五話
高嶺は出口近くの広間前の通路で、岩陰から中の様子をそっと伺う。
広間には、餓鬼が一体。
そして少し離れた場所。
多少幼さは残しているが、歳は高嶺より少し上であろう少女三人が確認できた。
汚れひとつ無い防具に、真新しい武器。
季節は三月。
彼女らは探窟家の資格を取りたての新人であった。
本日初めて天国門を潜り、伽藍洞を探窟中に、餓鬼と出くわしたのだ。
しばらく三人は悠長に
「誰が最初に行く?」
「もー、みーちゃん行ってよ」
「え〜、私が最初?」
と、餓鬼を前に、こそこそ話をしていたが、「しょうがないなぁ。私がやっつけるよ」と短めの髪をした勝ち気そうな少女が、笑顔で槍を構え近づいていく。
広間の真ん中で、ひとりと一体が対峙する。
しかし、強気な言葉や笑顔とは裏腹に、槍を構える少女は明らかに腰が引けており、槍の穂先も定まっていない。
更には緊張からか足運びも呼吸も覚束ないのが、離れた場所にいる高嶺にも分かった。
そんな少女に大きく腕を振り上げて餓鬼が襲いかかった。
危ない――高嶺はつい岩陰から飛び出しそうになる。
けれど……
振り下ろされた、鋭い爪が少女の柔肌に突き刺さり、深く肉を切り裂き赤き血の花が咲く――ことはなかった。
「えい!」と少女のへっぴり腰から繰り出された槍の突きが呆気なく餓鬼の鳩尾を簡単に貫いた。
ごくあっさりと餓鬼は塵となり消え、代わりに小さな霊石が残される。
「いやー。思ったより緊張したよ」
「本日の初勝利おめでと〜」
「ねえ、怖かった?どんな感じ?」
「最初はね。でも楽勝かなぁ」
「まあ、弱々餓鬼だもんね」
「でも見た目は結構怖いもんだよね」
「見た目はね。でも動きとか遅いし、流石に餓鬼相手には苦戦はしないでしょ」
きゃっきゃと話しながら三人はかしましく行ってしまった。
少女達が去り少しして高嶺は広間に足を踏み入れる。
高嶺が数十分掛け、必死の思いで倒す餓鬼を、ものの数秒、一撃のもとに倒した。
だが決して彼女達が、一般の探窟家と比べて優れているのかというとそうではない。
ぴかぴかの新人という括りで見ても、彼女の力は平均より低いくらいなのである。
実際、高嶺は探窟家として専門の学校で二年間教育を受けて卒業した正式な探窟家だが、彼女たちは数カ月の短期講習を受けただけで、活動には様々な制限がかかる仮組合員の探窟家であった。
詰まる所、誠に遺憾ながら、『探窟家』椎葉高嶺は驚くほど程に弱いのである。
広間の真ん中に進んだ高嶺。
その足元には彼女達が拾い忘れた小さな霊石がひとつ転がっている。
知らず奥歯を噛みしめていた。
握った拳に自然と力が入る。
一年間傷だらけになりながら頑張って、初めて探窟をする新人の足元にも及ばない自分。
悔しい。
そして、不安や焦り。その他様々な感情が胸を重くしていく。
「大いなる輪廻転生」こと大輪転直後の、何もかもが本当に手探りだった探窟黎明期ならまだしも、今現在、伽藍洞で餓鬼を相手取る探窟家など殆どいない。
一般の探窟家にとっては次の階層に行くためのただの通過点であり、別の階層に到窟すれば、専用の奇械で印をつける事で、その後は門の入口から直接その階層に移動出来るようになる。
なにせ玄関口である伽藍洞の餓鬼は殊更弱いのだ。得られる霊石の価値も殆ど無いに等しい。
自然と誰として見向きもされなくなるのは当然だろう。
唯一初めて天国門を潜った、駆け出しの新人が増えるこの時期以外は、高嶺くらいしか伽藍洞で探窟する物好きはいないのである。
目を閉じ大きく深呼吸をひとつ。
大丈夫。自分が弱いことなど二年以上前から分かっていたことだ。
もう一度、気持ちを落ち着かせようと深呼吸。
けれど吐いた息は、まるでため息の様。静かに伽藍洞に消えていく。
今日はもう出口に向かおう。
元気なく歩く高嶺の体に合わせ、袋に詰め込まれた朱結晶がかちりかちりと小さな音を立てた。
「ふぃ〜」
口から漏れた気の抜けた声が響く。
揺らめく湯気の向こう、ほおを赤らめた高嶺が目を細めている。
高嶺は食べることが好きだ。趣味や好きなことは何かと聞かれれば、まずは食べることと答える。
そしてもうひとつ胸を張って好きだと答えるのが『お風呂』である。
ここは探協内にある入浴施設のひとつ『さくらの湯』。
正式な探窟家組合員には様々な優遇措置制度があり、無料または格安で施設を利用できる。
ちなみにさくらの湯の利用料は一回三十圓。(高嶺は六百圓の月間自由入浴券を毎月買っている)
広い浴室に浴槽。奇械と霊石により温められたお湯は四十二度。
ぬるりとしたお湯に湯の花。怪我や疲労への回復効果と慢性的な肩こりや腰痛、その他内臓疾患に効能がある。
湯船にぷかぷかと幾つも浮かぶ、天国門産の薬草が入った色とりどりの布袋からは、清涼な香りが湯気に乗り、疲れと心を癒してくれる。
そして何より高嶺お気に入りの壁に描かれた巨大な絵。
高嶺は実際に見たことはないが、薄紅色の花をつけた桜と呼ばれる木々と、その向こうにそびえ立つ霊峰櫻島が白い噴煙を上げている迫力ある姿が素晴らしい。
熱い湯船にゆっくりじっくり浸かる。
辛いこと、嫌なこと。
落ち込むことも沢山ある。
けれど湯船から上がる頃にはほくほく笑顔の高嶺が一丁。
後ろ向きな気持ちは綺麗さっぱり流されてお湯の中に置いてきた。
当然、お風呂上がりには瓶牛乳を楽しんだ。
今日のあすたん辞典
※少女三人 さっちんと呼ばれる幸代にみっちゃんは美智子。槍使いはぴーたんこと珠子の仲良し三人組。さっちんは蕎麦派、みっちゃんとぴーたんはうどん派。
※霊峰櫻島 現代の桜島。もくもくと噴煙をあげ、その降り注ぐ灰や軽石は高い霊力を帯び、様々な探窟用品に利用されている。
※瓶牛乳 他に珈琲牛乳や果物味など様々な種類があり、何が最高かと現代と変わらぬ争いを生む魔性。