-第八話-【氷解】
それから数日、生徒会は相変わらず忙しく、ヴィクターはエミールと話す時間が取れないまま時が過ぎていった。
エミールもまた、ヴィクターと過ごす時間を作ろうとはしていたが、うまく言葉を紡げずに兄の帰ってくる足音が聞こえると寝たふりをするようになってしまっていた。
そうして兄弟の溝がどんどんと深くなりかけていたある日の昼下がり。
エミールは「ペアを組もう」と言ったモリーと共に校庭のベンチでぽかぽかと陽に当たっていた。
「エミールくんってさぁ~……自分に厳しすぎるよねぇ~~」
ふと出たモリーの言葉に、エミールが「え?」と返す。
「ヴィクター先輩が優秀なのは僕だって知ってるよぉ? でもさぁ、別にエミールくんもヴィクター先輩みたくなることってなくなぁい?」
「……」
エミールは黙り込んだ。
入学したての頃、周囲の期待が高かった分、「劣等生」だと知れた後の扱いがひどく堪えたからだ。
「お兄さんに並ぶことって、そんなに大事なことかなぁ~~」
「……モリーくんにはわからないよ……」
――まただ……また僕、嫌な子になっちゃってる……。
思いながら、エミールは下を向いて拳を握った。
周囲からの期待と失望、プレッシャーに圧し潰されそうになりながら過ごす毎日。
「優秀な氷の貴公子の弟なんだから、さぞ立派な魔法使いなのだろう」と言われ続け、努力も惜しまなかった。
しかし、その努力は実らず今でも簡単な基礎魔法が使える程度だ。
「うん~。ごめんねぇ。僕にはわからないやあ」
しかしモリーはエミールを責めるでもなく、本当に申し訳なさそうに「わからない」と答えた。
「僕だってこうなりたくてこうなったわけじゃない。なのにいつもヴィクター兄様のお荷物で、不器用で、何も出来なくて、迷惑ばかりかけて……」
「迷惑って、かけるものじゃないの?」
「え?」
モリーの言葉に、エミールは思わず気が抜け、モリーの方を向いた。
「僕だって人に迷惑かけまくってるけど〜でもさ〜、人に迷惑をかけない人なんていないんじゃないかなぁ?」
「…………」
けらけらと何でもなさげに笑うモリーに、エミールはぽかんとした表情をしてみせた。
「モリーくんは強いね」
「そうかなぁ~? ただ何も考えてないだけかも~~あはは」
――モリーくんは人に迷惑をかけても流せるのに。僕は……
「だからさーぁ?」
モリーは続けた。
「迷惑、どんどんかけちゃえかけちゃえ~~! 僕も迷惑かけちゃう~~」
「モリーくん……」
あははと笑うモリーに、エミールは何かの突破口のようなものを見つけた気がしていた。
「――いいんだ」
「うん~?」
「僕は僕のままで……いていいんだ……」
「そうだよぉ? むしろ僕は最初っからそう言ってたつもりだけどなぁ~?」
「っ……ありがと……モリーくん……」
「え~? お礼言われることかなぁ~? でも、どういたしまして~~」
目に涙を浮かべながら、エミールはモリーの言葉を胸に深く刻み込んだ。
――こんな僕でも、ヴィクター兄様の隣に『いて』いいんだ。
「今日は……ヴィクター兄様と話せるかな…………」
エミールは燦燦と注ぐ陽光を仰いだ。
「――……あれが、モリー・ハーヴェイか……」
物陰から静かにヴィクターが覗いていた。
2人が何を話していたかはわからない。
だが、エミールが涙を浮かべていたことはわかった。
――モリーめ、俺の弟を泣かせたな…………
完全な勘違いであるが、それもエミールを想うが故の勘違いであった。
結局、その日の夜はあまりにもヴィクターが遅かったため、エミールは眠気に抗えず本当に眠ってしまっていた。
ヴィクターは昼間のエミールの様子から心配しながらそっとその黒髪を指先だけで撫でる。
「……お前を泣かせる奴は、たとえお前の友達でも許さないからな」
しかし、どう伝えたものか、とベッドに座り、再び考える。
本当に大切なことは言葉にしないと伝わらない。
そんなのは百も承知だ。
しかし自己研鑽に励むあまり、人とコミュニケーションを取るという訓練を怠ってきてしまった。
生徒会の面子であれば素直に何でも話せるのに。
なぜ、兄弟であるエミールには素直に言えないのだろう。
いつからだろう。
ヴィクターの頭の中はごちゃごちゃになっていた。
翌日。
エミールとモリーはまた並んで校内を談笑しながら歩いていた。
すると、ふと声がかけられる。
「あらぁ? モリーちゃん? モリーちゃんじゃなぁい?」
「わあ! ソフィアさん~!」
「ん? モリーくんって、ソフィアお姉さんと知り合いなの?」
2人が「ひ~さ~し~ぶ~り~」とのんびりと両手を合わせながら喜ぶ姿を見て、エミールが尋ねた。
「うん~? そうだよぉ。ソフィアさんはぁ、ハーヴェイ領出身なんだ~」
「あっ、そうなんだ?!」
――どうりで話し方が似てると思った……。
2人の話し方は語尾が間延びしていてのんびりとしている。
そしてそんな2人が揃うと不思議なほどに癒しオーラで包まれるのだった。
「モリーちゃんおっきくなったわねぇ~。今年入学したのぉ?」
「そうなんですよぉ~。ソフィアさんも~……おっきくなりましたねえ~」
