第1章
夕日が錆びついた鉄塔の向こうに沈んでいく。オレンジ色の光が廃墟となった都市の残骸を照らし、かつて空に向かって伸びていたビルの骨組みが不気味な影を作り出している。この世界には、もう機械の唸り声も、電気の光も、人々の喧騒もない。ただ風が瓦礫の間を吹き抜け、時折遠くから獣の鳴き声が聞こえてくるだけだった。
「また何もなしか」
ケイは肩からずり落ちそうになった古いリュックサックを押し上げながら呟いた。今日で三日間、この区域を探索しているが、使える部品はおろか、食料すら見つからない。彼女の住む集落では、冬が近づくにつれて備蓄が底をつき始めており、何か価値のあるものを持ち帰らなければ、また厳しい視線を浴びせられることになる。
二十四歳になったケイは、生まれてからずっとこの荒廃した世界しか知らない。祖母から聞いた話では、かつてこの星には「大いなる文明」があったという。空を飛ぶ機械、瞬時に遠くの人と話せる装置、病気を治す魔法のような技術。しかし、何かが起こった。祖母も詳しくは知らなかったが、ある日突然、すべての機械が動かなくなり、知識を持つ人々は姿を消し、残された人類は原始時代に戻ったような生活を送ることになったのだ。
ケイは瓦礫の山を慎重に登りながら、遠くに見える奇妙な構造物に目を向けた。他の建物とは明らかに違う、滑らかで有機的な曲線を描いた建造物が、夕日に銀色に光っている。今まで何度もこの辺りを通ったはずなのに、なぜかその建物に気づいたのは今日が初めてだった。
「あれは一体...」
興味に駆られて、ケイはその方向に向かって歩き始めた。近づくにつれて、その建造物の異質さがより鮮明になってくる。表面に継ぎ目が見当たらず、まるで一つの巨大な金属の塊から削り出されたようだった。そして最も奇妙なのは、他の建物のように風化や錆びの跡が全く見られないことだった。
建物の前に立つと、ケイは思わず息を呑んだ。正面には扉らしきものがあったが、取っ手も鍵穴も見当たらない。ただ滑らかな金属の面があるだけだった。彼女は恐る恐る手を伸ばし、その表面に触れてみた。
瞬間、建物全体が淡い光を放ち始めた。ケイは驚いて手を引っ込めたが、光は消えることなく、むしろ徐々に明るさを増していく。そして、信じられないことに、正面の壁がゆっくりと内側に滑り込んでいき、入り口が現れたのだ。
「まさか...動いてる?」
震える声で呟きながら、ケイは入り口の前に立ち尽くした。中からは穏やかな青白い光が漏れており、機械的な低い唸り音が聞こえてくる。何かが活動している音だった。この死んだ世界で、動いている機械を見つけたのだ。
勇気を振り絞って、ケイは一歩、また一歩と中に進んだ。内部は外観以上に驚くべきものだった。壁も床も天井も、すべてが同じ滑らかな金属でできており、均等に配置された光源が幻想的な雰囲気を作り出している。そして最も圧倒的だったのは、中央に設置された巨大な装置だった。
それは透明な結晶でできた球体を中心とし、周囲を複雑な金属のリングが回転している構造物だった。球体の中では、まるで液体のような光が渦を巻いており、時折稲妻のような閃光が走る。装置の周りには無数の細かい文字や記号が刻まれたパネルがあり、そのいくつかが点滅を繰り返していた。
「これは...何なんだ?」
ケイが装置に近づいこうとした時、突然空中に光の映像が現れた。彼女は驚いて後ずさりしたが、映像は彼女の動きに合わせて位置を調整し、常に見えるところに表示されている。
映像に映っているのは、見たこともない美しい都市だった。高層ビルが整然と並び、空中には流線型の乗り物が飛び交い、街路には多くの人々が行き交っている。人々は清潔な服を着て、手には小さな光る装置を持っていた。これこそが、祖母が語っていた「大いなる文明」の姿に違いない。
しかし映像は突然変わった。空が不自然に暗くなり、巨大な影が都市を覆う。人々は空を見上げて指差し、恐怖に怯えている。そして次の瞬間、すべての光が消え、空中の乗り物は墜落し、街は混乱に包まれた。映像はそこで途切れ、再び静寂が戻った。
「あの日に起こったことを記録していたのか...」
ケイが呟いた時、装置の前に新たな光の文字が浮かび上がった。彼女には読めない文字だったが、なぜかその意味が頭に流れ込んでくる。
【時間遡行システム 起動可能 対象:一名 遡行限界:五十年前】
「時間遡行?まさか...過去に戻れるということか?」
ケイの心臓が激しく鼓動し始めた。もし過去に戻って、あの災厄が起こる前に警告することができれば、世界を救えるかもしれない。失われた文明を守り、この荒廃した現在を変えることができるかもしれないのだ。
しかし、それと同時に恐怖も湧き上がってきた。時間を操るなど、人間がしてよいことなのだろうか?何か予想もしない結果を引き起こすかもしれない。それに、過去に戻ったとして、言葉も通じない時代で何ができるというのだろう?
