国境河川の汚染源調査①
冒険者ギルド、アウレリア帝国辺境支部。
重厚な石造りのホールは、今日も今日とて、むせ返るような熱気と脂汗の匂いに満ちていた。
「おい見ろ! 今度の『闘技場』への魔獣納入依頼、報酬が跳ね上がったぞ!」
「金貨10枚だと!? よし、俺たちが一番乗りだ!」
「どけ! その依頼書は俺が先に目をつけたんだ!」
掲示板の前では、血気盛んな冒険者たちが怒号を飛ばし合いながら、一枚の羊皮紙を奪い合っている。
彼らの目は血走り、欲望にぎらついている。
傍から見れば、「どんだけ必死やねん」って感じだが、これには理由がある。
というのも、アウレリア帝国というのは、徹底的に実力主義な国なのだ。
だからこの国において、武功はただの金稼ぎではない。
軍への登用、ひいては貴族への道すら開く、唯一にして絶対の「正義」なのだ。
どこかのフェンリルにとっては、さぞ居心地が良いだろう。
今にも乱入したそうな目してるし。
僕がジト目で牽制すると、レイジは「ゲッ」みたいな顔して、何事もなかったかのように笑みを浮かべる。
顔引き攣ってるぞ、おい。
勘弁してよ、ほんとに。
誰が好き好んで、あんな筋肉ダルマのスクラムになんて参加するものか。
そんな喧騒を尻目に、僕らはホールの隅へと歩を進めた。
メインの掲示板から外れた、薄暗い柱の陰。
そこには、誰も見向きもしない、端が黄ばんで反り返った依頼書が数枚、寂しげにピンで留められている。
「……これでいっか。」
僕はその中の一枚を、指先で摘み上げた。
ぶわっと埃が舞う。
ゲホッ、なんだこれ。どんだけ放置されてたんだよ。
『国境河川の異臭調査および浄化』
推奨ランク:銅
報酬:銅貨15枚
備考:汚染原因の特定と解決を求む。
帝国の華やかな覇道とは無縁の、地味で汚く、誰もやりたがらない「3K(きつい・汚い・気持ち悪い)」案件。
だがこれは、国境付近の調査がしやすい。
帝国の中心と国境付近との違いを見るには、これ以上ない案件だ。
「ッ、またこれかよ。おいボス、正気か?」
背後で、不満を隠そうともしない低い唸り声がした。
振り返ると、漆黒の髪を荒っぽくかき上げたレイジが、凶悪な目つきで依頼書を睨みつけている。
「あっちのメイン掲示板を見ろよ。『暴れ牛』の討伐依頼があるぜ? 俺なら一撃だ。泥遊びなんざやってられっかよ。」
「却下だ。今の僕らのランクじゃ受注要件を満たしていない。」
僕は淡々と事実を告げ、依頼書の埃を払った。
「それに、あの手の依頼は競争率が高すぎる。無駄なトラブルに巻き込まれるのは、ごめんだぜ?」
「チッ……理屈はそうかもしんねぇけどよぉ……」
レイジは鼻を鳴らし、つまらなそうに視線を逸らす。
文句は言うが、本気で逆らう気はないようだ。
「レイジの気持ちもわかるけど、今回の選択は合理的よ。」
いつもはレイジを宥めるのは大体セリーナなのだが、今回はソフィアが先に口を開いた。
本来の凛としたクールな声とは異なり、これと言った特徴のない声をしている。
見た目も雰囲気も普段とはかけ離れた、平均的な女性のそれだ。
彼女は眼鏡の位置を指先で直しながら、手元のメモ帳にさらさらと何かを書き込んでいる。
「この依頼、報酬額は低いけれど、ギルドポイントの付与率が異常に高いわ。おそらく長期間放置されて『特別加算』がついているのね。ランクを上げるという意味では、むしろ効率的よ。」
「へえ、さすがソフィア。計算が早ぇな。」
巨躯を屈めて会話に入ってきたのはグラントだ。
彼は周囲の冒険者たちが僕らにぶつからないよう、さりげなく壁になってくれていたらしい。
「ま、俺は怪我人が出ないのが一番だ。派手な殺し合いより、泥仕事のほうが性に合ってるしな。力仕事なら任せとけ。」
「ふふ、そうね。たまには自然の中をゆっくり歩くのも悪くないわ。」
セリーナが微笑み、ささくれだった場の空気を柔らかく包み込む。
全員の合意は取れた。僕は頷き、受付カウンターへと向かった。
「すみません。この依頼を受けたいんですが。」
カウンターに依頼書を置くと、受付嬢の女性が目を丸くした。
「えっ……こ、この依頼ですか?」
