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御魂の森  作者: 長峰永地
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五・草薙対石割


 木の葉を通り向ける柔らかな光。木々の隙間を通り抜ける風。自分の名前の付いた森「御魂の森」を歩いているとらしくもない感傷に浸ってしまう。

 「御魂」と呼ばれるようになったのは、いつからだったか。物心ついたときだったか、それとも生まれた時から呼ばれていたのか。そこまで昔になってしまうと、忘れたというより、知らないと表現した方がいいかもしれない。そんなことをぼんやりと考えていた。

 この森は、自分が生まれ、育った森によく似ていた。それはそうだ。ここの成り立ちを考えると、似ていて当たり前。そのことを知っているのは命ともう一人だけなのだが。

 この森の中に「生き物」はいない。そのことも知っているのは命ともう一人だけ。

そばにあった大木に触れる。ごつごつとした手触り。そのまま目を閉じると額を大木に預けた。他の人間にはわからないであろう、木の脈動。手に触れ、肌で感じ、それでもなお命は自分の願いを押し通そうとしている。

自分の目的なんて、誰も理解しないだろう。説明もしていないし、するつもりもない。ただ、一つ言えることは、今この状況を続けることの無意味さを、自分しか感じていないという確信だった。

額を大木から離す。そのまま上を見上げると、堂々と枝葉を広げている。

この木から「いのち」を感じられたのなら、こんな事をしたのだろうか。その答えは、何度も自分に問いかけているものだったが、そのたびに答えから目を背けているものだった。

自分は、弱いのだ。

巫女として生まれ、力を授かり、鍛錬によってその力を高めた。周囲の人間から期待され、その通りに…いや、それ以上に役割を果たして生きてきた。苦しかった時もある。辛かった時もある。それでも、耐えて生きてきたのは、自分が特別だという意識。そして、他人には任せることのできないという重圧。その二つが生かしていたと言っても過言ではなかった。

その結果が、こうして一人で森の中を歩く事になるとは、まったく予想もしていなかった。

先の事なんて、誰も分からないのかも知れない。人に非ざる力を持ち、神のごとく崇められていた自分ですら、この状況もこれからの事も全く見通せずにいるのだから。

 その時、風が駆け抜けた。木々を揺らし、木の葉を落とす。ひらひらと舞い落ちる木の葉を見ていて、昨晩の事を思い出す。

「…弥生」

 一言、そうつぶやいた瞬間、周囲を舞っていた木の葉が急速に枯れていく。木の葉だけじゃない。手が触れた物、踏みしめた物が急速に朽ちていく。まるで、いのちが吸い取られていくように。

「あは…」

 そうだ。忘れていた。自分の目的。自分が成さなければならない事。

 穏やかな笑みを浮かべながら、前に進んで行く。これから会う人間は決まっていた。自分の目的を果たすために必要な人物。はやる気持ちを抑えながら、わざとゆっくりと進んで行く。

「さぁ、会いに行きましょう。…凪の元へ」

 自分の進んだ後には、いのちは何も残っていなかった。



 汗だくになりながら道を歩いていると、見慣れない人間を見付けた。たぶんあれが草薙だ。

その場に立ち尽くしている草薙は、首をかしげながら左右を見ている。右を指差して、今度は左と傍からから見ても不思議な動きをしていた。


解せない。 

腕を組み、口をへの字に結んで歩き始めた。

そんな考えを知らず見知らぬ男が正面に立ちはだかると、堂々と名乗りを上げる。

「おい、見慣れないそこの。お前が草薙だな。この石割様が成敗してやるから、尋常に勝負しろ」

 自分の名乗りに酔いしれるかのように天を仰ぐ男。

 一瞬男を見たが、何をしているのか分からない奴に関わっている暇などありはしない。

 変なものを見なかったことにしてもう一度試すために違う方法を試すことにしよう。

「おい、草薙。俺を無視するな」

 石割の怒声を受けて尚、三歩ほど前に進んだ弥生だったが、はたと顔を上げ振り向いた。

「あ、俺の事か。すまんな、その名前に慣れてなくて」

「言い訳はどうだっていい。草薙、俺を無視するなんて、いい度胸じゃねぇか」

「そりゃどうも」

「褒めてねーよ」

 男の言葉を適当にあしらう。

自分が抱えている問題に比べたら、誰だかわからない奴に絡まれている事は、非常にどうでもいい問題であり、本音を言えば、そのまま帰ってもらえれば幸い程度に考えているからだった。

 

