ソフィアの夢
「世界を変える?」
「はい。」
僕の疑問符に、ソフィアは力強く頷く。
いきなり出てきた、「世界を変える」という夢。
大層な夢だ。
その夢を否定するつもりはない。そもそも僕らに託された師匠の願いとも通ずる部分があるかもしれないし。
でも、そんなふわっとした夢を語られても納得はできない。
「なぜ、世界を変える必要があるのですか?その必要性があるとして、どのように変えるのですか?」
当然、これは明らかにしておかなくてはならない。
ソフィアは少し考えたあと、こう続けた。
「この世には、たくさんの社会問題があります。各地で勃発する紛争、貧富の格差、魔物の脅威、教育という名のプロパガンダ、地域によっては最低限の法や秩序すらないことだってあります。カシウス殿は、今の社会がこれらの問題を解決することができると思いますか。」
へえ。
僕はこの世界の社会についてほぼ何も知らないんだけど、前世と同じような問題を抱えているんだな。
そんなことを思いつつ、僕はソフィアに続きを促した。
「私には不可能としか思えません。理由は、どの産業も、特定のエリートに市場が独占されているからです。人口の大部分は領民や奴隷で、彼らには財産権がないのです。つまり、彼らは適性も希望も無視して働かされるうえ、それでも汗水流して生み出した富は、彼らの富ではなく、彼らの領主の富となるということです。“自分で稼いだ金は自分のものだ”などという倫理的な議論は、この際脇に置いておくとしても、これは経済的に望ましくありません。こんな状態では、社会問題の解決なんてとてもできません。」
なるほど。
それは僕も同感だ。
「彼らの領主が生産的な産業に投資し、社会問題の解決に努めているのならまだマシですが、彼らの頭にあるのは、自分たちの私服を肥やすことばかり。領民たちも諦めとともに現状に甘んじている節がある。」
それについては、僕には何とも言えないことだが、確かに前世でも似たような現象は起こっていた。
権力者が自分の権力を好き放題に行使するのはありふれた話だし、被害を受けている人ほど意外と現状を変えようとはしない、というのもよくある話。
そう思うと、ソフィアの言うことが間違っているとは考えにくいかな。
「そして、別に領主たちの人間性には何ら問題がないことが、状況をさらにややこしくしています。」
!?
驚いた。
結構鋭いこと言うな。
この手の話をすると、大抵の人は領主たちの批判を始める。
「自分のことばかり考える、この愚か者が!」ってな感じで。
だけど、僕はその分析は、あまり良くないと考えている。
理由は2つ。
1つ目は、単純に分析が間違っていると思うから。
権力を集中すれば、人間性にかかわらず、大体好き放題やることになる。
なぜなら、人は一度手にしたものを手放すことをひどく恐れるから。
「プロスペクト理論」という有名な行動経済学の理論だ。「損失回避」と言った方がわかりやすいかな。
人は利益よりも損失の方に敏感に反応するのだ。
一度大きな権力を手にすれば、それを手放すことを断固拒否する。
自分の権力を確固たるものにするため、あらゆる制度や法律を都合よく書き換える。
それは経済学や心理学により導かれた人間の法則。
もちろん素晴らしい人格者だっているだろう。
だが、社会全体を見てみると、そんな人いないも同然である。
だから、「領主たちが自分の私服を肥やすことしか考えていない」のは、人間性が原因ではない。
人がヒトであるが故の、当然の帰結なのだ。
そして、2つ目の理由。
それは、たとえ本当に人間性が原因だとしても、それは僕らにはどうすることもできないから。
領主たちの人間性が問題だって、そりゃそうかもしれないけどさ…………。
じゃあ、世界中の領主たちの人間性を正せって言いたいわけ?
そんなこと、どうやってやるのさ?
良い分析は、自分にできることと、自分ではどうすることもできないことが、ちゃんと考慮されている。
つまり…………
「世界がこんな風になってしまった根本的な原因は、社会構造にあると私は考えています。」
そう。
この問題を人間性の問題ではなく、社会構造の問題と捉えるのが良い分析なのだ。
「だから、世界を変えるのです。絶えず発展し続ける社会を作る。そうすれば、解決不可能に思える社会問題も、いつか必ず解決できる。そのために、性別も身分も人種も、種族すらも関係なく、誰もが自由に自分の才を発揮できる社会を作り上げる。それが私たちローレンス家の夢です。そしてその第一歩として、あらゆる理論やテクノロジーの源泉となる都市エルミュージアの再建が必要だと、私は考えているのです。その実現のためならば、どんな苦痛も屈辱も受け入れます。どうか、皆様の力を貸してください。お願いします。」
ソフィアが、深々と頭を下げる。
その目には、涙が滲んでいた。
悲しいわけでも、悔しいわけでもない。
ただ、他人に自分の一番大切な夢をさらけ出すとは、そういうことなのだ。
貶され、なじられ、それでも叶える覚悟を決めるとは、そういうことなのだ。
そんな人を、僕は前世で何人も見てきた。
その想いには、今後の展開にかかわらず、最大限の敬意を払おうと思う。
しかし、僕にも師匠に託された願いがある。
師匠の願いとソフィアの夢は重なる部分が多いとはいえ、それだけで彼女を仲間と認めることはできない。
薄情かもしれないが、涙なんかで僕の心は動かない。
涙なんかでは、彼女が本気なのかどうかは計れない。
彼女が、自身の掲げる夢についてどの程度深く考えているのか、その実現のためにこれまでどんなことをしてきたのか、あるいはそれすら他力本願なのか。
僕はそれを見極めるべく、ソフィアと対話を重ねていった。
「なるほど…………」
ソフィアの考えは、一貫して「才ある者、または意欲ある者ならば誰だろうと、活躍する機会が与えられる社会を実現する。それが国家の発展を促し、社会問題の解決につながる。」というものだった。
その考えには、僕も賛成だ。
国家繁栄について僕が知っていることから考えるに、「国家を繁栄させるには、誰もが自由に市場に参加・撤退ができ、そこで自由に経済活動ができる環境が必要」というのが、経済学者たちによる今のところの結論だろう。
なぜなら、それがテクノロジーの発展と教育を促すからだ。
自由な経済活動が保障されていなければ、これらの恩恵を得ることはできない。
例えば、かの有名な発明王エジソンは、白熱電球をはじめとした数多の発明をし、社会を豊かにした。
では、もし彼から実験室を奪い取り、彼を畑にぶち込み農業を強制していたとしたら?
