国境河川の汚染源調査③
宿に戻り、シャワーで泥を落とした僕らは、狭い客室に車座になっていた。
「……っはぁ~~~! やっと臭いから解放された!」
シャワーから上がってきたレイジが、銭湯帰りのオッサンみたいな声を出す。
気持ちはわかる。わかるけど、もうちょっと他の言い方をしてほしいってもんだ。
「硫化水素の刺激は遅れてくるわ。油断しないで。」
ソフィアがレイジ注意しながら、扉に結界を重ねる。
セリーナは窓に目隠しの風をまとわせ、グラントは机を壁から少し離して置き、椅子を一つ、出入口が見える位置に回す。
手際が良くて助かる。
テーブルの上には、村でもらった安酒と干し肉、そして僕が書き殴ったメモの束が散乱している。
防音結界の微かなハム音が、ここが密室であることを保証していた。
「さて、それじゃあ改めて会議だ。ソフィア、議事録をお願い。」
「わかった。」
その瞬間、頭の中に現実とは違う景色が広がる。
どこまでも広がる大図書館のような景色だ。
もちろん、現実の景色が変わったわけではない。
目に映るのは、今も宿の部屋の中だ。
だが、頭の中にはそれとは別の景色──さっきの大図書館──が広がっているような感覚。
これは、ソフィアの【叡智の書庫】。
なんでも、ソフィアは許可した者を叡智の書庫に招待することができるらしい。
……「招待」ってなに。異能に対して使う動詞じゃねーだろ。
まあ、便利だから黙って乗るけど。初めて体験したときは、本当に「え?」って声が出た。
小鹿みたいにオドオドしてたソフィアが、よくこんな無法なスペック抱えて生きてたな。
ほんと仲間にして正解だ。
「よし。まずは今日の収穫について整理しよう。」
早速本題に入る。
今日の収穫というのは、言うまでもなく報酬のことを言っているのではない。
村人たちの言動についてわかったことだ。
「全体として、村人は川の汚染を深刻と認識していた。でも、怒ってない。村長は“名誉ある忍耐”と言ったよね。」
僕が言うと、グラントが干し肉を噛みちぎりながら続ける。
「鍛冶屋は折れた農具を“自分の未熟”のせいにしていた。職人としては立派な心構えだが、ありゃ、ちょっと極端が過ぎる。」
「子どもは咳をしながら“兵隊になる”と言っていたわね。」
ソフィアが視線を遠くに置いたまま言う。
「解析してみると、やはり身体機能が低下していたわ。ただ精神はやたら元気だった。本人は自覚していないようだったけど、あまり健全とは言えない。」
セリーナも頷き、付け足す。
「それに、あの子たちの目。助けを求める目じゃない。“誇らしい”って顔をしていたわ」
――そこだ。
苦しいはずなのに、誇らしい。怒っていいはずなのに、怒らない。
ほんと、何なんだろ。
それから、各々の調査結果を出し合った。
だいぶ出てきたところで、会議は次の段階へ。
「よし。とりあえず、調査結果はこんなもんかな。ここからが本番。みんななら村人像をどう見る?」
レイジが真っ先に手を挙げる。
「“帝国大好き集団”。以上!」
ドヤ顔。
なんだ、そのざっくりした意見。
こいつ、ブレストの初手だけは強いんだよな。初手だけは。
「“なぜ”そうなったかを示さないとダメでしょう。」
案の定、セリーナがやんわり釘を刺す。
「いやだって…」とか誰かさんが口を尖らせる横で、グラントが低く言った。
「さっきも言った通り、あいつら、“働くこと自体が誇り”って顔してた。水が毒でも、道具が折れても、『環境が悪い』より『俺が足りない』が先に来る。職人気質というか、労働倫理が極端だ。」
「労働倫理が強い、か。」
僕は頷いた。
だが、ソフィアがすぐに割り込む。
「ただ、“外に怒りを向けない”原因は倫理だけじゃない。怒りが表明できない構造でも起きるわ。」
そこにレイジも便乗する。
「そうそう。言ったら役人に殺されるとか。」
「殺される、は飛躍ね。でも“恐れている可能性”はあると思うわ。」
セリーナの否定は弱い。
つまり、捨てきれないと考えているのだろう。
「ということは、
A:労働倫理・職業的誇りの内在化
B:恐怖や抑圧による自己検閲
の2つが考えられるってことだ。どっちもあり得る。何か補足はある?」
僕はとりあえず、ここまでを簡単にまとめて、さらなる意見を求める。
すると早速、ソフィアが鋭い指摘をする。
