昔語り、今語り【源範頼】:血のまほろば
このお話は実在の歴史上の人物を調べた上で創作しております。
実際に生きた人物をモデルとする以上、ふじさわのできる限りで資料にあたっておりますが、あえて定説ではない説や、自分で想像した説などを使用しております。
どうか、鵜呑みにせずに楽しんで頂けたらと思います。
◇
治承四年(一一八〇)八月一七日に頼朝が挙兵して以来関東は戦ばかりの日々が続いた。
八月二十三日の石橋山の合戦での敗退。三浦軍の合流、千葉介常胤が力添えを表明、そして九月には北条時政軍が甲斐へ援軍として赴くが甲斐源氏が目代を破る‥‥‥と目まぐるしく情勢は変化していた。
十月一日には頼朝の挙兵を聞きつけた全成 ‥‥‥幼名、今若丸が京都醍醐寺を出奔 、頼朝の麾下に入る。
十月二十日には平家軍が派遣され、富士川にて戦闘、後の世に言う富士川の合戦である。
頼朝軍は勝利を収め、京へ進攻かと思われたが、御家人達の反対が強く、そのまま黄瀬川宿に戻る‥‥‥
―――そこでもう一人の弟、義経‥‥‥幼名、牛若丸と対面することとなった‥‥
◇
源義朝には九人の男子があったとされる。
平治の合戦にて刑死にされた長男、悪源太義平。
敗戦での逃避行中に重傷のため足手まといになることを恥じ、望みどおり父に討たれた次男朝長 。
さらに早世した四男、義門を除くと治承四年の時点で源義朝の血を引く男子は六人であった。
幼名を鬼武者といい、関東の御家人達の実質上の棟梁となっている頼朝。頼朝と同じように土佐に配流となった頼朝の同母弟‥‥‥希義 。頼朝の母方の祖父の元で育てられた池田宿の遊女腹の範頼。常磐御前が産んだ今若丸(全成)、乙若丸(義円)、牛若丸(義経)の六人である。
挙兵した頼朝の元にいち早くかけつけた弟は範頼であった。
その次が全成、そして義経。
希義は流された土佐にて挙兵。
義円は行家と行動を共にしていた。源氏の名を旗印として‥‥‥
◇
範頼は久々にしっかりと仕立てられた直垂を身に着け、落ち着かなかった。日頃は薄汚れた水干や、それよりもみすぼらしい野良着に身を包み、京を中心に各地を探索しているせいか、綺麗な着物は今にも汚してしまいそうでかえって着心地が悪い。
庭を通り、兄‥‥‥頼朝のところへ向かう途中、下男達の噂話が聞こえてきた。
「聞かれたか?」
「おお、九郎殿との対面の時、御殿は涙を流されたという話だろう? なんと懐の温かい方じゃ」
年老いた下男達は頼朝のことをそう褒め称えていた。
範頼は足を止め、誇らしげに自分達が仕える御殿‥‥‥兄上を語る下男達を見つめた。
「範頼殿」
その声に体が強張る。
表情を悟られないように、感情を隠して穏やかに振り返る。そこには僧体の義母弟、全成が穏やかな笑顔を浮かべて立っていた。
‥‥‥聞かれた?
