イホウギである
再び、北トラン軍に暗闇が広がった。
「ハイ様、人を殺したら、いくらなんでも、あい様に報告しなければなりませんよ」
ハイの肩の上でクロが釘を刺す
「わかっているわ、でも骨を折る位はいいのでしょ」
「まあそれくらいなら」
ハイはひらひら舞い、北トラン軍の兵士の骨をポキポキ折っていった。
まるでそうめんを折るように。
「ぎゃあああー」
「痛い、痛い」
「ぐわーー」
北トラン軍の兵士はパニックに陥った。
イホウギの攻撃は、敵兵を一撃で死に追いやる。
悲鳴を上げる隙もない。
だがハイの攻撃は誰も死なない、たおれた兵士が苦痛を訴え、悲鳴を上げた。
闇の中の悲鳴ほど恐いものはない。
疑心暗鬼に落ちいった北トラン兵は人影をみると、攻撃せずにいられなかった。
それがまた、悲鳴を呼び、北トラン軍の陣全体で声が上がりだした。
ゼンはイホウギが暴れるより十倍は、声が上がっていることに恐怖していた。
これをたった一人で、やっているなど信じられん。
そんなことを考えていると、ハイがしゅるっと帰って来た。
服はほとんど汚れていなかったが、足元が少し血と泥で汚れていた。
「こ、これで無傷なのかよ」
ゼンも、イホウギも驚きを隠せない。
敵陣は変らず喚声が上がっている。
いまだ同士討ちをしている。
「これは、いったいどれだけ被害が出ているのかわからんぞ」
イホウギがつぶやくと、ゼンが頷いている。
その主役を探すとハイが寝着のスカートの裾を持ち上げている。
中身が丸見えになり、イホウギ自慢の騎馬兵士達が、敵陣も見ないで、彫刻より美しい、ハイをガン見している。
「イホウギ様、服が汚れてしまいました」
「あい様に叱られる」
今にも泣きそうである。
はーー、なんだこの人、これだけの事をやってのけて、服が汚れて泣いているのかよー。
ゼンは呆れていた。
イホウギはそっとマントでハイの体を兵士から見えないように隠し、心配そうに話しかける。
「もし、本当にハイ殿が叱られるようなら、わしが必ずお助けする」
「だから、心配しなくても良い」
「本当ですか」
松明の揺れる薄明かりにてらされて、明るく微笑んだハイの顔は、美しすぎて、兵士達はまばたきを忘れて見つめていた。
「では、私は帰ります」
「クロ、部屋の外に移動して頂戴」
「はい、わかりました」
ハイが帰ってからもしばらく、北トラン軍の陣から喚声が続いていた。
ハイはこっそりマイの家に帰ってきた。
「クロどうしようこの服のままではどうしようも無いわ」
「そうね、まずはお風呂ね」
「あわわわわ」
返事をしたのは、クロでは無くマイだった。
「なによ、人をお化けでも見るみたいに」
「なにか悪事でも働いたの」
「い、いいえ」
「じゃあ、男のとこかしら」
「……」
「まさか、あなたが男のところへ行っていたんだ」
「ふーーん」
なにかマイが急に上機嫌になり、
「仕方が無いわね助けてあげるわ」
「ついてきなさい」
「いいこと、これは大きな貸しですからね」
風呂場に着くと、マイはハイに風呂に入り綺麗に体を洗うことを指示した。
使用人に同じ寝着を用意させ、ハイの今日の無断外出をあいから完全に隠した。
戦場に朝日が昇った。
日が射すと、北トランの陣がうけた被害が甚大だったことがわかった。
朝一で総攻撃を考えていた北トラン軍はその予定が実行出来ないことに気が付いた。
イホウギは捕虜に、一騎打ちの申し込みを、総大将に伝えるように言い解放すると、北トラン軍は直ぐに、一騎打ちを受ける事を了承してきた。
北トランにとっては渡りに船だった、自軍の損害の把握する時間を稼ぎ、イホウギを殺せる好機でもあるからだ。
これを受け、イホウギは三千の騎兵を連れ戦場の中央に向かった。
北トラン軍は一万の兵を連れ中央に向かって来る。
兵士は途中で待機をし、イホウギは単身、戦場中央に向かった。
北トラン軍は三人の将軍が軍から離れ、さらに途中で二人が離れた。
形は一騎討ちだが、少し長引けば二人が乱入することは明らかだった。
「イホウギである」
「まいる」
そう言うとイホウギは全力で騎馬を走らせた。
キイイイン
全速で走りより、敵将の槍を軽く払った、軽く払ったはずだが、敵将の槍は吹き飛んだ。
払った棍を、ほんの少し軌道を変え相手の眉間に当てた。
棍が敵将の頭蓋に突き刺さった。
イホウギの棍の先端は平らで尖っていない。
その棍が突き刺さったのだ。
敵将は、馬からゆっくり落ちた。
「全軍突撃」
イホウギの突撃命令がかかった。
イホウギは出陣の前、城塞都市の守備兵にも出撃を命じた。
いま、城塞都市には守備兵は一人もいない、空城である。
守備兵には、突撃がかかったら出撃し、倒れている兵士の、とどめを刺すように指示をした。
イホウギは、この戦いで一人でも多くの兵士を減らすことだけを考えていた。
最低でも八千人以上は倒さなくては、南トランの為にならない。
籠城しても、十五万対八千の戦い、敵兵を八千人以上倒すことは無理、しかも城まで取られる。
それならばこの後のことを考え、どうせ取られる城を護るより、一人でも多く敵将を倒し、敵兵を減らす作戦を考えた。
後ろに控える敵将二人はすでに全速でこちらに駆けて来ている。
イホウギはすれ違いざま、並んでいる敵将を薙ぎ払った、二人は槍を立てそれを受けたが、そのまま吹き飛ばされ地面に落ちた。全速で駆けていたため体が地面に着くと何度も宙に浮き転がった。
動けなくなった敵将の後ろにイホウギは立ち、重い棍を敵将の頭に振り下ろした。
馬首を一万の兵に向けると、敵兵は震え上がった。
そして背を向け逃げ出していく。
三将軍を倒しいままさに逃げ出していく敵兵を見たイホウギには、少し余裕が出ていた。
後ろの騎兵隊と合流すべくゆっくり騎馬を進めた。