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生彩放つ無神世界  作者: 美緑
〜第三章〜聖水汚染事件
21/105

聖水

私はレインと一緒に、舞手の衣装修整をしていた。


「うわ〜!!すごい! すごいよレイン…!」


だけど正直、ほとんどレインの作業に見惚れてばかりだ。

彼女の握る針はまるで生きているみたいに糸を操り、裂けた布を滑らかに縫い合わせていく。

その手の動きは、稲妻のように速く、靱やかだ。


「ハイハイ、お褒めのお言葉ありがとう。

私が力を注ぐ芸術は"裁縫"だからね。これくらいなら秒で終わらせる事ができるわ」


冗談めかしながらそう言うレインは、糸を切る仕草まで美しかった。


「それより探偵、手が止まってるわよ〜?」


「えちょ、ちょっと待ってよ!レインのスピードには追いつけないって!」


彼女の言葉で、私は自分の作業が全く進んでいない事に慌てて針を動かし、やっとのことで一着仕上げる。

すごく急いだから指を何度も突き刺しかけたけど……それでもなんとか完成した。



「あら、でも初めてにしては綺麗じゃない? 貴方、才能あるわね」


自分が縫い上げた衣装を眺めていると、レインは軽く微笑みながら称賛してくれる。


「え? そ、そうかなぁ?」


褒められて頬が緩んだ私は、彼女の言葉を聞いてから改めて衣装を見た。

言われてみれば確かに……初めて針を持ったにしては、上手く縫えた気がする。


「才能かぁ……」

針を指先で転がしながら、私はひと息ついた。

繕いかけの布を眺めて、少しだけ首を傾げる。


「私、どんな芸術が合ってるんだろ?」


「何事もやってみないと分からないからねぇ……」


レインは糸を引き締めながら、器用に針を返す。

布が彼女の指先で踊るように形を変えていくのを見て、私も同じ動きを真似してみるが……当然できない。


「今はとにかく、いろんな芸術に挑戦してみることを勧めるわ。探偵は案外、なんでもできるタイプかもね」


「え〜、それって裏を返せば、熱中できるものが無いってこと?」


私は少し唇を尖らせて、針を掲げる。

思ったよりも縫い目が歪んでいて、つい苦笑いが漏れた。

レインはそんな私を見て、針先で軽く布を弾きながら言う。


「それは貴方次第よ。上手くなるには――“好きになる努力”も必要だから」


「好きになる努力……か。なるほど」


私はその言葉を繰り返しながら、そっと針を布に通した。

まっすぐ縫えた一筋の糸を見つめて、胸の中が少しだけ温かくなる。


「……うん、ちょっと分かった気がする」


私がそう言うと、レインは優しく微笑んで、再び手を動かし始めた。

静かな部屋に、二人の針が布を縫う音だけが心地よく響く。

その音は、まるで小さな鼓動みたいに規則正しく続いていた。


───けれど……不意に、遠くの方から慌ただしく、床板を打つ靴音が近づいてくる。


「……ん?」

私は顔を上げた。

レインも同時に手を止め、糸の先を軽く摘まんだまま、扉の方に目をやる。

すると…


───バタァンッッッ!!

と、数秒後に扉が勢いよく開かれた。

振動がカーテンを揺らし、机の上の糸巻きがころりと転がる。


「あぁっ……レイン様! 大変ですっ!」


大きく開いた扉から、慌てた様子の里の人たちが駆け込んできた。

彼らは息を切らしていて、その顔は青ざめている。


「このままじゃ祭りが……!」

「どうしましょう…!どうしましょうッ!」


突然の騒ぎに、私は思わず針を落としてしまった。

…な、何事(なにごと)?!


