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御魂の森  作者: 長峰永地
11/13

十一・それぞれの戦い

 凪は、全兵を集め、整列させていた。皆、疲弊の色を隠せない。連日連夜のあてどない捜索に疲れ切っていた。

 凪と傍らの柊は、三十余名の兵の前に立っている。

「将軍様、驚きましたな。森の中に、こんなに拓けた場所があるなんて」

 柊の言葉に、凪は眉をひそめた。

「柊、お前は何を言っているんだ?」

 凪の言葉に機嫌を損ねたと思ったのか、柊は頭を下げ、再び傍らに控えた。

「皆の者。この奥にある村に弥生がいる。生かして連れて来い。連れて来たものには、金十枚をくれてやる」

 兵たちにどよめきが走る。金十枚。今回の仕事は、十人で金一枚ほどの金で雇われている。もし、弥生を連れてくる事が出来れば、残りの人生、ほとんどが遊んで暮らせる計算になる。

 だが、興奮している者と今までの事で、金十枚でいのちを捨てるのか天秤にかける者、およそ半々といったところであった。その不安を感じ取ったのか、兵は誰一人として動こうとはしなかった。徐々に、だが確実に尻込みする人間は増えていく。そんな中、一人が声を上げて叫んだ。

「金は要らない。こんな危ない仕事なら帰らせてもらう」

 その男の声に水を打ったように静まり返る兵たち。皆、恐れているのだ。弥生に、そして人を食らうと言われる、この「御魂の森」に。

 風切と土蜘蛛が帰って来ていない事も、皆を静まらせることに充分だった。柊すら、その存在を知らされていなかった、隠し玉。その二人が昼間に出て行き、そして帰らなかった事は、すでに噂になって広まっている。弥生に返り討ちにされたか、森に食われたか。どちらにしても、いのちを惜しむ者にとって、どれだけ報酬が上がろうが生きて帰る以上の報酬は凪に用意できないのだ。

 凪は静まり返った兵たちを見回し、一人の男を指差す。それは先ほど、金は要らないと叫んだ男だった。男の周りから人が離れる。凪の手招きを受けると、男は冷や汗を流す。足を動かす事が出来ない。しかし、凪は手招きをやめることなく、目も逸らさない。

 一歩、一歩と歩みを進める男。凪の目の前までたどり着くと、こう問われた。

「そんなにいのちが惜しいのか」

「それはもちろん…」

 次の言葉は出なかった。凪の刀が男の首を飛ばしていたからだ。

「だとしたら、前に進め。貴様らのいのちは、金で買われている。生かすも殺すも俺次第だ」

 先ほどより静まり返る兵たちに、凪は言葉を続けた。

「敵に背中を向ける者は、俺自ら斬ってやる。逃げたいものは、俺を斬り殺す覚悟を持って逃げるがいい」

 凪が啖呵を切ると、一人が怒声を上げた。凪に対してではなく、森に向けた叫び。

 徐々にその数は増えていき、最終的には皆で叫び声をあげている。後ろに確実な死が、そして前には未知の死が置かれたこの状況で、前以外の選択肢が残っていなかったのだ。

「さあ、行け。全てを踏み潰して来い」

 凪の号令に、皆は一斉に怒声を上げ、我先にと走りゆく。皆の脳裏にあるのは目の前で飛ばされた首。そして、手柄を立てねば飛ばされるのは、自分の首だと言う恐怖。その二つに支配された兵たちに、もはや迷いはなかった。