彼女は困惑したように眉を寄せ、声を潜める。
「あの、余計なお世話かもしれませんが……これ、ずっと放置されてる『ハズレ』ですよ? 現場は臭いが酷いし、泥だらけになりますし……他の新人さんはみんな嫌がって、すぐにキャンセルしちゃうんです。」
まあ、そういう反応になるわな。
普通の冒険者なら、こんな割に合わない仕事はしない。
でも、僕たちにとっては逆にやらない理由がない。
僕は営業スマイルを浮かべ、あくまで謙虚に、人当たりの良い新人を演じる。
「構いませんよ。僕たちはまだ新人ですから、仕事を選り好みできる立場じゃありません。」
「……真面目なんですね。わかりました、すぐに手続きいたします!」
スタンプが押され、正式に受注が決まる。
僕は心の中で小さくガッツポーズをしつつ、仲間たちに目配せをした。
「よし、それじゃあ行こうか。」
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現場に到着した瞬間、僕たちの鼻を襲ったのは、腐った卵を煮詰めてさらに放置したような強烈な腐卵臭だった。
川の水はドス黒く濁り、岸辺の草は黄色く変色して枯れ果てている。
「うっわ、くっさ! なんだこれ、鼻曲がるぞオイ!」
レイジが露骨に顔をしかめ、鼻をつまむ。
無理もない。風に乗って漂ってくるのは、典型的な硫化水素と重金属の混じった鉱毒の臭いだ。
前世でとある企業のオフィスに充満していた加齢臭と栄養ドリンクの混ざった臭いもキツかったが、これは物理的に生命の危機を感じるレベルだ。
「遠路はるばる、恐縮です。……本来なら、このような辺境の些事でギルドの手を煩わせるべきではないのですが。」
村の入り口で出迎えてくれた村長は、痩せこけてはいたが、その背筋はピンと伸びていた。
申し訳なさそうに頭を下げるその姿に、悲壮感はあるが、怒りはない。
「些事、ですか? 川の汚染はかなり深刻に見えますが。」
僕が水を向けると、村長は力なく、しかしはっきりと首を振った。
「ええ。ですが、上流にある鉱山は、皇帝陛下の軍備を支える重要な拠点なのです。今、前線では帝国軍が魔族領への侵攻準備を進めていると聞きます。鉱山がフル稼働すれば、多少の泥が出るのは仕方ありません。」
村長は、濁った川を見つめ、自分に言い聞かせるように続ける。
「我々が少し我慢すれば、帝国の勝利に貢献できるのですから。これは、名誉ある忍耐なのです。」
なるほど。
僕は内心で舌を巻いた。
彼らは搾取されていると感じていない。
むしろ、自分たちの苦労が帝国の役に立っていると信じ、それを誇りにすら思っている。
帝国で生活して1ヶ月ほどになるが、こういうのは帝国の至る所で見られる。
最初は全然真に受けていなかったんだけど、これはいよいよ、ユリアヌスの力を認めざるを得ないな。
ここの村人たち同様、ユリアヌスは国民にかなり慕われている。
そして同時に恐れられてもいる。
話を聞く限り、ユリアヌスは別に、国民に優しい統治者という人物像ではない。
ただ、不正を犯したり帝国社会の害となるような者は、たとえどんなに高位の者であっても、例外なく断罪する。
そのスタンスが、結果的に国民の利益になっているのだ。
だからみんな、ユリアヌスのもとにこそ平和があるのだと信じて疑わない。
いやはや、お手本のような政治手腕だね。
そんなことを思いながら、僕は村長と話を進める。
「立派な心がけですね。ですが、まずは現状を確認させてください。原因を特定しないことには、報告もできませんから。」
「はい、もちろんです。どうぞ、村の者にも話を聞いてやってください。」
村長の許可を得て、僕らは二手に分かれて「調査」を開始した。
* * *
広場では、数人の子供たちが木の棒を振り回して遊んでいた。
時折、激しく咳き込んでいるが、遊ぶのをやめようとはしない。
ソフィアがその中の一人、特に顔色の悪い少年に近づき、膝をついて目線を合わせる。
「こんにちは。元気いっぱいね。でも、少し咳が辛そうだけど?」
彼女は自然な動作で少年の額に手を当てた。
