第59話 乙女の一針(ひとはり)
俺は、謎の女に声をかけられ、釘付けになっていた胸の谷間から女の顔を見た。
ハッとするほどの美人だった。
ウェーブがかったロングの黒髪が、白い肩にかかり、小首をかしげる様子が妙に艶っぽい。
「アウエル、サーノ・アウエルだ。」
ドヤ顔で言った。
キマった気がする。一度言ってみたかったセリフだ。
某スパイ映画の名セリフは、日本名だとサマにならない。『佐藤、佐藤太郎です』なんて、噛んじゃったのかな、と思う程度だ。
「私はソニア。これは、医師会長のバルバ様の言伝よ。」
そう言って、ソニアは俺にバルバからの手紙をよこした。
封を切ると、医師会長の名で、『治療院の営業を許可する』と書かれていた。
「これは?」
「私は中身を見てないから、分からないわ。」
俺はバルバからの治療院開業許可証をルッソに手渡した。
ルッソが小さくガッツポーズをする。
「どういうつもりだ。ガバチョには、取り付くしまもなかったが。」
「じゃ、バルバ様に感謝して、忠誠を誓うことね。」
へぇ、バルバは俺を子飼いにしようというのかな。
商売敵に恩を売って呑み込もうなんて、やはり臨床医というより、政治家としての医師会会長なんだろう。そうなると、ガバチョはバルバとの関係性はうまくいっておらず、案外ガバチョは危ういポジションなのかもな。
「ガバチョは面目丸つぶれだな。ガバチョとバルバは仲悪いのか?」
俺が問うも、ソニアは不敵な笑みを浮かべるだけだった。
「それより、サーノさん。」
ソニアは俺を見つめる。
そうか。
どこかで見た顔だと思ったら、バルバの秘書の女だ。
昼間と違って、胸元が大胆に開いた扇情的な黒いドレスで、印象が全然違う。
しかし、こんな格好で、街を歩くなんて危ない女だ。
「お話したいことが。場所を変えてくださる?」
女は、俺の腕を撫でながら上目遣いに言う。
聞き耳を立てている客たちが、「サーノ、夜のデートかよ?」「ついに、童貞卒業か?」などとはやし立てて、面白がっている。
「童貞なの?あなた。」
ソニアがクスッと笑った。
俺は首を横に振り
「まぁ、あれからはずいぶん経ったな。」
「そう…どんな女だったの?」
「昔の話だ。今は、目の前のあんただけしか気にならない。」
「悪い人。それで、今まで何人泣かせてきたの?」
「いちいち覚えちゃいないね。」
そして、さりげなくソニアの肩を抱く。
ソニアがブルっと震える。
「寒いか?」
「いいえ。感じちゃうわ。」
ソニアは熱い視線を俺に向ける。
(鑑別スキル:ステータス)
― 名前:ソニア、種族:ヒューマン、Lv:21、状態:キモくて吐きそう、弱点:なし、鑑定職:アサシン、スキル:暗殺Lv2 ―
驚いたな。
そりゃ、怪しい女がいれば、肩を抱くなど、カモフラージュしながら鑑別スキルを使うだろう。鑑定職がアサシンというのは想定内だが、状態:『キモくて吐きそう』って、ひどくない?
普通にヘコむわ!
大体、非モテを長くやっていると、言い寄ってくる女は、ハニートラップかメンヘラだ。間違いない。だから、女の誘惑なんて警戒心しか起こさない。
非モテなめんなよ!
