第二話
あかん…めっちゃ体痛い。
昨晩、ソファで寝たため起きた途端に不愉快な気分に見舞われる。立ち上がって背伸びをすると、背骨がパキパキと鳴って気持ちいい。
薄い壁に掛けられた、幾三がパチンコでとってきた安物の時計を見ると、もうすぐ昼だ。
寝過ぎたわ...。
いつものように、ツイッターを見ながら朝食の食パンを口に詰める。幾三はどこかに行ってしまったらしく、脱ぎっぱなしの寝巻きが床に広がっていた。ちなみに、邪魔だったので蹴って端に寄せた。
しばらくの間、スマホを弄っているとインターフォンが鳴った。ドアを開けて出ると、保育園からの付き合いの晴信がいた。
「なに? どっか行くんけ?」
「おん。今から、みんなでドド川行くから来てや」
「え、誰おんの?」
「えっとぉ、りゅうせいと、ぐっちゃんと、なるヤンと、おっぱいと、涼。あと、何人か今、誘ってる」
「なるヤン来るんかぁ。やめとこかな」
「え、なんで?」
「ちゃうねん。この前、あいついらん事ゆったから、顔殴ってもうてん。会うのん気まずいねん」
「何ゆったん?」
「俺のおとん、あれやん。あのー、なんかちゃうやん。みんなと。それをな、あいつゆわんでええのにわざわざ人にいいよるねん」
「そらアカンけどさ。まぁ、殴ったんやったらチャラにしたりぃや」
「えぇ、気まずいって」
「まぁ、ええやん。行こ行こ!」
無理に手を引かれ、鍵もせずに着の身着のままでアパートを下りる。アパートに面した道路にみんなが集まっていた。と、なるやんと目があってすぐに逸したし、逸らされた気もした。
「健吾! おっそいって! はよ行こ!」
「ごめんやで。ほな、行こや!」
十台の自転車で道路を占拠しながら行く。ドド川は山の中にあって、ここいらで一番綺麗な川で幅も広いから、みんな行きたがる。だからこそ陣地争いが激しいため、早く行かなければ、他のグループに良い泳ぎ場を取られてしまう。
「おっしゃ! いっちゃん最後に着いた奴、一位のやつにコーラな!」
健吾は自分が先頭にいるからか、そんなことを言った。誰も従う義務はないが、従わなかった場合はノリの悪いやつとして仲間から距離を置かれることを皆、理解している。訳ではないが、ただただ面白そうだからとペダルを漕ぐ力を一層強くする。
先頭は晴信、次いでりゅうせい、その次に健吾。それ以降は団子状態となっている。井戸端会議中の主婦達の脇を凄いスピードで一団が駆け抜ける。
「危ないで! あんたら! 気いつけなさい!」
「ウヒャヒャヒャヒャ」
「晴信! りゅうせい! マンウンテンバイクはせこいって! ちょ、待てって!」
「俺、ちゃんとみんなのいっちゃん後ろからスタートしたで!りゅうせいは俺の一個前やったけどっ!」
「晴信、脚早いからええやん!」
「脚関係無いし!」
「ちょっ! ホンマにお前ら早いわ!」
先頭の二人は喋っている割に早い。健吾をはじめとするママチャリ軍団とどんどん距離を離して進んでいく。実質、ビリ争いみたいなもんだった。
河原には、何度もジグザグになっている坂をターンして下りて、ターンして下りてを繰り返して着くようにして道が舗装されている。
ママチャリ軍団の先頭の健吾が一度目のターンを終えたときには二人共二度目のターンを終えた後だった。
「みんなおっそいから、ちょっとここでハンデあげるわ!」
ママチャリ軍団の方を向いて、りゅうせいと晴信がマウンテンバイクを止めた。それに釣られて、ママチャリ軍団も健吾のいる所でチャリを止める。
「俺らさ、チャリみんなよりええやつやから、ハンデあらなおもんないやろ!」
晴信が叫んだ。
健吾の中で何かがキレた音がした。ぶっちん。
