002_彼等の望む、崇高な目的について。
私は彼の手に重心を変え、ひょいとそのまま身体を持ち上げる。立った時によろける私を見て、死神は「大丈夫か?」と声を掛けた。
──が、そんな平穏な時も束の間で。突如として、私達の周りを、何やら武装した大天使達が、取り囲んだのである。
気配を全く感じなかった……顔を顰めながら、手を上げる。
隣に居た死神も、「怖い怖い」と冗談交じりに呟けば。少女を抱き抱える手とは反対の腕を上げ、飄々とした態度を。……コツ、コツ。
目の前から、乾いた革靴の音が聞こえて来る。途中、林の中だからだろうか。木の枝や草木を掻き分ける音も屡々。
そして、音の正体が姿を現した──。
「ああ、感動的なシーンの中、横槍を入れてしまい済まないね。私も、この区域を管理する者宛ら、動かなくてはならないのだよ」
肩章、立ち襟、金ボタン、ベルト付きのシルエット……白と緑を強調した軍服だ。清潔感のある白色に、縁取りや装飾が緑でまとめられている。
そして、彼女の雪の様な白髪に、水母を模した髪型の上には、人間世界での軍等でよく見る帽子があり。
キラリ──。暗い林の中、月光に照らされて、胸元の金色の徽章が輝いた。
「さあ、先ずは初めに自己紹介だ。私の名前は、ケテル。このキリスト教第一区の主導権を握る、思考と創造を司るセフィラである」
そう丁重な自己紹介から始まったは、彼女の独壇場である。上着をバサリと靡かせれば、此方へ武器を構えていた天使が跪く。
その姿は宛ら、我らが管理人に相応しい。
「お、俺は──!」
「っと、貴様の自己紹介はいい。些か時間の無駄なのだ。私も、色々とスケジュールを削って此処まで来たもので。時間を余り掛けられないのだよ。……だから、担当直入に言おう。私は、お前を殺すつもりだ──」
「え?」そんな声も捻り出せなかった。
一瞬、髪がふわっと靡くのと同時に、私の目の前へ、セフィラの武器が迫って来て居たのだ。
だが、隣に居た死神がそれを阻止してくれた様で。セフィラのレイピアと、死神の大鎌がぶつかり合い、火花がパラパラと散る。
──と、セフィラが後方へ下がった様で。レイピアに自身の手を翳し、「次は当てるぞ」と言わんばかりのその表情。
しかし、私も私で、徐に、死神が私の肩を掴んだのかと思えば。彼の身体に自身の身体を寄せられた。
死神は、セフィラに大鎌を翳しながら。
「すまないな、ケテル。此奴ァ、俺の弟子なんだ。勘弁してやってくれ。弟子を目の前で惨殺される姿を、師範が黙って見てるとて?」
「はてはて、妾の部下で在りながら、その態度。弟子が増えたからとて、自身に自惚れているのではないか?………………それに、その童が、次の希望だと述べるのか、少年」
「ああ、此奴がシナリオの主軸となる。断言するよ、この暴食の烙印が押された餓鬼は、俺達の次への希望を担うだろう」
暴食の烙印。先程、この死神も言っていた。
やはり私には、暴食の烙印が押されている様だ。
故、天界に、この様な不純物を、置いておける訳も無く。私は今、この区域の神に、喧嘩を売る事になったと。
勘弁してくれ!そう焦る私を横に、死神は耳元で「俺から極力離れるな」と一言。彼曰く、離れてしまえば私の命は無いんだとか。
「久方振りの大道芸と行こうかッ!死神よ!」
レイピアを鞘へ仕舞った次の瞬間、先程まで蹲っていた周りの天使共が一斉に立ち上がり。此方へ、『引用』を込めた魔法の弾丸を発砲し始めたのだ。
『引用』。天界の者が使えし、魔術の一つ。
神の書物ある聖典に書かれた聖句、神の言動や行動、言葉を自らが読み解き、それから導き出される自身だけの答えを、自らの武器として身に付ける事。
……例えるならば、得た知識を武器にする様な物である。
同じ教えを武器にしたとしても、その者の力量や想像力により、その武器の形や形式は無限大。──そんな、幻の様な現象を、我々は『引用』と、そう言葉一言で表したのだ。
そして、これにはもう一種類、亜種が存在する。──その名を、『奇跡』。
奇跡とは、聖書の引用とは違う。これは自身の力で、主のお言葉無しに使えるお手軽な技だ。