「あんたのようないい女が傍にいるだけで、骨抜きにされそうだ。」
「あら、奇遇ね。私も同じこと考えてた。」
俺とソニアは寄り添いながらお互いを見つめつつ、店の扉を開ける。
外に出たところで、俺はソニアを突き飛ばした。
ソニアはあっけにとられた顔をしていたが、指には、毒針が握られていた。
「女を突き飛ばすなんてひどい男ね…いつから気付いていたの?」
「肩を抱いてからだ、バカヤロウ!お前、その針で何する気だったんだ?」
「護身に決まっているじゃない。童貞にがっつかれて、鼻息荒く犯されると思って警戒しただけよ。」
ソニアはキッと俺を睨んだ。
俺も負けじと視線を切り返す。
「これだけは覚えておけ。非モテはがっつかない。OKもらえる確率が120%になるまで告白しない、プロポーズしない。」
「…それ、あんただけでしょ。」
「お前の色仕掛けで、パンツ脱ごうとまごついているうちに、殺された童貞たちの無念を思い知れ!」
俺は、ソニアに右手を向け、ダーク、パラリシス、アンジーナのトリプルセットを、魔力の続く限り打ち込もうとした。
「ちょっと、待ってよ!何する気よ?」
「アンダンテの名において!」
「サーノ!!」
ルッソが、俺とソニアの間に滑り込む。
俺は突き出した右手そのまま、ソニアから目線を外さず、ルッソに言った。
「どけ、ルッソ。その女の色仕掛けで、多くの童貞が死んでいる。」
ルッソは俺に体を向けたまま動かなかった。
「例えそうであっても、サーノが手を下す必要はないよ!」
「何人もの内気な童貞が、もうすぐ卒業できるという期待を胸に、殺されたんだぞ!」
「夢に死ねたら、いいじゃないか!」
「夢に死ねたらいい…だと?」
たしかに。
忘れていたな。
夢を追いかけて死ぬ。それは男の本懐、浪漫じゃないか。
俺は、大きなため息と共に右手を下ろした。そして、ソニアに優しく問いかけた。
「ソニア、教えてくれ。パンツを脱ごうとモタついていた童貞たちは、夢を追いかける表情で逝ったのか?」
「知らないわよ!だいたい、なんで私がハニートラップで、何人も殺していることになっているのよ!!」
「えっ?」
「あんたが、勝手に私のイメージ膨らましているだけでしょ!」
「何言ってんだ。お前、アサシンだろ?」
俺は、きっちりと職歴、既往歴を確認するのだ。
「そ、そうよ。でも、好き放題殺しているわけじゃないわ。今回も、色仕掛けに乗ってくるような脇が甘い奴かを確かめて、危なくなったら、この針で眠らせて逃げるつもりだったのよ。」
「お前…なに、処女みたいなこと、言ってんだよ!」
ソニアが真っ赤になる。何か言いかけたところで、ルッソが口を開いた。
「…乙女の一針。」
ソニアはルッソを驚いた表情で見る。
「あなた、なぜそれを知っているの?」
「ルッソ、何だそれは?」
俺もルッソに問いかける。
ルッソはしばらくうつむいたままだった。
そして顔をあげて
「ヒーちゃんにね、童貞みたいにがっついちゃって、刺されちゃった。」
とテヘペロした。
「あなた…可愛い顔して意外と、野獣なのね。」
「ルッソ。お前、バカだなぁ。ちゃんと120%OKだとエビデンス集めてから、告白しないとダメだぞ!」
ったく。若い性欲というのは怖いもの知らずだ。
しかし、ルッソはいつ、がっついたんだろう?
あぁ、あの、俺とワンダ軍曹が父親像について熱く語っていた時に、ヒーちゃんのテントに夜這いしてたのか。
修学旅行で、女子の部屋を探訪するみたいなトレンドあるもんな。俺は、中高一貫男子校だったから、そういったラッキースケベ的なドキドキイベントは、いつでも妄想の中だったぞ。
「バカなことしちゃったなぁ…」
とルッソは絞り出すように言い、微笑んだ。
ルッソお前ってば、笑いながらも涙目じゃないか!
俺は、全てを悟った。
「まぁ、アグレッシブにとりにいった結果だ。OKだ。」
「いや、ダメよ。乙女の一針に刺されるなんて、よっぽどのことじゃないと…」
「OKだ!」
「あんた何なのよ!性犯罪者の味方なの?」
「違う。そうじゃない。ルッソは男を上げたんだ。」
「はぁ?」
俺はルッソと肩を組んだ。
「飲みなおそう、ルッソ。お前の話を聞かせてくれよ。」
「…うん。」
俺には分かる。
男が涙目で笑う時は、フラれた時じゃない。相思相愛で別れた時だ。
ルッソはどうやら、俺の知らないところで一皮剥けていたらしい。
「ちょっちょっ、私は?」
「お前、アサシンなんだから一人でも夜道大丈夫だろ。帰れ。」
「扱い雑過ぎない?」
さぁ、今日は呑むぞ!




