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-第四話-【マザー・グリモワール】

翌日。


「オーッホッホッホッホッ!」


イザベラの高笑いが第一学年の教室に響いていた。


「あ、イザベラさん、おはよう」


エミールはいたって普通にイザベラに挨拶をした。


「今回は負けを認めますわ、エミール・アレンフォード」

「へ?」


扇子でびし、と指され、エミールは困惑する。


「幻の花、わたくしでは見つけられませんでしたわ。負けを認めましょう」

「え、……だ、大丈夫……ですか? どこか体調悪いとか……」

「わたくしを何だと思っていますのよっ!!」

「え……と、学年主席の伯爵家のご令嬢?」

「その通りですけれどもっ!」


言いたいのはそうじゃない、と言いたげにするが、エミールではその意図を完全には読み取れなかった。


「とりあえず、魔法の森へ行くことを示唆したこと、そこは謝りますわ。素直に受け取りなさい」

「え? あ、ううん。大丈夫。むしろありがとう」

「あなたにお礼を言われる筋合いなんてなくてよっ!! まったく、調子が狂いますわっ! もう行きますわよっ!」

「ふふ、イザベラ様ったら」

「何かおっしゃって?!」

「何でもありませんわ。ではエミール様、ごきげんよう」

「あ、うん。またね……」


何だったんだろう? とエミールはぽかんとしていた。

しかしイザベラが謝ってきたことだけは理解していた。


「幻の花、かあ……」


エミールは天井を仰ぐ。

第一学年の教室は広い。

天井もかなり高い。そして天井には星座と思われる星のようなものが描かれていた。


「妖精さん……不思議な存在だったなあ……。あ、妖精さんといえば」


は、とエミールは思い出す。


「結局『まま』って何だったんだろう?」


あの後ヴィクターにも聞いたが、「ママ」について明確な答えは知ることが出来なかった。

誰に聞いたらわかるんだろうと校内を歩いていると、偶然通りかかった購買のところでソフィアに声をかけられた。


「あらぁ~エミールくんじゃない~。あれからどう~? 魔法石の指輪はちゃんと使えてる~?」

「あ、ソフィアさん! はい! やっぱり僕杖ワンドより魔法石の方が魔法を使いやすいみたいです! 最近はちょっと魔力制御も覚えてきて……」

「あらぁ~いいわねぇ~」

「あ、そうだ!」

「なぁにぃ?」


平民出のソフィアなら何か知ってるかも、と思い、エミールは「ママ」についてソフィアに聞いてみることにした。


「ソフィアさん、『ママ』って何か知ってますか?」

「え? ママ~? ああ~エミールくんも貴族だったものね~。お母さんのことよ~。貴族の間では『母様』や『母上』と呼ぶのが定着してるけどぉ~、平民の間だと『ママ』とか『かかあ』とか『おかあちゃん』ともいうわねぇ~」

「へぇ! そうなんですか!」


エミールはソフィアの言葉に軽くカルチャーショックを受けていた。


「あの、僕この間妖精さんと会ったんですけど」

「あらぁ、いいわねぇ~」


ソフィアはエミールの言葉を馬鹿にしたりしない。

他の生徒であれば「妖精? 人間に見える存在じゃないだろ」と一蹴されてしまっていたことだろう。

――別枠として、ヴィクターはエミールが「妖精さんに会った」と言えば必ず信じるが。


「『ボクと違ってママは人間なんだけど』って言ってたんだけど、これってどういう意味なんだろう? って」

「ああ~なるほどねぇ~」


ソフィアはニコニコしたまま答える。


「多分その妖精ちゃんは、人間の『ママ』に育ててもらったんだと思うわぁ」

「育ててもらった?」

「そうよぉ。生みの親と育ての親が違う貴族がいるでしょう~? その妖精ちゃんも、きっと何かの理由で生みの親とは一緒に暮らせなかったのよ~。だから、人間の『育ての親』がいるんだと思うわぁ」

