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いきなり捕まりました

初投稿です。よろしくお願いします。

 新緑を思わせる明るい瞳をこれでもかと見開いて、アイリーンは、背後に響いた重い施錠音を反芻していた。


(閉じ込められた!? まだ()()はしていないはずなのに――!)


 隣国からここテルミナ国の王城を訪れている王女アイリーンは、侍女の一人も伴わず、部屋に立ち尽くしていた。


 だが、今の彼女を「王女」と認識するものはいないだろう。

 腰まで緩く波打つ豊かな茶髪は、今は邪魔にならないようシニヨンにまとめ、キャップを被せていた。紺のワンピースタイプのお仕着せに白いエプロンを身につけた姿は、どこからどう見ても王女ではない。ただのメイドだ。当然、ただのメイドに見えていなくてはならない。


 アイリーンは、スパイだった。 


 王女がスパイなど、あまり一般的には考えられないかもしれないが、祖国ヴァイナの――少なくとも父である皇帝にとっては、疑義を挟む余地のない人事であり、後ろ盾の乏しい第三王女にとっては立身栄達のためのまたとない手段だった。

 

 もちろん素性がバレないようあらゆる隠蔽工作を行っている。その上できちんと面接、身体検査をパスして、晴れて先日、王城のメイドとして採用されたばかりだった。

 作戦の第一段階は成功、あとは城内で情報を探り、テルミナ国の動向を監視し逐次報告を行う。それがアイリーンに課せられた任務であった。


 それなのに。

 なんの通告もなく、アイリーンはただ、この部屋に閉じ込められている。

 

(――いや、まだバレていない。バレたならこんな部屋に通されたりしない。閉じ込められたなんて思うのは、私に後ろめたいところがあるせいなだけで)


 だってまだ2日目だ。実質的には初日と言っていい。昨日は夕方に到着し、メイド長から軽く職場の説明を受けただけで、今日から持ち場について働く予定だった。

 それなのに朝からメイド長に指示されたのは、持ち場の説明ではなく自室の移動で。


 妙だと思いつつも、慌ててまだ少ない荷物をまとめた。部屋を出ると待っていたのは、メイド長でもメイドの先輩でもなく、年若い騎士だった。訝しげに思いながらも彼について行くと、案内されたのは城の中枢。下級メイドの立場で立ち入りを許可されるエリアを越えて、どんどん進んでいった。


 これは本当に私室への案内だろうかと不安を覚え始めたころ、騎士はある部屋の前で立ち止まった。もうこの辺りが何の部屋なのだか全然分からない。ノックもなしに扉を開ける様子に狼狽えるが、そこは無人だった。

 

 ほっとして部屋の中を見やると、そこは明らかに高貴な人が使うための部屋だった。ひと目見ただけで、置かれた調度品が一級品ばかりであることがわかる。

 間違っても新人メイドの自室になるような部屋ではない。


 これは何か行き違いがある。ドアを開けた姿勢のまま入るように促す騎士を、アイリーンはふり仰いだ。

 

「自室へ移動するようにと言われているのですが、ここは明らかにメイドに割り当てられる部屋ではないですよね」

「しかし、俺は君をこの部屋に案内するよう命じられている」

「……何かの間違いでは?」

「とにかく入ってくれ」

 

 融通の聞かない騎士の言葉に、立場上あまり強く出るわけにもいかず、これで怒られたら全部こいつのせいにしてやると決意して、しぶしぶながらもアイリーンは中に入った。


「ここで待機しろ」


 待機とは。

 慌てて振り返るが、詳細を尋ねる間もなく、騎士はバタンと扉を閉めて出ていった。ガチャンと外から鍵のかかる音が、した。


「――え?」


 ――そして冒頭に戻る、というわけである。


 内鍵はなかった。つまり今閉められたのは、内側から開閉可能なタイプの鍵ではない。

 さーっと、音を立てて血の気が引いていった。


 こんなふうに流れるように閉じ込められるなんて、想定外だ。しかもまだ怪しまれるようなことは何もしていない。素性を隠していること以外は。

 だが採用前の身元確認はクリアしているはずだ。だから王城に上がるのを許可されているわけで。

 

 ――もしかして、油断したところを捕まえるために、わざと採用した?

 

 最悪の想定が頭をよぎる。


(いや待て待て落ち着いてしっかりして私)


 さすがに罠にかけるためだけに、ここまでの侵入は許さないだろう。単になんらかの伝達ミスかもしれないし、案内した騎士がうっかり鍵をかけただけなのかもしれない。

 

 深呼吸を一つ。

 アイリーンは、今日配属されたばかりのメイドだ。どこにいようと、やることは同じ。真面目に仕事をし、信用に値する人間であることを周囲に印象付けていくだけだ。


(普通のメイドなら、何をする?)

