、はっきり聞き取れるようになったのだ。