「ご無沙汰しております。兄上のところへ参られるのですか?」
柔らかな口調からは動揺は感じられない。
今の会話を聞かれてはいないようだ。
範頼は小さく胸を撫で下ろすと微笑みを向ける。
「ええ。京の様子も幾分変わりましたので、ご報告に‥‥‥」
「そうですか‥‥よろしかったら、そのうち私にも京の様子をお教え願いますか?」
「よろしいですよ。私も北条館にはご挨拶に伺わなければと思っていましたので、そちらでというのはどうでしょうか?」
さすがに兄弟二人だけで会うのは頼朝の手前、憚れる。それが単なる京の土産話だとしても‥‥‥どんな悪評が立つかわからない。
範頼のそんな配慮を全成は素早く感じ取り、優しく笑った。
「そうですね。妻も義妹達も京の話には目がありませんからね」
「綺麗な櫛や布なども持ち帰りました故、その方が私も何度も同じことを聞かれずにすみますので助かります」
冗談めかした口調で範頼は笑ってみせる。
全成もそれに合わせ、笑いながら日にちを決めて別れの挨拶をし、それぞれの向かう方向へ別れていった。
(全成殿なら兄上とも上手くやっていけるだろう)
そのことに範頼はほうっと息をつく。
兄上は過敏といってもいいくらい周囲に気を配る。
そんな兄上と仲を違えずに兄弟としているにはそれ相応の気配りがこちらにも求められるのだ。
空から一枚の葉が舞い落ちる。
‥‥‥‥あの人の、子が欲しかったの。
冷たい瞳の、あの人と同じ瞳の子を望んだのに‥‥‥
東海道の池田宿で遊女だった母の言葉が耳に残る。
遊女とはいえ、源氏の大将の相手を務めるとなると幼い頃から都の姫君と同等の教育を施される。
華の顔容、優雅な立ち振舞い、妖女のような男あしらい、魅力的な会話術。楽器もたしなみ、つかの間の桃源郷を男に見せる技術も、自尊心も高い‥‥‥そんな遊び女の一人だった自分の母。
池田宿で自ら相手を選ぶことの出来る遊女はそうはいない。
男達は最高級の彼女達に選ばれるために歌を磨き、贈り物をし、擬似的な恋の駆け引きを繰り返す。
母が選んだのは気高い武者‥‥‥我が父である源義朝。
「‥‥‥範頼」
その声に範頼ははっとして顔を上げた。
京の現状の報告が終わった瞬間、母のことを思い出し、思考が遠くに飛んでしまったのだ。
母が望んだ冷たい瞳にきつく射られる。
‥‥‥つい、先程の下男達の会話が思い出される。
「‥‥‥涙を」
言葉をきり、顔を上げて、呆れた表情を浮かべた。
「流されたそうで‥‥‥義経殿との対面で」
目の前の兄は着崩した直衣の蜻蛉玉を弄び、にやりと笑う。
「弟に会えて嬉しい‥‥‥と」
頼朝も言葉をきり、脇息にもたれてくつくつと意地の悪い笑みを零した。
「そう考えたら自然とな‥‥‥全成の時よりは楽だったな」
‥‥‥そう、兄上は全成殿と会われた時も泣いたのだ。
よく駆けつけてくれた。ありがたい‥‥‥‥と‥‥‥
「お前も流して欲しかったのか?」
その言葉に絶句する。
見返すと意地の悪い笑みはそのままなのに、瞳の冷たさは少しだけ緩んでいた。
「なに言っているんですか。兄上の涙など気持ちが悪い」
「はっきり言うな」
くつくつと笑いながら兄上は微笑を浮かべる。
「‥‥‥私は『兄上』とお呼びしますが、兄上のことを兄とは思っていませんから‥‥‥」
範頼ははっきりと言うと姿勢を正し、拳を床につけ身を屈める。
「御殿」
顔を上げ、きつい視線で兄の‥‥‥育ての親の希望の光を、実の母が望んだ冷たい瞳を持つ御曹司を、幼なじみの当麻が賭けてもいいと思う貴種を見上げた。
「うむ」
穏やかな肯定に喜びで身が竦む。
‥‥‥でも、だめね。お前の瞳はわたくしの瞳だもの。
だから、気をおつけ。
