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状況を整理しましょう

 このままではまずい。

 しばらく呆然として、どうにもこれが夢ではないことを思い知って、放棄していた冷静さを手繰り寄せた。

 

 現状を整理すると、だ。

 どうやらアイリーンは、王太子の知る「エマ」に間違われて、ここに閉じ込められているらしい。「エマ」が何をしでかしてこんなことになっているのかまでは分からないが。

 

 とりあえずスパイであると知られたわけではないようだが、本当の「エマ」でない以上、時間の問題だ。ここにいるアイリーンが「エマ」でないことは早晩発覚するだろう。人違いでしたごめんね、で済めばいいけれど、じゃあこいつは誰なんだと怪しまれることはなんとしても避けたい。

 

 私物は全て持ってきている。身分を詐称した証拠となるようなものは残していないはずだが、一つだけ危ないものがあった。アイリーンが王女であることを示す指輪だ。祖国と仲間に対して、自分を証明するための道具。万が一身元を怪しまれこの指輪を探られれば、物証になり得てしまう。

 少しの油断が、命取りになりかねない。


(私は人違いで連れてこられた、新人のメイドだ)


 それ以上の疑念を抱かせてはいけない。

 ぎゅ、と胸元を握りしめた。

 

 王太子はまた来ると言っていた。その時にもう一度説明するのは当然として。


(ここから出てはいけないけれど、さっきの騎士とは顔を合わせてもいいのよね?)


 アイリーンは扉をノックした。普通は逆でしょう……とどこか虚しい気持ちになりながら。


「何か御用でしょうか」


 よかった、まだいた。けれど、騎士の言葉使いが変わっている。こちらはただのメイドなのに。王太子から何か言われたのだろうか。


「あの、そんなに丁寧になさらないでください……殿下の勘違いなんですよ……人違いなんです。私、どうしたらいいですか……?」


 突然高貴な方に面会させられて心細い新人メイド、それが私だ。心細さに嘘はないから、迫真の演技である。


「……人違いかぁ。うーん、そう言われると、なるほどなぁ……」


 騎士も新人メイドを王太子と面会させるなんていう事態に、不審があったのだろう。ない方がおかしい。


「まぁでも、俺は命令を遂行するより他ないんでね。次に殿下がお見えになった時に、しっかりご説明差し上げろ」


(そうですよねー、それしかないですよねー……)


 予想の範囲内とはいえ、あまりに得るものがない会話に肩を落とす。

 王太子が来るまでは、現状のまま待機するしかないようだった。

 

 あとは、後で寄越すと言っていた侍女か。

 侍女をつけるような女性ということは、「エマ」はメイドではないのだろう。いくら名前が同じでも、侍女がつくような身分の人とメイドを間違うなんて、どうかしているが。

 

(――本当に、どうかしている!)





「初めましてエマヌエラ様。わたくしが身の回りのお世話を担当させていただきます、メリッサと申します」


 入るなり丁寧な礼と共に自己紹介をされて、アイリーンは彼女に駆け寄った。


「私を呼ぶのに様なんてつけないでください! 殿下の勘違いなんです、全部!」


 泣きつくアイリーンにメリッサは目を見張り、宥めながらソファへ座らせてくれた。こんこんと事情を説明するアイリーンの話を、うんうんと静かに聞いてくれた。


「なるほど。お話は分かりました」

「分かっていただけましたか! ですからここから早く」

「ですが、エマヌエラ様」


 出して、と続けるのを、メリッサは断固とした口調で遮った。


「エマヌエラ・トーレス様。分家の出でいらっしゃいますが、本家である伯爵家のご紹介で登城なさったとか」

「はい」


 そういうことにしてもらった。その伯爵家を買収して。


「私は貴女様のお名前、縁戚関係を、王太子殿下直々にそのように承ってまいりました。同じ経歴で、もう1人別のエマヌエラ様がいらっしゃるなど、あり得ましょうか」


 ぐうの音も出ない正論だ。

 王太子は、正真正銘、昨日生まれたばかりの作り物の女に会いたかったらしい。

 