 凪の隣に立っていた柊は、慇懃に頭を下げる。

「将軍様、この村、何があるか分かりません故、私も前線に立たせていただきます」

 柊はそれだけ言うと凪の返事も待たずに走り去る。その姿を見送った凪は、張り付いたような笑みがこぼれていた。

「村、ね。命、居るんだろう」

 凪の言葉に答えるように、鈴の音があたりに鳴り響く。木々の間を縫うように、命が姿を現した。

「気安く、呼ばないでくれる?」

「そう言うな、囚われの鬼姫。しかし、何が望みだ?俺を使って何をしようとしている」

 命は兵が進んだ方向に向き直り、答える。

「そうね。あなたが見ているこの景色。それが私の望み」

 凪は、改めて命の見ている方向と視線を合わせる。

「これが?こんなことが?」

「おしゃべりはそこまで。あなたが狙う彼、今も対等だと思う?」

 凪の言葉を途中で切り、妖艶に微笑む命。凪はその事に気分を害した様子もなく、むしろ愉快そうに笑みを浮かべる。

「ほう、それはそれは。だったら、俺も準備が必要か」

 羽織っている着物をはためかせ、凪は森の中に進んで行く。傍らには命が付き添っていた。



 今更の話になるが、今森を攻めている兵たちに凪が出し続けた指示が一つあった。それは、決して一人にならず、必ず誰かの近くに居る事。そうすれば、たとえ自分より腕の立つ人間と出会っても、生き残れる可能性が上がるからだ。凪の隣には常に弥生が居たため、自然と後ろを任せる相手が決まっていて、相棒の動きも知っていた。弥生を追い詰めた二組、田吾作・太一と、風切土蜘蛛も同じだった。そのため、誰かの力を借りて戦うことに何の疑問も持っていなかった。

 凪の誤算、それは人間誰も彼もが他人のために動けるわけではない。その事を理解していなかったのだ。


「おらおら雑魚共、かかってこいよ」

 真っ先に飛び出して行った石割は、早くも戦闘状態に入っていた。いや、正確に言おう。戦闘らしい戦闘になっていなかった。それは、石割が出会いがしらに次々と兵を一撃で昏倒させているからに他ならない。解状態の石割は、それほどまでに凄まじいものだった。

 出会いがしらの兵を正拳で吹き飛ばし、気付いた者たちに取り囲まれる。その事を石割はむしろ楽しむように自分の唇を撫でる。

「面倒だ、まとめてかかってこい」

 素手の相手に手招きされ、兵たちは青筋を立てる。一人が石割の後ろから打ちかかる。石割は、難なく躱すと、裏拳で刀をへし折った。刀を折られた兵は動揺し、その場で固まってしまう。棒立ちになっている兵の顎に、石割は蹴りを刺す。蹴られた兵は、一回転しながら顔から地面に落ちていく。その事が合図となり、囲む兵は声を上げながら一斉にかかってくる。片手で足りぬ人数に囲まれ、次々に襲いかかる刃を、石割はいとも簡単にさばいていく。

 石割の「力」は、自身の力を抑えるだけではない。究極の肉体操作だった。自分の肉体であればあらゆる操作ができる。石割は自覚していないが、動体視力を高め、最初に襲い掛かってくる刃を判断。そこから、自分が入れる安全地帯を見付けだし、潜り込む。準備動作もその時点で行っている。そして攻撃の際に、血流を操作し、速度を高め、打撃の瞬間に皮膚の硬質化を行う。

 これだけの事を流れるように、自動的に行ってしまうのが、石割の解状態だった。命の「力」を帯びた弥生の身体には悲鳴を上げた拳も、通常の刀や兜程度、一撃で粉砕するのだった。

 そして、石割が多人数を捌く事の出来る理由がもう一つ。それは石割の身体能力があればこその話だが、状況を細かく切り取れば、一対一なのだ。

 何人に取り囲まれたところで、同時に襲ってくる数はたかが知れている。その一つ一つを丁寧に捌く。ひたすらに、根気よく。たったそれだけの事しかしていないのだが、石割は次々に兵を倒していく。出来事としたら、ほんの一分ほどだろうか。その短い時間で石割を取り囲んでいた兵、全てをなぎ倒していた。

 そして、自分のいのちを助けるためだけに戦う兵と、この戦いを勝ち抜き、散花と所帯を持つ事を目的としている石割。戦いへ向かう気持ちがどちらの方が強いか、その強さがおのずと結果になっただけだった。

「準備運動にもなりゃしねぇ。俺を倒したいんだったら、十倍の人数を連れてくるんだな。待ってろ、散花。俺はお前を手に入れる」

 石割は再び走り出す。この戦いの先。散花との蜜月を目指して。


「くしゅん。嫌だね。風邪でも引いたのかね」

 散花は、森を歩きながら、つぶやく。周囲のざわめきとは無縁と言わんばかりに、軽やかに歩いていく。このまま、誰とも出くわさずに命までたどり着ければいい。話してわかる相手ではない事は分かっている。しかし、命の、浮かべているであろう表情、斜に構えた笑顔をはたいてやらないと気が済まない。