弥生は知らないことだが石割にとっては、弥生を倒せるかどうかが散花を嫁にもらえる条件にしてしまったがために、気合の入り方が弥生のそれとはまるで違う。そんなことにも関わらず、まるで相手にされないことに腹を立て、ますます熱が入っていくのだった。


「まぁいい…。ここで会ったが百年目だ、草薙」

「え、俺の事知ってんのか」

「知らん。初めて会った」

 いっそ清々しいまでに言い切る男の反応に、一つの結論にたどり着く。

 それは「馬鹿に関わってはいけないこと」

 すぐにそこから立ち去ろうとすると、男は背中から声を投げかけてきた。

「お前、敵わないと思って逃げるのか。草薙。うわ、情けねぇ男だな、おい」

 露骨な挑発をしてくる男に、腹を立てる前に何故こんなにしつこく絡んでくるのか不思議でしかなかった。

振り返ると五歩ほど先、腕を組んで胸を反らしている。

 ふと、ある考えがよぎる。それは自分が持っている「力」を探る事。

散花の力は、簡単な指示に従わせる事。耳無の力ははっきりと分からないが、自分が着ていた服を脱がしたことを考えると同じような力のはず。その二つに共通していることは、「相手を操る」事なら、自分の力も相手の行動を支配できるのではないか、そう考えた。

しかし、そのために必要なことが一つあった。それは相手の名前だった。最初に名乗った気がするが、聞きそびれたことが悔やまれる。先ほどから「草薙」と連呼している以上、相手は自分の名前を知っている。

そのことはどうでもいい。「弥生」を知られていなければ、力は使えないはず。だけど、それはこちらも同じこと。相手の本名を聞かないことには、何も出来ない…どうすれば良いのか。

 考えあぐねた弥生は、いっそのこと直球勝負に出てみる事にした。

「さっきから草薙、草薙ってうるせぇな。お前の本名、なんなんだよ」

 さりげなく本名と問い、聞きだしてみる。もちろんこんな言葉で答えが返ってくると思っているほど、甘くはなかった。要は時間稼ぎ、早く次の質問を考えなければ。

「ははは。いきなり問われて名乗るほど、この石割、馬鹿じゃないんだよ」

 想像をはるかに上回る単細胞に、相手にしていることが恥ずかしくなってくる。それはともかくとして、「石割」という名前を聞き出せたことをよしとし、自分の力について考える。

 さっきは行動を直接指示したため、通じなかった。それならば、と今度は体の一部の行動を奪う事をしてみる。

『石割、口を閉じろ』

 本人には聞こえないように、囁くように発した言葉は、当然音としてしか聞こえていないようだった。

「あ、何か言ったか?」

 失敗。話しかけられたことに反応し、石割は耳を向けながら問いかける。言葉を発している時点で、力は発動していない事を意味した。

「なんでもねぇよ。やっぱり、使えやしない」

 そもそもとして、自分の力は元より、「石割」という名前が本名なのかも判断できないのだが。

 そんな思惑などお構いなしに、石割は肩を回しながら近づいてくる。

「まぁ、いいや。俺はお前をぶっ飛ばす。それでいいな」

 石割の言葉を聞き、理解したのち、それでも聞き間違えではないかと頭の中で反芻し、それでも言われた言葉に間違いがない事を確認した。

「お前、何言ってるの」

 思わずそう尋ねてしまったが、すでに暴走を始めている目の前の男は何も聞いていない様子だった。

「お前に恨みはないが…。散花との蜜月のため、ここで俺に殴られ往生しろ」

 石割の殺気だか妄想だかよく分からない勢いを感じ、身構える。

 二人の間はおよそ五歩。手練れ同士の戦いなら一瞬で縮まる距離しかない。飛んでくる拳を見極め、対処しようと…しかし、拳は飛んでこない。殴りかかってきてはいるのだが、その速度は予想をはるかに下回り、いっそのんびりと表現することが妥当だった。

 構えを解くと日常生活と変わらない速度で拳を避ける。

「俺の拳を避けるなんて、やるじゃねぇか」

「…なぁ、そんなに遅くて、本当に俺を殴る気なのか」

「問答無用」

石割は叫び声を上げながら、再び拳を繰り出す。もう構えすらせずに一歩踏み出し拳をかわす。

避けられた石割はすぐさま追撃の回し蹴りに移るも、脚の下を難なくくぐる。そこから、体勢を立て直すと腰だめに拳を持っていき、正拳突きの構え。後ろ飛びで下がると、拳は虚しくも空を切る。

