3-2
「客人と一緒とは珍しいな」
ミュウとスタティスが一緒に門をくぐると、庭にいたルシフェルが早速声をかけてきた。
鋭い視線がスタティスを値踏みしているようにも、牽制しているようにも見える。
「はじめまして。お忙しいところ押しかけてしまって、すみません。……ミュウさんと同じクラスの、スタティスです」
礼儀正しく丁寧に挨拶をするスタティスに、ルシフェルは目を眇めた。
「――あの、スタティスが一緒に勉強してくれるっていうから――。すぐにお茶の支度をしますね。スタティスは部屋で少し待ってて――」
そう言いかけたミュウの言葉を、ルシフェルが奪った。
「いいじゃないか、一緒にお茶にしよう。君も、勉強はそれからでいいだろう?」
「あ――はい」
瞳の奥に鋭い輝きを宿した天士長の確認に、成績優秀とはいえ見習い天士がノーと言えるはずがない。
「ミュウ、今日は彼も一緒に庭で――」
ルシフェルは庭に通じる扉を開けた。
「かしこまりました。……スタティス、悪いけど、ルシフェル様と先にお庭で待ってて?」
ミュウが大きな鞄を持って部屋に戻って行くのを見送ったあと、スタティスはルシフェルについてホワイエを出た。
前を歩くルシフェルの背中は細身であるが、スタティスにとってはとても大きく感じる。
しばらく言葉もなく歩いたが、薔薇のアーチの前で彼が立ち止まった。
「君は……ミュウと、付き合ってるのか?」
背を向けたまま発せられたその言葉に収まりかけていたスタティスの中の嫉妬の炎が大きくなった。
彼にとって、目の前にいるのは天士長ではなく、女には手が早いと噂の――恋敵。
「初対面で――いきなり、そんな低俗な質問ですか?」
スタティスはルシフェルの射るような眼を正面から受け止めながら、「低俗か……」と嗤って軽く往なす。
「――それでも、俺には大事なことだ。それで君への対応の仕方が変わる」
これは……宣戦布告だろうか?
「……たとえ、僕らが付き合っているとしても、あなたには関係の無いことではありませんか? それとも――僕らが付き合っていると、何かまずいことでも?」
自然と挑発するような言葉がスタティスの口から洩れた。もちろん、それに気づかないルシフェルではない。
「悪いが、俺にはアレの保護義務がある。預かっている手前もあるので俺の知らない間になにかあっては、困るのだよ」
穏やかな口調で余裕さえ見せるルシフェルに、不満と反抗心が募っていく。
「――本当に、それだけの理由ですか?」
「俺が、嘘をついていると?」
「いえ。ただ、他にも理由があるのかと」
逃げ場を作らぬように真っ直ぐな目を向けると、ふっと彼は鼻で嗤った。
「たとえそうだとしても、それは君に開示する必要はない。――で、どうなんだ?」
ルシフェルのミュウに対する気持ちはわからなかったが、彼がこの問題について突っ込まれたくないのはわかった。
「……ご安心ください。『まだ』手は出していません」
「なるほど。――だが、少なくともその気持ちはあるわけだ」
ルシフェル眉が僅かに上がった。心なしか嬉しそうに見えるのは、気のせいか?
「僕は、紳士です。無理強いはしません」
ここで引いては負けだとばかりにスタティスは、言葉の裏に『あなたと違って』と込めた。
「なるほど――。できれば、最後まで紳士でいてもらえるようお願いするよ」
その口調はおよそお願いではない――半ば強迫的に口角を上げた冷やかにな笑みに、スタティスの中の炎はさらに大きくなっていく。
「あなたに――」
と、そこへミュウがトレイを持ってやってきたのでスタティスは言いかけた言葉を飲み込んだ。
「お待たせしました」
「ありがとう、ミュウ。――さ、君も、掛けたまえ」
ミュウが姿を現したその一瞬で、これまでの牽制するようなルシフェルの雰囲気が大きく変わったのを、スタティスは感じ取った。
「――昨日沢山クッキーを焼いたので……あれ、スタティス、どうかした?」
一方、割り切れないスタティスは、先ほどまでの交戦的な気持ちを抱えたままミュウに嗤いかけようとして何とも奇妙な表情になる。
自分はあの時、なんと言葉を続けようとしたのか。
あなたにそんなことを言われる筋合いはない――? あなたにミュウは渡しません――? あなたにミュウの気持ちがわかるんですか――? あなたに――。……一体、何を言おうとしたのか。
「――いや、何でもない……」
それ以上何も言えなくなったスタティスに一瞥を投げたあと、ルシフェルは隣に腰かけたミュウに話の矛先を向けた。
「ところで、アカデミアのほうは、どうだ?」
「――はい。周りの子たちは、そろそろスカウトをいただいているようです。スタティスだって――ね?」
「え……ああ、……はい」
スタティスを会話に加えるための気遣いだとわかっていても、突然会話を振られて上手く受け答えができない。
それを緊張ととったのか謙遜ととったのか、ミュウはしきりにルシフェルにスタティスを推す。
「ルシフェル様、スタティスったら、すごいのよ。ラジエル様とメタトロン様のところからスカウトをもらってて――」
「ほう。君は、優秀なんだな――」
先ほどまでのルシフェルからは、考えられない穏やかな雰囲気に、戸惑うスタティス。
「――ええ、まあ……」
ミュウに対する柔らかい気持ちと、ルシフェルに対する尖った気持ちが心の中で奇妙にミックスされて、スタティスはまともに会話にはいれない。
「そうなの、スタティスは、学年でもいつもトップなんだから――」
「なるほど。――それで、勉強を口実にミュウに近づいたわけか?」
一瞬、ルシフェルの鋭い眼光がスタティスを貫いた。
「近づいたなんて――。ただ、スタティスは、私の成績を心配して――」
「おや、ミュウは俺が教えるのでは、足りないと――?」
自分を見つめるのとはあきらかに違う――柔らかさを伴ってミュウに向けられるルシフェルの視線。
からかうように彼女の反応を楽しんでいる彼を、スタティスは意外に思った。巷で噂さえている――下の者には冷徹で女にだらしがないルシフェルの姿など、ミュウに対しては微塵も感じられない。
これは、一体どういうことか。
「そうではなく……。ルシフェル様はお忙しいから、勉強を見ていただくのは、なんだか申し訳なくて――」
「お前のためなら――、仕事なんて後回しでも構わない」
冗談のようにも聞こえたが、ミュウを見つめるルシフェルの瞳に熱さが加えられたのを、スタティスは見逃しはしなかった。
「だめですよ、ルシフェル様。――ちゃんと、お仕事して下さい。この後、長老のところに行かれるのでしょう?」
それに気がつかないミュウは、軽くルシフェルの言葉を受け流す。
それでも、彼の表情は柔らかいままだ。
「固いな、お前は――。大丈夫だ。、そろそろ準備を始めるさ。……では、しっかり勉強を見てやってくれよ」
余裕の笑みをスタティスに残して、ルシフェルは立ち上がった。
「あ……では、お支度のお手伝いを――。スタティス、悪いけど、ちょっと、待っててね」
ルシフェルに続いてミュウも立ち上がる。
二人の仲を見せ付けられ敗北感を心に抱えたスタティスが、薔薇の咲き乱れる庭のテーブルに一人取り残された形になった。