例えるならば、『聖書の引用』が魔法で、『奇跡』が戦闘技術。
魔法は、その言葉さえ覚えれば馬鹿でも撃てるが、その魔法の習得や覚えられなければ、扱う事は出来まい。
しかし、奇跡は聖句の引用無しに使えるのだ。
それは、奇跡を扱う天使自身の力量により左右される。技術や才能が無ければ、ちっぽけな奇跡に。逆に、全てに恩恵を受けていれば、それは引用と比べがつかない程になるだろう。
──だが、一方に頼らずに。それを使い分けるのも、また重要である。
使い分けが出来てこそ、それが一人前の証拠であるからだ。しかし、神々は例外として、創造主の引用では無く、自身の奇跡しか使えないと言う規定が存在しているが……。
「っ、ぐぅ。……ッ?!おいおい、どうすんだよォ、これェ……〜っ?!」
焦る私を横に、男である私の身体を、奴はひょいと軽々持ち上げて、小脇に挟めば。眠いと嘆く少女を、背中へとおぶり。
「良いか、お前は俺に身体を擦り付けときゃいいんだよ──ッ、分かったか?」
地面に轟く、地響きの様な衝撃。隣を見ると、死神が地面へ、その鎌を突き刺したのだと分かった。次に、此方へ飛んで来た引用を軽々しく捌き。死神は片手で印を結ぶ。
人差し指と中指を立てて、手の平を此方へ向けるその行為。最初は意味不明であったが、次の瞬間、その中指と人差し指の間に、何やら魂が集まっているのが見えた。
……そして、それを皮切りに、武装した大天使達は倒れて行く。それは、彼等の魂の様だ。
「やはり、大天使程度では無駄だったか……。智天使や熾天使でも連れてくるべきだったか。──っと。まあ、茶番はこれ程に」
そう余裕げに呟けば、セフィラは指を交差させ、フィンガースナップを。と、上空を見上げると。援軍と言わんばかりに、翼を広げ、空に佇む智天使や熾天使の姿があったのだ。
「──はははっ!天界と地獄を仕切る、混沌の地への扉が開いたのだ!大天使如きで、この場を対処すると思ったかッ!!さあ、私に素晴らしい演奏を聞かせておくれや。……第二幕、出動開始!!相手は死神だ、決して手は抜くでないぞ!餓鬼の首を刈り取るのだッ!」
──と、その言葉を聞いた直後、死神は私を小脇に抱えながら、鎌を手に持ち、その場を蹴り後方へ。
すると、先程私達が居た場所へ、一本の光線が走り。ビリッ、と稲妻が走ったのかと思えば……。
目の前に、大きなクレーターが出来たのだ。そして、それが今、此方に向かって何百本も伸びている。
──死神は、少女を背中へ、私を小脇に抱えながら、木々を掻い潜り駆け巡る。
「ッ、おい坊主。お前、何処まで奇跡と引用を使える?使えないと言ったなら、俺はお前をこの場に捨てて、一目散に逃げ出すぞ」
「……っ、はっ。──黙って聞いてりゃ愚痴愚痴とッ!!奇跡や引用くらい使えるわッ!!だが、撃てて一発だ。……っ、畜生。怪我人に無茶させやがってッ──……ご、ほっ?!」
『これでも、天使園の中では優秀な方だ』
怒り混じりにそう告げたい所だったが、どうやら先に喉に限界が来てしまった様で。
咳き込む私を横に、光線を巧みに避けながら、死神は指先に集めた魂をポイと捨て。
「おーおー、良かったな。その調子じゃ、怪我も数分で治りそうだ。──なら、俺がお前に合図をした時に、お前は地面にデカイの一発、思いっ切りぶちかましちまえ」
そう言った。そして、胸に抱く少女へ向かっても、「頼む」と一言。少女はその言葉を聞くや否や、気怠げに「はぁい」と応えると。
「ファウ、珍しい。メフィに、これ頼むの」
「………………」
そう言って、初めて少女は笑ったのかと思えば──
徐に、自身の身体を引き裂き始めたのである。驚く私であったが、それを横に、尚も少女は自身の身体を、頭から丸ごと。
果実の皮を剥くように剥がして行くのである。
そして、胸まで裂けたその断面には、気持ち悪い、無数の歯が生えており。唾液が絡み合うその姿は、実に悪魔に相応しい。
「はは、ははは、ははははははは、はははははは、は。はははは、ははは。ははははははは、はははは、はは、はははははは」
単調な笑い声。それと共に、彼女の身体はぐにょぐにょと変形を。
