第6文 懇願
前回までのあらすじ。
「隠し事、してるだろ」
お姉ちゃんピーンチ。
いつからだっただろう。
優命がこういうことに敏感になったのは。
私達がまだ両親と暮らしている頃。
優命は人が作業をしている時に遊びに誘うことが多かった。
周りを見ることがまだできない、子供ならありがちな事だ。
当然、作業を終わらせてから遊び相手になっていたが、作業が終わるまで優命は待ちぼうけとなった。
子供は暇を嫌う。
音が鳴るおもちゃや積み木などを与えても、一人遊びに慣れていない優命はすぐに飽きた。
幼稚園に通う前。
本に興味を示した優命に、私はひらがなとカタカナを教えた。
興味があるうちに教えたのが功を奏したか、みるみる上達していく優命に喜びを隠せなかった。
でも優命の視力が落ちて、眼鏡デビューになった。
両親が共働きになって、優命は幼稚園に預けられた。
保育園で陽花という友達が出来て、楽しそうに保育園へ向かう優命。
私は父親より先に帰ってくる母親と一緒に、優命を迎えにいく日々が過ぎた。
ある日。
私が興味本位で図書館から借りてきた心理学の本を、優命が読んでいた。
私は結局途中で読むのを止めてしまったけれど、読めない漢字を教えながら、あるいは意味を国語辞典で調べながら私は優命の楽しげな笑顔を見ていた。
おかげで私は国語辞典を引くのがかなり早くなった。
優命の小学校入学が近づいた頃からだっただろうか。
気づけば、優命は作業をしている間に話しかけることがなくなっていた。
それどころか、家族の顔色を伺って、「おこってる?」「どうしたの?」という言葉をかける方が多くなった。
多分この頃から、表情や態度、行動で、大まかな感情を読み取っていたんだと思う。
〜・~・~・~・~・~・~・~・~・~
そして今に至る。
いやいや、勘弁してよホント。
優命の読心術はシャレにならないんだって。
眼鏡外した優命は無敵だって何回私に知らしめれば気が済むんですかね優命さん!?
私も心理学取り組もうかな!?
「眼鏡なら置いてきたよ。これが何を示すか、姉ちゃんなら分かるだろ?」
「とてつもなく分かりたくない」
首をぶんぶん横に振る。
ヤバイヤバイヤバイヤバイ。
今までこの状態の優命から逃げれたことが無いんだって。
落ち着け。
こういう時は情報整理に限る。
んーと?
眼鏡を外した小学三年生の弟に、成人女性の姉が詰め寄られてます。
現在進行形で。
はっはー!
「誰得だよっっ!?」
自分のオタク脳内に喝。
「姉ちゃんまた馬鹿なこと考えてたでしょ」
「我ながらド阿呆なことで脳細胞使ってると思う」
心底呆れた顔でこっちを見る優命。
大丈夫だよー。
お姉ちゃん元からこんなだよー。
視線痛いよー。
はぁ……。とため息をついた優命はこっちに向き直った。
「ノアのこと?」
「……違うよ」
咄嗟に否定したけれど、まともに優命の目を見れない。
優命はそんな私に、また口を開いた。
「…………聞き方が悪かったな。ノアの能力に条件出したことだろ?」
「ふぇ!? ゆ、優命!し、しし知ってたの!?」
私の反応にぷはっと吹き出す声。
「ははははっ! 姉ちゃん分かりやすいなっ!」
「ち、ちが、優命が異常なだけ! だと思いたい! うん違うね!? やっぱ分かりやすいかも!」
もうイヤ……。
弟の前ではもっとちゃんしたお姉ちゃんで居たいんだけどなぁ。
私にはちょっと無理っぽい。
私の手を離さずに、でも力は緩めて笑い声は私を見た。
「ノアから話は聞いた。姉ちゃんの不安は理解してるつもりだよ。つもりだけかもしれないけれど」
「あっはは。なんでもお見通しだねぇ、優命は」
「……はいはい」
困ったように笑い返していつものセリフ。
この言葉は、読心術を使っている優命に対しての降参の合図。
それと同時に、ちゃんと話すから読心術を終わらせほしいというお願いでもある。
