-第二話- 【魔法石と可愛い弟】
次の朝、学園へ行く準備をしている中、寝ぼけながらエミールが着替えていると、ふとヴィクターが声をかけた。
「エミール、そのローブは兄様のだぞ」
「ふえ? あ、わああ、本当だ。どうりでいつもよりぶかぶかだと思った!」
目が覚めたのか、エミールが自身の姿を見て驚く。
そのローブにはしっかりと「V.A」の刺繡がされていた。
158cmと小柄なエミールに、178cmの兄のローブはぶかぶかどころか、ローブに「着られている」ようにすら見えた。
(ッッ――わざとか? わざとかエミール?! そんな可愛い姿を見せられて兄様は今日一日どうやって生きていけば良いんだ?!!)
心の中ではそう言いながらも、ヴィクターは表面上は至って冷静にエミールにいつものローブを着せ、エミールが着ていたローブを自身が羽織った。
「それじゃあ、生徒会が終わったら魔法石を見に行こう」
「うんっ、約束ね!」
そう言うと、朝一番に講義のあるエミールはぱたぱたと足音を立てながら寮を後にしていった。
ヴィクターは足早に生徒会室へ向かうと、自席へ着き、机を拳でダァンと叩く。
そして机に突っ伏した。
朝早くから集まっていた生徒会のメンバーはそんなヴィクターを見て「何だ何だ」という興味深げな顔を向ける。
「俺の……弟……」
「アラ、また弟クンが何かやらかしたの?」
「間違えて……俺のローブ着……天使……」
「朝からは勘弁してくれよヴィクター……」
「エミールが着たローブ……エミールが着たローブ……エミールが着たローブ……」
「ダメですね。今日はもうヴィクター先輩は使い物になりません」
生徒会メンバーにとってはこれは日常であった。
ヴィクターもまた、生徒会のメンバーにしかこういった面は見せなかったため、外では完璧超人の『氷の貴公子』を貫けていたのだ。
もちろん、弟の前でも「完璧でカッコいい兄様」を演じ続けることが出来るのは、この生徒会という吐き出し場があればこそだった。
放課後、生徒会をほぼ放心状態で過ごしていたヴィクターは弟との約束を思い出すと突然キリリと表情を引き締める。
「アラ、今度は何よヴィクたん?」
セシルに言われ、ヴィクターは『完璧な兄』の姿で答えた。
「今日はエミールに魔法石を買ってやる約束をしているんだ」
「ああ……それで急にいつものヴィクたんに戻ったわけね……」
「弟の前じゃ、あの情けねぇ姿は見せらんねぇからなあ」
ケラケラと笑うクレールに、ヴィクターはつんとしながら
「お前は仕事しろ」
とだけ言って生徒会室を後にした。
「ねえ……セシル姐……ヴィクたんボクにだけ冷たくない……? ぴえん……」
「大丈夫よぉ、クラリスちゃんだって十分アナタに冷たいわぁ!」
「その通りですバカ殿下」
「やーめーてー」
助けをもらうつもりが、逆にからかわれてしまうクレールだった。
生徒会室を出ると、ヴィクターは遠くにエミールの姿を認めた。
「あっ、ヴィクター兄様!」
ほぼ同時にエミールも気が付いたようで、ヴィクターに向かって駆け出す。
「あっ、待て危な……」
言うが遅いか、エミールは制服のローブに躓いてヴィクターの目の前で盛大にすっ転んでしまった。
「あう、痛い~」
「だから言っただろう……お前の制服は少し大きめに仕立ててあるんだから……」
14歳という絶妙な年齢で入学するものだから、きっと成長するだろうと思ってヴィクターはエミールの制服を少し大きめに仕立ててもらっていたのだ。
しかしエミールは通常の14歳――第一学年――に比べて背が低く、体重も軽かった。
「立てるか?」
ヴィクターが差し出した手を、エミールは申し訳なさそうに握り返す。
「ごめんなさい。ヴィクター兄様が見えて嬉しくてつい……」
(――そんな無垢な顔をして反則技繰り出してくるとか、なんなんだこの可愛い生き物は……!!)
