第2話 職業訓練所
ふと気が付くと、口の中に鉄の味がしたので、プッと吐き出した。ちなみに今も地面とキスをしている。口元に砂がついていて気持ち悪い。
「サーノ、大丈夫かい!?」
なんとか、肩を貸してもらい体を起こす。
「俺は…サーノ」
「本当に、大丈夫?」
歯科麻酔を受けたように左頬がジーンとする。目つきの悪い男が、「気をつけろ、ゴミが!」と吐き捨てて行ってたし、ケンカでもして殴られたのか。
最近痛いこと続きだが、状況が良くわからない。
というか、頭踏みつけられたまま、異世界転移する奴これまでいたか?あの女神、顔はハリウッド女優みたいに整っているが、性格はドブスだ。
…まぁひとまず、言葉は通じるみたいだし、一時的に記憶を失ったふりして、この高校生くらいの若い男に、状況を教えてもらおうか。
「あんたは?」
第一声はそれにした。
正直、ここって、みんな白黒の横縞模様の服を着て、強制収容所みたいな雰囲気だし、あまり丁寧な言葉遣いだと場違いな感じになると思ってね。もちろん、刑務所に入ったことはないよ。
「何言ってんだよ、サーノ!僕は、ルッソ。昔から一緒でしょ!?」
話は通ったみたいだ。これでしばらく走らせよう。
「すまない、ルッソ。さっきの一発で、なんかボーッとするんだ。すぐに元に戻ると思うが。」
「医務室に行かなくていい?」
「たぶん、大丈夫だ。次は何がある?」
「次は身体訓練の時間だよ。」
「ありがとう。たぶん記憶を戻すのに、何かきっかけが必要だと思う。ルッソの知っていること、この場所の事とか教えてもらっていいか?」
「分かったよ。集合場所に向かいながら話すね。」
「助かる。」
ルッソの話を聞きながら、やはり、ここは『職業訓練所』という、日本の刑務所みたいな場所だった。俺の名前はこの世界でサーノと言い、年齢は16歳。ルッソと同じ孤児で、職業鑑定の儀で黒色だったから、そのまま職業訓練所に放り込まれたということだ。
「職業鑑定の儀って何だ?」
「職業スキルを見極める儀式だよ。12歳の時にやる。僕たちはそこで、黒と分かった。この前、16歳になったから、あと数ヶ月すると、鉱山奴隷として死ぬまで強制労働さ…」
「そうか…俺たちがここで過ごした時間は何だったんだろうな?」
「さあね。こんな訓練所でも才能を見つけた者は、就職先も見つけているけどね。僕たちは、何の取り柄もないから、最底辺の扱いだよ。」
「才能のあった奴の真似はできないものか?」
「暗殺師とか売春婦の才能かい?僕たちにはなかったよ。暗器触らしてもらったけど、さっぱりだったじゃないか。」
その時だ。
ガンッと、後ろから肩をぶつけられて、よろめいて倒れた。
「どこに目ぇつけてんだ、能無しゴミ野郎が!」
後ろからぶつかってきて、その言い方はないだろうと思って、ぶつかってきた奴を見る。
(デカいな…)
まるで、悪役レスラーのような男が、蛇のように鋭く俺を見下ろしている。
服越しでも、モリモリの筋肉が浮かんでおり、ハードモヒカン頭と来れば、絶対目を合わせちゃいけない奴だ。
ルッソの顔をちらっと見やると、怯えた表情をしていた。やっぱり、逆らってはいけない奴らしい。
「ごめんなさい!」
俺は即座に土下座した。
場を静寂が包んだ。
「おう…気をつけろよ!」
足音が去っていくのを確認して、顔を上げた。周りでは、クスクスと笑い声が響いていた。
ルッソが、大丈夫?、と声をかけてくる。
「見ての通りだ。何も起こっちゃいない。」
「うん…それにしても、キレイな土下座だったね。」
「まぁな。」
実は、土下座に関しては、ひとかどのものであると自負している。
