004_見透かしたその瞳。
「御目覚めの時間かね、坊や。……然し、随分と”彼奴”に気に入られた様だな、お前は」
謎の女はそう言うと、紅茶の入ったティーカップを傾け、上品に一口、喉に入れ込んだ。
「彼奴……?もしや、あの死神の事か」
「嗚呼、解らぬのならば其れで善い。だが、随分と乱暴な真似をした物だ。私が彼奴の歳で在れば、其の様な愚鈍な真似事はしなかった」
難しくも、上品な言葉遣い。そして、何もかもお見通しと言わんばかりのその言い分。
私は顔を顰め、目元を歪ませながら、腰掛け独りでにティータイムをしている彼女へ「お前は誰だ、此処は何処だ」と問い掛けた。
だが、謎の女はそれを聞くや否や、分かっていたと言わんばかりに「少し待たれり」と。
「ふふ、貴様も頭が整理しきれて居らんだろう。其れに、私は他人の指示に従うのは嫌い故。……さぁ、紅茶でも飲んでお呉れ。お前が紅茶を嗜んでから、私は話を進めよう」
そう言って、女はまた、此方へ厭らしい笑みを浮かべれば。隣にあるティーテーブルの上に置かれた、ティーポットを手に取って。
ポットを傾け、洒落た柄の刻まれたカップへ、紅茶らしき物を注いで行く……。
ぽと、ぽとぽと……っ。紅茶が注がれる音のみが、その部屋内に木霊する。そして、また私が話そうと口を開くと、女がそれを塞ぐ様に、「薫りだけで無い。茶の聲も愉しめ」と一言。
……多分、『静かにしろ』とでも言いたいのだろう。私は静かに口を閉じ、彼女が此方へ紅茶を渡して来るまで待つ事に。
そして、彼女は紅茶をティーカップへ淹れ終わると、ポットをテーブルの上へ戻し。此方へ、紅茶の入ったティーカップを渡す。
私は、今度こそ静かにそれを受け取り、その紅茶を一口。
それを見て、彼女は満足気に口角を上げれば。……いつもの笑みは変わらずに、紅茶を嗜みながら。
「茶は美味いだろう。ふふ、先に告げるぞ、私は、珈琲党では無く、紅茶党だ。私の目の前で珈琲等、”異端”を嗜もうとならば、其の日、其方は身体と別れを告げた方が善い。珈琲とは違い、紅茶は薫りや風味、独自が編み出す聲が好い。……其れと同じく、会話も薫りや風味、聲を楽しむ物なのだよ、坊や」
確かに、茶は美味かったが……私には、それがそれ以上の価値があるとは、到底思えなかった。
俺は紅茶党でも、逆の珈琲党でも無い。実を言うと、双方何方も嫌いだ。
紅茶は雑草みたいだし、珈琲は苦いから嫌いだ。……だが、それを口にしなかったのは、私が成長したと言う事なのだろう。
「自己紹介が遅れたね。私の名は、ルシフェル。光を掲げる者とて、此の目録書庫の管理を司る、我が『光』……物語が一つ。……其れと、先程私が”ルシフェル”と告げた名は、私の名では無い。次から、私に名は尋ねるな」
「……は?」
「ふふ、若いねぇ。光に晒された柱に、必ず影が在る様に。……其方も、私の告げた其の意味が、何時か解る時が来るであろう」
「……っ、??……???」
そう言って、彼女……いや、ルシフェルはまた紅茶を啜った。足を組み、上目で、何処か此方を見下しながらの会話は、まだ続く。
「──此処は、其方が良く識るで在ろう死神の、館だ。……奴の屋敷と言おう物か。貴様は昨日、我が書庫へ運ばれて来たのだよ」
書庫……。確かに、この部屋が何処か狭く、窓も一つしか無いと思えば……。
辺りを見回す私の心情を悟ってか、ルシフェルが腰掛けから立ち上がり、向こうの大きな扉を開く。
と、そこには、大きな本棚や、数多もの本が立ち並ぶ、書庫が目に入って来たでは無いか。どうやら死神は、気絶した私をこの書庫の館長であるルシフェルに押し付けて、何処かへ行ってしまったらしい。