お前もあの瞳に魅きつけられるよ‥‥‥
思い出す母の言葉。
その意味に気付いたのは魅きつけられた後だった。
幼いころ、遠出に行くと連れられたところで、仕掛けられた偶然で出会った兄は虜囚の身なのに、きつく冷たい源氏の瞳を保持していた。
強烈に引き寄せる力。
自分の全てがこの人のためにあるのだと心の底から実感した瞬間だった。
私の中の源氏の血というものも、弟という立場も‥‥‥髪の毛から体を巡る血の一滴までがこの源氏の嫡流、頼朝のためにあるのだと瞬時に理解出来た。
身分を隠しての京での三年間も、弟として馳せ参じたこれからも‥‥‥ただ、兄のためだけに‥‥‥
範頼は小さく笑うと顔を上げた。
「近々、全成殿と北条館で会うのです。兄上も参りませんか?」
「またか‥‥‥」
十一歳から十三歳まで京で生活をした範頼は都言葉も自由に解す。そのため頼朝の弟としてさして重要な仕事がない時には京に情報収集をしにいっていた。自らが率いる武士団もさして無い範頼が鎌倉にいても役には立たない。
それに昨今は早急な都市建築が最重要事項で、範頼が鎌倉にいても煙たがれるだけだった。
ならば少しでも別の方向で動いていたかった。
元々、大将として軍を率いるより、自らが細作として動いた方が性に合っている。
範頼が持ち帰る華やかな京の話や、綺麗な工芸品は北条の女達に喜ばれ、彼は京から帰ると義妹達に引っ張りだこになっていた。
「お前も私の妻や、弟の妻にばかり贈り物や土産話をせずに、良い娘でも作ったらどうだ?」
「‥‥‥私の婚姻は兄上が決めて下さい」
恋人ならいた。
でも、『範頼』として、源氏の血を持つものとして子供を作る気はない。だからその恋人にも自分の身分を明かしてはいなかった。
源範頼の子供は正妻の間にだけいれば良い。御殿の弟として役に立つ結婚相手の間にだけ‥‥‥
「安達の姫などどうだ? 気立ての良い娘だ‥‥‥まだ、裳儀も済んでおらぬがな」
「‥‥‥あはは」
範頼は苦笑した。
北条の姫達は後ろ盾のない全成に嫁いだ姫以外は全て御家人に嫁ぐことが決まっている。
昔からの頼朝に協力的な御家人の姫達はまだ嫁ぐには早過ぎる。
「頼朝兄上様!」
ぱたぱたと元気な足音がして、突然小さな姫君が乱入してきた。
「こら、潤子殿。蒲殿がみえるのだぞ」
軽やかな頼朝の言葉に、潤子と呼ばれた少女は大きな瞳を瞬かせ、威儀を正して頭を下げる。
「いらせられませ」
「それは違うだろう。ここは御殿のお館じゃ。お邪魔致します、だぞ」
後ろから安達藤九郎盛長が恐縮しながら娘の間違いを正す。
「御殿、蒲殿、申し訳ございません。いつも娘がお邪魔をして」
「よいよい。大姫の良い遊び相手になるしの‥‥‥」
顔を上げ無邪気に近付いてくる少女を抱き上げ、いつも冷たい笑みばかり浮かべる頼朝の表情がほころんだ。
範頼はそれを見て微笑する。
「では、私が姫君を大姫様のところまでご案内申し上げましょう」
「お兄様はどなた?」
ちゃっかりと頼朝の膝の上に座っていた少女は小首を傾げる。
「範頼じゃ。私の弟で、そなたの将来の夫になる者だぞ」
「わたしの夫? ‥‥‥それは美味しいの?」
部屋にいた三人の男達は互いにそれぞれの笑い方で笑うと度胸のある小さな姫君を見つめた。
「兄上、気長に口説き落としますよ」
範頼の冗談めかした口調に安達は絶句し、その安達の表情を見て、頼朝は声を上げて笑った。
瞳には‥‥‥母が望んだ、源氏の冷たい光。
◇
源平合戦で総大将を務めた範頼の記述は資料にも極めて少ない。
範頼は一一九三年富士の巻き狩りで起きた曾我兄弟仇討ちの際の失言が原因で配流、誅殺されるが、真実ははっきりとしない。