「へえ……そっか……」

「なんだか素敵ねぇ。妖精さんが見える人って少ないのよぉ。それを育てた『ママ』ってどんな人なのかしらぁ」

「確かに、気になりますね」


2人が笑い合う。

そこにはほんわかとした空気が流れていた。


ソフィアと話して部屋に戻ったエミールはふと考える。


「育ての親、かあ」


自分の母親はセシリア・アレンフォード。

ピンクベージュの柔らかい髪とエメラルド色の瞳を持った美しい女性だったことを薄ぼんやりと覚えている。


そして11歳の頃、ヴィクターと一緒にこの学園にやってきた。

その間、面倒を見続けてきてくれたのは、他でもないマルグリット学園長だった。


エミールはバッと起き上がって言う。


「じゃあ、僕とヴィクター兄様の育ての親って、マルグリット学園長ってことになるんじゃ?!」


気付いてしまったからには、エミールはそのことを早く誰かに伝えたくなって居ても立っても居られなくなってしまっていた。



グリモワール・アカデミア魔法学園にはいわゆる『学園長室』というものがない。

もちろん、マルグリット学園長の自室はあるが、それとは別の物である。

大きなエントランスを入るとホールに出る。

そこからは全ての寮や教室へとつながっており、そのホールの一番奥に、マルグリット学園長の『席』があった。

行き交う生徒たちや先生などをいつでも『視る』ことや『識る』ことが出来るため、このような形態になっているのだった。

――あの日、ヴィクターが幼いエミールと一緒にグリモワール・アカデミア魔法学園にたどり着いた時も、このホールにやってきたのだ。

そして普段、夜にはマルグリット学園長は不在だ。

しかしその日は、マルグリット学園長は『何か』を察知しており、兄弟2人を待っていたのだ。


常に黒い目隠しをして足首までの長い銀髪、黒いドレスに身を包んだ魔女は学生たちから恐れられ、彼女の固有魔法『魔識眼ポリクロームアイ』から、『魔識眼ポリクロームアイの魔女』とも呼ばれるほどだった。


そんなホールに、ぱたぱたと小さな足音が響いてきた。


「マルグリット学園長先生~~」

「あら、エミール」


唯一、エミールはマルグリット学園長を恐れないうちの1人であった。

11歳の頃兄と一緒に保護され、学園に入学出来る年になるまで育ててくれた恩人でもある。

まして純真無垢なエミールは、なぜ皆がマルグリット学園長を恐れるのかと不思議に思うほどだった。


「僕、気付いちゃったんですけどっ!」


ホール中に響くような声で息を切らせたエミールが目を輝かせて言う。


「どうかしましたか?」


マルグリット学園長はそんなエミールを微笑ましいと感じながら優しく尋ねた。

彼女もまた、『恐れられる』ことは確かに学園長として威厳を示すには十分ではあったが、もう少し生徒たちと気軽に話したいと思う気持ちも少なからずは持っていたのだ。


「学園長先生って、僕とヴィクター兄様の育ての母様ってことになりますよね!! 妖精さんが、育てのママがいる、って言ってました! 僕たちの育てのママって、お母様って、つまりマルグリット学園長先生ってことですよね?!」

「?!!」


エミールの唐突な発言に、さすがのマルグリット学園長も言葉を失う。


そして往来を行き交う生徒たちが一斉にエミールとマルグリット学園長の方を向いたのは言うまでもない。


アレンフォード兄弟と言えば、マルグリット学園長が保護し、特別扱いに近い扱いを受けていた。

ヴィクターはその魔法制御の高さから特待生として迎えられ、まだ11歳で入学に至れないエミールも一緒に保護し、当時は寮の部屋も空いていなかったため、2人を自身の住処としている『グリモワールの塔』の中にある一室を貸し与えていたからだ。

両親が亡くなり、頼れる身内もいない中仕方のない措置ではあったが、基本、貴族の多いこの学園ではスポンサーや両親からの支援金で生活するものが多い。

そのため、皆エミールがようやく入学に至った時などは、ヴィクターと同じくどれだけ素晴らしい魔法使いなのだろうと期待を寄せたものだった。

それが、今や「劣等生」のレッテルを貼られている。

エミールの特別扱いを気に食わない者も少なからずいた。――そう、イザベラのように。


しかし、今の発言を聞き、生徒たちはざわつき始める。


「そういえばそうだよな」

「アレンフォード兄弟って学園長先生に保護されて育てられたようなものだもんな」

「育ての母様、って言われても違和感ないかも……」

「コホンッ!」


マルグリット学園長は威厳を示すように大きめに咳払いをしてみせた。


「エミール……その、確かにそうかもしれませんが……その……このような往来の激しい場所で言うことではありませんよ……」

「えっ、違うんですか?」

「いえ、そうではなくてですね……」


エミールのいたって純粋な目に、マルグリット学園長も調子を狂わされてしまう。


そしてどこぞからぽつりと声が聞こえた。


「ママグリット学園長……」


誰が言ったかはわからない。

しかし、その瞬間往来を行き交う生徒たちがその言葉に反応を示した。


「ママグリット学園長!」

「ママグリット学園長先生!!」

「お、おやめなさいあなたたち!」


しかし、一瞬の間に『ママグリット学園長』が広まってしまい、その日からマルグリット学園長は『威厳のある魔識眼ポリクロームアイの魔女』から『アレンフォード兄弟を育てた優しいママグリット学園長』になってしまったのだった。