「Bに対して。恐怖が主因なら、村人はもっと萎縮するはず。ところが子供は妙に明るい。あの高揚は恐怖だけでは説明しづらいわ。」
「子どもだからじゃね? 怖さ分かってねぇだけ」
ソフィアの意見にレイジが即答する。
雑だが、反論としては筋がある。
たしかに子どもは、恐怖を”伝えられる”のではなく、実際に”体験”しないとわからないだろう。
ソフィアも小さく頷く。
「それもそうね。ということは、子供と大人の“帝国の話題”への反応差を見れば、Bがどの程度正しいのかが検証できそうね。」
Bについての次の方針が見えてきた。
……と思ったら、今度はセリーナがAに噛みついた。
「Aもまだ弱いわ。労働倫理が強いだけなら、子どもは“家族を守る”とか言いそうでしょう? それなのに“陛下を守る”と言っていた」
「…………言われてみれば、そうだな。」
グラントも頷く。
ソフィアが言葉を継ぐ。
「価値の中心が家族より皇帝の方が上位にある。これは教育か、信仰か、依存か…………」
「“信仰”という言い方が近いかも。宗教みたいに、帝国が“救い”になってる。」
セリーナがソフィアの考察に割って入る。
「救い? あれが?」
「そう。救いは“優しさ”とは限らない。『世界は意味がある』と感じさせるものなら、何でも救いになり得るわ。」
「……そういうものかもしれないわね。ただ、それが“帝国の教育”なのか“村の文化”なのかは分離しないと。村固有なら、帝国以外でも同じ形式があるはず。祖霊信仰とか、土地神とか…………」
「たしかにそうね。となると、村に祭りがあったら見てみたいかも。帝国と関係ない歌や踊りが残ってるかを調べれば、そのあたりを検証するヒントになるんじゃない?」
「いいわね! じゃあ…………」
うちの女性陣は、どんだけ天才なんだろうか。
いや、別にそこまで高度な議論しているわけではない。
僕だって問題なくついていける。
だけど、それは僕には前世の経験があるからそう思うだけだ。
冒険者活動していくうちにわかったことだけど、この世界の教育制度は、多くの面で前世のものより劣っている。
特に、抽象的な概念への理解が驚くほど低い。
師匠も問題視していた点だけど、実際にそれを肌で感じてみると、改めてびっくりする。
ソフィアもセリーナもそんな世界で生まれ育ったのに、なぜこのレベルの議論ができるのだろうか。
一周まわって、引くんですけど。
だってほら、見てよ。
セリーナとソフィアの議論を聞きながら、グラントは頭に”?”が浮かばせている。
レイジなんか、心ここにあらずの顔してるし。
しかたない。
助け船を出してやろう。
「つまりAはさらに分解できる。
A1:教育
A2:帝国への信仰
A3:帝国への依存
そしてA2が正しいなら、その信仰の源が“帝国の教育”か“村の文化”かでまた割れる。検証として祭りを見る――ここまで合ってる?」
「ええ、その通り。」
グラントとレイジの顔に、ようやく理解の色が浮かぶ。
無理もない。
この2人はちょっと別格の頭脳を持っているうえ、この世界には”仮説検証”の考え方がないのだから。
そうしていると、今度はレイジが何かあるみたいだ。
「じゃあ俺の仮説。あいつら、褒められたいだけ。陛下に認められるのが快感なんだろ。」
「快感、ね。」
ソフィアが視線を上げる。
「実際、快感で痛覚をマスクしていた可能性はたしかにある。」
しかし、セリーナは首を傾げる。
「でも褒められたい、だけだと“誰に褒められたいか”が説明できない。身近な親や村の大人でもいいはずなのに、遠い“皇帝”なのよ?」
「たしかに、セリーナの指摘はもっともなものだ。供給元が遠いほど効果は薄い。普通はね。」
僕はゆっくり言葉を選んだ。
「ただ、今回訪れた村は、過酷な環境に晒されていた。つまり…」
「あの村は毎日が苦痛だった。苦痛は、それ自体がフィードバックになる。『苦しい=価値がある』って錯覚に落ちるには十分だ、とカシウスは言いたいのね。実際、彼らが我慢しさえすれば、皇帝は利益を得るわけだし。」
「そういうこと。彼らは皇帝の役に立ちたいのではなく、役に立っている気分に浸りたいだけなんだよ。」
セリーナの目が細くなる。
「カシウス。あなた、その考え方……性格悪いわよ。あんなに親しく村人と接していたのに、その裏ではそんなこと考えていたのね。」
「今さら気づいたの? セリーナもまだまだだね。」
あれ。