「――そうか」
心の内とは裏腹のヴィクターに、エミールは
(またヴィクター兄様に迷惑かけちゃった)
としょんぼりとするのだった。
そして2人並んで、学園内にある購買部へと足を運んだ。
杖からノート、参考書、魔法学術書から様々な魔法薬、学園で必要と思われるものはあらかた揃っている大きな購買部を取り仕切っているのは、若いお姉さんだった。
「ソフィアさん、魔法石ありますか?」
「あらぁ、ヴィクターくんじゃない~」
ソフィア・クレイ。
平民の出ながらグリモワール・アカデミアを卒業した、いわばOGである。
魔法薬学と計算の速さを買われ、購買部に勤めることが出来たのだが、どうにもおっとりとしていてどこか危なっかしいところがある。
そして豊満なバストを持っていたことから学園中の男子生徒の憧れの的でもあった。
――無論、ヴィクターにとっては1ミリも興味がないものだったが。
「魔法石ねぇ~、ちょっと待ってねぇ~……確かこの辺に……きゃあ!」
ソフィアが小さく悲鳴を上げたかと思うと、上の棚の物が一気になだれ落ちてくる。
「……何やってるんですか」
「あ、あの、大丈夫ですか……?」
アレンフォード兄弟に心配されながらも、平然とした表情でソフィアは「あった~これこれ~」と2人に何個かの魔法石を見せてくれた。
厳重、とまではいかないまでも、ジュエリーボックスのように中がベルベットになっている宝石箱のような箱を開けると、そこにはキラキラと宝石のような魔法石が並んでいた。
「ヴィクターくんの弟くんには~どれが相性がいいかしらぁ~? 実際に手に取ってみて~使ってみてもいいわよぉ~」
なだれ込んだものがそのゆるいウェーブがかった金髪に突き刺さっている状態ながら、ソフィアはそんなことも気にせずにエミールにどの魔法石がいいか差し出す。
魔法石とは、セレスト王国国内で取れる魔力がこもった鉱石のことだ。
純度の高いものほど透き通っていてその効力は高く、そして値も張る。
「え……と」
エミールは輝く魔法石を見ながらしばらく悩んだ後で、エメラルドのような輝きを持つ緑色の魔法石を手に取った。
「僕、これがいいです」
「30000ガルドになりまぁす」
「ふえっ?! さんま……」
「出しますよ」
「えっ、えっ、ヴィクター兄様!」
そのあまりの高値にエミールは怖じ気付いてしまったようだった。
鉛筆1本が88ガルド、といえばその価値の高さは歴然だろう。
「あ、や、やっぱり僕入学当初に学園からもらった杖で頑張りま――」
「はい、30000ガルド……あ、ネックレスか指輪に加工出来ますか?」
「ネックレス加工が15000ガルドでぇ、指輪加工なら13000ガルドになりまぁす」
「ヴィクター兄様っ! ヴィクター兄様ってばぁ! やっぱりいい! こんな高価なもの僕使えないっ! それに加工までしたらすごい値段になっちゃうじゃんっ!」
「じゃあ指輪加工で」
「お日にち3日ほどかかります~」
「はい、それで。じゃあ13000ガルド」
「毎度ありがとうございまぁす」
「ヴィクター兄様ぁぁぁぁ!!」