一気に親しみやすくなったおかげで、マルグリット学園長の周囲は一変した。

いくら「おやめなさい」と言っても「ママグリット学園長」が定着してしまい、それまではホールを通る者たちは物静かにしていたものだったが、逐一「ごきげんよう、ママグリット学園長」「こんにちは、ママグリット学園長」と声をかけるようになっていった。


自身の望む形ではなかったが、それでも生徒に慕われることは、マルグリット学園長の人生の中では初めてのことだったので、嬉しさと困惑と恥ずかしさが混同したとても複雑な気分になっていたが、それも次第に慣れていった。


これがのちに、『ママグリット学園長先生爆誕事件』と称されることになったのも、想像に難くない。



「……エミール、お前、学園長先生のことを『ママグリット学園長』と呼んだらしいな」


ヴィクターの耳にももちろん入っており、その夜ヴィクターはエミールに尋ねていた。

するとエミールはぱあっと顔を明るくして頷いてみせた。


「うん! だってそうでしょ? 僕たち、お爺様に捨てられてからマルグリット学園長先生に拾われて、それからずっと面倒見てきてもらったじゃない! 妖精さんが『育てのママがいる』って言ってて、ソフィアお姉さんが『ママ』って『母様』のことだって教えてくれたんだ。だから、マルグリット学園長先生って僕たちの育ての母様じゃないかな、って思ったの!!」

「――ッッ……そうか」


あまりにも嬉しそうに話すエミールに、ヴィクターもそう返すしかなかった。

しかしヴィクターも考え直してみればそうだ。

夏や冬の長期休暇などは生徒たちはみな実家などへ帰っていく。

しかし身寄りのないヴィクターとエミールは帰る場所は『ここ』しかない。

その間、誰が面倒を見てくれていたかというと、他でもないマルグリット学園長だったのだ。


「育ての母様、か――……」


(――あの、目隠しの年齢不詳の魔女が……)


クレールの話によれば、マルグリット学園長は現王の代でも現役で学園長をしており、その頃からまったく容姿が変わっていないのだという。

「本当に人間なのか?」という疑いもかけられたこともあったが、ヴィクターとエミールだけが知っているマルグリット学園長の「少しおっちょこちょい」なところから鑑みるに、生粋の人外というわけでもなさそうなのだ。

例えば2人にパンケーキを焼いてくれようとしたときなども、片面はきれいに焼けたものの、裏側は真っ黒だったり、部屋は魔法研究のせいか散らかり放題でヴィクターとエミールが片付けを手伝ったこともある。

その時におそらく「昔」の写し絵が出てきたこともあったが、それを恥ずかしそうに「わー!」と言いながら隠したこともあったので、ヴィクターはその『魔識眼ポリクロームアイの魔女』の人間臭さを知っていた。

椅子にだらしなく腰掛けながら天を仰いでぼんやりと


「あーもうやだ。チーズ蒸しパンになりたい」


などといった意味不明な発言をしていたことなども知っていたため、ヴィクターですら、「完全で完璧な人間はいないのだな」と悟ったことすらあった。


そしてエミールに言われ、「育ての母様」に妙に納得してしまう自分がいた。


こうして正式(?)に、アレンフォード兄弟からも、マルグリット学園長は『ママグリット』へと成長(?)したのだった。



「聞いたぜ、ヴィクター」


翌日、生徒会室でクレールがヴィクターの肩に肘を置いて気さくに話しかけた。


「学園長先生が育ての母様なんだってな」

「まあ、エミールがそう言ったからな」

「ホーント、ヴィクたんって弟クンには敵わないのね」

「いや、まあ事実は事実だしな……」

「あれからマルグリット学園長、大人気らしいぜ」

「まあ、だろうな。一気に親しみやすくなったからな」

「『魔識眼ポリクロームアイで全て視てしまいますよ!』って脅しても効かないって落ち込んでたぜ」


クレールが楽しそうに笑う。

グリモワール・アカデミア魔法学園の原点にして頂点であるマルグリット学園長がまさか「みんなのママ」のような存在になってしまったことに、クレールも驚きと笑いを隠せないようだった。


