第7文 日常
前回までのあらすじ。
「あっはは」
いつもの笑顔に、一つの願い。
俺に一人、義理の弟が居る。
今、俺の目の前で、取り込んだばっかのふわふわバスタオルの中で寝てる、ノアという名前の人外だ。
「………………」
俺はというと、その光景に学校から帰って来たばかりの身体が硬直していた。
え?
ノアってこんなに可愛かったっけ?
俺の理性が風船の如く飛んでいきそう。
すっごく頭撫でたい。
「…………………………」
あ、お腹出てる。
細っ!?
わかってたけどほっそっ!?
そして緑色!!
こうやって改めて見てみるとどうして可愛く見えるのか謎だぞ俺……。
とりあえずお腹にもふわふわバスタオルを被せておいた。
というか、今寝たら夜寝れなくなるんじゃ……。
でも起こし方わからないな……。
「えいっ」
まずは陽花のマネ。
頬をつついてみる。
うわっ柔らか。
「えいっえいっ」
ぷにゅ、ぷにゅ、という効果音が付きそうな、クセになる程よい感触。
面白くなってまたつついてみるけど、効果は無い。
じゃあ次は。
「んしょ」
頭を撫でてみる。
これは俺がやりたかっただけなので当然効果無し。
うん。知ってた。
んじゃあ。
「ノア、今寝たら夜寝れなくなっちゃうぞ」
身体を揺らして普通に起こす。
「……〜……〜〜??」
効果有り。
ノアは暗闇の目を擦ってぽや〜っと辺りを見渡す。
俺と目が合うと途端に表情が明るくなった。
『おかえりっ おかえりっ』
そう書かれたスケッチブックを俺に向けて構えて、ノアはふにゃりと笑う。
「うん、ただいま。姉ちゃんがおやつを用意してるから早くこっちに来いよ」
文字に返事をして俺は颯爽と部屋を出た。
次の瞬間廊下を猛ダッシュ。
湧き上がる萌え(仮)をドアにぶつける。
「我が家に天使がいるんだけどぉ!!?」
「ぎゃぁぁぁホント勘弁してドア直すのお姉ちゃんなんだってばぁぁぁぁ!?!?」
蹴破られたドアの破壊音と二人の絶叫が交じるけたたましい音声に、ノアはバスタオルを抱えたままビクッと肩を震わせた。
〜・~・~・~・~・~・~・~・~・~
『ユメイおにいちゃん』
「どうした?」
宿題を終わらせ、ゲームを起動させた俺にノアが近づく。
お兄ちゃんと呼ばれるのにはまだ少し照れてしまうが、姉ちゃんに入れてもらった紅茶を吹き出した時に比べればだいぶ慣れた。
……慣れたと思いたい。
『きょうも ゲーム?』
「え? うん」
『みてていい?』
「いいぞ」
スケッチブックの文字と短く会話して、俺はまたコントローラーを握った。
ノアがひたひたと俺の横に来て腰を下ろす。
途端、綺麗な画質と音楽が、画面に異世界を創り出した。
「……………………」
お互いに沈黙が重なるけれど、気まずくはない。
チラリと横に居るノアを盗み見ると、画面に夢中で俺より前のめりになる有様。
それがなんだかとても可愛くて笑みが零れた。
『ユメイおにいちゃん』
「ん〜?」
ゲームを開始して小一時間。
横に居るノアが真っ黒の目を俺に向ける。
戦闘画面だったから横目で見て返事を返し、指先を忙しなく動かした。
突然、目の前にピーナッツバターをビスケットでサンドしたお菓子が目の前に差し出され、
「……ん」
迷うことなく口に入れる。
ざく、ざく……。
口の中でビスケットの歯触りとピーナッツの香りが広がる中、冷静になってしまった。
あれ?今俺……。
差し出された方を見るとノアが四つん這いで、右手を宙に持ち上げていた。
心做しか嬉しそうだ。
『きょうのおやつ あまってた』
「お、おぉ。ありがとな」
姉ちゃんのせいで「あーん」への受け答えが癖になってる……。
いいのかこれ?
大丈夫なのかこれ?
直さないとじゃないかこれ?
……………………。
まぁいいか。
どうせダメでも姉ちゃんのせいだ。
そういうことにしておこう。
うん。
さてと、そんなことよりゲーム……。
「あ」
オチは見えただろうか。
画面にはGAME OVERの文字が浮かんでいた。
〜・~・~・~・~・~・~・~・~・~
部屋の中で広がる、鉛筆と紙の擦れる音。
次々と並べられる日本語。
机の上に散らばる消しカス。
そして。
俺のその行動から目を離さないノア。
さっき俺は宿題を終わらせてからゲームを起動したと言ったな?