傍目には熱を測っているようにしか見えないが、その指先からは微弱なマナが放たれ、少年の生体データをスキャンしている。
「平気だよ、お姉ちゃん! 僕、将来は帝都で兵隊さんになるんだ!」
少年は胸を張り、キラキラした目で答える。
「このくらいの煙、平気じゃなきゃ陛下をお守りできないもん! お父さんも言ってた。苦しいのは、心が弱いからだって!」
ソフィアは表情を変えず、しかし眼鏡の奥の瞳を鋭く細めた。
彼女は立ち上がり、僕の元へ戻ってくると、小声で早口に報告する。
「……重金属蓄積レベル3。肝機能の低下が見られるわ。でも驚いたことに、精神状態は極めて良好よ。」
「身体はボロボロなのに?」
「ええ。痛覚や疲労感を、精神的な高揚感でマスクしている状態ね。『壊れるまで走る』ように設計されたゴーレムみたいだわ。このままだと、成人する前に倒れる。」
ソフィアは溜息をつき、水筒から清浄な水をコップに注いで少年に渡した。
こっそりと、解毒魔法を込めて。
「偉いわね。でも、立派な兵隊さんは、休むのも仕事のうちよ。これを飲んで、少し座っていなさい。」
* * *
一方、村の隅にある鍛冶場では、グラントが腕組みをして唸っていた。
そこには、錆びて折れた農具の山と、頭を抱える中年の鍛冶屋がいた。
「くそっ、また折れちまった……! 俺の腕が未熟なばかりに、村のみんなに迷惑をかけちまう!」
鍛冶屋は、自分の拳を作業台に叩きつけて悔しがっている。
帝国への文句ではない。自分への怒りだ。
グラントが、折れた鍬の断面を指先でなぞる。
「いいや、アンタのせいじゃねぇよ。こいつは水質のせいで鉄が脆くなってやがる。硫黄分が強すぎて、焼き入れの時に不純物が混ざっちまうんだ。」
「……わかってる。わかってるんだ、そんなことは!」
鍛冶屋は涙目でグラントを見上げた。
「だが、帝都の職人なら、どんな環境でも最高のものを作るはずだ! 俺ごときが『環境が悪い』なんて弱音を吐いてどうする!」
その悲痛な叫びに、グラントは困ったように頭を掻いた。
「……真面目すぎるぜ、アンタ。道具や環境を整えるのも、職人の技のうちだと思うんだがな。」
グラントは僕の方を向き、肩をすくめてみせた。
その目は「こいつら、ほっといたら全員過労死するぞ」と語っている。
* * *
一通りの聞き込みを終え、僕らは村外れの木陰に集まった。
セリーナが周囲に誰もいないことを確認し、防音の結界を張る。
そこからは、冒険者の顔ではなく、建国者としての顔だ。
「状況を簡単に整理しよう。」
僕は仲間たちを見渡す。
「まず、ここには『不満』なんてものは存在しない。あるのは純粋な『献身』と、もっと帝国の役に立ちたいという『渇望』だけだ。……だが、その熱意に対して、インフラがあまりにも追いついていない。」
僕は村の方を振り返り、煙を上げる鍛冶場を見やった。
「彼らはもっと働きたい、もっと貢献したいと願っている。だが、汚染された水や粗悪な資材といった物理的な要因が、彼らの努力を空回りさせている。精神論でカバーしようとしているが、効率が悪すぎる。」
「ええ。メンタルは満たされていても、肉体と資材が先に尽きるわ。典型的な『リソースの浪費』ね。」
ソフィアが冷徹に、しかし的確に分析を加える。
「美しい献身ですが、このままでは彼ら自身が壊れてしまいますね。……彼らが求めているのは『救済』ではないのかもしれません。」
セリーナの言葉に、僕は深く頷いた。
エルミュージアは、彼らのような人々がその才能を遺憾なく発揮できるような都市にすべきだ。
そのために必要なのは、一体何だろうか。
そしてそれを適切に彼らに伝え、エルミュージアへと誘導するにはどうすべきだろうか。
そもそも、「彼らのような人々」とは具体的にどんな人々を指すのだろうか。
……………まあ、ここでする話でもないか。
これはひとまず後回し。
「よし、とりあえず依頼を済ませてしまおうか。」
僕の一言に、全員がこくりと頷く。
「これより、依頼の遂行に移る。ただし、単なる掃除じゃない。彼らの『行き場のないやる気』を、僕らの手で『成果』に変えてやろう。……行くぞ。」




