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御魂の森  作者: 長峰永地
9/13

九・古き記憶

 柊は、ぼんやりと空を眺めていた。単純な話として、それ以外する事が無いのだ。

 凪が森に自分を送らなかったのは、当然の判断だった。どこに自分の補佐としている人間を前線に送る者がいる。少し冷静になれば、自分自身ですら、同じ状況であれば送らなかっただろう。それでも、行くべきだと思った。それは、命の名前が出たからだった。

 正直、命の名前を、凪が覚えていた事は、意外だった。それに村を襲撃した時まで正確に覚えていたなんて。


 凪と行なった最初の仕事であり、血塗られた道から逃がれる機会を無くした、決定的な出来事。それは、自分の故郷の襲撃だった。

 故郷の場所は都より少し外れ、山々のふもと、森と隣接するような田舎村だった。さしたる特産物もなく、村の外と積極的に交流を深めるわけでもない。旅の休息に使うには街道から離れている、という、分かりやすく言ってしまえば、何もない村が一番しっくりくるだろう。他の村と違う点と言えば、『御魂の巫女』と呼ばれる存在が村にいる事だろうか。

 『御魂の巫女』

その存在は、村の守り神として、代々その村で一番神通力の強い女が引き継ぐものだった。そうは言っても、神通力など誰も彼もが持っているわけではなく、血により引き継がれていると言っても過言ではなかった。

事実、幼いころ『御魂の巫女』は形だけのものだった。神通力を発現している者が、誰もいなかったのだ。村の守り神とまで言われる巫女が不在なら、呪いや、神罰など大騒ぎしても良いものだが、そもそも、常に巫女がいる訳ではない、形骸化したしきたりのような物だった。しかし、しきたりと言うものは始めるのは簡単だったが、辞める事は、先人が許さないらしい。神社に産まれたという理由だけで巫女に祭り上げられる当人を見ながら育った。

見ながら、と比較的近い表現をしたのは、同じ年頃の娘が『御魂の巫女』だったからだ。先ほど、凪と会ったという命。彼女が『御魂の巫女』だったのだ。

もちろん立場の違う存在だ。おいそれと会える存在では無い。はずなのだが、実は、よく会って遊ぶ仲になっていた。幼馴染の葵が、人目を盗んで外に連れ出していたためだった。

『御魂の巫女』に会って良いのは、女もしくは去勢をした男だけ。そんなしきたりを守るために、食事を運ぶ係に葵は選ばれたのだった。幸いに命と葵は年が近かったため、次第に仲良くなる二人を大人たちも安心して見守っていたらしい。そんな時だった。葵が、命を外に連れ出したのは。

命は、葵によく外の話を尋ねていた。生まれてから、建物の外に出る事も叶わず、年の近い顔見知りは葵だけ。窓から見える景色は知っていても、実際に触れたこともない。同じ年のころにする遊びも知らない。笑いながら語る命に葵は聞いたのだった。「外に出てみないか」と。

最初は、迷っている様子の命も、小さく、本当に小さく「うん」と答えたのだという。

その事を知らないで、葵と森の中で待ち合わせている時に二人に女の子が現れた時は首を傾げ、葵が連れて来た子が『御魂の巫女』と知った時は腰を抜かす思いだった。

事情を葵から聞いた時に断る理由は思いつかなかった。命が望んでいて、葵はその手助けをしただけ。子ども心に大変な事をしている気持ちはあったが、三人だけの秘密と言うのが妙にうれしかった。

命はよくしゃべり、よく笑う、どこにでもいる女の子だった。森の中では、新しい物を見付けるたびに大声を上げた。土の匂いも、木々のざわめきも、風の柔らかさも、全て。

自分と葵には見慣れている物も、命の目には全てが新鮮で、貴重な体験だったのだ。一つ一つに歓声を上げ、走っていく命のお供は楽じゃなかった。もし万一転びでもしたら。ただでさえ、勝手に連れまわしているのだ。笑いごとなどではなく、良くて村八分、最悪、一家で首を斬られても文句は言えない。三人で遊びながらも、常に注意を払っていた。