セリーナの疑問に答えたつもりが、なぜか話が変な方向に進んでいるような…………。
おかしいな。
ソフィアが、ほんの少しだけ僕を見る。
評価なのか、警戒なのか分からない目で。
おい、なんだその目は。
まあいい。
ほかに意見を募ると、ソフィアが別方向の可能性を差し出した。
「村人が帝国を語るのは外部者に対する定型句、という見方もできるわ。冒険者や役人が来たときは、無難な答えとして帝国賛美を言うけど、内心は別にあるかもしれない。」
「演技ってことか?」
レイジが目を見開く。
「あり得るわ。人は立場で話す。村長は村の代表。危険な話は避けるのが普通でしょう。」
それには、セリーナも頷く。
「そうね。しかも“怒りがない”のは、怒りがないんじゃなく、怒りを見せる相手じゃないからかもしれない。」
「C:対外的なロールプレイ、だね。」
僕が仮説をつけ足すと、グラントが眉を寄せた。
「だが、あの鍛冶屋の泣き方は演技に見えなかったぞ。」
「そうだね。それは重要な制約条件だ。鍛冶屋の自責は本物の可能性が高いだろう。でも“帝国賛美の部分”に限定して考えると、演技をしていても不思議ではない。」
「……確かに。」
議論が噛み合ってきた。
そこに、レイジがふと呟いた。
「じゃあ逆に、あの自責が本物ならさ……あいつら、努力が報われるって信じすぎなんじゃね?」
「努力信仰、か。」
僕が言葉を拾う。
「そう。だって、環境がクソなのに“俺が悪い”だぞ? 普通キレるだろ。」
「“怒り”が出ない代わりに、“自己改善”に全部向かうタイプね。」
レイジの言葉に、セリーナが小さく頷く。
しかしソフィアが冷静に補足する。
「その場合、間違っている可能性もある。“自己改善が美徳”ではなく、単に原因を特定する知識がないだけかもしれない。水質や金属の化学なんて知らなければ、自分を責めるしかない。」
ソフィアの考えにグラントも同意する。
「ああ……確かに。知識がないと、自分しか原因が思い当たらないもんなぁ。」
僕は頷いた。
「じゃあ分岐だ。
D1:努力信仰という価値観
D2:知識不足による誤帰属
どっちもあり得る。検証案がある人はいる?」
ソフィアが即答する。
「村に識字層がどれくらいいるかを調査するのは? もしくは、帝国の学校があるか見てみるとか。鍛冶屋が“帝都ならできるはず”と言ったのは、知識への憧れとも取れる。もし知識が手に入れば態度が変わるかも。」
この提案に、セリーナが続ける。
「いいんじゃないかしら。でも、知識があっても自責する人はいる。そこは切り分けが必要ね。例えば同じ村の中でも、役職者と一般で語りが違うかを見るとか。」
僕もソフィアとセリーナに賛成する。
いい感じにアイデアが溜まってきたな。
そこにレイジが、名案を思いついたかのように指を鳴らす。
「おい、さっきソフィアが言ってた“身体はボロボロなのに精神が元気”ってやつ。あれさ、もしかして……薬じゃね?」
一瞬、部屋の空気が止まる。
「薬?」
僕が聞き返す。
「ほら、軍とかが配る栄養剤とか。気合いが出るやつ。俺、前に傭兵団で似たの見たことある。」
うーん。
そのあたりのことは、僕はよくわからないかな…………。
なんとなくソフィアの方を見ると、察したソフィアは説明してくれた。
「可能性はなくはないわ。覚醒剤的なもの、あるいは魔術的な士気ブースト効果が付与されれたものは割と流通しているっぽいから。もちろん正規ルートでは取引されてないけど。」
グラントが低く息を吐く。
「だが村長は役人を嫌ってる様子はなかった。薬を押し付けられてるなら、もう少し恨みが出そうだぞ。」
グラントの疑問に答えたのは、セリーナだ。
「恨みが出ないように“名誉”で包むことも一応できなくはないわね。『これを飲めば陛下の役に立てる』って。」
まあ言われてみれば、たしかにあり得そうではある。
だが、ソフィアは少し首を振る。
「でも、その可能性は低いと思うわ。」
「理由は?」
「まず、あんな辺境に薬物の供給線が引かれているとは思えない。それに、副作用もでるはず。歯、皮膚、睡眠、幻覚とか。村人の生活を詳しく観察したわけではないから、まだ断言はできないけど、ぱっと見ではその兆候はなさそうね。加えて、そういう薬物は個体差が出るもの。士気が落ちている人間が一人もいないなら不自然ね。」
そこにセリーナがつけたす。