優命はその頼みも察し、肩をすくめながら両手を頭の高さまで上げた後、眼鏡を取りに部屋を出た。
〜・~・~・~・~・~・~・~・~・~
「ふにゃあ……」
優命を見送った後、へなへなとその場に座り込む。
迂闊だった。
一、二年ぶりにあの優命を見た。
お風呂と寝る時以外は外すことのない眼鏡を、まさか今置いて来られるとは思ってもみなかった。
ノアくんのことで頭がいっぱいになってる証拠だなぁ……。
「はい、姉ちゃん。これでいいか?」
「ん〜……ありがとね〜」
眼鏡をかけた優命がこっちを見る。
見抜かれてしまったなら、隠すだけ無駄だ。
私はへらりと笑って、優命に向かって控えめに両手を広げた。
「おいで?」
「……ん」
短い会話を交わして腕の中に収まる柔らかな髪。
撫でてやると、眠たそうに欠伸が漏れた。
「優命は、いつ分かったの?」
「ノアと部屋で寝ようと眼鏡を外した時」
「あ〜……やっぱり」
「何も無い所を見つめたりそこに手を伸ばしたりしてたから、ノアに『何かあるのか?』って聞いてみたら教えてくれたんだ。視界がぼやけるとさ、なんつーか……情報を取り入れようとして些細なことに目が行くんだよな」
「お姉ちゃんはそんな優命が苦手だよ」
「はははっ!」
私のはっきりとした意思表示に優命は笑う。
視力が悪化した代わりに、状況、感情の把握に特化した優命。
まだ九歳という幼さで手に入れるものではないけれど、私はこの優命の特技に何度も悩みを解決に導かれた。
故に、隠し事なんかしたら光の速さで暴かれる。
分かってたのになぁ〜も〜私の馬鹿!
馬鹿馬鹿馬鹿!!
「あれ? 姉ちゃん太った?」
「うそん!?」
「体型は変わってないけど、前より柔らかくなってる気がする」
「うっそん!?!?」
「胸が」
「胸かいっ!!」
私の腕の中を動きながら不思議そうに呟く優命にいつもの調子でツッコんだ。
違う違う。優命との雑談は楽しいけれど、ノアくんのことについてはちゃんと話さなくちゃ。
頭を横に振って、自身を切り替えた。
「優命、お姉ちゃんに知恵を貸して。ノアくんのあの力はどうしたらいいと思う?」
「………………そうだな」
長い、長い、沈黙。
私の心臓の音を聞きながら、優命は心地良さそうに目を閉じる。
「俺は、ノアを信じたい」
「……うん、お姉ちゃんもだよ。でも、あの子が選択を間違えば事態はきっと、すぐ私達じゃ手に負えなくなる。それが怖いの」
私の声に、「ふ〜ん?」と弟は薄く笑った。
「姉ちゃんは、ノアを縛りたいのか?」
「…………っ!!」
言葉が出なかった。
私は、あの子の自由を奪いたいのだろうか?
あの子に一方的に制限を押し付けて、動けなくしたいのだろうか?
確かにそうすれば、危険も無い。
惑いも無い。
絶望も無い。
でも、成長も無い。
「……嫌だ……っ」
嫌だ。
そんなの嫌だ。
縛りたくない。
奪いたくない。
苦しめたくない。
「嫌だっ……私は……」
私はただ。
「あの子に自由でいてほしいよ……」
家族の笑顔を見ていたい。
「じゃあ、自由にしようよ。家族は歳なんて関係なく、対等であるべきなんだから」
「あっはは。それ……父ちゃんがよく言ってたね」
「だよな! 懐かしー」
ははははっ! と笑い声が私の腕の中で震えた。
《家族の中で、上下関係を作ってはダメ》
親だから。
姉だから。
弟だから。
そんなしがらみを一切無視した私達一家の一つのルール。
ノアくんの事を「家族」と言っておきながら、無意識にそのルールからノアくんを除外しようとしてたんだ。
馬鹿だなぁ。私。
無邪気で可愛い、私と同じ血が流れる温かさを、また優しく抱きしめた。
「ありがと、優命。優命が反対してくれたおかげで、お姉ちゃんスッキリした。明日ちゃんとノアくんに謝らなきゃね」
「ん? あー……いや。実は俺……今回の能力の制限には……あまり反対は無かったけどな」
「ふぇ?」
まさかの意見に優命を見る私。