 命と一番縁の遠い自分だからこそ、事情も知らないからこそ叱る事が出来る。そう考えていた。

 命について知っているのは地下に幽閉されていたことしか知らない。一度きりしか会っていないし、詳しい話もしていない。幽閉された理由も知らない。だからこそ言いたかった。あんたは間違っていると。

 命を叱る言葉を考えながら歩いていると、四人の男たちに見つかってしまった。刀を掲げながら近づいてくる男たち。間の悪い。心の中で舌打ちをしながら、しなだれるように身体を一人の男に預けた。

「助けてください。いきなり襲われて困っていたんです…お礼はいくらでもしますから」

 そう言いながら、元々開いている胸元をより広げた。


男たちは戸惑ってしまった。凪からは殺せと言われているが、目の前で首を刎ねられた仲間を見ている。何が何でも仕事を達成しなければという、義理はすでに感じていない。どうせ、ここで逃げても死んだと思われ探しもしないだろう。それならば、ここで女を連れ去った方が、楽しめるのではないか。男たちはそれぞれに考えていた。

問題となってくるのは、自分以外の男たち。女を得られるのが一人ならば、取りこぼした男は必ず密告する。少なくとも自分はそうするだろう。そうなってしまうと、見も知らぬ女のためにいのちを捨てる事になる。そんな馬鹿馬鹿しい事など最初から頭になかった。つまり、機会を窺い、他の男を殺さなければならない。男たちは、それぞれが他の者を窺っていると、目の前の女は猫なで声を上げてくる。


「こんないい女を放っておいて何を考えてるの?なんなら、ここで良い事、しても良いんだよ…」

 散花のうるんだ目で見られた男たちは我先にと散花に詰め寄る。しかし散花はひらりと躱すと、帯に差してあった扇子を引き抜き、顔を隠す。

「これから楽しい事をしようってのに、お兄さん、なんて呼ばせないでおくれ」

 散花の艶っぽい言葉に、見初められたと思った男たちは次々と名前を言う。一人一人の顔と名前を一致させた散花はしっかりと頷き扇子を閉じた。

 散花の「力」は、他人の行動を操ることが出来るが、その人間が望まぬ事、例えば自害などに追い込むことは出来ない。無理矢理に従わせようとすると、力の逆流で散花自身を傷つける。つまりは。

「有難う。『木平太、官兵衛、研吉、幸之助。互いに斬り合え』」

 それぞれに扇子を指しながら名前を叫ぶ散花に男たちは不思議そうな顔をして互いに見合わせる。そして、徐々に上がる腕を見ながら、気付いた時には首を刎ねていた。何が起こったか理解する間もなく、男たちは崩れ落ちる。

