第2文 正体
前回までのあらすじ。
「………………!?!?」
「あっ、ええっと、ごめんな!? お前家に来たあとぶっ倒れちゃって! それで……! そのぉ…………!」
「え!? なに!? 目ぇ覚ました!?」
大騒ぎ。
「あ〜良かった! お姉ちゃん、このままだったらどうしようかと思ったぁ」
「びっくりさせてごめん。大丈夫か?」
口元(は無いが顔の下半分)を隠して目を瞬かせる来客者に、姉ちゃんは「はい、お水」とコップを手渡す。
「ねぇねぇ、やっぱりお水は根っこから吸うの? 良かったら見せてほしいんだけど」
「ちょっ、姉ちゃん。流石にいきなりそれはデリカシー無さすぎだよ……」
いきなり突飛押しもない事を言う姉ちゃんを止めながら、横目で来客者を見た。
反応は無言。でもなんだかもじもじとして落ち着かない。
すると、余る袖でコップを完全に隠した。
数秒後に袖を浮かせると、コップの中に液体は無い。
「あっはは。やっぱりお姉ちゃんの推理は当たってたね!」
「だぼだぼの袖が仇になった……だと……!?」
ごめん。
俺も姉ちゃんと同じくらいデリカシー無いかも。
好奇心旺盛で失礼極まりないこの姉弟に、緑色はまた戸惑いの表情を浮かべた。
「君に聞きたいことはたっくさんあるけれど、まぁ元気そうで何よりだよ〜」
「ほんとにな、怪我とか無くて良かった」
俺らの言葉に緑色は一瞬目を見開いて宙に手……否、根を伸ばす。
それは棒を持つような形に変化して、文字を書くように不安定に動いた。
「あぁそうか。喋らないんじゃなくて、喋れないんだった」
来客の要望に俺は一旦部屋を出て、スケッチブックとペンを持って踵を返す。
「ええと、これでいいか?」とそれらを手渡すと、緑色はさらさらとスケッチブックに何かを書いて俺らに見えるように構えた。
『こわくないの?』
白い顔の前で、不安げに文字が揺れる。
その文字に俺と姉ちゃんは顔を見合わせた。
「え、ごめんお姉ちゃん全然怖くない」
「姉ちゃんに同感かな。てか勝手に部屋まで連れてきたの俺だし、謝るの俺の方かも」
俺の言葉に、来客者は首を横に振る。
『キミがあやまることない たおれちゃったボクがわるい ごめんなさい』
拙い文字がまた構えられた。
『ボク もういかなきゃ マント どこ?』
「マントって……あの布のことか?汚れてたから洗濯してる。しばらく待たないと」
『せんたくってなに?』
「え」
「あっちゃあ〜……」
予想外の返答に固まる俺。
姉ちゃんは困ったように頭と腰に手を置いている。
あっれぇ……俺……もしかしてすごく余計な事したかも……!
「え、えっと。今マントをジャブジャブ洗ってるって言えばいいかな?」
『どこで?』
「へ? ああ。こっちこっち」
後悔の渦に巻き込まれてる俺の代わりに、姉ちゃんが緑色を案内。
「ほら、優命も早く」という声に内心感謝しながら部屋を出た。
自宅の一階。
俺より少し小さい洗濯機が音を立てて震えている。
その光景にどうやら緑色は動揺を隠せないらしく、
『マント たべられちゃったの!?』
と文字を見せた後、スケッチブックとペンを床に置いてその機械にぽかぽかと手をぶつけた。
いや……ぽすぽす……というべきなのだろうか………………。
軟弱な植物の根に力なんてあるはずもなく。
迫力の無い場面が繰り広げられていた。
「あ、安心して! その大きいぶるぶる君は洋服をキレイにして返してくれるいい子だから! ね!?」
「あ"ーも"ー俺の馬鹿〜! ごめ~ん!!」
〜・~・~・~・~・~・~・~・~・~
カチャカチャと食器達が擦れ合う音が響く。
時計の針が八を過ぎた頃、俺達は遅めの夕食を食べていた。
「冷蔵庫に天然水があったからそれにしたけど、どうだ? 冷たすぎたか?」
『おいしい』
「そっか、良かった」
またコップを袖で隠すスケッチブックを交えて。
俺の声に答えながらキョロキョロと辺りを見渡している。
知らないものばかりなのだろう。さっき姉ちゃんが夕食をレンジで温めている時も興味深そうに見ていたし。
案の定完了の際に鳴る音にびっくりしてこっちに逃げてきたけれど。
「というか、なんで口元隠してるの?」
『はずかしい』
「恥ずかしい? うーん、恥ずかしがる時に口元押さえる子たまに居るし、それと似たようなものなのかな?」
『ちがうかも』
「あちゃ、お姉ちゃんミスっちゃったか」
姉ちゃんはそう言って上機嫌に笑った。
「そういえばまだ名乗ってなかったね。こっちが優命。お姉ちゃんは勇輝だよ〜。君のお名前は?」
姉ちゃんのこの質問に緑色は少々戸惑ったが、細い根を器用に使って文字を書く。
書かれた文字は、日本語ではなかった。
『noah』
凸凹の表面に書かれた、確かな黒い線。