 本来であれば緊迫した肉弾戦のはずなのだが、如何せん石割の動きが遅い。遅すぎる。

「俺の…拳を…躱すなんて…やるじゃねぇか」

 肩で息をしながら、まだそんなことを言う石割に、憐みの目を向ける。

「なぁ、もう辞めにしないか。なんだか弱いものいじめしてるみたいに感じてきた」

「誰が弱いって。お前は必ず、ぶっ倒す」

 弱いと言われただけで、疲れているにも関わらず激昂する石割。こんなにもわかりやすい人間を相手にすることが久しぶりで、すっかり毒気の抜かれてしまう。

もはや無視する事を決め、石割に背を向け、歩き出す。

「隙あり」

 石割は背中を向けた弥生に向けて殴りかかる。しかし、殴りかかる前に声を出している以上、不意打ちに気が付かない訳もない。

 振り向きざまその場にしゃがむと刀の柄の先端を石割の鳩尾に叩き込んだ。自らの進む力と柄の衝突に、石割はその場に崩れ落ちた。

「俺を…倒すなんて、げほ…やるじゃねぇか…」

 この期に及んでもまだ強がる石割に、苦笑いを浮かべるしかなかった。

「訳分からねぇ。おい、石割。お前なんで俺に殴りかかってきたんだよ」

 倒れこんでいる石割に尋ねるも、反応はない。

「お、おい」

「気絶しているために話せません」

 仰向けに寝そべりながら、はっきりとした口調で答える石割。

 本人は大真面目なのだろうが、いきなり殴り込みに来られ、あっさりと負けたにもかかわらず、こんな態度を取られれば、誰でも苛立つだろう。

 無言で倒れている石割に近づくと、腹を踏みつけた。

 狙ったつもりは無いのだが先ほど柄で打ち抜いた鳩尾を再び踏んでいた。身体から空気が無理矢理抜ける、嫌な声を出した石割は、悶絶しながら転げまわる。

「あ、悪い」

 あまりの苦しみっぷりに思わず謝ってしまう。苦しみの臨界を超えたのか、ゆっくりと起き上がり、あぐらを掻く石割。

「…なにしやがんでぇ」

 鳩尾を抑えながら、睨みつけてくる。そんな態度に怒りを通り越して呆れてしまう。

「お前がいきなり突っかかって来たからだろうが」

 ため息交じりにつぶやく。

 いい加減おふざけにはもう付き合っていられない。刀の鯉口を切ると、石割に再度尋ねる。

「お前、なんで俺に殴りかかってきたんだ。事と次第じゃ、斬るぞ」

 無論、斬るつもりなんて毛頭なかった。

 というより、石割の実力では斬るに値しないというのが本音である。刀は、力だ。そのことを実感させた後の人間は大抵二通り。知っている事をすべて話すか、それとも頑なに口をつむぐか。どちらにしろ、主導権はこちらが持っている。そのことは変わらない、はずだったのだが。

「あー、お前、素手の俺相手に刀使うのか。情けねぇな、おい」

 予想の斜め上からの指摘に思わずたじろいでしまう。

 素手でもあっさり負けた相手に刀を見せられ、怯えるどころか、噛みついてくる相手がいるとは。先ほどまで呆れていた感情が、再び怒りに戻ってくる。どちらかというと石割に対してと言うより、そんな相手をしなければならない自分に対しての怒りなのだった。

「もう一度だけ聞く。なんで俺を襲ったんだ」

 先ほどまでと違い怒りを隠そうとはしなかった。

 雰囲気が変わったことを察したのか石割は初めて身震いする。


 弥生には当然伺い知れぬことではあるが、石割の脳内は散花と交わした約束が再び燃え上がっていた。

 それはすなわち、「草薙を追い出して、散花と所帯を持つこと」

 散花から同意を得ていない事など、すっかり忘れている石割は、再び弥生に噛みついた。

「うるせぇ。いきなりこの村に入り込みやがって。ここで何するつもりか知らねぇが、村の平穏は俺が守る」

 いきなりいわれのない言いがかりを付けられた弥生の怒りはさらに増していく。

 もはや取り繕うことなく怒りを前面に出していく。

「ここに興味なんかねぇよ」

「だったら出て行け。この村に、お前の居場所なんかねぇんだよ」

 石割にとって、売り言葉に買い言葉だったのだろう。しかしその言葉は弥生の心をえぐるには充分すぎる威力を持っていた。

(俺の居場所なんてない、か)