エミールの叫びもむなしく、取引は完了してしまったようだった。
寮に戻ると、エミールはずっとしょぼくれた様子で申し訳なさそうにしていた。
「どうしたんだ、エミール」
(しょぼくれた姿も可愛いなあ……)
「な、何もあんなに高価なもの買わなくってもっ……」
「でも、お前は杖より魔法石の方が魔法が使いやすいんだろう?」
「そうは言ったけどっ!」
「なら兄様は買ってやるだけだ」
「ヴィクター兄様は金銭感覚が貴族なんだよぉ!」
「? 元々俺たちは下級貴族とはいえ子爵家の子供じゃないか」
「そうだけどぉ……」
「申し訳ないとでも思っているのか?」
ヴィクターの言葉に、エミールが小さくこくんと頷いた。
「でも、あれが良かったんだろう?」
「……母様の」
「うん?」
「母様の目の色にそっくりだったから……」
「――あ」
セシリア・アレンフォード。
ローゼンバウム伯爵家からアレンフォード子爵家に嫁いできた、ヴィクターとエミールの母親のことだった。
不慮の事故で幼い頃に亡くなってしまったのだが、やはりエミールにとってはまだ母親が恋しいのだろうか。
ピンクベージュの柔らかい髪に、鮮やかなエメラルド色の瞳。
その姿は息をのむほど美しく、求婚が絶えなかったとヴィクターだけは父から聞いたことがあった。
しかしセシリアはヴィクターたちの父、エドワードを自ら選んだ。
ローゼンバウム伯爵からさんざん反対されようが頑としてアレンフォード家に嫁ぐと言ってきかなく、半ば勘当同然にアレンフォード家に嫁いだらしい。
そのせいで、亡くなった後ヴィクターとエミールを引き取ったローゼンバウム伯爵は2人を忌々しい存在だと思っていたのだろう。
「そうか。なら、大切に使えよ」
「言われなくても、絶対絶対大切に使う!」
エミールの言葉に、ヴィクターは少しだけ過去を思い出して切ない気持ちになっていた。
ローゼンバウム伯爵からはいい待遇を受けた記憶がない。
まともな食事さえ与えられたこともない。
病気をしたときも医者にかかったことすらない。
「死ぬなら死ぬでそれが運命だったということだろう」
とまで言われ、かなり突き放されて育ってきたのだ。
その挙句、グリモワール・アカデミアに入学したいと言えば手切れ金と言われ入学費用と共に弟と放り出されたことを、ヴィクターは許してなどいなかった。
エミールが同学年の子たちよりも小さいのは、幼い頃に満足に食べられなかった影響ではないかともずっと考えていた。
自分は14歳で学園入りし、寮生活で満足に食事を摂ることが出来て今や178cmの長身に育った。
それなのにエミールは、14歳にもなろうというのに未だ158cmと小柄だ。
「いずれ大きくなるだろう」と思って仕立てた制服も、いつまでたってもぶかぶかのままだった。
エミールが14歳になった日、ヴィクターはエミールに言った。
「お前にもグリモワール・アカデミアに入学する義務があるが、無理はしなくていいんだからな。生活面では兄様が」
「ううん。僕、ヴィクター兄様と一緒に学園に通いたい!」
(天使ッッッ……!!)