その線が表す文字に、姉ちゃんは眼鏡の奥の目を見開いた。
「ノア?」
動かしていた箸を下ろす。
その表情は、学者が考え込むようなそれだ。
「ノアくん。君、ヨーロッパ生まれ?」
こくん。
場の空気が一気に変わっているのはわかっているらしく、ノアはおどおどしながら頷いた。
「ヨーロッパ……植物……口………………毒……錬金……いや…………まさかそんなはず……」
ブツブツと何かを呟く姉ちゃん。
何が起こっているのかわかっていないのはおそらく俺だけだけど、それでも姉ちゃんの中で何かのピースが隙間無く埋まっていくのがわかった。
「姉ちゃん!!」
そして、今はまだ完成させちゃいけないということも。
「ふぇ!? あ! ごめん! お姉ちゃんのご飯冷めちゃうね!」
「そうだぞ姉ちゃん。ご飯はあったかいうちに食べなきゃ」
何とかとどまらせて、空気を戻す。
ノアもホッとしたのか、そんな俺らを見守った。
〜・~・~・~・~・~・~・~・~・~
「あ、ちょっ! そんなに怖がらなくていいから!」
全裸で震えるノアを風呂場に入れる。
マントも汚れていたけれど、やっぱりノアにも多少の土汚れはついていたためお風呂に入れようと姉ちゃんと相談した。
のだが、シャワーから水を出しただけでノアは逃走。
さっき捕まえてきた。
姉ちゃんから優命の足の速さは異常だと常々言われてきたけれど、まさかこんなところで役立つとは。
シャワーから出る水が冷たいことを確認し(植物の身体だから、念の為冷水)、できるだけ勢いの少ない水流を当てる。
驚きのあまりビクンっと身体を強ばらせてしまったけれど、しばらくすると慣れたのか、床にできた水溜まりを叩いて水音を奏でた。
「とりあえず、汚れ落としちゃおうな。俺はシャワー持ってるから」
こくん。と頷いて口元を隠したまま根を伸ばし、慣れない手つきで身体を擦り始める。
細く綺麗なそれが揺らめく度、どんな仕組みなんだろうなんてぼーっと見ていると、
「うぉあ!?」
一通り汚れが落とせたのか、ノアは犬のように身体を振って水を飛ばした。
そして俺にかかった。
「あー……風呂に入る前で良かった」
一瞬でずぶ濡れになった自分の服を見ながら、ノアにバスタオルを渡す。
バスタオルの触り心地が気に入ったのか、気持ちよさそうに両手いっぱいに抱きしめるノア。
柔軟剤の香りが鼻を掠めると、姉ちゃんの声が聞こえてきた。
「うわ! でっか〜!」
「どうした?」
「見て見て優命! ノアくんのマント、お姉ちゃんの身長とほぼ変わんな……」
興奮気味にこっちに来たのはいいが、俺の姿を見た途端姉ちゃんは動きを止める。
「なんでそんなにびしょびしょなの優命……お風呂前の廊下……掃除するのお姉ちゃん……」
「あ、やべ」
バスタオルをすぐ渡せるようにと開けておいた風呂場のドア。
俺らの家に脱衣所のようなものは無く、すぐ横の部屋に選択籠があるため服を脱いだらそこに入れるようにしている。
つまり、開けっ放しなら廊下に跳ねる水滴で必然的に濡れる。
今回はノアが弾いた水滴も重なって、被害は大きかった。
……………………。
沈黙後。
「じゃ、俺風呂入るね」
「あっからさまに逃げるとは男らしくないなぁ優命くん!?」
ノアを持ち上げて廊下に立たせた後素早くドアを閉めようと試みたのだが、瞬く間に着ていたパーカーのフードを掴まえられ失敗に終わった。
ギギギ……油をさし忘れたロボットのように後ろを振り向けば、満面の笑みが返ってくる。
あー……うん。
姉弟だから、言いたいことは瞬時にわかった。
「ちょっと待って姉ちゃん! 俺さっき冷水かぶった(かけられた)ばっかなんだよ! 拭いてから入れっつーんだろ!? 風邪ひく! 普通に風邪ひく!!」
「上がってから拭くってことならこっちも文字通り手を引こうじゃないか優命くん! さぁ、君が『ひく』のは風邪か!? それとも姉ちゃんのこの手か!?」
「『言うこと聞かなきゃ一緒に入る』ってか!? 姉ちゃんが手を引く選択肢はどこいったよ!?」
「いーじゃんたまには〜減るもんじゃないし」
「減るんだよ俺のスペースが!!」
一瞬で廊下に立たされたノアがバスタオルを抱えながら、そんな姉弟漫才をポカンと見ていた。
〜・~・~・~・~・~・~・~・~・~
夜も更けて、日付けが変わるのにそう時間もない頃。
風呂から上がって雑巾を片付けていると、ノアの姿が目に映った。
干されているマントに目を向けて座っており、動く気配が無い。
と思っていると、突如ノアの身体がゆっくりと揺れ始めた。
また倒れてしまうかと思い一歩踏み出したけれど、小さな風の音に気づいて前のめりになった上半身を起こす。
否。風じゃなく……呼吸音……?