日が傾くころに帰り支度を始めた。しかし、命は森に居座ると駄々をこねる。考えてみれば当然だ。何不自由ない暮らしをしているとはいえ、その「何不自由無さ」がかえって不自由なのだから、その場所に戻りたくないと望むのは当然の事。一旦帰り、次の日の約束をしても、梃子でも動かぬ命に困り果てる二人。その時、森の茂みから、一人の男が顔を出した。その男は、都から来た男で、命の目付となっていた。年は、命より七つ上。もちろん命のそばに居られる事から、男としての機能は捨てていた。

その男に見つかると強情だった命もしぶしぶ従った。そして、男は二人に向き合うと

「日が落ちるまでに、私に引き戻してください。他の方には決して悟らせないように」

 それだけ言うと、命を連れて戻って行った。

 理由はさっぱり分からないが、命と会える許可を貰った二人は、手を合わせて喜んだ。

 それからは、ほとんど毎日と言って良いほど、よく遊んだ。三人の時もあったし、目付の男、菅野と四人で出かけることもあった。何故、命の外出を許しているのか、尋ねた事が有った。理由は簡単で、一言だけだった。

「閉じ込めておくことが、不憫だった」

 本当の理由はそれだけでは無いのだろうが、三人としたら、遊べる事の前には些細な疑問だった。命は中での生活をよく話してくれた。家に居る時は、毎日勉強しかしてないという事。神事で行なう舞の稽古が楽しい事や、文字の読み書きが苦手な事。そして、菅野の奏でる調べが本当に好きな事。中の事情を知らぬ二人には、興味をそそる話ばかりだった。

 命と会うようになって、およそ二月。事件は起きた。

 森の中で遊んでいる最中、葵は切り立った崖の上に咲く花を見付けた。普段であれば諦めていたのだろうが、その時の葵は意地でも花を摘んでくると言った。大人の身長のおよそ五倍。後から来る命にその花を上げるのだと、頑として意見を引かない葵に、了承してしまった。女の葵を登らせる訳にはいかず、自分が崖を登ることにした。

 崖は意外と凹凸が多く、簡単登ることが出来た。葵が見守る中、するすると崖を登った。間もなく、花に手が届く、そんな時に命が現れ、見て驚きの悲鳴を上げる。

 安心させようと命に振り向いた瞬間、手にかけていた石が崖から外れたのだった。真っ逆さまに落ちる身体。叫ぶ葵。その時、周囲に鈴の音が鳴り響いたのだった。

 落ちる速度はみるみる遅くなってゆき、そのまま地面にふわりと背中を付けた。

「良かった」

 命はそれだけ言うと、意識を失ったのだった。

 失われた、神通力の発現。結論から言えばその瞬間だった。

 その後、村を二分する騒ぎになったのは言うまでもない。

 しきたりを守らず『御魂の巫女』を外に連れ出した二人と、それを黙認した菅野を罰するべきだという声。

 外に出ていたからこそ、神通力が発現し、本当の巫女になったのだから、むしろ褒美で迎えるべきと言う声、真っ二つに割れたのだった。

 しかし、その意見も、意識の戻った命が、発した言葉ですべてうやむやになった。命は、一日にして、村の誰よりも権力を持ったのだった。

 褒美も罰もうやむやになったとは言え、菅野は都に戻り、二人は命と会う事を禁止された。その事を、納得のいかないまでも、受け入れるしかない二人は、最後に命と会った時になんて言ったら良いのか、分からなかった。無言のまま部屋にいる三人。語る言葉はたくさんあったはずなのに、口からは何も出なかった。

 控えの人間が自分たちを追い立てるように部屋に入って来た。二人は、何も言葉を交わせないまま部屋を去る。去り際に、命が一言「生きていて、良かった」と口にした。

 それが、命と交わした最後の会話だった。

 葵と自分は、そのまま村に残ることを許された。しかし、両方の意見を出した者から腫れ物を触るような扱いを受けた二人は、お互いに一緒にいる時間が増えていった。お互いを、男女として意識するまでにそう時間はかからなかった。

 その後しばらくして、村を出る事にした。追い出されたのではなく、自ら都に勤めるために。もちろん菅野のような文官ではなく、武士として。菅野から、腕さえあれば都勤めが出来ることを聞いていたからだ。出世欲からでは無かった。命の一件以来、村に居辛くなっていた。そして、両親が亡くなった事で決心が着いたのだった。