医学生の時にはバスケ部に所属していたが、部員が起こした様々な不祥事を、この土下座で闇に葬り去ってきたのだ。バスケ部の部長が法医学教室の教授ということもあって、警察とゆちゃ、いや仲良しこよしだったのも大きかった。
だいたい、医学部の体育会系部活に入っている男など、叩けば埃の出る奴ばかりだ。
ま、何が言いたいかというと、俺の土下座を踏みつけた、あんな女神は珍しいということだ。
とはいえ、ハリウッド女優のような美女に踏まれるというのも、また乙なものというか、いやいや…
「悔しいことは悔しいさ。てか、あいつ、誰だ?」
「アレンだよ。体術に長けてて、教会騎士団に就職がもう決まっている。」
「俺たちみたいな黒の奴も、騎士になれるのか?」
「正確には、モルティ教会の異端殲滅騎士団だよ。あそこは、出自の卑しい者も、実力があれば取りたててもらえる。身分は違えど、人間は平等だというのが教義だからね。」
「へぇ。」
におう、におうぞ。
こんな身分が固定されてそうな未開文明世界で、人間は平等だなんて言っちゃう奴はとても怪しい。とはいえ、教会なんだから当然か。
しかし、周りの様子を見ていると、俺は、この訓練所の中でも最底辺にいるらしい。となると、確認しなければいけないことがある。
「ルッソ、俺はもう掘られたか?」
「え!?」
「ケツの穴に、男の一物を突っ込まれたか?」
「え!?」
いやいや、なんだよ。そんな目玉が飛び出そうな顔しなくていいじゃないか。こういう刑務所や軍隊じゃ、弱くて若い新兵さんは、上官に掘られるというのが、セオリーだ。少なくとも俺の見てきたミリタリー映画はそうだった。
「そ、そんなことをしたら、冒涜行為で、それこそ異端審問されるよ。教会もこの訓練所の運営に関わっているからね。というか、どれだけおぞましい発想だよ。本当に頭おかしくなっちゃったんじゃないの?」
ルッソは、まるで化け物を見たように、体を両手で抱いて震えているが、そうだよね。まったく地球というのは、おぞましい行為でいっぱいだ。
「頭おかしくなっちゃった奴ってどうなる?鉱山送りとか?」
「即刻死刑だよ?」
ずいぶんだな。
何その、『人権?それっておいしいの?』みたいな表情。
精神病発症したら死刑って、やっぱりハードボイルドな社会だ。俺が『サーノに異世界から憑依しました』って言ったら、死刑確実だよな。
(佐野がサーノになっちゃいました♡)
みたいなことを言おうものなら、ダジャレ憤死&ガチ死刑が待っている。俺も中年に足を突っ込んだが、ダジャレで死ぬなんてゴメンだ。というか、享年34歳というのも、それはそれで、若過ぎるよな…
34歳で死ぬ患者なんて、普通の中小病院で働いている医者にとって珍しいものだ。そりゃ、がん専門病院なら、乳がんや精巣がんといった、我々30代でも命を落とす病気の患者もいるかもしれないが。
ごめんな、おふくろ…逆縁になっちまったな。
「サーノ?」
呼びかけられて、我に返る。
そうだ、この異世界転移がバレてはいけない。
死刑になれば、女神アンダンテが言う、魂を磨くことができない。ここでも早死するわけにはいかないのだ。
「大丈夫だ、ありがとう。」
俺たちは、身体訓練の集合場所にたどり着いた。もう、正面には、教官らしき人というか犬耳をつけた軍服マッチョおじさんが立っていた。
(なんか通報事例な感じだけど、妙にシックリくるコスプレだな)
「だらだらするな!貴様らはクソを垂れ流すだけのケツの穴か!」
コスプレ通報事例が、直接腹を叩きつけてくるような声で叫んだ。
(やっぱ、いますやん!)
思わず、俺は後ろに手をやり、おしりを隠した。