すると、私の背中に腕を回した小さなナイトは、目を閉じたまま眠たげに呟く。
「姉ちゃんが……苦しそうだった……から……俺…………心配……した……らけ……」
結局優命は最後まで言葉を出せず、挙句には呂律すらぐちゃぐちゃのまま寝息を立てた。
「……………………………………」
安らかな呼吸音が響いた数秒後、
「……ぷ……くふ……ふふっ」
私はこみ上げる嬉しさに、笑顔を隠せなかった。
「ふ……ははっ……あはははっ!」
ああ、愛しい。
いつもこうだ。
眠たいはずなのに、睡魔と格闘しながら私の所へ来てくれる。
面倒なはずなのに、私の話を聞いてくれる。
それだけでどれだけ嬉しいか。
それだけでどれだけ申し訳ないか。
きっと、優命は知らないんだろうな。
「優命……風邪、ひいちゃうよ?」
言っている言葉とは裏腹に、起きないよう柔らかく髪を撫でる。
もう少しだけ。
もう少しだけ、この優しい温もりに甘えていたい。
愛らしい寝顔を胸に押し付け、私の口から子守唄が零れた。
〜・~・~・~・~・~・~・~・~・~
「ノっアっく〜ん!!」
「!?!?」
翌朝。
私はノアくんを視界に入った瞬間に持ち上げて、その場でくるくるっと回転。
ノアくんの軽く細い身体が宙に浮く。
何回転かして浮かせた身体を床に下ろすと、ふらついて尻もちをついた。
「……!? ……!?!?」
何が何だかわからないという感じでノアくんは瞬きを繰り返す。
そんな相手に、私は目線を合わせるように目の前に座った。
「昨日はごめんね!」
目を合わせた次は、顔の前で手を合わせる。
ふざけていると思われるかもしれないけれど、今回はこの謝り方が一番いいと思った。
あまり重い空気にさせたくないからね。
『なに? なに?』
うん。
まぁこうなるか。
「昨日の約束ね、一つ言い忘れてたことがあって」
意外だと思うかもしれないけれど、約束は取り消さない。
だから。
「危ない時以外は使わないでってことじゃないんだよ。あくまでも、そこはノアくんの判断で使って欲しいんだ〜」
せめて、この子に考えさせる方法を取る。
『えーと ?』
「いい? ノアくんのその力はね、悪い人に見つかったら怖いことになっちゃうの」
『なんで?』
「人は秘密を持ちたがるものだからだよ」
そう。秘密。
あの子にナイショで。
この子にナイショで。
誰かに秘密にしていることが無い人間なんてほぼいない。
それが甘美な恋愛でも。
それが最低な陰口でも。
それが素敵なサプライズでも。
秘密であり、隠し事。
「秘め」事は、「姫」の如く誰かに守られる物だから。
なーんちゃって。
漫画に出てきそうな直接心を読むものじゃなくてよかったと思う反面、精神状態からでも予想は出来そう。
だからノアくんには、相手の精神状態を踏まえた上で判断をしてほしいというのが私のからのお願い。
「だから、危ないから使い方に気をつけてねって言いたかったのだよ!」
『のだよ?』
「そう! のだよ! だよ!」
『のだよ!』
ん〜〜…………。
私の説明が理解出来たのかは謎に終わりそう。
でもまぁ、一番最後のお願いだけ分かってくれればそれでいいや。
「なにやってんだお前ら……」
「おはようおねぼすけ君! お姉ちゃんのこの大きな胸で凝り固まった肩を揉んでくれたまえ!」
『たまえ!』
「嫌だわ! ってかノアに変な言葉教えんなよ!」
私の声がうるさかったのか、目を擦りながらリビングに入ってくる優命が突っ込む。
今日もパンをトーストモードにセットしたレンジに入れて、スイッチオン!
優命は学校のはずだから起きてくれて好都合かも。
あー。ちょっとクマが出来てる。
無理させちゃったかな。
今日のおやつ多めにしよう。
スケッチブックを抱えながらあどけない笑顔を満開に咲かせるノアくんと、眠たそうに欠伸を逃がして背伸びをする優命。
私はそんな宝物達を目の中に捉えて。
「あっはは」
平穏を願った。
続く