第四章:言葉の闘争――記述の不可能性
第四章:言葉の闘争――記述の不可能性
実践の時間は終わり、今や言葉が支配する時間が始まった。作業台の上には白い陶器の小皿が数枚置かれていた。バシュラールは自らの琥珀色のジャムを一つの皿に、ダストンは彼女の二種類の実験結果をそれぞれ別の皿に、そして比較対照のための生のままのマールスを最後の一皿に盛り付けた。
厨房の空気は緊張で張り詰めていた。それは単なる味比べではない。それは自らの知のあり方の正当性を賭けた代理戦争であった。
「さあ、どうぞ」とバシュラールは自らのジャムの皿をダストンの方へ優雅な仕草で押しやった。「火の夢がいかなる味覚を我々に与えてくれるか、ご自身の舌でお確かめいただきたい」
ダストンは無言で小さなスプーンを手に取った。彼女はまずそのジャムを注意深く観察した。色は透明感のある深い琥珀色。光にかざすとキラキラと内側から輝いているようだ。粘度は高く、スプーンを傾けてもゆっくりと重々しく流れるだけである。香りは圧倒的に芳醇であった。焦がした砂糖、熟した果実、そして微かなスパイスのような複雑な香りが混じり合っている。
彼女は意を決してほんの少しだけ、それを舌に乗せた。
その瞬間ダストンの鉄壁の知的な表情が、わずかに揺らいだ。
それは驚くべき味の奔流であった。まず舌を包み込むのは濃厚で深く、そして一切の角がない円満な甘さ。しかしそれは決して単調な甘さではない。その奥から生の時には攻撃的ですらあった酸味が、見事に飼い慣らされた形で顔を覗かせ、甘さの輪郭をくっきりと際立たせている。そして後味にバシュラールが最後に加えた塩の微かなしょっぱさが、全体の味を引き締め長い長い余韻を残していく。テクスチャーは驚くほど滑らかであった。舌の上でとろりと溶けていく。それはもはや個体の果実ではなく、純粋な味覚のエッセンスであった。
これは、美味しい。
ダストンはそのあまりに単純で主観的な感想が、自らの内から湧き上がってくるのを抑えることができなかった。そしてその事実に彼女は狼狽した。この感動を、この経験の豊かさを、彼女がこれまで拠り所としてきた客観的な分析的な言葉で、どうやって記述すればいいというのか。
「甘味度レベル9。酸味度レベル4。粘性、高い……」
彼女はかろうじてそう呟いてみた。しかしその言葉はあまりに空々しく無力であった。それは偉大な交響曲を「大きな音と小さな音で構成されている」と言うようなものであった。それは何も語っていないに等しかった。
「どうですかな」とバシュラールは彼女の内心の動揺を見透かしたように尋ねた。「あなたの言葉の網では、この火の詩を捉えることは難しいでしょう」
「……これは」とダストンは言葉を探した。「これは確かに一つの完成された味覚体験です。しかしこれは再現性がない。あなたがもう一度同じものを作れるという保証はどこにもない。それは一回性の偶然の産物であり、したがって科学的な知の対象とはなり得ない」
それは苦し紛れの反論であった。
「その通り!」バシュラールは嬉しそうに手を打った。「これこそ芸術です。芸術は再現されるべきものではなく体験されるべきものなのです。このジャムは、この私とこのマールスとこの火とがこの瞬間に出会ったことで生まれた、一回限りの奇跡なのです。それを無理やりレシピという死んだ言葉の檻に閉じ込めることなど、私には到底できない」
彼は勝ち誇ったように言った。
「さあ今度はあなたの番です。あなたのその実験結果を味わってみましょう」
ダストンは屈辱を感じながら自らの二つの皿を彼の前に差し出した。
バシュラールはまず鍋Aの滑らかなピンク色のソースをスプーンですくった。
「ふむ」と彼はそれを舌に乗せ、しばらく味わってから言った。「これはマールスの率直な自己紹介といったところですかな。酸味がまだ若々しく前に出てくる。甘みは素朴で隠し立てがない。悪くはない。しかし深みがない。これはまだ対話の始まりに過ぎない。マールスはまだ心を開いてはいない」
