終章:静かなる厨房
老婆が去った後、厨房には再び静寂が戻った。しかしそれは以前の張り詰めた闘争の静寂とは全く質の異なるものであった。それは嵐が過ぎ去った後の、穏やかでどこか疲労を伴った静けさであった。竈の火はほとんど消えかかり、赤い熾火が時折ぱちりと小さな音を立てるだけだった。
二人の哲学者は言葉少なに後片付けを始めた。それはどちらからともなく始まった自然な共同作業であった。ダストンは井戸から水を汲み鍋を洗い始めた。バシュラールは残った薪をきちんと積み直し、作業台の上を布で拭いた。
彼らの動きはぎこちなく、どこか探り合うようであったが、そこにはもはや敵意はなかった。ただ一つの奇妙な体験を共有してしまった者たちの、かすかな連帯感のようなものが漂っていた。
やがて片付けが終わると、二人は厨房の小さな木製の椅子に腰を下ろした。彼らの間にはあの琥珀色のバシュラールのジャムが、まだ半分ほど残った小皿が置かれていた。
ダストンはおもむろに羊皮紙と羽ペンを取り出した。彼女はこの一日の出来事を記録せずにはいられなかった。それはもはや彼女の性分となっていた。彼女はまず客観的な事実から書き始めた。
「……未知の老婆の介入により、マールスの利用法には少なくとも三つのヴァリアント(食用・加熱、食用・生、外用薬)が存在することが示唆された。これにより『生食か加熱か』という当初の二項対立的な問いの立て方そのものが、不適切であったことが明らかになった……」
彼女はそこまで書くとふとペンを止めた。そして目の前のジャムの皿に目をやった。夕闇の残光が窓から差し込み、その琥珀色の塊を静かに照らしていた。それはまるでそれ自体が一個の思考する物質であるかのように、深い光を湛えていた。
彼女はしばらくためらった後、羊皮紙の余白にインクの色を変えて小さな文字で書き加えた。
「……しかしG.B.(ガストン・バシュラール)の調理法がもたらした味覚体験の質的な豊かさは否定しがたい。それは単なる化学変化の産物として説明するにはあまりに複雑で多層的な経験であった。彼の言う『火の夢』という詩的表現は科学的言語ではないが、その現象のある本質的な側面を捉えている可能性を、完全に排除することはできない……」
それは科学史家ロレイン・ダストンにとって最大の譲歩であり、知的誠実さの現れであった。
一方バシュラールは腕を組み、消えかけた竈の熾火をじっと見つめていた。彼の夢想はもはや奔放な飛翔をやめ、より静かで内省的な様相を呈していた。
火。それは確かに変容の力だ。しかしその変容は常に一定の法則の下で起こる。水を加えすぎればジャムにはならない。火が強すぎれば焦げ付いてしまう。そこには詩だけではどうにもならない、冷徹な物質の理が存在する。
あのダストンの実験。あの無粋で分析的な試み。あれはあるいはこの物質の理を理解しようとする、一つの誠実な努力であったのかもしれない。彼女はマールスの魂ではなく、その肉体の声に耳を澄まそうとしていたのではないか。
彼はふとダストンの鍋に残っていたピンク色のソースを指先に少しだけ付けて舐めてみた。素朴で率直な酸味。それは彼のジャムにはない若々しい生命感に溢れていた。これはこれで一つの完成された世界なのかもしれない。
彼は熾火の赤い光の中に、かつて自分が認識論的障害として退けたはずの客観的な法則の、冷たい美しさのようなものを垣間見た気がした。夢想は現実の物質的な制約の中でこそ、より豊かに燃え上がるのではないか。
二人の間にはもはや言葉はなかった。
しかしその沈黙は雄弁であった。
ダストンは自らの記述の余白に主観の影が落ちるのを許した。
バシュラールは自らの夢想の炎の中に客観の骨格を認めた。
彼らは和解したわけではない。彼らは永遠に分かり合えないだろう。しかし彼らは互いの知の地図の中に、相手の存在を書き込む場所を見つけたのだ。それは巨大な大陸の片隅にある、小さな「未知の領域」という名の場所であった。
やがて厨房は完全な闇に包まれた。
熾火の最後の光も消えた。
しかしその闇の中で作業台の上に残された琥珀色のジャムは、まるで自ら光を放つかのように静かにそこに在り続けた。それは二人の知性の激しい闘争と、かすかな共存の唯一の証人であった。
明日彼らはまた目を覚ますだろう。そしてこの奇妙な異世界で生きていかねばならない。彼らはまたマールスを調理するだろう。そのとき彼らはどのような方法を選ぶのだろうか。
おそらくバシュラールは相変わらず火との対話を夢見るだろう。しかしその鍋の傍らにはダストンの砂時計が置かれているかもしれない。
おそらくダストンは相変わらず実験と記録を続けるだろう。しかしその羊皮紙の片隅には彼女自身にも解読できない詩の断片が書き留められるようになるのかもしれない。
終わりなき知の探求は続く。
静かなる厨房の中で。
ただ静かに。
続いていく。