「――そうか」
「それに、学園長先生への恩もあるし……何より、学園長先生が言っていた、僕の固有魔法が知りたい!」
「……そうか」
(可愛い……固有魔法なんて知らなくても生活には困らないのに……)
こうして、エミールはグリモワール・アカデミアに入学することになったのだった。
無論、義務とはいえ彼らのような爵位を失った孤児が学園に入るのは難しいこともあった。
主に、入学金の面だった。
平民でもまれに、ソフィアのように魔法を使える者がいれば学園に入る義務はあったが、入学金が用意できなければその学び舎の門をくぐることすら許されなかったのだ。
しかしマルグリット学園長はヴィクターの影での努力やエミールの素質を瞬時に見抜き、ヴィクターを特待生として入学させることを決めたのだった。
――入学式の日。
ほとんどが貴族の子女が集まる中、ヴィクターはエミールに付き添って入学式に出ていた。
(少し大きく仕立て過ぎたかな……いやしかし、ぶかぶかの制服を着るエミールも天使だ……)
などと考えながら、緊張の面持ちでマルグリット学園長の挨拶を聞くエミールをヴィクターは眺めていた。
そして、新入生には魔法使いに必須だと思われる魔法樹と呼ばれる特殊な木で作られた杖と、「魔法使いと言えばこれ」といわれる乗り物のほうきが配られた。
初めての飛行授業を受けたエミールは、飛行担当の教諭の乗り物にまず驚いた。
皆がほうきを持って授業を受けに飛行場へやってきたところに現れたのは、よくはわからないが鉄か何かでできた十字型のものに乗って表れた飛行教諭だった。
そして教諭は言った。
「何も、魔法使いが皆ほうきで飛ぶわけではない。わしのように、東洋で手に入れたこの『スリケン』で飛ぶ者もおる」
少し方言がかった言葉で言いながら、飛行教諭は「何で飛ぶかは自由だ」と最初に生徒たちに教えた。
その中でも「魔法使いとはほうきで飛ぶもの」という先入観のある者はほうきでしか飛ぶことができず、柔軟な発想を持つものは椅子などを持ち出したりなどして、自分なりの「飛行訓練」を行う授業になっていった。
エミールももちろん、最初こそ自分で浮かせたほうきにしがみついて「飛べたー!」と言って兄を撃沈させていたものの、次第に自分の『乗り物』は「これじゃない」と気付くようになっていった。
魔法石購入から3日後、アレンフォード兄弟の元に購買部から連絡があった。
魔法が多い世界とはいえ、電化製品なども普通に普及している。
そのため、寮の各部屋には『電話機』というものが置いてあった。
その電話機がジリリと音を立てるとまずヴィクターが出、「あらヴィクターくん~? 例の指輪、出来上がったから取りに来て~」とゆったりとしたソフィアの声が聞こえてきた。
「指輪が出来たらしい。行こう、エミール」
「うんっ、ヴィクター兄様!」
最初こそ高価な魔法石にビビり散らしていたエミールだったが、いざ完成して自分のものとなると知ると、嬉し気にして見せる。
その姿がまたヴィクターの兄心をくすぐった。
購買部へ行くと、また何かをやらかしたのか綺麗なゆるいウェーブの金髪がボンバー状態になっているソフィアがにっこりと笑って待っていた。
――あえて、ヴィクターはその点には触れないことにした。
「はい、エミールくん~。指輪よぉ~」
ソフィアが指輪の箱を開けると、ブラックプラチナを台座に綺麗に研磨されたエメラルド色の魔法石がはまった指輪が姿を現した。
「わあ……すごい……綺麗……」
「それねえ、どの指でも気に入った指に付ければ綺麗にフィットするようになってるから~」
「本当?!」
エミールは嬉しそうに言うと、それを左手の中指にそっとはめてみた。
何かの魔力が働き、指輪は細いエミールの中指にぴったりとはまる。
「わあ、すごい……!」
「簡単な魔法を使ってみてもいいわよぉ~」
「え? ええとそれじゃあ……」
エミールは授業で習った基礎魔法――固有魔法とは違い、全魔法使いが使えるもの――を唱えてみせた。
「風よ、吹け!」
すると、指輪から魔力が放たれ、ソフィアのボンバーした髪を優しい風でそっと元に戻してやった。
「あら、あらあらあら~~。ありがとうエミールくん~~優しいのねえ~~」
「やっぱりソフィアお姉さんの髪はゆるふわって感じじゃないと可愛くないですから!」
「もう~うふふ~」
(……天然人たらしめ……!! 俺も言われたいぞクソッ!!)
