目先の衝動と目的との分かれ道
久々に街を歩いていたら電話ボックスをみつけた。
もうこの辺にはないと思っていたが、意外と近くに残っていたようだ。単に気にしなかっただけと言えばそうだが。
ちょっとした好奇心に刈られ、特にかける相手もいないが、みな携帯を持っているから入る人はいないだろうと決めつけ中に入る。狭いスケルトンハウスに長居する気はないが、周りを気にするほど人はいない上車も来ていない。
公衆電話と対峙する。いや、一方的に侵入してきてガンつけているのはこちらであって、そうなると此方が悪いのか。
閑話休題
流行りのウイルス対策か、こんなところにも消毒液が置いてある。その際に新調でもしたのか、比較的きれいな電話帳が公衆電話の下に隠れていた。電話をかける手順を読み、間違っても掛からないようにお金を入れずに5を押す。軽い抵抗を受け、さらに押し込み指を離す。カタッという音を聞くと、タイプ式ライターの存在を思い出す。...触れたことはないが。
ダイアルを回すでもなく、フリックするでもない、物理的に押している感覚があることになぜだか高揚し、思わず電話をかけてみたくなった。
しかして、私には友人と呼べる人間がここ最近いないのである。電話帳にはその場のノリで交換した学生時代のクラスメイトの名前が登録されているが、一度もその番号にかけたことはない。かかってきたこともない。会社での人間関係に友好を覚えたことはない。つまるところ、仕事以外で交流している人はいない。...思い返してみると私には友達と言える人間はいなかったのではないか?それなりに話し、談笑...までいかずとも相づちを交えられるほどの会話はしていたと思う。雰囲気を悪くすることを言った覚えはないが...、それを感じるのは他人であるから私の知るところではない。
またしても閑話休題だ。
とりあえず掛けるにしても金が要る。金がなくてもかけられないことはないが、それを実行した場合、ここに桜のマークを着けたお兄さんたちが来てしまうだろう。そんな事態を起こしたくない。まあこの場にいる時点で怪しまれる行為では、客観的にはあるのだが。
…自分と話していると、どうしても話があっちこっちいってしまいがちになる。今は、そうだ、所持品の話だ。とはいっても物はすぐに浮かぶ。財布にスマホ、腕に巻かれている時計。
金は、あるはずだ。問題は小銭の存在だが、果たして。財布を開くと、そこに小銭があった。というか小銭しかなかった。小銭をかき回すと500円玉が一枚あった。一抹の高揚を覚え、ふと気づく。自分のスマホに掛ければいいじゃないか。それならば他人に迷惑はかからないし、切るタイミングもかけるタイミングも私の自由だ。会話はできないが。ただ金を消費するだけでは?と思うことなかれ。その通りではあるが、趣味に金を使うのは皆同じだろう。この好奇心を解消できるのなら、わたしにとってそれは、有意義な金の使い方である。
先程読んだ手順に従い、自身のスマホに電話をかける。
同じコール音なのに、スマホとはまた違った印象を耳に感じつつ、2コール目に入ると、利き手が震えた。見たことのない番号だ。この公衆電話にも番号があるのだ。当たり前だが。
電話にでると、自分でかけているにも関わらず、はい、と答えた。骨伝導として伝わり感じる自分の声と、発した言葉が電子音になって耳に響く自分の声に、不思議な感覚に包まれた。タイムラグはほとんどないと思うのだが、なんだか輪唱を聞いている気分だ。なんだか楽しくなってしまい、「あーあー。」だの、少しスマホを耳から話して「こんにちわ。」だのと言っているうちに、10円分の短い命がつきる。好奇心にお金がどうたら言ったが、続投するまでもないと思い、受話器を置く。満足した。10円はなくなってしまったが、満足だ。うん。そう言い聞かせ、電話ボックスから出る。
さて...、はて。自分はなんの用で外出したのか。スマホ、財布、時計...。何も思い浮かばないということは、たんに散歩だろう。満足感もあったし、今日は帰るとしよう。
次の日の夕方、はたと思い出す。そうだ、昨日は愛読している続編ものの新刊発売日だった。急いで近所の書店に寄る。新刊コーナーを物色し、目的の作品欄をなめ回し、巻数を確認して、レジへと向かう。店員に言われ、もう一度巻数を確認し、金額を確認して財布を開いたところで、昨日でかけた真の意味に気づく。
「10円...足んねぇじゃん。」