だが、ケイは現在の世界の現実を思い出した。食料不足に苦しむ人々、病気になっても治療法がない絶望、そして何より、希望を見失った人類の姿。このまま何もしなければ、人類はゆっくりと絶滅していくだけだ。
「やってみる価値はある」
決意を固めたケイは、装置に向かって手を伸ばした。しかし触れる直前で躊躇する。一度過去に戻ったら、もう元には戻れないかもしれない。現在にいる人々に二度と会えなくなるかもしれない。
それでも、彼女は手を伸ばし続けた。中央の結晶球体に指先が触れた瞬間、激しい光が部屋を満たし、ケイの体は宙に浮き上がった。装置の回転が加速し、空間そのものが歪み始める。
「うわあああああ!」
ケイの叫び声は光の渦の中に吸い込まれ、意識は深い闇の中に沈んでいった。
***
目を覚ましたとき、ケイは見知らぬ場所にいた。周囲は緑豊かな森で、木々の向こうから温かい日差しが差し込んでいる。鳥のさえずりと虫の音が聞こえ、空気は澄んでいて、汚染の臭いは全くない。
「成功したのか...?」
立ち上がると、遠くに見慣れない建物が見えた。しかしそれは廃墟ではなく、窓から光が漏れ、煙突からは煙が立ち上っている。生きている建物だった。そして何より驚くべきことに、空中に浮かぶ小さな光る物体がいくつも飛び回っているのが見えた。
ケイは森の中を走り、建物に向かった。近づくにつれて、それが自分の知っている世界とは全く違うことが分かってくる。道路は整備され、街灯のような装置が規則正しく並んでいる。そして歩いている人々の服装も、自分が着ているような粗末なものではなく、美しい色合いの布でできていた。
「あの...すみません」
ケイは通りかかった中年の女性に声をかけた。女性は振り返ると、ケイの姿を見て驚いたような表情を見せた。
「あら、あなた...どちらから?その格好は...」
「あの、今は何年でしょうか?」
「何年って...ゴールデンエイジ暦2387年よ。でも、あなた本当にどこから...」
ゴールデンエイジ暦2387年。ケイが生まれたのは、災厄後50年と聞いていた。つまり、彼女は災厄の起こる直前の時代に来たのだ。
「ありがとうございます!」
ケイはお礼を言うと、その場を離れた。女性は困惑したような顔で彼女の後ろ姿を見送っている。これから彼女は、この時代の人々に災厄の到来を警告し、未来を変えなければならない。しかし、誰が突然現れた見知らぬ女性の言葉を信じるだろうか?
ケイは空を見上げた。雲一つない青空に、いくつもの飛行物体が優雅に舞っている。この美しい世界が、数日後には地獄と化すのだ。
「絶対に変えてみせる」
彼女は拳を握りしめ、歩き始めた。時間はそう多くない。災厄を止めるための情報を集め、信頼できる人物を見つけ、そして何としても人類の未来を救うのだ。
夕日が森の向こうに沈み始めた時、ケイは振り返ることなく、新たな運命に向かって歩き続けていた。