 互いに互いを殺す。そんな考えさえ持っていなければ、散花の支配は及ばず死ぬことはなかった。己の欲が招いた自業自得の結果だった。

「あたしの名前を言ってなかったね。あたしは散花。男のいのちを散らす花だよ」

 散花は動かなくなった男たちに名乗ると、そのまま進んで行く。花びらのように、ひらひらと。


 耳無が森を進んでいると、男たちに取り囲まれていた。そんな状況にも関わらず、耳無は飄々とした態度を改める事は無い。

「ひの、ふの、みっと。お兄さんたち、あたしの事は見逃してくれないかい。ほれ、こんなの一人見逃しても、大勢に影響はないだろう」

 耳無の言葉を聞き終わらぬうちに、男たちは打ちかかる。耳無は慌てながら男たちの刃を躱すも、それぞれから、一太刀ずつもらってしまう。つまり、物に触れた。

「残念だよ。とってもね。『刀よ。己が想いを主にぶつけろ』」

 かすり傷程度とはいえ、耳無の条件、「操る物に触れる」事を満たした刀はふわりと宙に舞う。そしてその刀は、一本残らず持ち主の胸に納められた。

「手入れをちゃんとしていないからだよ。耳は無くても聞こえるんだ。物の、悲鳴がね」

 自分の持っていた刀に胸を貫かれた男たちを余所に、耳無は歩き続ける。

「あたしゃ博打が弱いからね。どの目が出るのか、お楽しみだね」

 不敵な笑みを浮かべながら、耳無は進む。その目が吉と出るか、凶と出るか。賽はすでに投げられている。


 柊は陰鬱な顔をして歩みを進めている。周囲に響く叫び声に反応して周囲を見回している。

柊の目的はただひとつ。たった一人の女を探すことだけだった。


 自分が生まれた村を襲撃する事になり、そして自らの手で斬った最愛の女、葵。未だに捨てられぬ巾着が未練と思いながら生きてきた。葵と逃げるわけでもなく、斬る事を選んだ自分の愚かさを背負いながら生きてきた。しかし、命がいるこの村なら、もしかして葵も生きているかも知れないと考えてしまう。そんな都合の良い、妄想じみた事と分かっていても、そんな淡い期待にすがりついて足を進めていく。


 そんな柊の目の前に、一人の人が立っている。近づいていくと、それは人ではなく、木々が寄り集まって出来た人型だった。その人型が何体も歩いており、兵を見付けると襲い掛かっていく。一体が柊に向き直る。顔が無いので、自分の方向を向いているか不安だが、一歩一歩自分に近づいてくる。

 柊は刀を抜くと、切っ先を人型に向けた。形は人を呈していても、急所までは同じと限らない。果たして、異形のもの相手に抵抗できるのか。

 柊の目前まで来た人型は、じっと動きを止めると、道を譲るように身体を開いた。

「…進んでいいのか」

 呆気にとられながら思わずこぼした言葉に、人型はゆっくりと頷いた、ように見えた。事実、兵にはすぐさま襲い掛かるにも関わらず、柊には身体を開いている。

「感謝する」

 柊は人型に礼をすると走り出す。もしかしたらという期待が高まっていく。人型と戦う兵たちには目もくれず、まっすぐに走り抜けていった。


「その人は、攻撃しなくていい。それと、そのほかも殺しちゃ駄目。狙うのは、武器か手足だけにして」

 森の中で独り言のように指示を出す標。木々に宿るいのち。そのいのちを紡ぎ合わせ、行動を共にする。木々だけではない。風、水、土。この森において、標の操れないものは、何一つない。

「こんなところに子どもが居るぞ」

 標が歩みを進めていると、一人の男に見つかった。男は仲間を呼ぶと、次々に集まってくる。

「白い着物…こいつの事か」

「引くなら追わない。来るなら、容赦はしない」

 大の大人を前に、標は一歩も引くことなく、啖呵を切る。年端もいかぬ子どもに上から物を言われ、戦場で気の立っている男たちの感情は一気に噴き出した。

「かまわねぇ、やっちまえ」

 容赦なく斬りかかってくる男たち。刀と標の間に土が盛り上がり、刀を止める。男たちが目を丸くするなか、標は手を向けると、そこから風の弾丸を撃ちだした。目に見えない空気の弾は、一人の男の腹に当たり、吹き飛ばす。男たちは互いに目を見合わせながる。標はわざと分かりやすく相手を痛めつけていた。その事で恐れをなして引いてくれれば標にとっても好都合だったからだ。

 無論そんな事など考えもしない男たちは、叫び声を上げながら次々に襲い掛かる。標は、男たちを見ながら、集中をしていく。

「人は自分が信じたいものしか信じない。なぜ、受け入れないの」

 数十秒後、その場に標はいなかった。代わりに転がっていたのは自然に歯向かい、なす術もなく打ちのめされた男たちのうめき声だけが聞こえていた。


 男たちは森を走っている最中人影を見つけた。距離を保ちながらにじり寄る。そして顔を確認すると、一人が血の気の引いた声で叫ぶ。

「や…弥生だ!弥生を見つけたぞ!」

 その声に、すぐさま集まる周囲の男たち。弥生相手に一対一で勝てると思っている者はこの場にいない。弥生と相対して生き残るには多勢に無勢を行なうしかないことは皆骨身に染みていたのだ。

「お前たちを殺したくない。失せろ」

 男たちが弥生の発した言葉の理解が遅れたのは無理もない事だった。凪といつも組んで出陣し、敵と見なせば問答無用で首を刎ねる。今までそうやって戦場を駆けて、兵隊たちにもそう教育してきた男から、「殺したくない」などという言葉が出てくるとは思わなかったし、耳を疑ったとしても無理ない事だった。男たちの顔がみるみる朱に染まる。それはそんな情けない事を言い出す弥生に対しての怒りが目に見えた形だった。

