エルミュージア壊滅
「父……さん…………?」
ソフィアには、一瞬、何が起きているのか理解できなかった。
いや、理解するのを拒絶していた。
(なぜ父さんがここに?今日は仕事で帝都にいるはずじゃ…)
しかし、認めざるを得ない。
父は死んだ。
殺された。
そして、次第にエルミュージア全体で何が起こっているのか分かってきた。
エントランスの教会騎士団と帝国空挺部隊は明らかに連携している。つまり、帝国とルクシス教がこのエルミュージアを滅ぼしに来たということだ。
そのために、この都市の象徴である大学と大図書館を潰しに来たのだ。
しかし、なぜそんなことを。
エルミュージアは帝国に大きな利益をもたらしていたはずだ。
新たなテクノロジーの開発、人材育成、インバウンド事業、、、
「資料、文献は全て燃やし、残りの教授と学生は全員殺せ。」
ユリアヌスが指示を出す。
即座に部隊が行動を開始する。
凄まじい速さで、大学内の生命が狩り取られていく。
エルミュージア大学は瞬く間に阿鼻叫喚の巷と化し、ソフィアに助けを求める声で溢れかえった。
「ソフィア先輩!」
「ソフィア様!!」
「ソフィアさん!!!」
「ソフィア!!!!」
彼らの心には、ソフィアへの絶対の信頼があった。
この状況では、”信頼”というよりむしろ、”依存”と言った方が正確だろうか。
(ソフィアなら、どうにかしてくれる。)
(あの天才なら、最善の打開策を講じてくれる。)
(先ほど見せてくれたように、すべてを読み切り、美しく、完璧に対処してくれる。)
…………
エルミュージアの危機を切り抜けられるかどうかは、ソフィアにかかっていた。
言われるまでもなく、ソフィアはこの状況を何とかしようと、頭をフル回転させていた。
悠長に状況を分析している時間はない。
ならば。
解析魔法を発動させる。
しかし。
発動しない。
(なぜ!?)
次の瞬間、ユリアヌスが剣を抜き、おびただしい殺気とともに襲い掛かってきた。
(!!!)
急いで魔法障壁を展開する。
ギリギリ間に合わせることに成功する。
だが、そのままの勢いでソフィアが吹き飛ばされる。
壁に激突し、辺り一帯は原型をとどめず崩壊し、校舎全体が衝撃で震えた。
血を吐くソフィア。
見下ろす皇帝ユリアヌス。
悲鳴を上げることすら忘れ、その光景を見つめる学生たち。
ソフィアが負けた。
一瞬で。なす術なく。手も足も出ず。
ソフィアの目に、絶望と失望に包まれた学生たちの顔が写る。
期待を裏切ったのだから、当然だ。
それでも、諦めるわけにはいかない。
立ち上がらなくてはならない。
学生たちを鼓舞し、戦わなくてはならない。
”ローレンス家の夢”のために。
しかし次の瞬間、それも断たれることになる。
目の前の学生たちが、一瞬にして、1人残らず死亡したのだ。
空挺部隊が殺しつくしたのではない。
ユリアヌスが何らかの魔法で、全員まとめて葬り去ったのだ。
ソフィアには、ユリアヌスがどんな魔法を使ったのか、見当もつかなかった。
火でも風でも水でも土でもない。
精神魔法の類だろうか。
それとも、闇魔法だろうか。
いずれにせよ、結果的に自分以外の全員が死んだ。
戦う手段をすべて失い、ソフィアも戦意を喪失してしまった。
窓の外には、全焼した大図書館と、あちこちで火の手が上がっているエルミュージア。
それが、ソフィアが最後に見た景色であった。
ソフィアが目を覚ますと、そこは牢獄の中だった。
「目が覚めた?」
声を掛けられ振り向くと、そこにはソフィアの母親がいた。
2人とも投獄されていたのだ。
手足は縛られ、身動きがとれない。
「ここは?」
「おそらく、帝国の地下牢ね。」
ソフィアの質問に母親が答える。
そこへ、2人の看守が来た。
「おい、今日はメスガキもいるぞ」
「本当だ。俺はいつも主任のお下がりですからね。今日は気持ちよくなれそうです。」
そう言いながら、看守の2人は下劣な笑みを浮かべる。
ソフィアは何が行われるのか察し、恐怖のあまり母親の方へ目を向ける。
しかし、母親は目で「我慢しろ」と訴えてくるのだった。
…………
「あの皇帝が、あんな人たちを看守にしているなんて…………」
なされるがままに犯され、しばらく泣いていたソフィアの第一声がこれだった。
「あの人たちは、下衆を演じているだけよ。私も彼らの本当の顔を知っているわけではないけど、あの皇帝が無能を登用するわけないじゃない。」
ソフィアに母親が答える。
母親の言うことが嘘か本当かソフィアには分からなかったが、精神的にかなり救われた気分になった。
エルミュージア壊滅事件から半年ほど経った頃。
ソフィアと彼女の母親は毎日、昼夜問わず凌辱を受ける日々を送っていた。
今日も2人にいつもと同じ足音が近づいてくる。
しかし、その姿を見た途端、ソフィアの背筋が凍った。
「ここでの暮らしは気に入ってもらえたかな。」
目の前には皇帝ユリアヌスが立っていた。
(今日はコイツの相手をするの…………?)
