表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
生彩放つ無神世界  作者: 美緑
〜第三章〜聖水汚染事件
21/89

聖水

私はレインと一緒に、舞手の衣装修整をしていた。


「うわ〜!!すごい! すごいよレイン…!」


だけど正直、ほとんどレインの作業に見惚れてばかりだ。

彼女の握る針はまるで生きているみたいに糸を操り、裂けた布を滑らかに縫い合わせていく。

その手の動きは、稲妻のように速く、靱やかだ。


「ハイハイ、お褒めのお言葉ありがとう。

私が力を注ぐ芸術は"裁縫"だからね。これくらいなら秒で終わらせる事ができるわ」


冗談めかしながらそう言うレインは、糸を切る仕草まで美しかった。


「それより探偵、手が止まってるわよ〜?」


「えちょ、ちょっと待ってよ!レインのスピードには追いつけないって!」


彼女の言葉で、私は自分の作業が全く進んでいない事に慌てて針を動かし、やっとのことで一着仕上げる。

すごく急いだから指を何度も突き刺しかけたけど……それでもなんとか完成した。



「あら、でも初めてにしては綺麗じゃない? 貴方、才能あるわね」


自分が縫い上げた衣装を眺めていると、レインは軽く微笑みながら称賛してくれる。


「え? そ、そうかなぁ?」


褒められて頬が緩んだ私は、彼女の言葉を聞いてから改めて衣装を見た。

言われてみれば確かに……初めて針を持ったにしては、上手く縫えた気がする。


「才能かぁ……」

針を指先で転がしながら、私はひと息ついた。

繕いかけの布を眺めて、少しだけ首を傾げる。


「私、どんな芸術が合ってるんだろ?」


「何事もやってみないと分からないからねぇ……」


レインは糸を引き締めながら、器用に針を返す。

布が彼女の指先で踊るように形を変えていくのを見て、私も同じ動きを真似してみるが……当然できない。


「今はとにかく、いろんな芸術に挑戦してみることを勧めるわ。探偵は案外、なんでもできるタイプかもね」


「え〜、それって裏を返せば、熱中できるものが無いってこと?」


私は少し唇を尖らせて、針を掲げる。

思ったよりも縫い目が歪んでいて、つい苦笑いが漏れた。

レインはそんな私を見て、針先で軽く布を弾きながら言う。


「それは貴方次第よ。上手くなるには――“好きになる努力”も必要だから」


「好きになる努力……か。なるほど」


私はその言葉を繰り返しながら、そっと針を布に通した。

まっすぐ縫えた一筋の糸を見つめて、胸の中が少しだけ温かくなる。


「……うん、ちょっと分かった気がする」


私がそう言うと、レインは優しく微笑んで、再び手を動かし始めた。

静かな部屋に、二人の針が布を縫う音だけが心地よく響く。

その音は、まるで小さな鼓動みたいに規則正しく続いていた。


───けれど……不意に、遠くの方から慌ただしく、床板を打つ靴音が近づいてくる。


「……ん?」

私は顔を上げた。

レインも同時に手を止め、糸の先を軽く摘まんだまま、扉の方に目をやる。

すると…


───バタァンッッッ!!

と、数秒後に扉が勢いよく開かれた。

振動がカーテンを揺らし、机の上の糸巻きがころりと転がる。


「あぁっ……レイン様! 大変ですっ!」


大きく開いた扉から、慌てた様子の里の人たちが駆け込んできた。

彼らは息を切らしていて、その顔は青ざめている。


「このままじゃ祭りが……!」

「どうしましょう…!どうしましょうッ!」


突然の騒ぎに、私は思わず針を落としてしまった。

…な、何事(なにごと)?!


