この爺さん、何者
僕は崖の中腹で一息ついていた。
「あっぶねぇ~」
この崖、ぱっと見断崖絶壁だが、実は中腹に人が1人立てるくらいの小さな岩の出っ張りがある。
崖から飛び降りた僕は、そこに着地したって訳。
クマモンは、あの巨体にあのスピードで走っていたのが裏目に出て、勢い余って、僕の目の前を真っ逆さまに落ちていった。
この崖で人が立てる箇所はここ1つだから、この真上ピンポイントの位置から飛び降りなきゃいけなくて、かなりリスキーな賭けだったけど、どうやらその賭けに勝ったらしい。
さて、脅威も去ったことだし、上に上がるか。
僕は崖を登り始めた。
まったく。
半月で2度も死にかけるとか、本当に勘弁してほしい。
(そのうち一度目は、本当に死んだ可能性が濃厚だが)
死なんて、一度の経験で十分だっての。
そういや、同じ大学に「死」の研究をしていたヤツがいたっけ。
僕は哲学に詳しくないから、彼の言っていることの半分も理解できなかったけど、それでも、飲みの席では互いの死生観について熱く議論したものだ。
「死があるから生が輝くのだ」とか、「いいや、それは単に死は避けては通れない災いだから、それに無理やり意味を見出して自分の心を守っているだけだ」とか、やいのやいの言い合ったな。
そのうち、医学部の教授が、「人体は美しい」とか言い出して、そこに物理学科のヤツが「生命活動など、所詮物理現象の連鎖に過ぎない」って割り込んできて。
周りの人たちからは結構気持ち悪がられたが、僕はそういう飲み会が一番好きだった。
逆にこういったテーマについて、何も主張せず、何も反論してこないヤツに対しては、心底つまらないヤツだと思ったよ。恋バナのときは声高らかにマウント取ってくるくせに、なんでこういうときは空気になるかね。もう少し頭を働かせた方が面白い人間になれるのに、と思うのは、僕だけなんだろうか…………
懐かしい記憶に酔いしれていると、いつの間にか崖を登り切っていた。
さてっと。
軽く食料調達して帰りますか。
そう思って、歩き出したときだった。
「グオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
物凄い声と同時に、それが僕の前に姿を現した。
見上げると、クマモンに酷似したモンスターがいた。
だが、クマモンとは違う。
クマモンなど比にならない大きさをしている。
それだけではない。
今度は、1対1ではなく、1体多。
クマモンの数倍はある個体が2体、クマモンと同じサイズが3体だ。
ヤツらが、真っ直ぐ僕を睨み付けている。
こりゃ、流石にどうしようもないぞ。
とりあえず、さっきの出っ張りに逃げ込もう。
しかしそれも、もう叶わない。
逃げようとした瞬間、クマモンが崖の下から飛び上ってきて、僕の退路を塞いできた。
相変わらず、クマモンの目はガチである。
マジかよ、コイツ。
執念が半端ねーな。
下にも獲物がたくさんいるんだから、そんなに僕に執着しなくたっていいじゃんか。
それでも、コイツらにとっては、僕の思いなんて関係ない。
何かよく分からないけど、何が何でも僕を狩る気だ。
クマ型モンスターが合計6体。
一斉に僕に向かって吠える。
「グァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!」
地面が震え、一瞬崖が崩れるんじゃないかとさえ感じた。
腰抜けるわ、こんなん。
実際、折れそうな心を繋ぎ止めるのに精一杯だ。
何か、打開策を考えないと。
倒すのは当然無理。
さっきみたいに崖から落とすのも無理だ。
攻撃の隙を見て、逃げ出すしかないか。
しかし、コイツらデカすぎて、攻撃範囲も尋常ではない。
コイツらの攻撃範囲から出るのに、最低でも5秒はかかる。長すぎるわ。
でも、それしか思いつかない。代替案を考えている暇はない。
コイツらが一斉に攻撃してきたとき、それを避けて逃げる。
よし。
ヤツらを見る。
いつでも来い。必ず逃げてやる。
その決意の瞬間、ヤツらが一斉に噛みついてきた。
一瞬で逃げ道を探し出す。
1つだけ、逃げるルートが見えた。
ここを抜ければ、あとは散々逃げ回って、またこの崖に戻って来よう。
ワンチャン、さっきのクマモンみたいに勢い余って落ちてくれるかもしれない。
まずは、この包囲を抜け出すぞ。
僕は全力疾走した。
そして、クマモンたちの包囲を抜け出した………………かに見えた。
しかし、逃げた先に1体のクマ型モンスターが待っていた。
クマモンの数倍デカかった2体のうちの1体だ。
は?
なぜ?
後ろを振り返ると、そこには5体しかいない。
いつの間に?
6体全員で攻撃してきてると思ったのに、1体待ち伏せ役にまわったのか?
まさか、他の5体はわざと逃げ道を見せ、僕をここに誘導したのか?
僕がまともに戦わないのを見越して?
何だよ。
こいつら、規格外のスペックしといて、連携もするのかよ。
クマが連携して狩りをするなんて、聞いたことないぞ。
ヤツらの攻撃は止まらない。
僕の目の前にいる、僕をまんまとハメた1体が、僕を殺しにかかる。
左前足で僕を殴りにかかる。
全力疾走していた僕は、急な方向転換はできない。
この攻撃は、避けられない!
ヤツの爪が、僕の脇腹に触れる。
それでも、僕は何もできない。
何だ、この感覚。
デジャヴってやつか。
二度目の死か。
2週間で死ぬのか。
何だったんだよ、この2週間は。
毎日食料調達して、周辺を探索して、日が暮れれば寝て。
僕はもっと、知的な活動がしたいんだよ。
それに今更だけど、何なんだよ、この世界は。
なんで、こんな訳の分からん世界で、子どもになっているんだ、僕は。
それで、大したことも起こらないまま、2週間でクマに食われて死亡ってか?
そこに、何の意味があるんだ?
この世界で何かを成し遂げたいなんて大そうな野望はないが、この人生は、あまりにも無意味過ぎる。
こんなところで、意味もなく生まれ変わって、人知れずデジャヴって、人知れず死んで。
こんな無様な人生ないだろ!
だけど、ヤツらはそんなことお構いなしだ。
いや、それに関してはきっと、ヤツらだけではない。
世界から見れば、僕のこんな怒りなんて、本当にちっぽけなものでしかない。
誰がどこで生まれて、どう生きて、どう死のうが、世界が揺らぐことはない。
そもそもヒトが存在すること自体、世界にとってはどうでもいいことなのだ。
なぜなら、ヒトという種族が誕生したのなんて、たった250万年前のことでしかないのだから。
ヒトなんかいなくたって、世界は成り立つのだ。
だから、人間の生死や個々人の人生に、端から意味などない。
まして、僕がここでクマ型モンスターに食われるかどうかなんて、無意味以外の何物でもない。
誠に遺憾ながら、多分、それが真理だ。
そんな無意味な死を、僕が再び迎えようとした、ちょうどそのときだった。
脇腹に食い込み、あと1ミリ押し込んでいれば、子どもの柔らかい皮膚を引き裂いていたであろうヤツの爪から、ふいに力が抜けた。
それと同時に、僕を囲んでいた6体のクマ型モンスターが、全員、血を吹いて倒れた。
僕の目の前には、血を滴らせた一振りの剣を持った、1人の爺さんが立っていた。