第53話 開腹手術
まさに手術が始まろうとする瞬間、『待て』と全く雰囲気を読まない発言をした俺。
「えっ?なんでよ。」
ベーラは不満そうに声を上げる。
「患者の名前は?」
「はぁ?ロビンに決まっているでしょ!」
「術式は?」
「開腹式癒着剥離術、必要とあれば壊死腸管切除術…もう一体何だって言うのよ!さっき打ち合わせしたじゃない!」
「ベーラ。」
「何よ!」
「雰囲気に飲まれるな。大丈夫だ。お前ならできる。」
「サーノ…」
その後、俺たちは、全員準備の手を止めて、麻酔の効いてる予想時間、トラブルがあった時の対応方法を短時間で確認していく。
タイムアウトだ。
バスケなどのスポーツでも、相手に流れが行きそうな時には、タイムをとって流れを切ることがある。
手術においても、このタイムアウトを行って、医療事故を防ぐことが当たり前となっている。
これは、手術する患者を取り違えたり、反対の足に手術してみたりと、とにかく先達、患者にとって痛恨の事例の積み重ねによって導き出された知恵なのだ。
手術がいざ始まってしまうと、イレギュラーな事態に即座に対応していかねばならない。根本的な確認は、比較的余裕がある手術前に行うことが重要だ。
「麻酔ヨーシ!」
俺は、指差し呼称をする。
「何、それ?」
ルッソが尋ねる。
「指差し呼称だ。声と指と目で確認する。失敗を減らす、先人の知恵だ。ルッソもやってみろ。」
「えっ、回復薬ヨシ…」
「声が小さい、キビキビやれ!患者が死ぬと思ってやれ!」
「わかったよ…、回復薬ヨーシ!」
「格段によくなった。ベーラもやれ!」
「嫌よ。恥ずかしいし。」
「ベーラ。医療安全に恥ずかしいもかかしもないんだ。とにかくやれ。」
「もう…変なところで、こだわりがあるんだから…。手術器械ヨーシ!これでいいんでしょう!」
「その調子だ!」
「切開部位ヨーシ!」
「どうだ?」
「うん…悪くない。」
そうなのだ。
指差し呼称には、脳を活性化させるだけでなく、妙な不安を取り除く効果もある。
集中が途切れた時、テスト勉強に疲れた時、夫婦喧嘩に疲れた時、ぜひ指差し呼称をしてほしい。
(あっ、いけない!)
その時俺は気づいた、ロビンが勃起していることに。
稀にあることだ。
手術中、患者は寝た状態になるので、それこそ、ウンコや尿をしてしまって、手術台が汚れてしまうと清潔な操作ができなくなる。ロビンの下のお世話を誰かがしないといけないわけだが、ベーラやルッソにやらせるわけにはいかない。俺の仕事だ。
俺は、麻酔が効いたところで、ロビンに直腸診といって、肛門に指を入れて、そこにウンコがないことを確認した。そして、ロビンの一物を締め付けないような絶妙な緩さで、ロングワームの抜け殻をはめこみ、その先を尿瓶につないだわけである。
これで手術台は、汚物から守られる。
察するに、ロングワームの抜け殻が刺激になり、勃起したかもしれない。それに、麻酔薬の影響もあるのだろう。
さて、どうしたものか…
手術中の勃起は、笑い話では終わらない。泌尿器科の手術では、尿道から膀胱鏡といって細長いカメラを入れることがあるが、この勃起があるとカメラが入らないから、手術中止である。
手術時間中ずっと勃起していると、手術が終わった後、障害が残ってインポテンツになる可能性もある。ロビンは生涯に渡って、誰にも相談できない苦しみを抱えることになるのだ。
命をとるか、一物をとるか?
To be, or not to be, that is the question.
