表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/19

二話

「ありがとうございました!」


 椎葉(しいば)高嶺(たかみね)の明るく張りのある声が店内に響く。

 声変わりはまだで、男性の声と呼ぶには、余りにも柔らかく軽い声質であるが、不思議と明瞭で耳触り良く、周囲が混雑していても、よく通る声である。


 満足そうに赤い顔をした最後の客が、会計を済ませ千鳥足で開き戸の向こうに消えていった。


 壁時計を確認すると、丁度閉店の時間である。

 高嶺は店の外に出て『居酒屋 大将のごはん処』と書かれた暖簾を仕舞うと、赤提灯の灯りを消す。  

 急いで中に戻ると、綺麗に空となった食器達をお盆に重ねて、空いた机に消毒液をかけて布巾で拭いていく。

 そして器用に音を立てる事なく、大量に積み上げた食器の乗ったお盆を洗い場に運ぶ。

 


「お疲れさん。もういい時間だから食器を水に浸けたら、あがってくれや」


 洗い場に着くと、坊主頭にねじり鉢巻きをした引き締まった身体の大柄な男が声を掛けてきた。

 高嶺が本日臨時での短期就労している居酒屋の大将である。


「はい!分かりました」

「あと、休憩室に賄あるから、食べて片しといてくれ」

「何時もありがとうございます!」


 大将は笑顔の高嶺を見ると、早く行けと言わんばかりに手を軽く上げて背を向けた。

 

 

 高嶺は休憩室兼更衣室向かう。

 雑多な荷物が詰め込まれた小さな部屋だ。

 油と汗の匂い。干乾びた芳香剤が申し訳無さげにひとつ置いてある。


 部屋の端にあるのは年期の入った机と椅子が一組。

 その上には、端材ではあるが、色とりどりの野菜と滋養の詰まった豚ばら肉が入った大盛りの餡掛け丼と根菜たっぷりの味噌汁が湯気を立てて待ち構えていた。


 急いで着替えを済ませる。既にお腹の虫が合唱を始めている。

 水を準備し、手を合わて小さく「頂きます」と呟いて、味噌汁を一口すすり、丼ぶりをかき込んだ。

 


「ん〜」


 当然のごとく美味しい!


 餡掛け丼は野菜と豚肉の脂の旨味が溶け出した少し甘めな熱々のとろりと飴色に輝く餡が、ほんのり温かなご飯を包み込こんでいる。

 味噌汁は根菜のコクが出汁と絡まり深みを出している。具が大きいのも素敵である。

 

 大将の料理は最高だ!

 自然と頬がゆるんでしまう。

 手は止まらない。

 食べ盛り、育ち盛り。

 気がつけば、あっと言う間に食べ終わった。


「ごちそうさまでした!!」

 

 満腹で満足だ。



 血糖値の上昇と疲労感に伴い襲って来た眠気にぽやっとしていると肩を叩かれた。


 大将である。


「大将。賄ありがとうございました。すっごく美味しかったです!!」

「おう。腹は膨れたか?」

「はい!お腹いっぱいになりました」


 笑顔で答える高嶺に満足そうに頷いた大将が懐から茶封筒を取り出した。


「ほらよ。今日の分の給金。無くすんじゃねえぞ」

「ありがとうございます」

「おう。こっちも助かったぜ」


 差し出された茶封筒を高嶺は恭しく両手で受け取った。

 これにて、本日『居酒屋 大将のごはん処』での三時間の短期就労完了である。




 2階建て共同住宅の1階。

 建物の外見は古くさい。そして中身はもっと古くてボロい。

 こじんまりとして殺風景ながらも、何故か落ち着く麗しの我が家に帰り着いた高嶺は、小さな肩掛け鞄を部屋の隅に投げ出すと、薄い布団に倒れ込んだ。


「は〜。疲れた〜」


 朝早くからは探窟家稼業に勤しんだ。

 夜遅くまで臨時の短期就労に励んだ。


 既に、満身創痍、疲労困憊で眠気は最高潮である。


(今日も頑張ったなぁ……眠いなぁ。眠すぎる…………は!?)


 あと一歩で夢の中に落ちようかと言うところで、どうにか踏みとどまった。


 ふらつきながら、重い足取りで玄関に向かう。

 玄関横には大きくて丈夫そうな麻袋が置いてある。

 玄関の段差に腰を下ろし、麻袋の紐を解くと、中から出てきたのは、本日活躍した小剣や小盾、防具といった商売道具 一式 だ。

 一つ一つ おかしなところがないか、確認しながら専用の油をつけたり、乾いた布で拭き上げていく。

 必要な部分は瞬間硬化剤や粘着剤で補強する。


 決して高級品ではない武具。

 寧ろ幾らでも代替がきく位の安物である。

 けれども、高嶺が命を預ける大切な道具達だ。

 装備を見つめるその瞳は真剣で、今だけは眠気も疲れもない様子。

 ただただ一心に拭き上げ点検する。


 高嶺の夜はまだまだ終わらない。


 

 

 整備が終わると、間もなく日付けが変わらんとする時間であった。

 今度こそ眠れる。

 そう考え布団に倒れ込むが、部屋の隅に投げ出された鞄が視界にはいった。


 (ああ、そうだった)


 大将から渡された茶封筒を思い出す。


 布団に横になったまま身体を伸ばし鞄を引き寄せて、茶封筒を取り出した。

 茶封筒の中には三千百五十圓の現金。

 時間給で千五十圓になる。

 更に美味くて栄養満点な賄い付き。

 思い出すと少しお腹が空いた。

 成長真っ盛りなのだから仕方がない。


 ちなみに、本業は、本日七時間の探窟家業死闘付きで二千八百圓だった。

 


 枕に顔を埋める。


「ままならないなぁ〜」


 お金を稼ぐ事は、とても大変だ。




 夜が更ける。


 高嶺の長い一日が終わる。


 いつの間にか、寝息を立てていた。

 

 健やかな寝顔の向こうでは、果たしてどのような夢を見るのであろうか。

 

 穏やかに緩やかにゆっくりと夜は過ぎていく。




今日のあすたん辞典


※居酒屋 大将のごはん処  カウンター席が5席、4人用のテーブル席が3席、個室の座敷が2部屋ある。大将のご飯は日ノ本一 高嶺談


※血糖値  血液中に含まれるブドウ糖の濃度を示す値。これが慢性的に高いと糖尿病になる。


※短期就労 アルバイトの事。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