 一人が叫び声を上げながら斬りかかる。生け捕りが命令だったがそのことを忘れるほど男は怒りに支配されていた。

 弥生は刀を躱すと、自分の刀で斬りかかってきた男の腕を刺す。男が刀を取りこぼしたことを確認すると、腕から刀を引き抜いた。次々に斬りかかる男たち。弥生は慌てる事なく、順番に捌いていく。そして弥生の攻撃は肘より先、膝下。そして肩口と多少深手を負っても致命傷に至らない場所だけを斬っていく。

その太刀筋は男たちをさらに震えあがらせた。

 つまり、本気なのだ。

 殺したくないと言った事も、そして、この先に進む事も。

襲い来る男たちの戦意をことごとく折り、戦闘不能にした弥生は息一つ乱していない。

 弥生は歯噛みしながら叫んでいた。

「こんな事をして、何の意味があるんだよ、凪!」

 弥生の叫びは、宵闇に空しく木霊していた。


 抜き身の刀を煌めかせながら、歩いている凪は頭を押さえていた。

 鎮まることのない頭痛。むしろ酷くなる。この森の中に入ってから凪の足は震え、立っていることすら危なげなようだった。

 しかし凪はふらつく足元をどうにか踏ん張り、歩みを進める。進んだ先に、何があるのか、凪自身もわかっていない。

 顔を上げると、人影が凪の視界に入る。肩で息をしている凪に向かい、まっすぐに歩いてくる。目を凝らし、進んで来る人物を待つと、現れたのは耳無だった。

 耳無は、驚いた表情を見せると、ため息を吐く。

「…『初めまして』」

「『初めまして』だな。菅野殿。それとも耳無さんとお呼びすればよろしいのかな」

 凪の言葉に、耳無は目を見開く。その反応を楽しむように、凪は喉の奥で笑っている。耳無は、自分の耳を引っ張りながら、凪に話しかける。

「覚えていたのかい。本音を言うと忘れてほしかったんだがね」

「忘れていたさ。まあいい。お前と出会えたのも何かの縁。さぁ、殺し合おうじゃないか」

 凪は切っ先を耳無に向ける。しかし、耳無は笑って腕を広げた。

「女、子どもとやり合うつもりは無いよ」

 耳無の言葉に、凪は歯を剥く。

「なんだと。もう一度言ってみろ」

「何度でも言ってやるさ。自分の見たい物しか見ようとしない。そんな子ども、相手にしないって言ってるのさ」

「ふざけるなよ…」

「あんたを叱るのはあたしじゃない。好きにしな」


 急に体温が下がるのを感じた。女で馬鹿にされたと思った。今までの人生、女だからと蔑まれ、馬鹿にされる事ばかりだった。しかし、この男は、自分の事を子どもだから相手にしないと言う。叱るなどと、場にそぐわぬ事を言う。怒りはすでになかった。怒りを通り越し、無関心に至った。この男を相手にしてられないのは、こちらの方だ。


「ああ、そうか。じゃ、死ね」

 何のためらいもなく振り下ろす刃を受け、耳無は倒れる。崩れた耳無が、笑いながら最期の言葉をこぼした。

「博打は、負け…か」

 凪は言葉の意味を分からず眉間に皺を寄せる。再び頭痛が襲った。先ほどよりも強く響く頭の痛みに、凪は思わず声を上げる。

「ぁあ…。こんなもの…。今ので一人、か。ははは…楽しい森狩りじゃないか」

 頭の痛みは絶え間なく続いている。しかし、凪はそんな事をものともせず高笑いを上げる。目は血走り、息は乱れたままだった。

 そんな最中、凪の元に駆けこんでくる一人の影が迫る。凪は、足音の方向を見ようともせずにただ立っている。影は、刀を滑らかに抜くと、そのまま振り上げ、凪に刀を振るった。しかし、刀は途中で動きを止めると、すぐに鞘に戻って行く。