一刻を争う事態なのに…
そうだ。刺激物をとるか。
俺は、ロングワームの抜け殻を取り外そうと、一物に手をかけたとき、スルスルとその勢いを失った。
よかった!麻酔の一時的な副反応だったみたいだ。
「ロビン、ヨシ!」
俺は一物に向かって、小さく指差し呼称した。
「サーノは大丈夫なの?」
ベーラが尋ねる。
「問題ナシだ。」
手術中止の危機に対して、一人で戦っていたことをおくびも出さずに言った。
ベーラは俺の言葉に大きく頷き、
「確認ヨシ。では、手術を開始します。よろしくお願いします。」
「お願いします。」
ベーラの声とともに、手術が始まった。
***
「まったくあのお転婆には、苦労させられる。」
王の間で、アーサー・エリミナルⅣ世は、深く嘆息し、ガインズ宰相に目を向ける。
「いえ、ティナ王女殿下は類稀な白魔法の使い手。まさに神の祝福を一身に受けられた方です。」
「白魔導士なら白魔導士らしく、修道院でおとなしくしておけばいいものを。」
「見聞を深め、民の為に力を尽くたいという王女殿下のお気持ち、やはり、陛下のご息女様であると、改めて感服している次第です。」
「ふーむ。」
アーサー王は、椅子に深くかけ、天を仰いだ。
「よかろう。ケープリアへの出向を許可する。しかし、あの子の独断でもあるゆえ、警備を仰々しくするな。そのあたりの采配は宰相に任せる。」
「御意。」
ガインズ宰相は退室し、すぐにティナ王女の視察準備を指示した。近衛兵に加え、教皇台下の懇意もあって、外回りの護衛のため教会騎士団も招集している。
ザク財務相がガインズ宰相に駆け寄る。ガインズ宰相は歩きながら、ザク財務相の報告を聞いていく。
「軍部から、今回の視察につけられた予算が少なすぎるとの声が。」
「近衛兵数名程度で、どれだけの予算要求なのだ。出務する兵の数に合わせた相応の金額だと伝えておけ。」
「既にそれは伝えました。軍の中でも精鋭を王女殿下に同行させるのだから、対価が必要だと言うのです。それに、私もいささか額が少ないかと…」
「ザク財務相!」
「はいっ!」
ザク財務相の表情が強張った。
「また、魔国と戦火を交えることになれば、軍部の皆様方のお力が必要になりますゆえ、今は節制し兵站を充実させる時期です。ここはなにとぞ!とでも伝えて頭を下げろ。」
「分かりました!」
ザク財務相は走り去った。
「無能な子飼いは困るな。」
ガインズ宰相は、ザク財務相の背中を睨みつぶやいた。
「願わくば、貧して近衛兵の士気も落ちてほしいものだが…」
***
(想像以上だ。)
ベーラの手さばきは素晴らしい。
俺は、ドリクに借りた魔映灯を術野に当てながら、どの血管を処理するかなど、指示しているが、正確に、そして迅速に対応できている。
ロビンは昔、ワイルドボアという鋭い牙を持つ猪のような魔物と戦った。その時の腹部の傷は左側腹部にあった。幸い腸管をかすめ、腸間膜へのダメージが主体だった。そのダメージについては大網という別の組織が傷を覆って癒着していた。
「ここはどうするの?」
ベーラが術野から目を離さず、照明係の俺に問いかける。
大網を剥離して、小腸は既に露出しているが、一部暗赤色になっている部分がある。ここが壊死している部分だ。
「その暗赤色の部分は、もう死んでいる。血管を処理して、切り取るんだ。」
「分かったわ!」
そう言って、ベーラは腸を触り、栄養している血管をきれいに露出し、糸で結紮していく。まぁ惚れ惚れするほどの手際の良さだ。
とはいえ…
当然のことだからあえて言わなかったが、基本は皆、素手である。
消毒効果があると見出した回復薬に、こまめに手をつけて消毒をしている。
手桶に入れた回復薬は、執刀医の指に付着した脂肪組織や血液などで汚染されるわけだが、濾過して、回復薬を清潔に保っている。
これが、外回りの俺やフンドの役割というわけだ。
外科手術で、ゴム手袋をはめてやっているのは、せいぜい最近100年位で、歴史的には素手で手術してきたと言ってよい。だから、血が怖いとか、体の中は触れないなどと言っている連中は、先達の外科医たちに失礼だ。
俺も先達に敬意を表して、ロビンの肛門にも、一物にも素手で対応したのである。
いや、何とかロングワームの抜け殻でゴム手袋みたいなものを作ろうと思ったんだけどね。ちょっと時間も素材もないので諦めた。
ゴム一枚ないことで、こんなに直腸診が辛くなるなんて、俺も随分と現代っ子になっていたものだ。
その時だ。
「ベーラ、待て!」
「えっ?」
ベーラが手を止める。
「ここには、血管がある。指一本左側から、慎重に切開しろ。」
「分かったわ。それにしても、あんた、よく血管の位置分かるわね?」
なかなか痛いところを突く。
実は、鑑別スキル:エコーモードで血管位置を常時確認しているのだ。しかし、黒魔法や鑑別スキルのことを、ルッソ以外のメンバーに知られるわけにはいかない。
…また、一芝居打つか。
「…大きな声じゃ言えないが、訓練所で何人かの脱走者を解剖したことがある。断れなかったんだ…」
俺は俯いて、手にしている鈎を睨んだ。
「…そう、なんだ…」
ベーラはそれ以上、俺が人体構造に詳しい理由を聞いてくることはなかった。
そして。
「血管の処理は終わったわ!」
「よし。この鉗子で、色が悪い腸の両端をつまんで、色が悪い側を切り取れ。」
壊死した腸管部分をベーラが切除し、標本として取り出す。
さぁ、ここからが、外科のローテート研修中に勉強させられた腸管縫合について、指導する場面だ。
見ててくださいよ、本間先生。俺、先生の技術を後進に伝えますから!
「よしベーラ、鉗子で摘まんだ腸管同士を繋げ合わせるぞ。まず、内側の粘膜同士を縫合していく。次は外側の漿膜部分を…」
「サーノ。それ回復薬で繋ぎ合わせたらいいよね?」
「え?」
ルッソ、お前何言ってんだ。