あれは嘘だ。
日記はどうしようもないじゃん。
書くこと何もなかったら書けないじゃん。
ノア絡みのことなんて書けるわけないじゃん。
というわけで許して。
『きれい』
「ん?」
『じ きれい』
「じ? ああ、字か」
真っ黒な好奇心の目に苦笑い。
元々丸文字の姉ちゃんから文字を教わったからか、俺も少々丸文字なのだ。
姉ちゃんまではいかないにしても、可愛いこの字の書き方を俺は少し気にしている。
それを綺麗だなんて言われるとは思わなかった。
『ボクも きれいにかきたいな』
ふにゃ。
楽しそうに細められた目が俺に映る。
まぁ、確かに。
ノアの書く文字は一言で言えば、拙い。
バランスは崩れ、真っ直ぐに並べることもままならないといった感じだ。
「あ、じゃあ……」
その時ひとつの考えが浮かび、俺はそばの本棚から一冊の本を取り出す。
表紙には「ペン習字」の文字。
実は少しだけ書体を直そうとして買ってみたはいいが、序盤の序盤から進めておらず放置していたものだ。
「これ、一緒にやらないか?」
きょとんとした暗闇の眼に向けて本を開き大きなひらがなを見せると、ノアの表情がみるみる明るくなった。
椅子から腰を上げてリビングに移動し、テーブルの上に本を広げる。
手袋でちょっと滑ってしまう鉛筆を何度も握り直しながら、それは点線で四分割された空間に横たわるグレーの線を一生懸命なぞっていた。
二十分ほど時計の針が進んだ頃。
鉛筆と時計の音しか無かったこの部屋に足音が響いた。
「助けて優命! お姉ちゃんがお呼びだよ!」
うるさい。
ってまた部屋の前の廊下を華麗なスライディングで滑る姉ちゃんに言いたいけど、
「いや、まず服着ろよ」
『おようふく どうしたの?』
相手は全裸だったからひとまずそこにツッコミ。
息を切らす、まだ水が滴る黒髪はその姿を隠す気は無いようで、「いや〜も〜勘弁してよ〜」とボヤいている。
毎日ケアを欠かさない滑らかな肌。
キュッと引き締まったウエスト。
大きく膨らんだバストとヒップの整ったバランスに、そこらの男性なら目のやり場に困るだろう。
でもぶっちゃけ小さい頃から見てるから全然困んないわ。
ガン見もガン無視も出来るわ。
ノアも元が植物だから人間の裸体に興味無さそうだし。
くしゃみをする姉ちゃんにまだ『おようふく どうしたの?』のページを見せて首を傾げてるくらいだし。
俺が心底めんどくさいという目を向けても姉ちゃんは無視して口を開く。
「お風呂入ってたら運命の出会いをしたよ!」
「相手は?」
「可愛い可愛い子グモちゃん!!」
「続きやろっか、ノア」
「お姉ちゃんヘルプミーだよ!? 助けてよ!!」
糸も泡も纏わないその体を上下させて急かす姉ちゃん。
廊下濡れるんですが。
しょうがないなぁ……。
仕方なく立ち上がり、背伸びを一回。
風呂場へGO。
〜・~・~・~・~・~・~・~・~・~
タイルの壁に粒があった。
いや……蜘蛛なんだけど。
「あ、クモちゃんいたいた〜」
「ちっちゃいな」
『ちっちゃいね』
足の長い蜘蛛がポツリ。
俺らの会話を気にする様子もなく、壁を歩いていた。
「この大きさだとオスかな?」という姉ちゃんの言葉を聞き流しながら蜘蛛に繋がる糸を探すが、見つからない。
それさえ見つけられれば外へ連れていけるんだけれど……。
あ、そうだ。
「ノア。この蜘蛛、外に連れていけるか?」
『たぶん おそらく もしかしたら』
「お姉ちゃん、もしかしたらでもいいからお願いしたいな〜」
『わかった』
そう書いたページを俺らに見せた後、ノアは手袋を外して根を伸ばす。
その根で優しく蜘蛛を包み込んで、とりあえず確保した。
「ナイスだよノアくん! 頼れるぅ!」
「ここの外へ放せるか?」
こくん。
自信ありげに頷き、俺が開けた窓の外に腕を伸ばしてはらりと解く。
放たれた蜘蛛はまた行き先もわからない拠点探しへと旅立った。
「ありがと〜ノアくん! お姉ちゃん助かっちゃった! はぐはぐ〜」
「……〜〜!!」
「姉ちゃん……濡れるからとりあえず風呂場行ってよ……」
蜘蛛を放した瞬間ノアを抱きしめる姉ちゃんの背中を押して、半ば強引に場所を戻す。
濡れた肌に包まれたノアももぞもぞと脱出した。
「ノア、続きやるか?」
『やりたい』
目を輝かせて頷く白い頭。
移動しようとした背後で姉ちゃんの声が響く。
「二人とも、ありがとね!」
「どういたしまして」
『おようふく ちゃんときてね!』
「あっはい。ごめんなさい」
ノアの文字に裸のまま姿勢を正す姉ちゃんに困り顔を浮かべて、俺らはペン習字の本が置いてあるリビングへと歩を進めた。
これから起こる事も知らずに。
続く