 葵に村を出ることを話す時、一緒にこう告げた。

「必ず迎えに来る。その時まで待っていてくれ」

 葵は、微笑みながら、小さな巾着を渡す。

「お守り。柊さんはそそっかしいから」

 葵の胸にも同じものが下がっている。今まで呼び捨てだった名前を、さん付で呼ばれた事に胸を熱くした。巾着を受け取ると、胸に下げる。お互い、笑い合った。

 都から、文は出さなかった。葵が読み書きが出来ないことを知っていたから。早く葵と一緒になるため、それこそ死に物狂いで働いた。さしたる腕の無かったがどうにか葵と二人で暮らせる食い扶持を得るようになるまで、三年の月日が流れていた。


 そこで柊は思考を止めた。先の凪に対しての差し出がましい行為を謝罪しておかなければ、今後やりづらくなる。そうは言っても、これ以上やりづらくなど、なりようが無いのだが。

 柊は重い腰を上げると、凪の元に進んで行った。胸には、今も巾着を下げたままで。


 眼前には暗闇が広がる。意識を取り戻しているのか、それともまだ失ったままなのか判断がつかなかった。

「俺は、なんでこんなところに居るんだ。散花と畑に居て、大きな音と煙が見えて。あの二人に殺されかけて…あれ」

 一つ一つ思い出していくが、そこで自分の記憶が止まる。そこから先、何をしていたのか、まったく思い出せなかった。

「ここは、どこだ」

 改めて周りを見回しても、何一つ見えない。自分の声以外聞こえない。そもそも、なんでここに居るんだっけ。

「弥生」

 聞きなれた声に振り返ると、凪が小走りで走ってきた。その様子に標的を追いかけているという剣呑さはまるでない。

「凪、お前」

「おい、何かっかしてるんだよ。今回の任務、聞いてるか」

 任務?先ほどまで置かれていた自分の状況とあまりにもかけ離れた凪の態度に、首をかしげた。その行為に凪の言うところの任務を忘れていると思ったのだろう。ため息を吐きながら、肩に柔らかく手を乗せる。

「おいおい、そんなんで大丈夫か?『御魂の巫女』って呼ばれる女が率いてる一揆を止めるんだろ?いつものように、手柄競いをしようじゃないか。そうだな、今回は、『御魂の巫女』を仕留めた方の勝ちだ」

 一方的に告げると、凪は先を急ぐように走り去っていく。

「凪、待てよ」

「急がないと、獲物を全部俺が貰っちまうぞ」

 まるで気にしている様子もなく、凪はそのまま見えなくなっていった。後ろ姿を見失うと、ますます首を傾げた。手柄競いなどと言っていたが、まるで味方にかける言葉じゃないか。混乱しているところに、後ろから現れた柊が声をかけてくる。

「弥生様、凪様はどちらに」

 柊の言葉遣いに、ますますわからなくなっていく。そんな状況に、まるで興味が無いように、柊は言葉を続ける。

「…もう、村の中ですか。私も討伐に加わります。ご無礼を」

 柊は、頭を下げると、そのまま振り向かず走って行った。彼が走って行った方向を見る。先ほどまで何も見えない暗闇だった場所が光を帯びていく。乱立する木々。一歩踏み出し、目を凝らすと、視野が広がっていく。次第に視界は周囲全てを見回せるようになっていた。目を凝らし、徐々にはっきりと見えたものはなんてことの無い、見慣れた景色。

つまり、地獄だった。

 木々には火が灯り、風の匂いは鉄の臭いに変わり、怒号が聞こえる。逃げ惑う人の悲鳴と、それを追う人間の叫び声。人が、次々に死んでいく。ゆっくりと歩を進める。凪が進んだ方向へ。まだ、状況が掴めている訳ではない。ただ、進まなきゃいけない。そんな風に感じて。

 木々の先にある村に入ると、悲惨さは増していった。人、人、人。正確に言うと、全て人だった物。背中を大きく切り裂かれた者。片腕の男、子を庇うように抱きしめる女と、喉を突かれた子。抵抗らしい抵抗の跡など、見られなかった。

 そんな時目の前で、今まさに倒れこんだ女に刀を振り上げる男。弥生は刀を抜きながら男の目の前に回り込むと、無我夢中で刀を受けていた。

「なんて事しやがる」

 叫び声を上げながら男の顔を見ると、我が目を疑った。

「弥生様、なぜ止めるのです。皆殺しが今回の目的のはずでは」

 苦々しい声を上げながら、刀を引くその男は、先日森の中で殺したはずの田吾作だった。田吾作と目を合わせると、言葉を失ってしまう。女は、二人の隙を突くと、起き上がり、そのまま走っていく。その時、響く銃声。女の頭が爆ぜると、そのまま崩れ落ちた。銃声のした方向を見る。誰が撃ったかは予想がついていた。案の定、長身痩躯の男、太一が立っている。