次に彼は鍋Bの皮の混じった不均一な煮物を口にした。彼は顔をしかめた。
「これはいけない。これは対話の失敗です。皮のえぐみと果肉の甘みが互いに反発し合っている。これは不協和音だ。あなたはマールスの声を聞かずに、ただ自らの問いだけをぶつけた。その結果がこれです。マールスは怒って口を閉ざしてしまった」
彼の批評は詩的で、そして残酷なほどに的確であった。ダストン自身も薄々感じていたことだった。彼女の作ったものは美味しいまずいという評価の土俵にすら上がっていなかった。それらは単なる中間生成物に過ぎなかった。
最後にバシュラールは生のマールスを一片口に入れた。彼はそれをゆっくりと咀嚼し、そして静かに皿の上に吐き出した。
「……冷たい」と彼は一言言った。「これは沈黙だ。拒絶だ。まだ何も始まっていない。これは味覚ですらない。ただの物質の抵抗です」
ダストンの論理的な砦は完全に崩れ落ちた。彼女の客観的なアプローチは結果として貧しく不完全な味覚しか生み出さなかった。そしてその貧しい結果ですら彼女は客観的な言葉で十分に記述することができないでいた。客観性の二重の敗北であった。
「なぜです……」と彼女はほとんど呻くように言った。「私の手続きは論理的で系統的であったはずです。なぜあなたのその非合理的で詩的なやり方が、このような豊かで複雑な結果を生み出すことができるのか。それは理不尽だ」
「理不尽ではありませんよ」とバシュラールは優しく言った。「あなたはマールスを客体として扱った。分析し分類し支配すべき対象として。私はマールスを主体として扱った。対話し共に夢を見るべきパートナーとして。その根本的な姿勢の違いが全てを決めたのです」
彼は自らの琥珀色のジャムをもう一度スプーンですくい、うっとりと眺めた。
「この味を言葉で表現しろと言うのなら」と彼はゆっくりと語り始めた。「私はこう言うでしょう。これは夏の終わりの夕暮れの光が蜂蜜の中で溶けていく味だ。これは幼い頃に祖母の家で聞いた古い柱時計の音の味だ。これは忘れられた恋のほろ苦い記憶の味だ。……どうですかな。これならこの味の豊かさを少しは伝えられるでしょう」
「それは言葉ではありません!」ダストンは激しく叫んだ。「それは詩です!それはあなたの個人的な連想の垂れ流しに過ぎない!『夕暮れの光の味』などと言われても、私にはそれがどんな味なのか全くわからない!それは他者と共有不可能な閉じた言語です。あなたのジャムがどんなに美味しかろうと、それを記述するあなたの言葉は完全に破綻している!」
ここに闘争の最後の、そして最も皮肉な逆説が現れた。
実践においてはバシュラールの詩的なアプローチが圧倒的な勝利を収めた。
しかしその実践の結果を記述する言語においては、彼の詩的な言葉は他者とのコミュニケーションを拒絶する独白となってしまう。
一方、実践において敗北したダストンの客観的なアプローチ。彼女の貧しい結果物を記述するための「甘味度」「酸味度」といった分析的な言葉は、貧しいながらもかろうじて他者と共有可能な客観性を保っていた。
どちらが勝者でどちらが敗者なのか。
もはや誰にもわからなかった。
彼らは一つの果実を巡って知のありとあらゆる側面を戦わせた。現象学と実証主義。詩と科学。主観と客観。実践と記述。
そしてその全ての闘争の果てに彼らがたどり着いたのは、完全な勝利でも敗北でもなく、ある種の巨大な難問であった。
美味しいものを作る方法は必ずしも論理的ではない。
そして美味しいものを語る言葉は必ずしも客観的ではあり得ない。
厨房の竈の火はいつしか弱々しくなり、部屋には静かな夕闇が忍び寄ってきていた。二人の知性の巨人はそれぞれの言葉の不可能性の深淵を覗き込みながら、ただ黙ってそこに立ち尽くしていた。