もし、彼が1万通りのうまくいかない方法を見つけた末にやっと発明したものが、自分の功績ではなく領主の功績になるのだとしたら?
電球の発明はもっと遅れていたかもしれない。
蓄音機も映写機も、まだこの世に生まれていなかったかもしれない。
自分の腕次第で、自分の人生と周囲の人々、場合によっては社会全体が豊かになっていくこと。
それが保障されているから、人はより良い製品やサービスを生み出すし、だからこそ教育に価値が出てくる。
どんなに勉強して専門知識を学び、それを活かして働いても、その功績が領主のものとなるのなら、誰も勉強なんかしないだろう?
現在でさえ、「数学は何の役にも立たない」と言ってる人で溢れているのだから。
若者を教育して優秀な人材を育成し、彼らが成長して、既存のテクノロジーをより発展させていく。
そして、次の世代の若者がそれを学び、またさらにテクノロジーを発展させる……。
それが繁栄の基本的なメカニズムだ。
だから僕も、基本的にはソフィアの考えに賛成だ。
ただし…………
「あなたの考えは、よくわかりました。しかし、あなたが理想とする社会は、変化を許容する社会ですよね。創造的破壊という名の変化を。創造的破壊というと、頭に創造的とついているのでポジティブに聞こえますが、一種の破壊現象であることも事実です。それによって恩恵を受けられる者もいるでしょうが、同じように被害を受ける者も大勢出てくるでしょう。あなたは、社会の発展のために大勢の人々を犠牲にするつもりなのですか。」
そう。
物事には、どんなに良いものでも、負の側面がつきまとう。
自由というのは聞こえは良いが、同時に残酷でもあるのだ。
自分で自分の行動を選択できるとは要するに、生活が豊かなのは自分のおかげ、一方で貧しくて辛いのも自分のせいということなのだから。
その点、ソフィアはどう考えているのだろうか。
「たしかに、その問題点はあります。加えて言うならば、私が理想とする社会は、ある種格差を拡大させるものです。自分の才能を発揮できる機会や教育を受ける機会を享受できるのは、結局豊かな人々なのですから。しかし、発展のための基盤がないことの方が深刻だと思いませんか。全体のパイを拡大させる仕組みを作るのが、弱者救済より何より優先される課題だと思うのですが、どうでしょうか。」
…………そうか。
彼女の主張は、終始一貫している。
それに、問題を見て見ぬふりをしているわけでもない。
彼女は揺るぎない信念と自信、そして覚悟を持っている。
それでいて謙虚さもある。
かつてのエルミュージアにおけるソフィアの活動を聞くに、行動力もある。
強い女性だ。
仲間にするには申し分ない。
というか、今ではむしろ僕が彼女の仲間になりたいとすら思っている。
なんか、不思議な魅力やカリスマ性が彼女にはある。
彼女を応援したい。
彼女の力となり、その背中を支えたい。
こんなに夢を見せてくれる人は、前世でもそういなかった。
僕は周りを見回す。
ヴァルカンたちもこちらを見てくる。
どうやらみんな、僕に判断を委ねるつもりのようだ。
「そうですね……。自分で問いかけて申し訳ないのですが、僕もその答えを持ち合わせてはいないのです。…………ですが、その答えをあなたと見に行きたいと思いました。」
少し間が空いた後、それまで不安そうに俯いていたソフィアが、僕の言葉を理解した瞬間、パァっと明るい表情をして、僕の目を見返してきた。
僕は彼女のそばに歩いていき、手を差し出した。
「あなたの想いはしっかりと受け取りました。その夢、ともに背負わせてはくれませんか。」
ソフィアは満面の笑みで僕の手を取り、固く握手した。
「はい!ぜひ!!」
…………懐かしいな、この感じ。
誰かと協力して大きなプロジェクトを仕掛けるのは、どんな世界でもワクワクするものだな。
これで、必要なピースは揃った。
もうここでやるべきことは何もない。
欲を言えば、ソフィアを少し鍛えてやりたいところだが、そんな時間はない。
それについてはこれから、時間を見つけて少しずつ進めよう。
それよりも。
計画を次の段階をへ進めるときがきた。
新しい社会を作るためには、今の社会について知る必要がある。
つまり、世界各地をまわる必要があるのだ。
そのための最善の方法は…………
そう、冒険者となることだ!!!