「それにしても度胸あるわよね、ヴィクたんの弟クン」


セシルが言う。


「あの魔女を前にして『育ての母様』だなんて」


そういうセシルも、事実マルグリット学園長の『魔識眼ポリクロームアイ』に恐れをなしていた時期があったので、現在の親しみやすい学園長の方がいい、と思う面もあった。


「皆が長期休みで実家に帰る中、俺とエミールは『ここ』しか居場所がなかったからな」


一気に生徒会の空気がしんみりとする。

寮生たちも、寮母・寮監たちも、実家がある。

ヴィクターはわずが8歳の時に両親を亡くした。

爵位を継げるのは15歳から。

それまで、母方のローゼンバウム伯爵家でかなりのひどい仕打ちを受けてきた。

そのことも、セシルやクレールは知っていた。

幼い弟を守るため、ヴィクターが必死に努力して、今の『生徒会副会長』『氷の貴公子』などという地位や呼び名が付いたことを誰よりも知っているのだ。

弟を異常に溺愛しているのもわかったうえで、普段はからかっていたが、改めて思えば、「そうせざるを得ない背景」が確かにあったのだ。


「――じゃあ、よかったじゃない」


ふと、セシルが柔らかい声で言った。


「もう、あなたたちは『たった2人』じゃないのよ。学園長先生、っていう、素晴らしい育てのお母様っていう家族が出来たじゃない」

「……フ……かもな」


ヴィクターは、何か憑き物が取れたように静かに微笑んだ。


「でもね、ヴィクたん、アタシ思うのよ」


くるり、とセシルは手の平を返す。


「そうやって、弟クンをいつまで守るつもり?」

「いつまで? 俺が死ぬまでだが?」

「はぁ……」


セシルは今までにないくらい大きなため息を吐いた。


「ヴィクたん、アナタねえ……。弟クン、たぶん化けるわよ。おそらくヴィクたんが思ってる以上にね」

「化ける……?」

「アナタ、自分が弟クンを守るためだけに自分の魔力研鑽だけに励んで、弟クンの魔力と向き合ったことはあるの?」

「……俺が守るから必要ないと思っていた」


あまりの弟バカすぎる発言に、セシルは思わず拳を握ってそれを振り上げるところだった。

しかし、「乙女はそんなことしないわ」と自分に言い聞かせ、必死に堪えた。――男だが。


「ちゃんと弟クンとも向き合わないと、そのうち嫌われちゃうわよ?」

「エミールに?! それは嫌だ!!」

「だったらちゃんと、改めて弟クンと向き合う姿勢を見せなさいな。弟クンの固有魔法は何? 魔力量はどれくらいあるの? 魔力制御はこの間少し覚えたって言ってたわね。座学の方もちゃんと教えてあげたら? 守る、って言って、アナタのそれは見捨ててるようにしか見えないわよ」

「――……」


セシルの言葉に、ヴィクターは核心を突かれた気がして思わず黙り込んでしまった。


――自分さえ頑張れば。

――自分さえ強くなれば。

――エミールを守るためなら、エミールの笑顔を見るためなら、自分はどんな試練だって怖くない。痛くもない。

そう思っていた。

しかしそれは同時に、『エミールと向き合ってこなかった』ことにも繋がっていた。


それでも、エミールはいつだって満面の笑みで「ヴィクター兄様」と慕ってくれている。


ヴィクターは生徒会の自席から立ち上がると、「寮に帰る」と言って部屋を出て行ってしまった。


「はぁー。ホントに世話の焼ける子ね」

「セシル、俺はダブりだから一個上だけどお前は同い年じゃねえか。何姐さんヅラしてんだよ」

「伝えたいことは、ちゃんと言葉にして伝えないと伝わらないのよ」

「それはそうとして」


生徒会の紅一点、書記のクラリスが眼鏡を光らせた。


「ヴィクター先輩が帰った分の仕事は、先輩方が分担してやってくださるのですよね」


クラリスの無表情の圧に、クレールとセシルは顔を見合わせてから、「ヴィクタ~~~!!!」と先に去っていったヴィクターを忌々し気に呼んだ。


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