「魔術なら、結界の痕跡や術式の残滓が水脈や神殿に残る。匂い、霊脈の流れ、土地の“ざらつき”で分かることもあるわ。」
セリーナの意見にグラントも頷く。
「検証は、村の周囲の霊脈を一周してみるのが早そうだな。」
「…………うーん。一応調べる必要がありそうだね。
E:外部要因(薬・魔術・制度)で士気が維持されている。
としておこう。」
レイジの渾身のアイデアが、容赦ない反論にあう。
ちょっと同情するよ。
レイジは案の定、むすっとしている。
「俺の仮説、当たってそうだろ。」
「当たってても、まだ仮説だ。検証しなければ信じるに値しない。」
そんなレイジに、僕は笑わずに釘を刺す。
「当たってると思うほど慎重になるべきなんだよ。」
空気が少し引き締まる。
防音結界の唸りが、ほんの少しだけ大きく聞こえた。
レイジは納得したようで、それ以上は何も言ってこない。
すると、セリーナが話を戻すように言った。
「私が気になったのは、“不満がない”ことそのもの。普通は必ず誰か愚痴る。なのに見えなかった。見えなかっただけ?」
「見えなかっただけ、は十分あり得る。」
僕は即答した。
「今回は村の“表”しか見てない。弱い人、反抗的な人、病人、怠け者は“見えない場所”にいるかもしれない。」
グラントが低く唸る。
「家の奥か……」
「つまり、
F:同調圧力が強い。逸脱者は表に出ない
ということね。」
ソフィアがまとめる。
「もし同調圧力が強いなら、村の中で“怠け者”の噂話が多いはず。逸脱を叩く語りが出ると思う。」
「たしかに。」
「だから、世間話の中で“困った人”の話題がどう扱われるかを聞き出すのが、いいと思うのだけど。」
そこに立ち直ったレイジが口を尖らせる。
「でもさ、同調圧力って言っても、あいつら仲悪そうには見えなかったぞ。」
「仲が良いことと圧力がないことは別よ。」
セリーナがやんわり言う。
「仲の良さが“排除の裏返し”なこともある。」
僕は頷く。
「Fは“村の内部構造”仮説だ。これはエルミュージアへの訴求にも関わるから、この検証は必ず後で効いてくると思うよ。」
するとソフィアが、ふと視線を上げた。
「カシウス。あなたが村長に言った言葉――『立派な心がけですね』。あれに村長が救われた顔をした。つまり、彼らは“我慢を評価される”ことに強く反応する。」
「評価への反応性、か。」
僕が繰り返す。
「ええ。
G:村人は“努力を見てくれる観客”を必要としている。帝国がその観客役をしている。」
「だから帝国を賛美するってわけだな?」
「そう。」
ソフィアの意見にグラントも頷く。
「観客……なるほど。鍛冶屋も“帝都の職人なら”って、想像上の観客に向けて自分を叱ってた。」
レイジが首を傾げる。
「観客が欲しいなら、俺が褒めてやれば良かったのか?」
セリーナが苦笑する。
「あなたが褒めると、なぜか殴られる未来が見えるわ。」
「なんでだよ。」
「だって──」
言いかけたセリーナの言葉は、そこで途切れた。
扉の向こうで、床板が――ごく小さく、鳴った気がしたからだ。
全員の視線が、一瞬で出入口に吸い寄せられる。
グラントの拳が固く握られ、ソフィアの指が結界に触れる。レイジだけが、やけに目を輝かせている。
……ほんとこいつ。
数秒。何も起きない。
外の気配も消える。
僕は机を軽く叩き、意図的に空気を戻した。
「いい感じだ。今出た仮説群を整理しよう。」
僕は紙に線を引いて四つに分けた。
1. 心理・価値観レイヤー:労働倫理、努力信仰、承認欲求、救済の定義
2. 社会構造レイヤー:恐怖支配、自己検閲、同調圧力、対外ロール
3. 知識・情報レイヤー:識字、科学理解、原因帰属の誤り
4. 外部介入レイヤー:薬、魔術、制度的ブース
「大事なのは、こういうのは“単独”じゃなく“組み合わせ”で現象が起きるってことだ。それを前提にして、1つずつ検証していこう。」
「「「了解。」」」
「それじゃあ、今日はここまでにしよう。」
セリーナが静かに頷き、ソフィアは【叡智の書庫】を閉じる。グラントは拳を握り、レイジはやけに真面目な声で言った。
「……よし。次は俺もちゃんと依頼達成するぜ!」
「期待してるよ。」
僕は短く笑った。
「ただし“殴る”以外でな。」
レイジが口を尖らせた、その瞬間。
防音結界の唸りが、ほんの一拍だけ乱れた。――誰も口にしない。だが全員が気づいていた。
密室は、密室であるほど危険だ。




