2日目
(困ったことになった……)
メリッサに朝の着替えを手伝ってもらいながら、アイリーンは昨晩のことについて考えていた。
ベルナルドは、飄々とした物言いからは想像できないほど、口が固かった。
結局、アイリーンを軟禁した理由は分からずじまいだ。気に入った、囲う、なんて言ってはいたが、それをそのまま信じるほどおめでたくはない。スパイであるアイリーンを、たまたま気に入って、潜入とほぼ同時のタイミングで自由を奪う。偶然にしてはできすぎている。
押し倒されはしたが、あれは、単に警告だったのだろう。あまり考えたくはないが、本当に気に入ったというのであれば、あの程度で済まなかったはずだ。途中でやめる方が意味がわからない。囲うとまで言うのなら、なおさら。
のしかかられた圧が思い出され、屈辱に歯を噛んだ。無礼な接触を拒めない非力。わけもなく震えた体。それら全てが侮辱であり、アイリーンの誇りを傷つけるものだった。それを味わせた男とまた二人きりになるなんて二度とごめんだと思うのに、王太子はまた来るとのたまった。
アイリーンは二重三重に猫を被り直し、メリッサに向き合う。
「……メリッサ様、今夜は一緒に寝てくださいませんか? お願いします、私がソファで寝ますから……」
「まぁエマヌエラ様、私は侍女ですよ。様などいりません。敬語も不要です」
「それは私のセリフです! 昨日は殿下の誤解も解けませんでした……でも絶対に何かの間違いですし、これから間違いがあるととても困ったことになります! お願いですから、夜も一緒にいてください!」
メリッサは、やれやれ、といったようにため息をついた。
「殿下には、エマヌエラ様はまだ戸惑っておいでですよと、お伝えすることくらいはいたしましょう」
「……ありがとうございます……」
ほとんど援護射撃にもならないような返事に肩を落とすが、仕方がない。たとえ一緒にいてもらったとしても、王太子であるベルナルドが命じれば、メリッサは下がるしかないのだ。そんなことは最初から分かってはいたが、それでも今のアイリーンに頼れるのはメリッサだけだった。
「メリッサ様は……」
「メリッサ」
「……メリッサは、私がいつまでここにいなければならないのか、ご存じですか?」
「私も存じ上げません」
「そうですか……」
アイリーンは内心頭を抱えた。ここに軟禁され続けることに身の危険を感じるのはもちろんだが、もう一つ、任務上の重大な懸念がある。
アイリーンには仲間がいる。仲間というか、上官だ。アイリーンのようにこの国に潜入している人間は複数いるが、アイリーン自身は、それが誰でどこに入り込んでいるのか知らされていない。統括している男だけがそれを知っており、それがアイリーンの上官であり唯一顔を知る仲間だった。この国において、アイリーンの仲間は基本的にこの男――シリルだけと言っていい。
シリルとは定期的に直接接触することになっているのだが、軟禁されている今の状況では不可能だった。そして連絡が取れなくなった場合は真っ先に、裏切りないし逃亡を疑われることになる。
アイリーンにとっての問題はここにあった。王女アイリーンにとって、裏切りの疑いをかけられるということは、この上ない失点となる。本国におけるアイリーンの立場は元々弱く、小さな隙が命取りになる可能性は十分にあり得ることだった。
それを避けるためには、次の定期連絡の日までにここを脱出するか、最悪でもシリルに現状を伝える方法を考えなければならない。
アイリーンは鏡の中の自分を見つめた。メリッサの用意した服は、当然のように昨日着ていたメイドの仕事着ではない。動きにくそうな、つま先までをしっかり隠すドレスだ。
この部屋にあった衣服は、全てアイリーンのためのものだったらしい。いつの間に用意したのか、支給されたメイド服のサイズを参考にしたとは思うのだが、昨日はさらに詳細に採寸された。まだこれから仕立てる予定まであるらしい。いずれそれを着て外に出られるという希望を持てばいいのか、今から服を一揃い仕立てるくらいの間は軟禁状態が続くと悲観すればいいのか、まるで見通しが立たなかった。
ただ分かるのは、のんびり待っているだけでは絶対にここから出られないし、仲間との連絡も取れないだろうということだけだ。
「……確認しますが、私、メイドとして雇われてきてるんですけど、メイド服には着替えないんですね?」
「殿下が仕事はせずにこの部屋にいろとおっしゃるのですから、必要ありません」
「でも……そうだ! 朝食の準備くらいは私が……!」
「それをするために私がおります」
「ちょっと私物の忘れ物があって」
「私が代わりに取りに参ります」
「知り合いに手紙を書いたら渡してくれますか?」
「構いませんが、手紙の類は一度殿下にお見せすることになっています。多分軟禁をバラされたら困るからですね」
「……少し、外の空気を、吸いたくて……」
「……お気持ちは分からなくもないですが、しばらくは我慢なさってください。殿下に許可を頂いて参りますので」
「……分かりました……」
残念ながら、メリッサは主人の命令に忠実な、優秀な侍女だった。まぁ渡せる賄賂の一つもないアイリーンの無理な頼みなど、聞いてくれる使用人のいるはずもなかったが。
許可か……。許可などとても下りそうな雰囲気ではなかったけれど。メリッサからのお願いならなんとかなるのだろうか。それとも、もう少し従順なフリをしていれば、ガードも緩くなるだろうか。
だが次の定期連絡は5日後だった。それまでになんとかなるとは、今の状態だと全く楽観できない。
妙案のないままぐるぐる考えていると、ノックの音がした。朝食が運ばれてきたらしい。受け取って戻ってきたメリッサは、朝食の他に花束を抱えていた。
「それは?」
「殿下からの贈り物のようですよ」
色とりどりのガーベラの花束だった。カードが添えられていて、『昨日のことは反省している』と手短に書いてある。
なんとも心に響かない謝罪だ。一応、後ろめたいことをしているという認識はあるというのが分かっただけでも良しと言えるだろうか。昨日のことは、と限定されているから、この軟禁生活について謝る気はないようだが。
しかしこういう時は、花言葉に謝罪の意味を持つ花を送るのが、気の利いたチョイスというものではないかと思う。確か、ガーベラにはそのような意味はなかったはずだ。まぁ、彼がそういったことにこだわらないタイプだったとしても全く不思議ではないが。
なにより気にかかったのは、ガーベラはアイリーンの一等好きな花だということだ。
アイリーンのことを知っていると言っていた、王太子。
誠意の証であるはずのその花束は、少し、気味が悪かった。