 自身の居場所がない。

 そのことは弥生自身が一番感じていることだった。

 この村が、という訳ではない。どこに居ても、弥生はその組織、その集団に馴染めずにいた。

「だったら、出方を教えろ」

 冷え冷えとした声に、思わず答えを窮す石割。今までの弥生とはまるで違う雰囲気に、冷や汗が流れる。今の弥生と相対しているだけで呼吸が乱れている。

「どこでもいい。森を抜ければいいじゃねぇか」

「そうか。そのまま見ていろ」

 石割の震える声に、何の反応もせず、ただ従う。そのことが逆に、石割の震えがひどくなっていく。

 しかし、石割は手を打った。どんな状況であれ、弥生は石割の言葉に従い、村を出て行った。その事実に違いはない。そうだとすると、「散花と交わした約束を石割は守った」という事になる。

 やや強引なこじつけにも思える名案に石割は立ち上がり、こぶしを天に指す。

「やった…やったぞ。今度こそ、散花を嫁に…」

 喜び勇んで振り向くと、後ろには、弥生が立っていた。


驚きのあまり声も出せない石割を余所に、淡々と言葉を発する。

「出れないんだよ。森を抜けようとしても、どうしても同じ場所に戻ってくる」

「お前、森の奥に入ったのか。それで、何ともないのか」

「何言ってる。この通り、元の場所に戻ってる。これが何ともない事なのか」

 先ほどまでの驚き振りから打って変わって、石割は真剣な表情で頭を抱える。

「正面から戻って来るならわかる。消えたくないからな。でも、なんで後ろから出て来れるんだ…」

 弥生のことなどまるで気にしていないように、一人の世界に入り込む石割の胸倉を、弥生は掴んで引き寄せる。

「ここは、俺の居場所が無いんだってな。出られもしない、居場所もない。だったら、どうやって生きていけばいいんだよ」

 胸倉を掴んだ、弥生のこぶしがかすかに震えている。目は相変わらず沈んでいた。

「あんたたち、何やってんだい」

 その時、二人の間に割って入る散花の声が響く。散花の後ろから、耳無と標もついてきている。三人を目に写すと弥生は掴んでいた手を開く。石割は、その場で尻餅をついた。

「あーぁ、結局返り討ちじゃないか。情けないったらありゃしない」

「すまねぇ、散花。もうちょっとで所帯を持てるはずだったのによ」

「あたしは別に所帯なんか持ちたくない」

 目の前で繰り広げられる痴話喧嘩に、弥生の目はさらに影を落としていく。耳無が追いつくと、弥生に声をかけた。

「石割が申し訳ない事をしたね。悪気があっての事じゃないんだ。これから、仲良く…」

「こいつに言わせれば、俺の居場所なんてないんだとよ。俺だって、ここに居たいわけじゃない。あんたならここを出る方法、知ってるんだろ。教えろ。さもないと…」

「さもないと、なんだね」

 言葉の最中、弥生が抜刀するために鯉口を切る。耳無は、弥生の刀、柄頭に手をやると、そのまま刀を納めさせる。

「あんたは、力にしか訴えないんだね。よろしい。それならあたしも「力」に訴えよう。『弥生、君の刀を封じる』」

 耳無は、静かに、しかし重い口調で「力」を使う。耳無の力は、道具を操る。あくまでも使う人間ではなく、道具にかける「力」であるため、散花のように力の跳ね返りは一切ない。しかし、使えるものは道具に対してのみ、その上その道具に直接触っている時にしか力は使えない。なので、弥生に「力」を聞かれたとき、はぐらかしたのだ。

 弥生は「力」を受けたことを分かっていながら、柄を握る手に力を籠め、刀を抜こうと試みる。そんな弥生を冷ややかに見ながら、耳無は言葉を続けた。

「ここでは、そんなものが無くても暮らしていける。みんなそうやってる。それが出来ないなら、消えるしかない」

 「消える」という言葉の前に、一瞬の躊躇を見せた耳無だったが、そのことに気付いたのは、標だけだった。弥生は言葉を受け、今にも血が滲みそうな手のひらを柄から離す。

「上等だ…。そんなに人をこけにするなら…」

「いい加減にしろ」

 今にも殴りかかりそうな弥生に対して、怒声を浴びせたのは散花だった。

「いい大人が子どもの前で目見開いて、歯剥いて…恥ずかしいと思わないのかい」

 散花の発言に口を挟む前に、言葉の方向は弥生から耳無に移り変わる。

「あんたもだ、耳無。らしくない。少し、頭冷やした方がいいんじゃないのかい」

 散花の言葉に当の耳無より、弥生の方が目を白黒させる。てっきり身内でかばい合い、弥生が標的になると思っていたからだ。そんな弥生の事など、お構いなしに、散花の独壇場は続いていく。