しかしそんなヴィクターの嫉妬の目など気付くこともなく、天然の2人はにこにこと笑い合っていた。
部屋に戻っても、エミールは指輪を眺めてはベッドに腰かけたまま足をゆらゆらと揺らしていた。
そんな姿も可愛いと思いつつ、ヴィクターはいつもの無表情で尋ねる。
「そんなに気に入ったのか、それ」
「うん!」
エミールの笑顔に一瞬射抜かれたヴィクターだったが下唇を嚙むことで何とか堪えた。
「だって、ヴィクター兄様がプレゼントしてくれたものだもん! 僕一生大事にする!!」
「うぐぅ……!」
「ヴィクター兄様どうしたの?!」
「いや……致命傷を負っただけだ……」
「???」
何とかごまかしたつもりではいたが、若干はみ出てしまっているヴィクターだった。
「それにね……」
エミールは足を揺ら付かせるのをやめ、指輪にじっと視線を落とす。
「このブラックプラチナの色が僕の髪色だとして、母様の目の色を継いでたら、こんな姿だったのかなあって。ちょっと思っちゃって」
「――……」
ヴィクターもエミールも、しっかりとアレンフォードの血を継いで金色の目をしている。
母親から継いだところは、容姿としてこれと言ってない。
あえて言うならば、エミールの髪質が、ほんの少し母親に似ていることだろうか。
「あーあ」
エミールはぽすんとベッドに横になった。
「ヴィクター兄様はいいなあ。父様の髪の色を継いで銀髪で。金色の目で。王子様みたいにカッコいいのに……僕なんて真っ黒な髪だもん……」
「そうか? 黒はこの国で最も高貴な色なんだぞ?」
そう、セレスト王国では『黒』の染料がほとんど取れないため、国王並びに高貴な身分の者は黒い衣装を着ることが何よりも尊いとされていた。
「そんなこと言われても……髪色だけ高貴とか言われても……金色の目に釣り合わないし、何より地味だし」
「そんなことはない」
(俺の黒髪の天使。何を言うんだ)
心の声が出かかったが、ヴィクターはそれをぐっと飲みこんだ。
――いや、この場面では言った方がよかったのかもしれない。
「ヴィクター兄様が羨ましい」
素直に出てくる弟の言葉に、ヴィクターは返す言葉が思いつかなかった。
――いつかお前も背が高くなって兄様のようにカッコよくなれる?
いや違う。
エミールが求めているのはそんな言葉じゃないだろう。
そこには、入学してからしばらく経つのに身体の成長が全く見えない自分に抱くエミールの劣等感だった。
(――いっそこのまま、エミールが小さいままでも……兄様は全然構わないのだが……)
しかしそれを言ってしまっては、エミールを傷つけてしまうだろう。
エミールはずっと兄の背を追ってきた。
そしてこれからも追い続けるだろう。
入学してしばらくしているのに未だに自身の固有魔法も判明することがなく、身長が伸びることもなく。
いつもいつも兄に守られてばかりで、自分はドジばかりで。
エミールは知っている。
影で「兄と違って劣等生」と呼ばれていることを。
そんな自分を打破したいと心では思いながらも、いつもどこかに引け目を感じてしまっていて自分に自信が持てないところがあった。
――それは、ローゼンバウム伯爵家での経験や、両親の早すぎる死もあっただろう。
両親が亡くなったとき、エミールはまだ5歳だった。
箱に詰められ、土に埋められていく両親を見ながら不思議そうに、「とうさまとかあさまは、なぜうめられてしまうの?」とヴィクターに聞くことしか出来なかった。
そしてその「死」というものを理解したのも、またしばらくしてのことだった。
「大丈夫だ」
ヴィクターはそういうと、エミールの隣に座った。
「ヴィクター兄様?」
「お前だって、アレンフォードの血統だ。絶対何かすごいものを持ってるはずだ。父様と母様の子供なんだ。もっと自信を持て」
「……うん、ありがとう、ヴィクター兄様」
しかしそんな言葉でエミールに自信が付くなら話は早かった。
「間違えたかもしれない」