「騒々しいわね……落ち着いてちょうだい。

一体何があったの?」


一方でレインは至極冷静な表情を一切崩さず、作業の手を止めてから尋ねる。

すると彼らは肩で息をしながら、震える声で言った。


「祭りで使う予定だった“聖水”が……汚染されてしまいました! おそらく瘴気の影響かと!」

「もう使い物になりません……!」


「……なんですって?」


レインの声が一瞬だけ低くなった。

私は彼女の横顔を見て、ただならぬ事態だと悟り、針を置いて首を傾げる。


「せ、聖水ってそんなに大事なものなの?」


思わず身を乗り出した私に、レインは短く答えた。


「……さっき教えた“逆さクラゲの舞”、覚えてる? あれに使うのよ。

病を祓う儀式の一部でね……聖水が無いと、帝国全体に病が広がる恐れがあるわ」


「そ、そんな! じゃあ急いで集めないと!」


帝国全土に関わる事だと聞いて、私は慌てて立ち上がり、里の者たちと同じように動揺してしまう。

しかし、レインは事の重大さを把握した上でも冷静だった。

彼女は腕を組み、ほんの数秒思考を巡らせたあとで静かに告げる。


「……聖水の入手は私に任せて。貴方たちは自分の持ち場に戻りなさい」


「レイン様……どうか、どうか私たちをお守りください……!」

「英雄様、お願い申し上げます!」


「……貴方たちに、黄金の月の加護があらんことを…」


縋り付くような弱々しい声に、レインは英雄の挨拶を返した。

それは彼らを守るという誓いも同然……故に、里の人達は安心したように戻っていった。

扉が閉まると、私はそっとレインを見上げる。


「ねぇ、聖水って……どうやって手に入れるの?」


聖水の入手方法が気になって問うと、彼女は机の上に広げた衣装の裾をそっと押さえながら、息を整えるように言う。


「泉の水を使うの。でもね、ただ汲むだけじゃ駄目。

水を“聖水”に変えられるのは、人魚族だけなのよ。

……民たちが慌てていたのは、自分たちでは創れないから」


「じゃあ、今から人魚に会いに行くの?」


人魚……まだ会ったことのない種族名を聞いて、私は思わず椅子から身を乗り出す。


「その必要はないわ」

しかし、レインは針山に針を戻すと、首を横に振った。


彼女は膝の上の糸くずを払って立ち上がり、壁際の布棚へと歩いていく。

そして色とりどりの布の間から薄紫色のリボンを一本取り出し、それを指で整えつつ振り返った。


「この里の巫女――ソフィア。

あの子はエルフと人魚のハーフなのよ。

彼女に協力してもらえば、聖水を作れる」


「なるほど……じゃあ、私たちは水汲み担当だね」


私は縫いかけの衣装の裾をぱたぱた揺らしながら言う。

その重みに、これからの作業の大変さが連想されて、肩が少しだけ下がった。


「ええ、そういうこと」


私が立ち上がると、レインは裁縫道具を片ずけた。

その横顔には、さっきまでの穏やかな笑みはなく、仕草は落ち着いているのに、目だけは鋭く状況を見極めている。


布の上に残った縫い目が、さっきまでの平穏を物語るように静かに光っていた。


✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿


泉に着くと、私はその美しさに息を呑んだ。

水面は光を受けてキラキラと揺れ、まるで砕いた宝石を散りばめたように輝いていている。波紋のひと揺れごとに小さな光が砕け、舞い上がっては水に溶けていく。まるで魔法みたいな光景と澄んだ水の流れる音が耳に心地よくて、つい深呼吸してしまった。


「探偵、私は浮遊魔法で壺に水を汲むから、貴方は数を数えてくれる?」


私が泉に釘付けになっていると、レインが荷台を指さしながら振り向く。


「え?二人で汲んだ方がはやいよ?」

そう返すと、レインは呆れと驚き混じりの視線を向けてくる。


「魔法なしで水を汲む気? 重いわよ…?」


「まっかせてよ! こう見えて力には自信があるから!」


胸を張ってみせると、レインは「はいはい」と肩をすくめながら泉の方へ歩いていった。

私は気合を入れ直して壺を一つ手に取り、泉の縁へ向かう。


レインは魔法を使う準備を整えるため、小さく息を吐いて手をかかげた。


『雷と光の麗しき精霊"ヴァルタ"よ。

私の声に応え、魔力を解き放ちなさい』


喚び出しの詠唱が終わると淡い光が広がり、彼女の足元から精霊が姿を現す。

"ヴァルタ"と呼ばれたレインの精霊は、小柄なホワイトタイガーだった。

近くで見ると、毛並みが光を反射して神秘的で、どこか王者の風格さえ漂っていた。


「今日も頼むわね。」

レインが囁きかけると、精霊は静かに頷くように尻尾を揺らす。

二人が素早く壺に水を張っていく姿に、私も負けていられないと腰を落として……勢いよく水を汲む――が。


お、おも……っ!

持ち上げた瞬間、腕がぷるぷる震えた。

気合いだけで乗り切れるタイプの重さじゃない。

それでも必死に荷台へ運び、壺を積む。

一つ、二つ、三つ……あれ四つ目どこ行った? あ、これか。

八……十五……もう頭の中の数字がぐちゃぐちゃだ。


「ねー! レイン! あと何回汲むのー?

この壺、結構大っきいから……これぐらいで十分なんじゃない?」


たまらず叫ぶとレインは魔法を続けながら、困ったように眉を寄せる。


「うーん……まだ足りないわ。

最低でも三十はいるもの」

「三十ッ?! 最低でも?! うへー……」


半分にも届いていないと知った瞬間、膝から力が抜けた。

でも、やるしかない。

気持ちを奮い立たせ、私は再び壺へ手を伸ばした。

──そして、三十を超えた頃には。

私は荷台の横で、もはや半分魂が抜けた状態になっていた。

レインが水気を払ってこちらへ歩いてきて、覗き込む。


「お疲れ様。大丈夫?」

その声がやけに優しく聞こえるのは気の所為だろうか……。


「う、うん……なんとか……」


息を切らしながら応えると、レインは少し考えるように腕を組み、それからぽつりと言った。


「う〜ん……探偵、やっぱり早めに魔法使えるようにしましょう。

体力もつくし、色々と便利だから」


「……うん、そうだね……。このままだと、何にもできないし……不便」


息も絶え絶えに頷きながら、私は壺の中を覗き込んだ。

透き通った水。

底まで見えるくらい澄んでいて、光が反射してきらきらしている。どの壺の水も濁りひとつなく、触れたら清められそうなほどの気配を放っていた。

これが聖水になるのかぁ……。

たっぷり入ってるけど、足りるよね? 足りてくれ……。

私が願うように壺を覗き続けていると、レインが荷台の壺を見渡す。


「……さぁ、次はこれを聖水にしないと。すぐにソフィアに会いに行きましょう」


「……うん!」


私は筋肉痛寸前で震える腕の動きを誤魔化しながら、荷台の取っ手を握りしめ、レインと共に押し出した。

大量の壺がごとごと揺れながら鳴る音が、達成感と疲労の両方を物語っていた。


レインの魔法で少しだけ軽くなったものの、ずっしり重量感のある荷台……それを二人で力を合わせ、教会まで押し進めた。


✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿

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