「耳無、このかんしゃく玉は私が預かる。あんたは、自分を取り戻しな。草薙、あんたに仕事を教えてやる。一緒に付いてきな」

 言うが早い、散花は弥生の手を引くと、森とは反対方向に進もうとする。勢いに飲まれ、三歩ほど進んだ弥生だったが、そこで立ち止まり、散花の手を振りほどく。

「冗談じゃない、なんで働かなきゃ」

 噛みつく弥生に散花は頭に付けていたかんざしを引き抜くと、弥生の喉元に突き付け、ぴたりと止めた。

「あんたもきゃんきゃん喚かない。ここまで来たなら、覚悟を決めな。なんだったら、あんたの喉笛、ここで掻っ切ってもいいんだよ」

 まっすぐに弥生の目を見据える散花。そこには何の躊躇も宿っていなかった。

「…わかった。付いていく」

 不承不承、首を縦に振る弥生。その言葉を聞くや否や、素早くかんざしで髪をまとめ、振り返らずに前を進んで行く散花。弥生は、置いて行かれないように、駆け足で付いていった。

 二人が見えなくなるまで、無言だった三人。最初に口を開いたのは耳無だった。

「みっともない所を見せちゃったね」

 頭を掻きながら情けない声を出す耳無。それまで呆然としていた石割が、気絶から覚めたかのように、瞬きを重ねる。

「…それより、散花どこか怖くなかったか」

「なんだい。気持ちが揺らいじゃったのかな」

 耳無の茶化した言葉に、石割は震えた声でむきになって否定する。

「馬っ鹿野郎。惚れ直したところだよ」

 どうやら図星のようだった。確かにあんなに怒りをあらわにした散花を見たことは、耳無にもなかった。石割は、そわそわしながら、二人が進んで行った方向を眺めている。

「散花、あんな奴と二人で大丈夫かな。俺がちょっと様子を見にいって」

「やめときな。ああいった手合いは、二人きりの方が素直になれるものさ。…あたしも見習わなきゃいけないね」

 言葉の後半は、小声になる耳無。石割は何か言いたげではあったが、結局何も言わなかった。そのまま太陽を見上げる石割。ほんの少しではあるが、日は西に傾き始めていた。

「さてと。俺はそろそろ晩飯の獲物を仕留めてくるかね」

「あぁ、そんな時間かい。大物を頼むよ」

 石割は、耳無の言葉を聞いたのか聞かなかったのか、反応を示さないまま、森に入っていく。そして、足を踏み入れる直前、振り返ると耳無に尋ねた。

「なぁ、あんたは大丈夫なのか」

 いつになく真剣な目で問いかける石割に、言葉を失ってしまう。

「あたしの心配なんかより、晩飯の用意は良いのかい。日が暮れたら、戻ってこれないんだろ」

「あ、やべ」

 耳無の茶化すような言葉に、石割は慌てて森に入っていく。後姿を見守ると、耳無はため息交じりに言葉をこぼした。

「大丈夫なのか…か。石割に心配されるようじゃ、本当になってないかもね」

 本音を言えば、弥生を追い出したいのは、耳無も一緒だった。なにせ、やつは…。

「耳無」

 いつの間にか隣に立っている標。標が近づいてくる事にも気が付かないとは。苦笑を浮かべながら「なんだい」と返事をする耳無に、標は、手を上から下に繰り返し上下させている。その意図を図りかねていたが、屈んで欲しいのかと納得がいった。

「これでいいのかい」

 標の目の高さに自分も合わせる耳無。すると標はその小さな手で、耳無の頭を撫で始める。ゆっくりと、柔らかく撫でる標は、相変わらず無表情のままだったが、耳無の頬は自然と緩んでいく。

「耳無、無理はしないで」

 そう言うと撫でるのをやめる標。どうやら、本当に自分を見失っていたようだと、自分自身に呆れてしまう。耳無は、今度は標の頭を撫でると、立ち上がった。

「もう大丈夫だよ、標。さ、家に戻ろう。晩飯は石割がとって来るが…何がいい」

「しらたま」

 石割に課せられた獲物の難度に苦笑を浮かべるしかない耳無だった。

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