「将軍様、申し訳ございませんでした」

 刀を納めたのは、柊だった。凪に気が付くと、その場に跪く。凪は、振り向く事もなく、柊に尋ねた。

「どうした。女を捕えたのか」

「いいえ、この村予想以上に人気が少なく、未だ誰も見つけておりません」

 柊は報告しながら、凪の足元に転がる耳無の死体を見て目を見開く。

「菅野殿…」

 柊の言葉を気にする様子もなく、凪は、笑みを浮かべている。

「この『村』ね」

 柊は何故「村」という言葉を繰り返すのか、理解が出来ずに聞き返す。

「将軍様、いかがなさいましたか」

「いや、なんでもない」

 短い文言の直後森から一人の女がしゃなりしゃなりと近づいてくる。

「あら、お兄さんたち立派なお召し物だね。…嫌だね、じっと見つめて。あたしの顔に何か付いてるかい」

 現れた散花は、柊に一瞥をくれると、凪に近づいていく。その表情は戦場に居るとは思えないほど柔和で、凪も言葉を失って見つめている。散花は、凪の袖を掴むと、流れるような動作で手を握る。目を見つめながら、にこやかに話す。

「こんな場所であなたのように綺麗な人に会えるなんて思わなかった」


 芸事のために汗を背中に伝わす術を心得ていてよかった。過去に自分を斬り殺した女、その女がこの場に居るという事は、彼女が弥生の言っていた「親友」つまり、この騒動の首謀者。そうなのだとしたら、確実に名前を聞き出して仕留めなければならない。たとえ、自分の身に災いが及ぼうとも、だ。

 耳無が倒れている事に気づいていたが、血にまみれた姿を見るに、もう死んでいるか、生きていても助かりはしないだろう。だとしたら、下手に気遣いを見せて、抵抗の機会を失う訳にいかなかった。弥生に彼女の名前を聞いてなかった事が悔やまれる。しかし、好機と言えば好機に違いない。相手はここまで散花が近づくのを許している。弥生が村を襲撃したことを忘れているなら、ひょっとして自分の事など覚えていないかもしれない。いのちを張った、一種の賭けに出た。

「こんな物騒なところすぐに去りたいんだ。いのちの恩人の名前くらい、知っておきたいじゃないか」

 理由はなんでもいい。名前さえ聞き出せれば、それで終わる。自分の顔に汗が出ないか不安になる。しかし、そんな事をほんの少しでも出してはいけない。助かる安堵。逃げたい恐怖。自分の心をその二つで満たした。溢れんばかりの殺意を、完璧に自分の心から追い出した。凪は、散花に笑いかけながら、手を握った。

「名前か…。柊と言う」


 散花は凪の後ろに居る柊の顔を見てしまう。かつての知り合いの名を出されたからだ。凪はもう片方の手に握っている刀を腰に対して水平に構えると、散花の手を強引に引いた。柊に意識の向いていた散花は、凪に手を引かれそのまま刀をその身に受ける。

 まるで抱き合うように刀が刺さる散花の身体を凪の後ろから見ていた柊には、その姿が、かつて葵を刺した自分と重なって見えた。思わず目を背け、巾着を握り締める柊。

「残念だったな。俺は斬った相手を忘れない。まして、女を斬る事なんてまず無いからな」

 凪は、散花の身体から刀を引き抜く。刀と言う支えの無くなった散花の身体はよろめきながら後ずさり、木を背にして座り込む。口から血を吐きながら、散花は最期の言葉を柊に向けて発した。

「柊さん、あの子は、ここで待っていたよ」

「訳の分からぬことを…」

 凪は再び頭を押さえ、苦痛に表情を歪める。柊は、強く、強く巾着を握り締める。そんな二人の後ろに、石割が現れる。

「見つけたぜ…散花?」

 勢いつけて走りこんできた石割だったが、散花を見付けるやいなや、二人の間を素通りし、散花の死体に駆け寄った。

「散花。なぁ、散花。冗談だろ、散花…」

 何度も揺さぶり、意識の無い散花に声をかける石割。壊れんばかりに抱きしめ、それでも反応の無い散花の頭を撫でて立ち上がる。

「お前がやったのか」

 目を吊り上げ、喉が割れんばかりの声で叫ぶ石割。その石割の態度に不愉快さを隠そうとしない凪が見下した目をしながら吐き捨てる。

「戦場で、抜けたこと言ってんじゃねぇ。柊、目障りだ。奴を始末しろ」

 凪はそのまま、石割から視線を切ると、柊に歩み寄る。凪の言葉を受け、ふらふらとよろめきながら石割に向き合う柊。一歩、また一歩と徐々に距離を詰め、石割は、全身の毛を逆立てながら柊を睨みつける。

