飲水
すっかり夜も更け、22時。
井久田良四は小屋の一室で腰かけて、並々満たしたやかんから水をグラスに注ぎ、ぐびぐび飲んでいた。
口内に残る不快感を濯ぐためだ。
「アー……。まだまずい……」
「私もまだクラクラするんですが……」
机に置いたコースターの横から声。
生首少女スーニャのものだ。彼女もダメージを受けているらしい。
「……へえ、不死身なら痛みに強そうなもんだけど」
「首から下は痛覚がないので、普段は平気なんです」
「上はあるのか?」
「あるんで痛いんです。脊髄齧られた経験なんて、初めてですよ……!」
怒りのためか、顔を赤くする少女。
首から上しかないから全身が赤いよなあ、などと思いつつ、ビンタでもしてみようかと手を振りかぶると、
「ヒイッ」
悲鳴。
顔を強張らせ、目を伏せ、震えている。
虐待、という言葉が脳裏に浮かぶ。
井久田は、そのまま手を下した。
「……あれ、殴られるかと……」
「嫌なんだろ、殴られるの」
「……まあ、はい」
「気の迷いだ。やめる」
「え?」
「俺はそれなりのサディストだという自覚はあるが、無駄に痛みつけるとかいう趣味はあまりない。肉がストレスでまずくなるからな」
「はあ、ありがとうございます……?」
井久田が沈んだトーンで話すのが、スーニャには不可解だった。
「目ぇ抉り取ったり肉切り取ったりはするからな。喰うために」
「えぇ……。まあいいですけど」
「いいのかよ」
「殴られるよりましなので」
「そうか」
話していて口が乾き、水を一口飲む男。
「私も水欲しいです。喉乾きました」
「死ぬんか?」
「死にませんが喉は乾くんです」
「しゃーねーな」
そうやって、グラスの水を飲ませようとして、気づく。
このまま水を口に流し込めば、首の切断面から流れ出るだろうな、と。
首の下に水受けが必要だ。
グラスを受けにして、やかんから直接飲ませようか。
いや、グラスの大きさからして首を支えられない。あとやかんに直接口をつけさせたくない。
ならばやかんを受けにしようか。いやそれも同じことだ。やかんに口を通った水が入る。
器を持ってくるか。立つのがだるい。
ああそうだ、こうすればいいじゃないか。
井久田はグラスの水をすべて口に含み、貯めた。
そしてスーニャの後頭部を掴み抱え、顔の方へ近づける。
「……え、口移し?」
グラスは首の下に。
口を付け、流し込む。
予想に反して、水はグラスには入らなかった。
「急になんてことするんですかっ……!!!」
顔がまたも真っ赤だ。青くなったり赤くなったり忙しい。歩行者信号か。
「やっぱりなんも感じねぇなあ……ハア……」
「なんでそんな平然としてるんですか!これでもいろんなところで襲われるくらいには容姿に自信あるんですけど!」
「苦労してんな」
「そうですよ!苦労したのでお腹がすきました!」
「突如図々しいな。すく腹がないだろそもそも」
「無いけど在ります!とにかく食べ物ください!」
「動くのめんどくさいんだが」
「美味しいもの食べさせたら、不味くなくなるかもしれませんよ?」
「よし待ってろ」
単純だなぁと思いつつ、十数分後。
焼いた肉が一切れ、皿の上に載って卓上に出された。
「美味しそうなお肉ですね!何のお肉ですか?」
「お前の右尻の肉」
「バカなんですか!?」
「だって、これが一番美味いぞ?」
「自分の身体好んで食べると思いましたか!?」
「山下のばあさんとかよくそうしてるし」
「だ・れ・で・す・か!」
散々叫んで、一息つく。
スーニャは少し冷静になり、
「すみません、私の身体、全部食べたんじゃないんですか?」
「右尻の肉だけ研究用で残しておいた」
「今、それどうしてるんですか?」
「冷蔵庫の中」
「……できればすぐに食べてしまうか、外に出してしまう方がいいと思います」
「なんでそんな勿体ないことせにゃならん」
「……私の肉の匂いには、一種の誘因作用があるんです。なので……」
ドゴォオッ!!という轟音と共に壁が崩れ、土煙が立ち込めた。
影はおよそ3m程。翼と長い首、トカゲの様な顔に角を携えたそれは、
「ワイバーン……!」
「不法侵入に加え、人の家の壁壊すたあ、いい度胸だな?」
静かに怒りを口に出し、臨戦態勢に入る井久田。
それに目もくれず、竜はよだれをダラダラ垂らし
「グウウケェエーッ!!!」
と嘶いた。