「女に逃げられるなんて、情けない」

「仕方ないだろ。弥生…様に止められたんだから」

 二人に近づいてきた太一は、前に立つと恭しく跪いた。

「弥生様。あなたにも思惑があっての事でしょうが、部下に手柄を譲っていただければ幸い。武功を立てねば、明日の生活すらままならないので。行くぞ、今度はしくじらないでほしいですね」

「しくじってねぇよ」

 後半は田吾作に言葉をかけた太一は、そのまま村の奥に進んで行く。田吾作は、太一に噛みつきながら後を追った。

 一人、取り残されると手に握る刀を眺め、混乱を深めていく。

(なんで、抜けるんだ)

 先ほどの風切土蜘蛛との戦いではあれだけ抜けなかった刀が、すんなりと抜けた。何ひとつ噛み合わない状況、そんな時に正面から歩いてくる一人の女。

 大きく開いた胸元、正面に回した帯。着物の着こなしが一目で身体を売っている事がわかる。その女の顔を見るとまた目を丸くする。

「お兄さん、人殺しなんてやめて、あたしと遊んで行かないかい」

 聞き覚えのある声。当然だ。先ほどまで一緒に居たのだから。しゃなりしゃなりと内股で歩いてくる、散花を呆然と見ながら、言葉を失った。

「どうしちゃったんだい、お兄さん。まさか、見とれているの?可愛いんだから。そんなに見たいなら、もっとこっちへ…」

 散花が手招きをする。訳も分からず、近づこうとすると、散花の腹から刃が生えてきた。その後ろには、眉を寄せる凪が、散花に刀を突きたてていた。

「弥生。仕事の最中だってのに、こんな商売女にかどわかされてるんじゃねぇよ」

「…凪?なんで、散花を…」

 凪に尋ねた瞬間、叫び声を上げながら、突進してくる若者が居た。

「てめぇら、いきなり村襲って、何の恨みが」

 言葉が途中で切れたのは、散花の腹から刀を引き抜いた凪が、振り返りざまに若者を斬り捨てたからだった。その若者の顔にも見覚えがあった。先ほどいきなり殴り込みに来た男、石割。会話らしい会話もなかった。しかし、殺す理由がも同時になかった。

「さっきから、ごちゃごちゃしてるな、ここは。本当に一揆なんか企てていたのかよ」

 凪は、悪態を吐く。刀に付いた血を振り落すと、そのまま、走り去っていく。

「なんなんだよ、ここは…どうなってるんだよ」

 さっきから起こる事、全てが辻褄が合わず気持ちを乱し続けている。凪含め、追手たちは殺気はなく敬意を払い、村人たちはまるで、初対面のように接してくる。吐き気がする。苛立ちが募る。視野が、先ほどまで広がっていた視野が徐々に狭くなっていく。

 視界の端に、何か動く物を捕える。敵かと思い身構え振り向くとそこには柊が立っていた。正面に立ち、声をかけたが何の反応もない。神妙な顔をして、目の前で立ち止まる。てっきり、自分を見て止まったと思った。しかし、視線が合わない。後ろから、足音が聞こえる。胸には巾着を下げた女だった。