 凪と石割の、ちょうど真ん中に柊が足を進めた時、柊はその場で凪に向き直り刀の柄に手をかけた。

「…何のつもりだ」

「二度目だ」

 柊の言葉に凪が向き直る。歯を食いしばり、唇を血に染めながら、涙を流す男の顔。凪を睨みつけ、止まらぬ涙を拭いもせずに柊は続ける。

「二年前と、今回と。私は二度彼女を裏切った。もうたくさんだ。…私は、自分の生きたい道を選ぶ」


 常に考えていた。もし、二年前の襲撃の時、彼女を連れて逃げていたら。もし、今回凪の指示に逆らってでも村に入っていたら。結果は変わらず、彼女を助けられなかったかもしれない。もしかしたら、もっと悲惨な目に合っていたかもしれない。でも、それでも、自分を殺し生き永らえたところで、何も変わらない。呼吸しながら死んでいるような今の生き方で、愛する者を捨ててまですがりつく生に未練などとうに感じていなかった。

 凪の目を睨み続ける。凪の目の中にほんの少し、本当にわずかだったが、恐れながらも付き従った自分にだからこそ見えたほんの少しの逡巡。唐突に、凪の生き方、凪の心の端に触れてしまった、理解できてしまった。その事に気付いた瞬間、思わず叫んでいた。

「だから…だからあなたも」

「おしゃべりはそこまでだ。…来い、二人まとめて相手にしてやる」


 凪の目に、もう迷いは見えなかった。身構える柊と石割。柊が後ろに下がり、石割と目線を合わせる。そこに会話は無かった。水を打ったような静けさに包まれる。どこかで男の悲鳴が上がる。それが合図だった。

 先んじて仕掛けたのは石割だった。後先考えぬ全力の突進を凪は瞬きもせずに躱す。後ろから追撃してくる柊の刀をあえて受け、腕を引いて体勢を崩す。切り替えしてきた石割。凪は柊の背中を蹴ると石割に衝突させる。もみ合いながら倒れこむ二人。柊の背後に凪の刀が迫る。柊は倒れたまま、自分の背中に刀を回し、凪の刃を止めた。その間に石割は起き上がり、回し蹴りを撃ち出す。凪は、背を反らすだけで躱すと、石割の顔面に拳を叩き込む。さらに追撃しようと刀を緩めた瞬間、柊は刀を跳ね上げ、凪の体勢を崩した。そのまま柊は前受身をして距離を取る。二人は肩で息をしているにもかかわらず、凪は息一つ乱していない。しゃがんだまま凪に切っ先を突き付け、石割に近寄る。

「私が隙を作る。そこで決めろ」

 柊はそれだけ言うと凪に向かって立ち、大上段に刀を構えた。

 通常の上段に構える時より、さらに高く刀を掲げる大上段。振り下ろせば一撃必殺。だが、攻撃に振り下ろす以外の選択肢は無く、実践では攻撃にすらならない。柊はそんな事をお構いなしに、凪の前で構えを続ける。

 当然凪は出方を窺った。柊のこの行動のどこかに反撃の策があるのか、それともただの時間稼ぎか。柊の後ろで控えている石割が横に歩き、挟み撃ちにしようとでもいうのか。柊に注目させ、石割を自由に動かすための策だと考えた凪は、正面の柊に向かって渾身の突きを放つ。凪が動けば柊か石割が動く。どちらにせよ、凪の有利は動かない。

 柊が突きを捌いた後にどう出るか、凪はすでにその事を考えていた。刀を払うか、躱すか。どちらにしても、次に来るであろう石割の攻撃に注意をしていれば良い。そう考えていた。目の端で石割を捉えながら、柊の行動に集中する。払うか、躱すか。