 

 当然仕事をしようとするに決まっている。だが肝心の職務はまだ仰せつかっていない。待機とは言われたが、普通のメイドでもこの状況は落ち着かないだろう。


(やるべきことを探して、動き回っても不自然じゃない、はず)


 抱えてきた私物を置いて、部屋を観察して回った。通された部屋の続き間のドアを開けていくと、寝室、給湯室に浴室にトイレ。完全にここだけで暮らせるようになっていた。調度品も故国で王女が使うのと遜色ないレベルのものが揃っている。クローゼットにも女性用のドレスが既に置いてあり、高貴な誰かのために準備したという感じがそこかしこにあるのに、肝心のその人が留守なのがなんとなく落ち着かない。


 準備はされているが、使われた形跡はない。掃除して整えた直後のようだった。アイリーンがメイドとして働く隙がないくらいに。

 ここに来る貴人の、侍女役でもするのかと考えたが、仕える相手の名前も知らされないのはあり得ない。

 

 どう考えても情報が足りなかった。

 普通のメイドでも、ここまで分からなかったら、指示を仰ぎにこの部屋を出るだろうと思う。鍵をかけられた衝撃が大きくて頭が回っていなかったが、そもそも出るななんて一言も言われていない。不作法かもしれないが、ドアをドンドン叩いていたら誰か気づいてくれるかもしれないし、もしかしたらさっきの騎士が既に失敗に気づいて、鍵を開けてくれたかもしれない。

 

 エイッと扉を開けたが、ガチャ、と抵抗を感じるだけだった。

 肩を落とし、助けを呼ぼうと拳を振り上げたとき、逆にコンコンとノックが聞こえた。

 心臓に悪い。


「どうかしたか」


 扉の向こうから聞こえたのは、先ほど案内してくれた騎士の声だった。ドアの音に気づいて声をかけたと言わんばかりの反応に、もう一度アイリーンの血の気がひく。


 ――まさかずっと居たのだろうか。この部屋の前に。


「いえ、あの、私はここで何をすればいいのかと……どなたかお客様がいらっしゃるのですか?」

「ここに居るようにとしかご命令は受けていない。待機していてくれ」

「……分かりました」


 例えばこれから賓客を迎えるとして、客が来る‘’前”の部屋に騎士を置くだろうか。メイドがいるだけの部屋に。

 ――これではまるで、アイリーンが逃げ出さないようにするための見張りではないか。

 

 ドッと汗が噴き出る。


 しかし――仮にスパイだとバレていたとしたら、こんな所に閉じ込めることなく、真っ直ぐに牢へと連れていかれるはずである。

 ここは一介のメイドには入ることも許されない、王族のプライベートスペースに近いエリアだった。近いというか、そのものかもしれない。そんな場所にスパイ容疑のかかった者を閉じ込めるだろうか。あり得ない。


(バレているはずがない、大丈夫大丈夫)


 目的の分からないことが起こると不安になる。こちらには探れられると痛い腹があるせいだ。大丈夫、ともう一度言い聞かせる。私は一介のメイドです私は一介のメイドです私は一介のメイドです私は

 

 意味の分からない処遇に緊張を強いられ、心の中で念仏を唱えながら時間を経過した。おそらく数十分程度だったが、数時間単位に思えるほどだった。ノックの音が聞こえた時には、やっと解放されると思った。

 

 はい、と応えてドアを開けに向かう。部屋の主人がいないとはいえ、ドアを開けて応対するのはアイリーンの仕事だろう。ガチャリと鍵の鳴る音を聞いて、そういえばこちらからは開けられないんだった、と思い出す。


 落ち着かない気持ちでドアが開くのを見つめた。入ってきたのは、きらめく短い銀髪に、藍を煮詰めたような、深い紫色の目を持つ若い男だった。

 この国の、王太子である。

 

 ――あの騎士、完全に部屋を間違えたな。


 頭の中では騎士につかみかかりながら、慌てて部屋の端に寄り、深く頭を下げた。

 

 王太子ベルナルド・テルミナ殿下。18才。姿絵を見たことはあったが、実物は紙切れよりもきらきらしかった。本国で美形の兄弟を見慣れているアイリーンも納得する風貌だ。線の細い体つきのように見えるが、騎士の訓練に混じって剣を握ることもあるという話を聞くので、きっと鍛えているのだろう。外見は見栄えがするし、実務においても目立った失点はなく、国民からの人気が高い王子である。


 そんな王太子が何故ここに?