「柊さん、これはどういう事?」

「葵…」

 柊は、それだけ言うと、刀を引き抜いた。そして、しっかりと目を見つめ、刀を構える。葵は、何も言わなかった。ただ、微笑んで両手を広げる。

 柊は、目を背けることなく、葵の身体に刃を突きたてた。右手で刀を握り、左手で、葵の肩を抱いている。

 葵が、柊の耳元でささやく。

「あなたは、生きてね」

 葵は最期の時まで笑顔だった。柊は、強く強く葵を抱いた。こぼれる涙を止めなかった。そして、葵を抱きかかえると、そのまま歩いて行った。

 また真っ暗な場所に一人残される。呼吸が乱れる。もう見ていたくなんかない。視野が狭まり、すでに手の届く範囲でしか見えなくなっている。

「もう、辞めてくれ…」

 心からの声をはり上げても、周りは何も変わらない。悲鳴、血の臭い。そこに一つの足音が近づいてくる。

「あなたは、何をしてるんですか」

 穏やかな口調で話しかけてきたのは、耳無だった。手には、小刀が握られている。

「耳無…。ここはどうなっているんだ」

「あぁ、そういう事ですか。困りましたね、こんなところに出くわすなんて」

 耳無の言葉が全く要領を得ない。それどころか、一人で勝手に頷いている。

「何か、知っているのか」

 震える唇を何とか動かして尋ねると耳無は柔らかく頭を振る。

「おそらく、何も知りません。今の私とあなたは、面識も無いのですから。なので、これから起こる事はあなたが気に病まないでください。これはすでに起こった事ですから」

 耳無は、そこまで言うと、自分の耳を小刀で切り落とした。表情は変えないが、脂汗を流しながら、もう片方の耳に手をかける。

「お前、なんで」

 叫び声を聞いて尚、笑顔を向ける耳無。

「口は災いの元と言うでしょう。本当ですね。つい軽はずみな事を言ったために、親友のいのちを奪う羽目になりました。これはその償い。また会いましょう、未来でね」

 耳無は、耳を切り落とすと、そのまま自分のこめかみに小刀を突きたてる。普通に腹を裂くよりよほど苦しみの大きい自害。何もすることが、見ていることしか出来なかった。途端にこみ上げてくる胃液を、その場で吐いた。死体なら見慣れている。でもこんなに歪んだ死は見たことがない。見ていることが罰に思えるような凄惨な光景だった。

 胃の中身を全部吐き出しその場にうずくまるしかできない。どうすれば、ここから抜け出せる。どうすれば、どうすれば…。

 鈴の音が響き渡る。その音につられて顔を上げる。正面には、命が立っていた。

「命…これは、一体なんなんだ」

 喉を裂けるような声を絞りだすと命は平然と答える。

「これは、あなたが目を背けていたもの。過ぎ去った出来事、変わらぬもの」

 命の言葉に、うなだれるしかない。何を聞いても理解できない。理解させるつもりもないように聞こえる。いっそ、全てが夢と思った方がまだ納得できた。そんな考えを先回りするように、命は続ける。

「夢。それは正解。でも、現実。それも正解。答えを理解できないのは、あなたが理解したくないから。あなたに聞こえる声はあなたの言葉。あなたが見ているものは、あなたの望み」

「こんな景色が、俺の望みだっていうのか」

「これから起こることも、全て現実」

 命は、それだけ言うと、目を閉じて居住まい正しく座る。何かを待つように。命から目を離せずにいると、そこに後ろから近づいてくる凪。周囲を見回しながら命に近づくと、憐れむような目で命を見つめる。

「こんなところに閉じ込められて、あんた一体何をしたんだ」

「私は何も。人並み外れた力も、人には敵わなかった、それだけよ」

 命は、そのまま目を閉じた。凪は、首を傾げながら、刀を振るう。静かに、何の音もなく倒れる命。

 凪は、命を斬った直後に頭を抱える。ふらつき、身体を支えるように刀を突きたてる。呼吸が乱れ、肩で息をする。何かをうわごとのようにつぶやく。

「欲しければ、奪う…。邪魔なら、殺す…。己の欲に従えば、この世は極楽…」

「凪…?」

 その言葉は、命に力を流し込まれた時に、自分からこぼれ出た言葉。命に宿った力が暴走し、凪の身体に流れ込む。思い出した。あの時の高揚感と絶望。それが今凪に起きているのだとすれば。

 そこに、凪に手をかざした標が歩いてくる。ちょうど、弥生が暴走していた時と同じように。標に気付き、笑い声をあげる凪。ふらつく足元で、刀を地面から抜く。凪と相対しても、標は逃げない。手をかざしたままじっと凪を見つめている。

「何してるんだ、逃げろ」

 弥生が思わず叫ぶと、標は凪に向き合ったまま答える。

「ここで逃げても、何も変わらない。彼女は、命と一緒だから」

「見つけた…」

 凪は、標に刀を向けると、さらに高く笑い声をあげる。そしてゆっくりと刀を上げると、標の元に歩いていく。

「やめろぉぉぉ!」

 凪が刀を振り下ろす瞬間、二人の間に走りこんでいた。


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