第4話 のっぺらごま塩様
ぼんやりした空間の中に若い男がいる。おそらく夢の中だと思う。明晰夢というやつか。
「ハイサイってなんだよ。…あんたは誰だ?」
その男は、肩をすくめて
「君の世界では、こうやって挨拶するんだろう。記憶を探ると、こんなんだったよ。」
沖縄の思い出かな。そんなに旅行したこともないが。
しかし、記憶を探るだと!?
なんと恐ろしいことを言う奴だ。
「答えになってないぞ。」
「ああ、ごめん。オレはサーノだよ。君に乗っ取られちゃった奴。今日、殴られた時に、いきなり女神様が出てきて、『神の使いともに、世界を救うのです』と言われたら、君が入ってきたわけだよ。」
驚いたな。
女神は『神の使い』とか言って、たいそうな御託をこのサーノにしていったんだな。
なるほど、俺の憑依したサーノが目の前にいるわけだが、結構な男前だね。
ボロ布で出来た、ザ・囚人服という、白黒の横縞模様である訓練生服にあっても、スラっと背が高くて見栄えがする。
身長は177cmある俺より少し高いくらいか。
涼やかな目元に、筋の通った鼻、ややグラマラスなリップときた。
対して、俺は、BMI28の腹回りなどいろいろ汚いパンツ一丁スタイルだ。
腹立たしい!なんだこの格差は!!
「…それは、悪かったな。」
「いいよ、別に。本当に、行き詰っていたしね。このままだと強制労働の前に、一か八か訓練所から脱走しようかと考えていたし。」
「そうか。改めて聞くが、あんたは俺の記憶が見れるのか?」
極めて危険な記憶もある。これは絶対に確認しておかねばならぬ。
目の前のイケメンは、小首をかしげて爽やかに微笑んだ。
「そうだよ。この世界に来る前の記憶も見れるよ。たとえば、なんだろう、ピンク色のライトが照らす所で、たくさん女の子達が、ポッキーを口にくわえて…」
「正しい!全くもってサーノ君は正しい!いや~、感服いたしましたぞ!」
「キャバクラって言うのかな?他にも証明してみせようか?」
「いや、もう十分かな~。」
驚いたな。
どうやら俺は、黒歴史しか暴露されないらしい。患者のために命を犠牲に働いたとか、まがりなりにも家族を支えてきたこととか、誰も評価してくれない。
ゴミだったのかな、俺?
「逆に、君もオレの記憶が見えるはずだよ。」
「え、そうなの?」
「たぶん、オレを見て記憶を探ろうとしてみたらできるよ。」
「いいのか?」
「いいよ。じゃないと、この世界で生きていく上で不便だろう。」
サーノを記憶を探るつもりで見てみると、彼の人生が頭の中に流れ込んできた。
たぶん印象に強く残っていることから、優先的に展開されているようだ。
元々孤児院で暮らしてきた様子だが、鑑定の儀をきっかけに、仲間からは手のひらを返したようなひどい扱いを受けて、追いやられる形で職業訓練所に入った。
鑑定色が黒の連中の中でも、『能無しゴミ野郎』と強烈ないじめを受けていたようだ。
「…辛かったな。」
「黒は、神様への冒涜の色だからね。でも、神様のお告げを聞けて、オレでも生きていいんだと思って、なんか嬉しかったよ。」
重い話だ。
惨めな気持ちになるのが分かる。親からの愛情も受けることなく、孤児院に入り、鑑定色が分かってからは、人生を否定され、暴力の中で生きてきたんだからな。
「それでも悪いことばっかりじゃなかったよ。孤児院のシスターは優しかったし、ここでもルッソと一緒にやってきたからね。オレら孤児で、能無しだって、ひねくれてたけど、不思議とルッソと話すと気持ちが楽になったからね。」
「そうか…」
俺が何も言えないでいると、サーノは、少し雰囲気を変えようと思ったのか、
「で、君のことは何て呼べばいい?サノトオル」
と聞いてきた。
トオルでいい。と俺は答えた。サーノと佐野じゃ分かりにくいしな。
「トオル、このとおり、オレの知ってた人なら、記憶を共有できる。適当にやり過ごして。」
「…わかった。」
ここで、サーノはフッと笑う。
なんだろう。イケメンスマイルにイラッとした。
「オレは、神の使いというから、もっとすごい人が来るかと思ったら、小汚いおっさんだったね。」
「…」
言い返せなかった、何も。
夜間当直中は、病院の検食の他にカップ麺を食べてて腹回りは汚かったし。
病院に電気シェーバーを持ってくることを忘れてからは、無精髭で顔周りは汚かったし。
ちょっと髪の生え際も厳しくなってきてたし。
とにかく死んだ時の佐野トオルのパンツ姿と、サーノを対面させるこの構図を早くやめてほしい。死にたくなるから。もう死んでるけど。
クスリと笑ったサーノは、更に追い討ちをかけてきた。
「顔はのっぺらぼうにごま塩ふった感じだし。」
「もうやめて下さいよ!!」
のっぺらごま塩って、いくらなんでもひどくないか。
「フフ、ごめんね。体を渡すからなんか一つくらい文句でも言ってやろうかな、と思って。じゃ、あと頼んだよ。たぶん、話さなきゃいけない時には、また夢に出てくるから。」
そうしてサーノはフッと消えた。
俺の心もへし折れていた。
*
ジリリリリ!