そして、彼女も彼女で、”とある契約”があり、書庫から足を踏み出せず……泣く泣く私を自室のベッドに眠らせたんだとか。
そんな事を言いつつ、ルシフェルは欠伸をし。
紅茶を飲み終わったのか、ティーテーブルの上に空のティーカップを上品に置けば。
「嗚呼、膐が疼くな。貴様と居ると、幾分腹が減る。然し、生憎今は茶菓子が切れて居る」
「だから何だ。……俺に、何を言いたい」
私は飲み終わったティーカップを、彼女と同じくテーブルの上へ置けば。
ベッドから立ち上がり。悠々と座るルシフェルの目の前、鋭い目線を走らせる。が、次の瞬間──。
「若い、若い。童故、此の場の立場が分からぬや?過去の過ちを咎めても、もう遅い」
ゆっくりと、ルシフェルが立ち上がったのかと思えば……。一瞬にして、視界が動転。瞬きする間も無く、ルシフェルの手元へ、自身の首が握られる。
宙に浮かされ、首元を握られた私は、困惑や混乱を隠せずに居た。
それを見ながら、ルシフェルは嬉々とした表情で。朗らかに微笑めば。……私の首を絞める力を、ぐっ、と強める。
「はははっ。貴様は、物語の主人公にでも成ったつもりかね?其方は、まだ自分が死なないと、心の底で思っている。一度生意気な餓鬼は、死ぬ思いをした方が、成長する物よ」
「ぁ゛が。っ。……〜?!まっ、で!!馬鹿、辞めろ──ッ!!死ぬぞ……っぐ、ぅ゛……」
「安心しろ。貴様が死んでも、誰も哀しまぬ。自分でも解るだろう?……ふふ、図星かね」
今分かった。此奴は、この状況を楽しんで居やがる。
永遠と長い時間、此処の中に閉じ込められているからか、娯楽が少ないのだろう。だが、それを俺で発散しないで欲しい!
呼吸が段々と苦しくなって、息も絶え絶えになって来た。私は、奴の腕を引っ掻き抵抗するが、この女は降ろす素振りすら見せない。
それに、片腕だけで男の私を軽々と持ち上げている所から察するに、逃げられたとしても、どうにもならないのだろう。
と、そんな中。部屋の扉が開いた音がした。双方扉の方を眺めると、そこには……死神と少女。そして、又もや見知らぬ女が一人。
死神が来たのを見るや否や、女は私の首から手を離し。咳き込む私を横に、手元に着いた唾液を、聖骸布の様な手拭いで拭き取れば。
「全く、腐肉に叢る蠅の様だな。……おや、誤解はしないで貰えると嬉しいね。私は只、生意気な餓鬼に、飴と多少の鞭を与えただけだ」
そう言い、彼女はまた優しく?微笑めば。
メフィストフェレスを抱く死神の方へ、そそくさと近寄り。その手に握る、多種多様の茶菓子の入った紙袋を笑いながら奪い取る。
「……はあ、お前に此奴を預けたのが間違いだったか。茶菓子を渡すついでに見てみれば、あまり俺の弟子を困らせないで欲しいな」
「紅茶と言う名の飴を与えたのだから、私には鞭を振るう権利が在るだろう?……ふふふ、今回の茶菓子はクッキーか。些か、見ない形だ。正か、人間世界から取り寄せたのか?」
「そうだ。……どれもこれも、神の特権さ。使うだけ使わなくては、勿体無いだろう?」
そうだ。天界の者は、人間世界の食べ物を食べてはならない規定が存在する。
勿論、今ルシフェルが今手にしている人間界の食べ物も、此方の天界に持って来るのはタブーだ。
……私が地面に蹲いながら、そんな事を考えていると。ふと、私への方、手が指し伸ばされたでは無いか。目の前を見てみると、腰を屈め、此方へ手を伸ばす女が一人。
先程、死神の隣に居た謎の女だ。……見た目から察するに、年は私と同じくらいだろう。
「え、っ。……と、あの。大丈夫、ですか?」