微かに聞こえる息の音。でもそれは、明らかにリズムを刻んでいて。
ゆらり、ゆらりと揺れる身体の動きにぴったりとリンクした。
歌っている。
声も出さず、僅かの隙間を通る風速の違いだけで。
何の歌だろうという俺の小さな疑問は、次の瞬間見事に邪魔された。
「あれ? 優命、明日学校なんだからもう寝ないと」
「しーーーーーーーーーっっ!!」
素早く唇に人差し指をあて、静止。
いきなり背後から声をかけられた驚きよりも、歌の邪魔の排除が勝る。
自分でもそこに驚きだ。
お風呂から上がった熱く柔らかな身体が俺の行動に少し止まった。
首を傾げた黒髪にも風の音が聞こえたのか、さっきまで俺が見ていた光景を同じように目に捉える。
「…………歌?」
「多分、そうだと思う」
「へぇ、興味深い」
声が聞こえたのか、ノアがこっちを振り返る。
数時間前の洋服とは違う、俺が貸したパーカーも違和感無く着こなし、根を隠す為にあまっていた手袋。裾の余るカーゴパンツ。
そして、口元を隠すネックウォーマーとあの真っ黒の目が俺を見る。
「あっはは。ごめん、邪魔しちゃったね」
『だいじょうぶ』
「そうだ! 話したいことがあったんだ〜」
すとん。
ごく自然に、姉ちゃんはノアの前に座った。
「それ乾いたら、行っちゃうの?」
『うん』
「行くところはあるの?」
『ない』
「雨や風を防げる場所はあるの?」
『わからない』
姉ちゃんの質問に短い返答をスケッチブックで返すノア。
けれど。
「それでもここを離れようとするのは、君の声と関係があるの?」
この問いに、ノアは大きな目を更に見開いた。
姉ちゃんにさっきまでの笑みは微塵も無い。
俺は姉ちゃんの普段は見せない表情に、後ろで狼狽える事しかできなかった。
「君、本当は声出せるんでしょ?」
カタカタ……ノアに恐怖の色が浮かぶ。
見開かれた目はそのままで、空気がノアを蝕んでいくのが分かった。
「その声自体に、問題があるんでしょ?」
でも、姉ちゃんは少し微笑んだ。
「君はとても優しい子なんだね、マンドレイク」
「…………〜〜〜っっ!!」
マン……ドレイク……?
「ね、姉ちゃん? それって……」
「別名、マンドラゴラ。ゲーム好きの優命なら、この名前でわかるでしょ?」
「マンドラゴラって……叫び声を聞くと死ぬっていうあの……!?」
マンドラゴラ。
人体に似た根には、悪魔が宿ると言われている植物。
昔から薬草として用いられたその植物には神経毒が含まれる。
ファンタジーゲームに良く出てくる名前だから、姉ちゃんの言葉を聞いて身体が植物なのにも納得してしまった。
周りをキョロキョロしていたり、頑なに口元を隠してたのってもしかしてそれが理由で……!?
ふとノアに目線を落とすと、頭を抱え、うずくまっている。
身体は恐怖に震えていた。
「大丈夫だよ。怖がらないで、お姉ちゃんを見てほしいな」
いつになく優しい声で。
いつになく優しい顔で。
いつになく優しい手で。
姉ちゃんはノアに触れる。
姉ちゃんの手は頭を滑り、頬を撫でた。
拒絶されることに怯えていたのか。
恐怖されることに怯えていたのか。
利用されることに怯えていたのか。
そんなこと、わからないけれど。
顔を上げたノアの目には、大粒の涙。
ひっく、ひっくとしゃくりあげるその姿は、純粋な子供のよう。
でも、声は出さない。
出せても、出せない。
「でね! お姉ちゃん、いいこと思いついちゃったんだ〜」
涙を拭うノアと、姉ちゃんの戻った表情に胸を撫で下ろした俺は、次の言葉に耳を疑った。
「君もここに一緒に住んじゃおうよ! ノアくん!」
続く