翌日、生徒会室でヴィクターは自席で頭を抱えてどんよりとしていた。
「おいおい、今度はどうしたんだよヴィクター。お前がそんなんじゃ俺の仕事――」
「バカ殿下はご自身の仕事をご自身でなさるということをいい加減覚えてください」
「スミマセン」
冷静に事務処理を進めていくクラリスにぴしゃりと言われ、クレールは素直に謝った。
「それで? 何を間違えたっていうのよ? 姐さんが聞いてあげるわよ」
セシルが気を利かせてヴィクターに声をかける。
姐さん、とは言ったが、セシルもヴィクターも17歳で第四学年だ。
「昨日、魔法石の指輪が出来たから受け取りに行ったんだ」
「ああーあの購買のソフィアお姉さん! 美人でいいよなあ」
「へえ、殿下はああいう乳もろ出しの破廉恥な女がタイプなんですか」
「ちょっとクラリスちゃん! 自分がないからって――」
「――何か」
ギラリとクラリスのメガネが光り、クレールは「ナンデモアリマセン」と小声で言った。
「フン、バカ殿下かと思ったらエロ殿下でもあったんですね」
「クラリスちゃんったら、その辺にしてあげなさいよ」
クスクスとセシルが笑う。
セシルだけは知っていた。クレールがひそかにクラリスに淡い想いを寄せていたことを。
しかしクラリスの魔法の特性上、感情を表に出すことは禁忌に近いのである。
全ての見聞きしたことを感情で覚えてしまえば、いつどこで心が壊れてしまうかわかったものではない。
そのため、機械的に『記録』することだけがクラリスに残された道だったのだ。
これは、レクスフォード侯爵家に生まれた者の宿命と言っても過言ではなかった。
その間にも、ヴィクターは大きなため息をつき、昨日のことを思い出す。
何と言えば正解だったのか。
そもそも正解などあったのか。
エミールを想えば想うほど、どんな言葉をかけてやればよかったのかをずっと考え続けるヴィクターだった。
「――ってあら、ヴィクたん、弟クンの下校時間よ」
「――!!」
気持ちとは裏腹に、ヴィクターは生徒会室の窓に瞬時に張り付き、エミールの姿を探す。
そして、その隣には女子生徒が並んで歩いているのが見えた。
「――エ、エミール……そんな……かの……かのじょ……が……」
「あーあーあー」
「余計なもの見せちゃったわね」とセシルがクレールとクラリスにいたずらっぽくウィンクをしてみせた。
「14歳という多感な時期だもんなあ。女の子に興味がないわけないじゃねぇか。なあセシル」
「そぅお? アタシ、あんまり異性とか同性とか気にしたことないわ」
「……あ、俺だけ? マトモな感性」
「『マトモな感性』というものが私にはどういうものかわかりかねますが……ここでは殿下……バカ殿下だけがその感性を持っている、ということは殿下だけが特殊な感性、ということになりますね」
「いやー! 絶対俺の方が普通だって! だって感情なしのクラリスちゃんに性別関係なしのセシルに弟ラヴのヴィクターだったら、俺が一番マトモだろう?!」
「それはどうかしらねえ」
「エミールに……かのじょ……」
「あらあら、本当に撃沈する前にフォローしてあげなきゃね。ただのクラスメイトでしょ。たまたま下校時間が一緒になって一緒に帰ることだってあるんじゃないの?」
「そ……うなのか……?」
「アタシはそう思うわよ。特別な関係だったら、あんな距離感じゃないと思うもの」
確かに、言われてみればエミールと女子生徒の距離感は適切なほどに離れている。
妙に近しい、とか、手をつないでいたり、といった様子は見られない。
「よか……よかったぁ……」
「ホント困っちゃうわね。『氷の貴公子』様が聞いて呆れるわよ」
「そんなこと、周囲が適当に言っているだけだろう。俺には関係ない」
「女子に一切関心を持たず、弟、弟、って言ってるのも俺は異常だと思うけどなあ……」
「さっ、お喋りはそこまでですよ。皆さん仕事に戻ってください。終わりやしない」
クラリスの一喝で、第四学年の3人は自席に戻って黙々と事務作業を続ける外なかった。