 いやどちらかというと、何故アイリーンがここに? である。いくら王城に潜入したとはいえ、アイリーンが王太子と接触できる機会はほとんどないはずだった。王太子部屋付きのメイドは上級職だ。ポッと出の新人が就けるポジションではない。


 あの騎士が、部屋を間違えたのだろう。これは完全に怒られるやつでは? 採用2日目にしてクビになるのは勘弁してほしい。どうにかあの騎士に全責任をなすりつけたい。

 

「顔を上げて」


 保身のためあれやこれやとフル回転していた思考が停止した。

 

 ――なにもかもが異常だ。私がこの部屋に見張り付きで閉じ込められたのも。そこに王太子がやってきたことも。

 たまたま居合わせたメイドに、わざわざ声をかけることも。

 じわりと手に汗が滲む。


 意を決して顔を上げると、高貴さと神聖さを顕現させたような紫眼と目があった。

 畏れに身構える前に、それが解けるように柔らかな色になる。


「エマ」


 明らかな喜色を漂わせた声がする。


 エマとは誰だ。いや私だ。

 潜入のために使った偽名はエマヌエラ・トーレス。エマヌエラを愛称で呼べばエマになる。

 

 アイリーンが「エマヌエラ」になってまだ2日目だ。愛称を呼ばせるほど親しい人物などいない。

 王太子は慕わしげに距離を詰めてくるが、こちらには全く心当たりがない。


(誰か他の「エマ」と間違えているのでは)


 ベルナルドはアイリーンの頬にそっと手を寄せた。ひっ、と声を上げなかったことを誰か褒めて欲しい。


「会えて、嬉しいよ」


(たぶん人違いです!!)


 王女としてもスパイとしても、ポーカーフェイスは存分に鍛えてきたアイリーンなので、その絶叫も口から出ることはなかった。が、次々に襲いくる予想外に、気持ちはもうギリギリだった。


 アイリーンは一歩引いて、もう一度頭を下げた。表情筋を休めるにも好都合だ。


「失礼を承知で申し上げます。わたくしは、殿下に名前を覚えていただくような者ではございません」


 誰かと勘違いしてるから気づいてくれ、と遠回しに指摘した。

 ここに閉じ込められたのも、どうやらこの王太子の勘違いが原因らしい。傍迷惑な話である。まぁその勘違いが、隣国のスパイをボロが出そうなほどに焦らせているのだから、ある意味鋭いのかもしれない。


 ややあって、頭上から落胆したような声が降ってきた。


「……そうか。君は、覚えていないのか」


 覚えて、と言うが、これはもう絶対に、アイリーンの記憶力とかそういう問題ではない。エマと呼ぶからには昨日から今朝ここにくるまでの間に会ったことになるが、さすがに昨日今日会っていたとしたら覚えているだろう。王太子が変装でもしていない限り。いや、たとえ変装していたとしても、他人からこんなにあからさまに好意を向けられるような交流はなかった。


 どうか勘違いに気づいて、そしてここから解放してほしい。スパイ相手にこの所業はあまりにも心臓に悪い。足元を見つめながら祈っていると、王太子が引き下がる気配がした。


「まぁ、覚えていようがいまいが、同じか」


 これはまずい方向なのではと、不敬を承知で慌てて顔をあげた。


「いえ、ですから」

「今日からここが君の部屋だ。仕事もいいから、ひとまず俺が許可を出すまでは、この部屋から出ないで欲しい。君を連れてきたあの騎士と、これから連れてくる侍女以外には、顔も見られないように」


 喜色に満ちた第一声とは正反対の、王族らしい、感情を滲ませないような声だった。威圧的な響きで告げられる信じ難い命令に、アイリーンは言葉を継げない。


 ベルナルドはアイリーンの手をそっと掴んだ。ビク、と肩が震えるが、王太子相手に振り払うことができるはずもない。そのまま口元に引き寄せられ、手の甲に紳士的なキスをされた。


「また来る、エマヌエラ」


 愛称呼びを伴う柔らかい雰囲気から、形式的で一般的な距離感を取り戻したような気がする。いや、それでも常識的に考えたら、王太子は新入りメイドの手にキスをしたりしないし、わざわざ名前を呼ぶこともないけれど。

 ガチャンと再び鍵が閉まる音がして、気が抜けてへたりと床に座り込んだ。


(人違いなんですけど――!?)

 

 スパイ生活2日目、勘違いで軟禁されました。なんて。

 冗談であってほしいと、アイリーンは心から願った。


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