ある資料は伊豆配流直後に誅殺とし、ある資料は梶原景時に攻められ修善寺にて討ち死に、もしくは韮山町北条にて自刃ともいう。中には伊豆配流といわれたものの武蔵金沢郷において嫡男と共に誅殺とも記されている。
真実は明らかではないが、義経の時と違い連座は起こらなかった。
舅になる安達藤九郎、妻であったその娘、そして範頼の子供も僧籍に入らなければならなかったものの全員が罰されずに生き残っている。
そして範頼の忠臣であった当麻太郎でさえ生き残り、一族共に配流ですんでいるのである。配流先は一族の技術‥‥‥鉄鋼業の発展していない、だが材料は豊富な土地であった。
さまざまな疑問が沸き上がるが、義経の子供皆殺し、妻の父の連座、兄への政治参画への停止等を考えるとその差は歴然としている。
頼朝が弟としてなにを望んでいたのか‥‥‥
血で繋がれた絆をただひとつのものとして、力強い後ろ盾を持たなかった鎌倉にいた三人の頼朝の弟達‥‥‥
後世、英雄化される義経が兄の意向を汲み取り、弟としてではなく頼朝の御家人として控えることが出来ていれば鎌倉の治世はもっと変わっていたかもしれない。
それは繰り言でしか、ないけれど‥‥‥
了
***書いた当時のトークです。↓
*長々と面白くない小説を読ませてしまってごめんなさい!! というか、これを小説というのはかなり語弊がある気がします(泣)
でも、私はこういう話がずっとずっと書きたかったんだ!!! ぎゃーーー!!
と、言うわけで今はかなりすっきりしています。
*で、まずは明らかについた嘘。
遊女が相手を選べたかはどうかは不明です。
でも、静や亀菊の気位の高さを考えるとこういう遊女宿もあったのでは…この時代長者とは有力な遊女を指す場合もあるのでちょっと特別な遊女にしてみました。だって女が選べないと範頼が本当に義朝の子供かどうかわからないでしょ…ぽそり。
あと全成が僧体かどうか…これもわからなくて…全然戦に参戦してないことを考えると僧体だったと…同じ僧体でも義円は参戦してるんだけど…
あと、もちろん範頼が細作のまね事をしていたのは創作です。でも11歳から3年間京都にいたのは本当。なんでわざわざ平家の力が強い京都にいたのか考えるとわくわくしますvv
で、私が導き出したのが細作という辺り単純。
それから潤子という名前も創作です。
資料には残っていません。
範頼の正室になる子です。たぶん年はこれくらい離れてると…1185年なんですよ、範頼の結婚。
32歳。全成は鎌倉につくとほぼ同時に政子の妹・阿波局と結婚してるんですが…
義経も戦の途中で河越重頼の娘が京都まで来て嫁いでますし…なんで一人遅いんだ…
*…と、範頼は不明なことが多過ぎます。そのせいで私に好き勝手に書かれてます(^^)
反面、なんだか義経に対して厳しいかも…判官贔屓ではなくて三州(さんしゅう・範頼の官位から)贔屓なんです、私。えへ。
しかし、私…本当に影の薄い男が好きなようです。
範頼…総大将なのに平家物語に全然登場しないもんな~。知ってる人のが少ないもんな~(泣)
たぶん、いい人だよ。←たぶんかい!?
***
>>テンション高いですね(^^;)
面白かったのでそのまま残してみました。確か2006年くらいの名古屋コミティアで無料配布した話です。
もっと前かもしれないです。
ちなみに、頼朝が涙を流したのは実話です。義経、全成ともに。
それから範頼は蒲殿:かばどの・もしくは、がまどのと呼ばれています。もう少しカッコいい呼び名ならよかったのに‥‥‥。
本筋はこの範頼と潤子のお話の予定です。まだ当麻太郎が一度も出てきていないので、範頼と太郎もしっかり書きたいですねvv