「騒々しいわね……落ち着いてちょうだい。

一体何があったの?」


一方でレインは至極冷静な表情を一切崩さず、作業の手を止めてから尋ねる。

すると彼らは肩で息をしながら、震える声で言った。


「祭りで使う予定だった“聖水”が……汚染されてしまいました! おそらく瘴気の影響かと!」

「もう使い物になりません……!」


「……なんですって?」


レインの声が一瞬だけ低くなった。

私は彼女の横顔を見て、ただならぬ事態だと悟り、針を置いて首を傾げる。


「せ、聖水ってそんなに大事なものなの?」


思わず身を乗り出した私に、レインは短く答えた。


「……さっき教えた“逆さクラゲの舞”、覚えてる? あれに使うのよ。

病を祓う儀式の一部でね……聖水が無いと、帝国全体に病が広がる恐れがあるわ」


「そ、そんな! じゃあ急いで集めないと!」


帝国全土に関わる事だと聞いて、私は慌てて立ち上がり、里の者たちと同じように動揺してしまう。

しかし、レインは事の重大さを把握した上でも冷静だった。

彼女は腕を組み、ほんの数秒思考を巡らせたあとで静かに告げる。


「……聖水の入手は私に任せて。貴方たちは自分の持ち場に戻りなさい」


「レイン様……どうか、どうか私たちをお守りください……!」

「英雄様、お願い申し上げます!」


「……貴方たちに、黄金の月の加護があらんことを…」


縋り付くような弱々しい声に、レインは英雄の挨拶を返した。

それは彼らを守るという誓いも同然……故に、里の人達は安心したように戻っていった。

扉が閉まると、私はそっとレインを見上げる。


「ねぇ、聖水って……どうやって手に入れるの?」


聖水の入手方法が気になって問うと、彼女は机の上に広げた衣装の裾をそっと押さえながら、息を整えるように言う。


「泉の水を使うの。でもね、ただ汲むだけじゃ駄目。

水を“聖水”に変えられるのは、人魚族だけなのよ。

……民たちが慌てていたのは、自分たちでは創れないから」


「じゃあ、今から人魚に会いに行くの?」


人魚……まだ会ったことのない種族名を聞いて、私は思わず椅子から身を乗り出す。


「その必要はないわ」

しかし、レインは針山に針を戻すと、首を横に振った。


彼女は膝の上の糸くずを払って立ち上がり、壁際の布棚へと歩いていく。

そして色とりどりの布の間から薄紫色のリボンを一本取り出し、それを指で整えつつ振り返った。


「この里の巫女――ソフィア。

あの子はエルフと人魚のハーフなのよ。

彼女に協力してもらえば、聖水を作れる」


「なるほど……じゃあ、私たちは水汲み担当だね」


私は縫いかけの衣装の裾をぱたぱた揺らしながら言う。

その重みに、これからの作業の大変さが連想されて、肩が少しだけ下がった。


「ええ、そういうこと」


私が立ち上がると、レインは裁縫道具を片ずけた。

その横顔には、さっきまでの穏やかな笑みはなく、仕草は落ち着いているのに、目だけは鋭く状況を見極めている。


布の上に残った縫い目が、さっきまでの平穏を物語るように静かに光っていた。


✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿


泉に着くと、私はその美しさに息を呑んだ。

水面は光を受けてキラキラと揺れ、まるで砕いた宝石を散りばめたように輝いていている。波紋のひと揺れごとに小さな光が砕け、舞い上がっては水に溶けていく。まるで魔法みたいな光景と澄んだ水の流れる音が耳に心地よくて、つい深呼吸してしまった。


「探偵、私は浮遊魔法で壺に水を汲むから、貴方は数を数えてくれる?」


私が泉に釘付けになっていると、レインが荷台を指さしながら振り向く。


「え?二人で汲んだ方がはやいよ?」

そう返すと、レインは呆れと驚き混じりの視線を向けてくる。


「魔法なしで水を汲む気? 重いわよ…?」


「まっかせてよ! こう見えて力には自信があるから!」


胸を張ってみせると、レインは「はいはい」と肩をすくめながら泉の方へ歩いていった。

私は気合を入れ直して壺を一つ手に取り、泉の縁へ向かう。


レインは魔法を使う準備を整えるため、小さく息を吐いて手をかかげた。


『雷と光の麗しき精霊"ヴァルタ"よ。

私の声に応え、魔力を解き放ちなさい』


喚び出しの詠唱が終わると淡い光が広がり、彼女の足元から精霊が姿を現す。

"ヴァルタ"と呼ばれたレインの精霊は、小柄なホワイトタイガーだった。

近くで見ると、毛並みが光を反射して神秘的で、どこか王者の風格さえ漂っていた。


「今日も頼むわね。」

レインが囁きかけると、精霊は静かに頷くように尻尾を揺らす。

二人が素早く壺に水を張っていく姿に、私も負けていられないと腰を落として……勢いよく水を汲む――が。


お、おも……っ!

持ち上げた瞬間、腕がぷるぷる震えた。

気合いだけで乗り切れるタイプの重さじゃない。

それでも必死に荷台へ運び、壺を積む。

一つ、二つ、三つ……あれ四つ目どこ行った? あ、これか。

八……十五……もう頭の中の数字がぐちゃぐちゃだ。


「ねー! レイン! あと何回汲むのー?

この壺、結構大っきいから……これぐらいで十分なんじゃない?」


たまらず叫ぶとレインは魔法を続けながら、困ったように眉を寄せる。


「うーん……まだ足りないわ。

最低でも三十はいるもの」

「三十ッ?! 最低でも?! うへー……」


半分にも届いていないと知った瞬間、膝から力が抜けた。

でも、やるしかない。

気持ちを奮い立たせ、私は再び壺へ手を伸ばした。

──そして、三十を超えた頃には。

私は荷台の横で、もはや半分魂が抜けた状態になっていた。

レインが水気を払ってこちらへ歩いてきて、覗き込む。


「お疲れ様。大丈夫?」

その声がやけに優しく聞こえるのは気の所為だろうか……。


「う、うん……なんとか……」


息を切らしながら応えると、レインは少し考えるように腕を組み、それからぽつりと言った。


「う〜ん……探偵、やっぱり早めに魔法使えるようにしましょう。

体力もつくし、色々と便利だから」


「……うん、そうだね……。このままだと、何にもできないし……不便」


息も絶え絶えに頷きながら、私は壺の中を覗き込んだ。

透き通った水。

底まで見えるくらい澄んでいて、光が反射してきらきらしている。どの壺の水も濁りひとつなく、触れたら清められそうなほどの気配を放っていた。

これが聖水になるのかぁ……。

たっぷり入ってるけど、足りるよね? 足りてくれ……。

私が願うように壺を覗き続けていると、レインが荷台の壺を見渡す。


「……さぁ、次はこれを聖水にしないと。すぐにソフィアに会いに行きましょう」


「……うん!」


私は筋肉痛寸前で震える腕の動きを誤魔化しながら、荷台の取っ手を握りしめ、レインと共に押し出した。

大量の壺がごとごと揺れながら鳴る音が、達成感と疲労の両方を物語っていた。


レインの魔法で少しだけ軽くなったものの、ずっしり重量感のある荷台……それを二人で力を合わせ、教会まで押し進めた。


✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