言うと、モリーがソフィアの『ある部分』に注目して言う。
「やだ~もう~どこ見てるのよ~」
「あはは~ふかふかなものが好きなものでつい~」
おそらく、『モリーだから』許されるのだろう。
「あれっ、でも確か、ソフィアお姉さんって平民出身でしたよね」
エミールが気付く。
モリーはハーヴェイ男爵家の五男だ。
「そうそう~それなんだけどねぇ~」
「昔ねぇ~、僕がおばあさまから習った魔法をねぇ~ソフィアさんに教えたらねぇ~」
「使えちゃったのよ~~」
2人は間延びした声で「あはは~」「うふふ~」と笑う。
すごいことであるのに、全くすごくなく聞こえてしまう。
「それでぇ、私のパパとママがぁ~せっかくだからグリモワール・アカデミア魔法学園に入学しなさい~って言ってぇ」
「僕の家がスポンサーについてぇ」
「入学できたってわけなのよぉ~」
そして、それが今や購買部のお姉さんだ。
「へ、へえ……なんかすごい……」
貴族が魔法を使えるのは血であり、当然のこととされているセレスト王国だったが、平民から魔法使いが現れることも稀にある。
しかし、グリモワール・アカデミア魔法学園に入学出来る平民はかなり限られていた。
ソフィアのようにスポンサーがいるか、特待生レベルの魔力を有しているか。
はたまた、魔法学園に入れるためだけに両親が朝も夜も必死で働いて入学金を貯めるか、だ。
思えばローゼンバウム伯爵に捨てられ、爵位もなく、みなしご同然だったヴィクターとエミールを保護してくれたのはマルグリット学園長だった。
今更ながら、エミールはその厚意に感謝せざるを得なかった。
「――それで? あれがモリー・ハーヴェイ?」
物陰に隠れながらセシルがヴィクターに尋ねた。
「ああ、そうだ。エミールを泣かせたみたいだ」
「あの感じだと……弟クン、感動して泣いたんだと思うけど……」
「しかしだな……」
「ふぅ……付き合ってられないわね。アタシでもあのコには勝てそうにないわ。ああいう『天然』って強いのよ」
「なにっ、どこに行くセシル」
「生徒会室に戻るのよ。学園祭の準備で忙しいの、わかるでしょ?」
「むう……」
「ヴィクたんも弟クンと仲直りしたら、とっとと戻ってきなさいよね」
そういうとセシルはヴィクターを置いて去って行ってしまった。
その後、エミールとモリーが別れると、モリーが歩いていた道が急に凍り、「あわ~~」という声と共に足を滑らせて転倒してしまった。
――数分後、保健室。
「モリーくん! 怪我したって本当?!!」
「あはは、ちょっと捻っただけだよ~」
慌てて駆け付けたエミールに、モリーが申し訳なさそうに笑う。
「でもこの足じゃあ、魔法学園祭で一緒に回ることは出来ないかもしれないねえ~ごめんねエミールくん~」
「ううん。そんなのいいよ……モリーくんが無事でよかった……」
「ねぇ、せっかくだしさあ、お兄さん、誘ってみたら?」
「え? でも……」
「誘いなよぉ。エミールくんの隣に立っていいのは僕じゃなくって絶対お兄さんだと思うもん~」
「……モリーくんが言うなら……」
「それに、怪我してても裏方の仕事は出来るしねぇ~。わたあめ屋さんやろうかな~~僕」
「モリーくん前向き過ぎ……」
「ほらほらぁ、行ってきなよぉ。もしかしたらお兄さん、待ってるかもよぉ?」
僕なんかいいから、とモリーに押され、エミールは「お大事にね」と声をかけて保健室を後にした。
「ヴィクター兄様!!」
エミールは生徒会室に向かおうとしているヴィクターの姿を認めると、エミールらしくない大声でヴィクターを呼び止めた。
その声に驚いたヴィクターは思わず足を止めてエミールの姿を認める。
こうして声をかけられたのは実に何日ぶりのことだろう。
クッキーをもらってから、そう日にちは経っていないはずなのに、もう何年もエミールと話していないような悠久の時間のように感じていた。
「どうした……エミール」
「あの……魔法学園祭でペアを組むって言ったモリーくんが怪我をしちゃってね……それであの、ペアを組めなくなっちゃったの……。それでね、あの、あのね、もしまだヴィクター兄様にペアの相手が決まってなかったら、僕と一緒にペアを組んで欲しいんだ!」
「エミール……」
「……ダメ……かな」
「ダメなわけないだろう。言っただろう。兄様はお前がいないとダメなんだって」
「え、そんなこと言われてないよ?」
「ふふっ、兄様は実はお前がいないとダメダメなんだ」
「そうなの?」
「そうだ」
言うと、ヴィクターはエミールを抱き寄せてその愛しい黒髪をわしゃわしゃと撫でてやった。
こうして、アレンフォード兄弟のわだかまりが解け、お互いがお互いを必要だとしていることにようやく気付いたのだった。
生徒会に戻るなり、忙殺されている中でセシルが言う。
「ヴィクたん、アナタ……『やった』わね」
「…………なんのことだか」
ヴィクターはセシルから目を逸らし、書類仕事に勤しんだ。
その頃、保健室ではモリーがぼうっと窓の外を見ていた。
「……いいお天気だったのに……なんであそこだけ凍ってたんだろ~? 不思議なこともあるんだなあ~~」