 人違いの線が消えてしまった。

 でも、じゃあなぜ王太子はエマヌエラに会いたがり、こんなところに隔離しているのだろうか。エマヌエラ・トーレスは王太子に会ったこともないし、身分を偽っているのはさておき、今のところまだ法に触れることもしていない。

 

考えられる一番の理由は、何らかのミスにより、エマヌエラが実は隣国のアイリーン王女でありスパイとして潜入しているという事実が、最初からまるっと全部、完全にバレている場合だ。

 でも、それにしては王太子の態度が甘すぎる。人違いだと思ったのも、ひとえに彼の態度のせいだ。友好関係のない――むしろ敵対している国の王女や、自国を害するスパイに対して取る態度ではなかった。


 何も分からなくなってしまった。人違いでないなら、一体何だというのだろう。

 答えの出ない思考に陥っているアイリーンに、メリッサはきっぱりと宣言した。


「いずれにせよ、わたくしは殿下より、貴女は大切な方なのでお守りせよと命じられました。侍女としてお仕えいたしますので、よろしくお願いいたします」

「……よろしくお願いいたします……」


 これ以上拒否する理由もなく、アイリーンはメリッサを受け入れざるを得なかった。

 どう見てもこの事態を歓迎していない様子のアイリーンを、メリッサは訝しく思ったらしい。


「殿下のご寵愛を得られたというのに、嬉しくはないのですか?」

「ご、ごちょうあい!?」

「えぇ。殿下が大切な方だと仰るので、そういうことだと思ったのですが」


 違うのですか? と言うメリッサにアイリーンは開いた口が塞がらない。

 

 まさかの理由だ。いや、確かに理解はできる。アイリーンだっていつもなら、まぁ見初められたんだろうなと思っただろう。自分が昨日生まれたばかりの偽物でなかったなら。

 それに。

 

「……しかし、殿下にはご婚約者がいらっしゃるのでは?」


 確か公爵家の娘と、幼い頃から婚約関係にあったはずだ。


「そうですが、婚約していても新しい恋に目覚めることもあるのでは?」

「そ、そこは王太子殿下を諌めるべきところでは!?」

「まぁ……だからこうして、人目のない場所をご用意なさったのかもしれませんし」


 こちらにその気もないのに、突然浮気相手にされるなんて冗談じゃない。しかも、もし公爵令嬢に睨まれたら、今後スパイをやっていく上でも色々と不都合ではないか。

 いや、だから、そもそも王太子に大切とか言われる筋合いが一切見当たらない。


「殿下とは今日、初めてお会いしたばかりですし、さすがにそういった理由ではないと思うのですが……」

「エマヌエラ様はそうでも、殿下は前々からご存知だったのかもしれませんよ」


(それがあり得ないのよね……)


 百歩譲って、一目惚れだろうか。潜入以前に街を歩いているところを見かけて一目惚れ、その後新入りメイドの中にアイリーンの姿を見つけた、なんてストーリーはあり得るかもしれない。しかし、メイドになってからは絶対に王太子とは接触していない。城内で顔が判別できるような範囲に王太子がいたら必ず気づくし、気づかないのは場合によっては不敬にすらなり得る。


(やっぱり、素性がバレて……?)


「お顔色がよろしくないようですが。嬉しくはないのですか?」


 ぎく、と顔が引き攣る。普通の新人メイドは、会ったことのない王太子にいきなり愛されて閉じ込められて、嬉しいのだろうか。分からない。アイリーンの想像を超えた世界が今、広がっている。


「なにか、まずいことでも? 懇意になさってる男性がいらっしゃるとか?」

「いえ、あの、そういうことではないのですが……」


 まずいことはある。あるけれど、スパイのことを除いたとしてもやっぱりまずいことしかないので、困惑を隠す必要はなかった。

 泣いてやろうかこの野郎。


「ここから出るなとか、他人に顔も見られるなとか、言われなければ、普通に嬉しかったかもしれませんが……」


 王太子の意志に忠実な完璧な侍女の顔が、やっと少し崩れた。


「殿下がこのような形で女性をお連れになるのは初めてですから、正直わたくしも驚いておりますわ……」


 遠い目をした侍女に、アイリーンは乾いた笑いで応えるしかなかった。


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