 結果、凪の刀はそのまま柊の身体を貫いた。

 目を見開く凪。柊は、頬を緩めると、一言凪にしか聞こえないほどの小さな声でつぶやいた。

「ありがとう…」

 奇しくも凪の刀が貫いた場所は、柊が過去、愛する人を貫いた場所と一緒だった。そしてその刀は柊の胸に下がった巾着の糸を切り、地に落とした。

 柊は、最期の力を振り絞り、自分に刺さった刀を固く握ると、石割に叫ぶ。

「今だ…やれぇ!」

 石割は声を張り上げながら突進する。凪は深々刺さった刀を抜こうとするも、渾身の力で握られた刀はびくともしない。拳を振り上げ、凪の目前に迫る石割。

 凪は伏せて拳を躱すと、柊の刀を手に取り、石割の腹を振り抜いた。自身の力と交差で入った刀をまともに食らい、散花が横たわるところまで吹き飛ばされる。かろうじて立っていた柊も、振り抜いた回転の勢い、そのままに振り抜かれる凪の刀を貰い、うなだれるように崩れ落ちた。

 凪は地面に落ちた巾着を拾うと、柊の元に歩いていく。柊に刺さった刀を引き抜きながら、開かれた手に、巾着を握り締めさせた。固く。決して無くさぬように。

 今際に、柊が聞いた凪の「すまない」と言う言葉。それは果たして幻聴だったのか。こと切れた柊の顔は心なしか、幸せそうに見えた。

 一撃も貰っていないはずの凪が、ふらつきながら石割に向き直る。散花の傍らで仰向けに倒れている石割は上半身だけ起こすと、散花を抱き寄せる。

「くそ…。まぁ、いいか。最初から最後まで気に食わねぇが、おいしい所は譲ってやるよ」

 凪の後方を見つめながら、こと切れる石割。二人並んでいる姿は、まるで眠っているようだった。

「最期まで世迷言を…でもないか」

 凪は、歯ぎしりをしながら後ろを振り向く。石割が見ていた視線の先、そこに立っていたのは、皆の亡骸をその目に写し変わり果てた親友を睨む、弥生その人だった。

「ここまでする必要はなかったんじゃないのか」

「何を良い子ぶっている。お前がここに逃げ込まなければ、こいつらは死ななかった。お前が巻き込んだ。お前が殺したも同然だ」

「言うな」

 凪の嘲りに堪えられなくなった弥生は、凪に打ちかかる。凪は刀を正面から受け、お互い一歩も引かなかった。拮抗状態の鍔迫り合い。

「凪、どうしてこんな事を」

「お前とこうして殺し合うためだよ」

 凪は、刀を弾くと次々に刃を振るってくる。

「汚名を着せ、追えるようにしたのも、生け捕りにしようとしたのも、立場や地位なんて関係ない。今この瞬間。この時の殺し合いのためだよ」

 凪の刀を受け止め、弥生は歯を食いしばる。自分と殺し合う、そんな目的で多くの人を巻き込み、いのちを奪った凪を睨みつける。

「ふざけるなよ…そんな事のためにお前は」

「ふざけているのはお前だ」

 凪は、弥生の言葉を遮ると胸倉を掴み、弥生を引き寄せる。お互いの顔しか見えぬほど、近い距離で見つめ合う。

「それほどの腕を、人を殺める術を持っていながら何故殺さない。なぜ迷う」

「そんな事、お前の知った事じゃない」

 凪の射抜くような瞳に耐えられなくなった弥生は、胸倉を掴む手を振り払う。振り払われた手を見つめながら、凪は笑みを浮かべる。

「あぁ、俺の知った事じゃない。今までの事は関係ない。今、この瞬間。俺とお前は殺し合っている。この時をこの一瞬を存分の楽しもうじゃないか」

 凪の、狂気に満ちた目は、弥生を捉えて離さない。距離を取り、攻撃の機会を窺う凪を見つめ、傷付けずに止められると思っていた自分の甘さを痛感した弥生は、刀の切っ先を凪に向け、言い放つ。

『凪。自害しろ』

 言葉を受けた凪は、自分の持っている刀を首にあてがう。命に貰った強制的に従わせる「力」。意識を奪う事は出来ないまでも、どんな願いだとしても、行動を満たすまで支配できる力。弥生は凪の死を見るに忍びなく、目を閉じ、顔を背けた。

「いいね。目的のためならなりふり構わない。大いに結構」

 風を切る音がする。自分の首を切るだけなら、絶対に聞こえない音。振り向いた弥生に凪の刀が襲い掛かる。気付いた時には、弥生の肌を刀が走っていた。


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