第8話
メルカさんが軽い足取りで門をくぐり、俺とペント兄さんもそれに続く。そのまま扉の前に近づき、ノッカーを鳴らした。変な人だとは称していたものの、気軽な雰囲気からすると案外気の置けない仲なのかもしれない。
「今手が離せない!勝手に入ってくれー!」
扉の向こう側から女性の声が聞こえた。教授が女性だったということに少し驚きはしたが、特に問題はない。むしろ女性ならば甘い物が好きなだろう。シュークリームは喜んでもらえるんじゃないだろうか、と少し安心しながら三人で顔を見合わせる。
「じゃあ、入っちゃおっか。教授も良いって言ってるし」
そう言ったメルカさんはそのままドアノブを回し、ドアを開けてペント兄さんと俺を家の中に入れた後、扉をしっかり閉めて俺たちの先頭に立ち、こっちだよーと言って家の奥の方へ誘導してくれた。
家は一階建てで、それほど大きくはないが一人暮らしなら十二分の広さはあるだろう。研究者であるなら薬品や実験動物を保管しておく部屋も必要だろうし、それを考えると少し手狭な気がしないでもない。
そもそも部分強化の研究で薬品や実験動物が必要か?と言われると正直さっぱりわからないが、まあ研究者と言えばそのあたりの物で実験を行っているイメージが拭えないからな。
「やあメルカ君、いきなりで悪いがそこの緑の薬草が入った瓶を取ってくれないか。あぁ、中の薬草を素手で触ってはダメだよ。触ると君の手の細胞の8割が死んでしまうからね」
いきなりとんでもなく危険な薬草が入った瓶を取るようにメルカさんに要求しているこの人が"セレナ・ダグラス"教授なのだろう。中身を触ると8割方は腕の細胞が死んでしまうと言われているのに、全く気にする様子もないまま、メルカさんは瓶を素手で掴んで教授の元へ差し出した。
「どうぞ、教授。今日は何の実験なんですか?」
作業台の前から1㎜も動くことなく、そして視線を作業台の上のネズミから一切逸らすことなく教授はありがとう、と言いながら答えた。
「今日はこのマウス君に身体強化の魔術を"自ら"使用させて、このマスマジ草を触らせようとしているんだ。さっきからマウス君がなかなか言うことを聞いてくれなくてね、こらっ!早くこの毒草の上に乗りたまえマウス君!」
そういって無理やり作業台の上に置いたマスマジ草とやらの上にネズミを乗せようとしているが、ネズミの方は本能的に毒草を嫌がっているのか、それとも教授に触られているのが我慢ならないのか、せわしなく暴れまわって拒否しているようであった。
「痛っ・・・あぁっ!」
教授の痛がる声と同時にネズミは今だ!と言わんばかりに教授の手から逃げ出し、恐らくは実験動物用のケージであろうと思われるカゴの中に入ってしまった。というかこの家から逃げるんじゃなくてそこに入るのかよ・・・。
「ふむ、マウス君は今日は機嫌が悪いようだ。あの子に噛まれたのは2年と82日ぶりだよ。・・・まあいい、一旦休憩を入れようじゃないか。幸いここには最高級の紅茶とお土産のララシスシュークリームがある。一息つくにはちょうどいいだろう」
噛まれて少し血が出ていた手の甲に淡いピンク色のハンカチを当てながら、教授は俺の方を真っすぐ見た。教授はパッと見た感じ、俺とそこまで外見年齢に差がないように感じる。いくつくらいなのだろうか。教授というからには間違いなく学校は卒業しているのだろう。まだ見たことはないが、亜人種というのを聞いたことがある。エルフやドワーフ、オーガ等の人間とは違った人語を介す種族だ。種族によっては寿命が恐ろしく長かったり、寿命は人間とあまり変わらないものの、外見年齢は死ぬまで10代、といった種族があるのだとか。ともかく、ララシスシュークリームはお気に召したようで安心だ。
「紅茶を淹れてこよう。君は確かペント・バンデイムだね?椅子がそちらのクローゼットに入っている。お茶の準備をしておきたまえ。」
そう言って部屋の隅にあるクローゼットを指差してからペント兄さんに指示を出し、そして俺の手からララシス商会印の箱を素早くささっと奪い取り、台所の方に歩いて行ってしまった。
「ね?変な人でしょ?」
ペント兄さんが出してくれた椅子にメルカさんが座り、苦笑いしながらこちらに顔を向けた。
「確かに少し個性の強い方みたいですけど、悪い人ではなさそうです」
俺とメルカさんが話をしている横で、セレナ教授に顎で使われていたペント兄さんは特に気にするでもなく読書に勤しんでいる。この人は地震が起きたり火事が起きたりしても読書を続けることができそうだな。とかなんとかよく分からない感心をしながら待っていた。しばらくするとセレナ教授がトレイの上のお皿にシュークリームを乗せ、恐らく紅茶が入っているのであろうティーポットをもってリビングへ戻ってくると、
「先に言っておくが、シュークリーム五つのうち二つは私のものだ。それだけは肝に銘じてお茶に臨むことだな。これを破ったらマスマジ草でお茶を入れてやるから覚悟しておくといい」
と宣言して、テーブルの上にシュークリームが四つ乗ったトレイとティーポットとカップを置き、それぞれの前にカップを置いて紅茶を注いでくれた。




