第五章:第三の道、あるいは和解なき共存
言葉が途絶え重い沈黙が厨房を支配していた。それは敗北の沈黙でも勝利の沈黙でもなかった。自らが拠って立つ知の基盤そのものが根底から揺さぶられた者たちだけが共有する、眩暈を伴う静寂であった。バシュラールは自らの詩的言語が持つ伝達不可能性という壁に突き当たり、ダストンは自らの客観的アプローチが生み出す経験の貧しさに打ちのめされていた。
彼らの論争は完全な円環を描いて出発点に戻ってきてしまったかのようであった。いや、戻ってきたのではない。彼らは螺旋階段を上るように、より高次の、しかしより解決困難な問題の次元へと足を踏み入れてしまっていたのだ。
そのときであった。厨房の開け放たれたままになっていた裏口の扉口に、ふと一つの人影が立ったのは。
それはこの図書館の書物で見た儀式的な衣装をまとった人物とは全く違う、素朴な身なりの一人の老婆であった。深く刻まれた皺、日に焼けた肌。その佇まいは大地に深く根を張った古い木を思わせた。老婆は二人の哲学者とテーブルの上の奇妙な光景――琥珀色のジャム、ピンク色のソース、そして生のままのマールス――を、きょとんとした、しかしどこか詮索するような目で交互に見比べた。
老婆は二人が知らぬ言葉で何かを呟いた。それは問いかけのようにも独り言のようにも聞こえた。
ダストンとバシュラールは顔を見合わせた。この世界の原住民であろうか。彼らの高度に抽象的な知の闘争の場に、全く異質な現実が闖入してきたのである。
老婆はおずおずと厨房の中に入ってくると、まず竈の残り火に目をやった。そして何かを納得したように頷くと作業台の上の籠に手を伸ばし、そこからマールスを一つ無造作に掴み取った。
二人は固唾を飲んでその老婆の一挙手一投足を見守った。彼女はこのマールスをどうするのだろうか。生でかじるのか。それとも竈の火で炙るのか。彼女の行動はこの延々と続いた二元論的な対立に、何らかの決着をつける天啓となるかもしれない。
しかし老婆の取った行動は、彼らのいかなる予測をも裏切るものであった。
彼女はマールスを食べるでもなく調理するでもなく、作業台の石の硬い角にごんと一度強く打ち付けたのである。
ぱきりと乾いた音がして、マールスには大きな亀裂が入った。
そして老婆はその亀裂から滲み出てきた透明な果汁を自らの指ですくうと、それをこともなげに自分のこめかみに塗り付けたのである。その仕草はあまりに日常的でてらいがなく、まるで我々が疲れたときに目薬をさすのと同じような自然さであった。
バシュラールとダストンは呆然として顔を見合わせた。
こめかみに塗る?それは一体どういう行為なのだ。儀式か?呪術か?それとも……。
老婆は二人の当惑した表情に気づくと、悪戯っぽく皺くちゃの顔で笑った。そして自分のこめかみを指さし、それからマールスを指さし、何か短い言葉を繰り返した。その口調からはそれがこの土地ではごく当たり前の常識であることが伺えた。
やがて老婆は亀裂の入ったマールスを二つに割り、その白い果肉の一部を指でえぐり取ると、それを今度は竈の熱い灰の中に直接埋めた。じゅうという微かな音がして甘酸っぱい香りが立ち上った。しかしそれはバシュラールのジャムのような芳醇な香りとは全く違う、もっと素朴で野性的な香りであった。
しばらくして老婆は灰の中から熱せられた果肉を取り出すと、それをふうふうと冷ましてからおもむろに口に入れた。そして満足げに頷いた。
彼女は残りの生の果肉を今度はダストンとバシュラールに、「さあお食べ」とでも言うように差し出した。
二人はためらいながらもそれを受け取り口にした。生のマールス。それはバシュラールが「沈黙」と呼び、ダストンが「基準点」と呼んだものだ。しかし老婆の当たり前のような仕草の後では、それはもはや哲学的な対立の象徴ではなかった。それはただの果物であった。硬く酸っぱく、しかしどこか清々しい味がした。
この老婆の一連の行為。
それは一体何を意味するのか。
彼女はマールスを割ってその汁を薬のように使った。
彼女はマールスを灰で蒸し焼きにして食べた。
彼女はマールスを生のまま食べた。
生食か、加熱か。
その二者択一はあまりに貧しい問いであった。
この老婆の世界ではマールスは状況に応じて全く異なる方法で利用される、多価的な存在なのだ。それは薬であり、加熱される食料であり、生のままの食料でもある。そこには詩的な夢想も客観的な分析もない。ただ長年の経験と生活の知恵に裏打ちされた、プラグマティックな実践があるだけであった。
バシュラールとダストンは自らの論争がいかに狭い知的フレームワークの中に囚われていたかを思い知らされた。彼らは西洋近代の知の伝統という見えざる檻の中でレスバトルを繰り広げていただけなのだ。主観か客観か。詩か科学か。その大いなる二項対立そのものが、この老婆の素朴な実践の前では色褪せて見えた。
それは第三の道であった。あるいは道などではない。それは彼らが道だと思っていた場所の外側に広がる、広大な大地そのものであった。
老婆はやがてにこりと笑うと、またふらりと厨房から出ていった。嵐のように現れ、そして嵐のように去っていった。
後には割られたマールスの残骸と、三人の人間――二人の途方に暮れた哲学者と一人の不在の賢者――の存在だけが残された。
完全な和解はあり得ないだろう。バシュラールが彼の物質的想像力を捨てることはないし、ダストンが彼女の客観性への意志を放棄することもない。彼らの知的なアイデンティティはその対立の中にこそあるのだから。
しかし彼らの視線はもはや以前のようには交わらなかった。彼らは互いを論破すべき敵としてではなく、自分とは異なる知のあり方を生きる一人の人間として見つめ始めていた。彼らの知は絶対的なものではなく、数ある可能性の一つに過ぎない。そのほろ苦い認識が二人の間にある種の静かな共存をもたらした。
「……あなたのジャムは」とダストンが静寂を破った。「やはり美味しい。それは事実です」
「あなたの探求も」とバシュラールが応えた。「無意味ではなかった。あなたは私とは違うマールスの顔を引き出した。それもまた一つの真実でしょう」
それは和解の言葉ではなかった。それは互いの孤独な探求の健闘を称え合う戦士たちの言葉であった。彼らはこれからもそれぞれの道を歩み続けるだろう。しかしその道の外側には常に自分たちがまだ知らない広大な世界が広がっている。そのことを彼らはもう忘れることはないだろう。