部屋内にベルの音が鳴り響く。
「朝か…」
俺は涙で腫れた目をこすりつつ、体を起こす。
部屋の連中は、こなれた様子でシーツを伸ばし寝具を整えて、部屋を出て行く。
「サーノ、おはよう。」
やや、心配顔のルッソがやってきた。
「ルッソおはよう。昨日はいろいろ迷惑かけたな。もう大丈夫だと思う。」
「そっか。この後は…」
「洗面、朝の訓練、それから朝食だろ。」
「うん。よかった!」
ルッソは、まだ記憶喪失が続いていることを心配してくれていたらしい。
優しい奴だ。
俺は、サーノの記憶を共有してもらったおかげで、この訓練所の日課も分かるようになった。
「それにしても、その顔どうしたんだい?眼が真っ赤じゃないか!?」
ルッソが俺を覗き込む。
というかルッソも、よくよく見ると、キャラメルブロンドの綺麗な髪に、目鼻立ちが整っていて、美少年じゃないか!大きな瞳は紺碧だし!!
くそったれ。
のっぺらごま塩様の怒りがこみ上がる。
「世の不条理に激怒していただけだ。」
「…よっぽど、昨日の土下座が悔しかったんだね。」
「…もっと、世の中には怒ることがある。お前には分からん。」
「えっ?そんな事言わないでよ。」
朝食の時間が終わると、そのあとは座学の時間もある。
心身には壁という存在があり、魔物を殺すことで、壁を乗り越える力を得るらしい。
その後は、この訓練所のスポンサーである教会の歴史について、その正統性がどうだ、その教義はどうだなどの話があった。
講義の大部分は教会についてであり、講義の最後には、女神アンダンテへ祈りを捧げて終了だ。その際に、教官が「神のご加護があらんことを。ティンコ」と言うと、受講者が「ティンコ」と言う。
That's right!という意味らしい。
絶対に笑ってはいけない結婚式かよと思って、舌を噛みながら、周りの様子を窺ったが、みんな大真面目に「ティンコ」と言ってるので、日本の常識は捨てねばならない。ここは異世界だ。
講義と講義の間には少し休憩時間があるのだが、ルッソは他の第5組の奴と話している。出会った魔物の特徴など情報交換をしているらしい。ルッソから話せる情報ってあるのかな、と不思議に思った。
(意外にルッソの奴、皆とうまくやってるな。)
ルッソをぼんやり見ながら、ひとりごちた。
何だろう。人柄かな。人受けしそうなルックスかな。
俺には誰も話しかけて来ない。むしろ罵声が多い。死にたい。
この日は、昼食の時間と面会の時間を兼ねている日だった。
今日は俺とルッソに面会者がいるということで、面会室に向かう。
速記官の女性の前で立ち止まり、敬礼とともに
「サーノ、ルッソ、参りました!」
「入れ!」
というやり取りをして、面会室に入った。
教会の懺悔室のような作りをしたそのスペースは、木造の細かい格子で、来訪者と訓練生を隔てている。
木の網目越しに、絶世の美女が座っていた。
「サーノ、ルッソ、元気そうね!」