──次に、その肉塊は空へ届くまで伸び続け。抵抗する智天使や熾天使を横目に、捕食?の様な行動をし続けるのである。
その大きな口で天使を飲み込めば。少しもぐもぐと口を動かして、その天使をぺっと吐き出す。それの、繰り返し。
吐き出された者はどれも、地面に堕ちれば動かなくなる。死んでは……居ない様だが、何にしろ、気色悪い事には変わりない。
その肉塊は、半数の天使を喰らい終わったのを見て。口の中にいた最後の一人を吐き出しせば。ゆっくりと、少し息を吸い込んで──
大きな、ヘドロの詰まった悲鳴をあげた。
「『ギィ、ぁ゛ァ゛あァァ゛ァ゛アアア゛、ぁ゛ぐ、ッ。ぎあ゛ぁ゛あァ゛あ゛アア゛ぁ゛ぐ、ギギ、ッ、ゲぇ、ェ、ぐ』」
「……。……おい餓鬼、早くしろっ」
地獄の様な光景に目を奪われている私を横に、死神がそう叫び、私の意識は戻される。
私はすぐ様、詠唱を始めた。詠唱は、大技を繰り出す時には、必ず重要な手順である。
これを怠ってしまえば、不発は愚か、体の中にある自我……エゴを失ってしまう。自分が自分では無くなってしまうという表現が、最も正しいだろう。
「『のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山にのがれなさい。そうしなければ、あなたは滅びます』……っ、『創世記、19章』より──」
目や口の端から血が垂れ、天使の輪が誇張する様に、心臓の鼓動と共に脈動する。
引用先は、『ソドムとロト』。振り返ってしまったロトが、塩柱になった部分を自身なりに解釈し、それを自身の力として蓄える。
それの集大成が、これなのだ──。体の中にある、微かなエネルギーを全て掻き集めて。
この一撃に、全てを賭ける。……しかし、地獄から天界へ行く際に、力を多く使ってしまったからか、余り引用を扱えない……!
「ん〜……っ。パウ、メフィ、つかれた。もう、へんしん、出来ない。……のら〜」
それに、此方もパワー切れの様だ。
「──ぐっ、う……っ!糞が、っ……ー!」
顔を顰め、唸る私を横に、死神が──私の差し伸べる手へ、自身の手を添えた。
……人の温もりを此処まで近く感じたのは、本当に、いつぶりだろうか。
「そんな篦棒なやり方じゃ、いつまで経っても見習いのままだ、天使。……指の先に、神経を込めろ。中にある、自身の奇跡も意識も全部、指先に込めるんだ。指先の感覚以外は、全てを忘れろ」
……不服ながらも私は、思うがまま。少しこそばゆい感覚を抑えながら、指先に力を貯めて行く。
…………数秒、その間沈黙が続く。その間は、死神が鎌を振るい、私を助けてくれていた。
──と、次の瞬間だった。指先に居た、こそばゆい蝿が居なくなった様に。彼の体へ、一気に開放感が押し寄せる。
……同時、耳が張り裂ける様な高音と共に、地面に霜の様な物が掛かったのかと思えば。それは徐々に広がり、いつしか、地面ごと割り、その場に塩が蔓延する。
先程、智天使が作ったクレーターよりは小さいが……。先程まで、一歩たりとも動かなかった烏でさえ、声を荒らげて逃げ出すのだ。
「まあ、初めてにしては上出来だなっ」
「──はっ、ざまぁ、みや……ッ、がは、ッ?!ぐぅ゛……っ、ぐ、ぁ゛……!!」
胸を抑える私を横に、死神は「俺の目は間違っていなかった」と歓喜する。
そして、木々を掻き分け、ケテルこと、セフィラに背を向け、少女と私を抱えながら。
「……今回の勝負”は”、俺の勝ちだ。此奴は俺が貰い受ける──」
その言葉を聞き、『第三幕目』を派遣しようとしていた彼女は、その指を止めて。……手を、口元へ翳しながら、嬉々とした表情で。
「くふっ、はははっ!!其方、先程の演奏、素晴らしき!気に入ったぞ!此奴ァ、良い弟子に恵まれた様で何よりだな、アズライールよ!」
「”アズライール”……か。懐かしいな、その名は」
「それと……屋敷の”白鯨殿”に、宜しくと伝えておいてくれ──!!」
その言葉を皮切りに、私の意識は飛んだ。
これは、そんな彼等の物語。嫌われ者の死神と、謎多き不思議な少女。そして、後悔と復讐を願った、とある天使の物語。
死神と、天使。