そう思いながら口を閉ざしていると、ユリアヌスが話し始めた。
「…………まあそんな話をしに来たのではない。今日はお前たちに提案をしに来たのだ。」
(提案?)
「お前たちほどの才を持った人材をこんなところで潰すのは惜しいからな。帝国直属研究機関で私のためだけに研究を行うのであれば、お前たちの生存を許そう。すでに元エルミュージア大学教授で目ぼしい人材には声をかけており、皆快く了承してくれている。お前たちにとっても悪くない話だろう?」
(ここから出て研究ができるのなら…………)
「ダメね。」
ソフィアがユリアヌスの話に乗ろうと考えていると、母親が即答で却下した。
「ほう。なぜだ?」
ユリアヌスが理由を尋ねる。
「夢を叶えるためです。」
(!!!)
ソフィアは凌辱に耐えることに精一杯で忘れていた。
夢があることを。
「夢?何だそれは。 まあいい。私の提案を飲むなら、その夢とやらを私が叶えてやっても良いぞ。」
「…………あなたでは無理ですよ。」
「何?」
「あなたでは私たちの夢を叶えることは不可能です。なぜなら、あなたは”皇帝”だからです。」
「…………どういう意味だ。」
「あなたが知る必要はありません。」
「…………そうか。」
ユリアヌスは、小さく「もうこれ以上は無意味か」とつぶやいた後、こう続けた。
「それなら、お前たち2人はもう用済みだ。服を剥ぎ、全裸で市中引き回しのうえ、処刑する。執行は一週間後だ。それまで、せいぜい生を謳歌するがいい。」
そう言い捨てて、ユリアヌスは去っていった。
その夜、眠っていたソフィアは、突然母親に起こされた。
「一週間後、私たちは処刑される。でも、2人とも殺される訳にはいかない。ソフィア、これから一週間かけて、あなたに私の能力を継承します。あなたがここから脱出し、生き延びなさい。」
「…………なぜ?母さんも一緒に逃げようよ。」
「無理よ。ここから逃げ延びるには、どう考えても囮が必要。私とあなた、どちらかしか生き延びられないのなら、あなたが生き延びるべきなのよ。」
「でも、一週間あるんだから、まだ諦めるときじゃないよ。2人で作戦を練れば…………」
「いいえ、そんな都合の良い作戦はないし、もう時間もない。私の能力を継承するには、一週間かかる。今から始めなければ間に合わない。」
「でも…………」
「今議論をしている暇はないの。覚悟を決めなさい。私たちの夢を叶えるのは、父さんでも母さんでもなく、ソフィア、あなたよ。あなたが必要不可欠なの。だから、あなたを殺させる訳にはいかない。あなたさえ生きてれば、いつか、必ず夢は叶う。父さんと母さんはそう確信しているの。父さんが死んだのも、母さんが囮になるのも、あなたが生きるのも、すべては夢のため。お願い、ソフィア。私たちの夢のために、生きて。」
(!!!)
夢。
幼い頃に父に聞かされ、胸を躍らせたのを、ソフィアは思い出していた。
父の夢を叶えたいと、そのためならば命を削れると、心の底から思っていて、いつしかそれはソフィア自身の夢となっていた。
そのために、学問に励んだ。
観察と実験を繰り返し、この世の摂理を解明してきた。
理論を編み出し、体系化し、実用化し、新たなテクノロジーを社会に届けてきた。
大学の首席となり、才能ある後輩たちの模範として、皆を導く存在となろうと努力した。
すべては父と母と自分の夢を叶えるため。
母さんが囮になろうとしているのは、自分のためではなく、夢のため。
そのためならば。
「分かった。私が父さんと母さんの夢を叶えます。」
「ありがとう、ソフィア。それから、もう一つだけ。これは父さんからの遺言。『エルミュージアに何かがあったときは、未開の地へ行き、カシウスを頼れ』だそうよ。カシウス殿は、あのシグムント殿の弟子。」
「シグムント様の!!??」
「そうよ。詳しくは、私も父さんもよく知らないんだけど、あなたと同い年らしいわよ。その若さで未開の地で生活しているんだから、きっとシグムント殿以上の化け物ね。ここを出たら、未開の地で彼を探しなさい。いいわね。」
「分かった。」
「…………ソフィア、…………愛しているわ。」
一週間後。
ソフィアはまんまと脱獄し、そのまま未開の地へと逃亡。
ソフィアの母親は囮として帝国兵を引きずり回した後、自殺した模様。
ユリアヌスは、ソフィアたちの行方について報告を受けていた。
「『母親は自殺、ソフィアは未開の地へ逃亡したものと思われる』か。普通に考えると、未開の地で生き延びることなどできる訳がない。しかし、ソフィアの場合は話が違ってくる。すぐにでも捜索隊を出したいところだが、未開の地への捜索隊となると、どれだけコストがかかるか想像すらできない。ソフィアの生殺与奪の権は、私が握っていたはずなのだがな。まんまとしてやられた訳か。まったく。あの一家は、どいつもこいつも、なんて奴らなんだ。」
ユリアヌスは、ふぅ、と息をつき、
「それにしても、本当に惜しいものを失った。自分で決断したこととはいえ、これは流石に悔やまずにはいられないな…………。」
とぼやいたのだった。