「ええよ! お前ら待ってらんとスタートせぇや! その代わり今から抜かされたら、お前らもなんか奢れや!?」
馬鹿みたいな大声が山に響き渡る。
「ええけど! 無理やろ!?」
「ほな! スタートすんで! さん! にー! いち! ぜろ!」
急な健吾のカウントダウンに焦ってみんな再びペダルを踏み始める。
が、健吾は一人、藪の中に勢いをつけて突っ込んだ。それを見た皆が驚愕してブレーキをかける。
「はっ!? 何やってん!」
藪を抜けると、不意に浮遊感が健吾を襲った。背筋が冷たくなって、周りの景色がヒュンヒュンと流れ去る。飛んでいるのだ。拳が痛くなるほどにブレーキを握る。地面にタイヤが着くのが見えた。
「んらぁ!」
思いっきり踏ん張って、バランスを保つ。ほぼ垂直の坂道を土埃を上げながら、下り落ちる。目の前に、太い木が現れて一瞬で目の前まで来た。咄嗟にハンドルを右に切った。肩を
どつかれたと思ったが、木に当たったのだ。だが、まだバランスは崩れていない。ブレーキを握っているが、タイヤは滑ってどんどん加速している。崖の下に、河原が見えた。血が湧き踊るとはこのことを言うのだろう。ブレーキを外して、ペダルを思いっきり踏んだ。脇を締めて更に加速する。
崖の一番端で、膝を屈めて、思いっきり跳んだ。再び浮遊感が襲ってきた。
やばいっ!!
ブワッと視界が広がり、目の前には雲ひとつ無い青空が渡り、眼下には藍色の川が。河辺で遊んでいたお姉さん達の遥か上を通って、河の真ん中で大きな水柱を上げた。
バッシャーーーン!
「キャッ!」
「何、何!?」
イッタ! ヤバイ! むっちゃ気持ちええ。死ぬかと思った! けど! ホンマにおもろかった!
水面から顔を出して、跳んだ崖を見たところ健吾の背の倍はありそうだ。
「あーーー! 死ぬかと思ったぁ!」
「健吾! お前! 頭おかしいやろ!」
皆が坂から続々と下りてきて、河原に集まる。
「二回飛んだやろ!? 二回! 俺みとったで!」
「二十メートルぐらい跳んだんちゃん?」
「やっぱお前、頭おかしいって!」
「MVPや!」
上がってきた健吾を口々に褒め称える。当の本人は、晴信とりゅうせいに向かって
「あれ? お前ら遅かったな。遅すぎて、俺、泳いどったわ!」
言われた方も言った方も関係ないやつもその一言でゲラゲラ笑う。
「あれ? 健吾。スマホ水没したんちゃん?」
誰かの放ったその一言で、場が静まる。健吾がゆっくりとポケットに手を突っ込む。濡れたハーフパンツのポケットは肌に張り付いて、長方形に確かに膨らんでいる。ゆっくりとスマホを取り出し、電源ボタンに手を添える。カチっと押すと、果たして画面が光って時刻が表示された。
と、同時に歓声。
「つっよ! 健吾のスマホつっよ!」
「バリ強いやん! 画面も割れてへんし!」
「ヤフーニュースのるやん! こんなん!」
「つくんやったら! 先ゆっといてーや!」
「もう大迫ええって!」
ひとしきり盛り上がった後に、おごってもらうため、最後に着いたなるヤンと自販機まで歩いた。
「エグかったやろ? 俺のジャンプ」
「ホンマに! 死んだか思ったもん!」
「正直、死んだ! でも! めっちゃ気持ちよかった! もっかいやろかな!」
「ホンマに死ぬで!? あと、木に当たってへんかった?」
健吾は下りてる途中で肩が木にぶつかったことを思い出した。濡れたTシャツをまくると、当たった肩が赤黒くなっていた。
「まぁ、いけるわ」
「グッロ! 真っ黒やったやん! いま!」
「はよ、コーラ買って。買ってくれたら、治るから」
渋々と、なるヤンは小銭を自販機に入れて、健吾がボタンを押した。出てきたコーラを開けて、グビッと飲んで、なるヤンの方に突き出す。
なるヤンは無言でそれを受け取って、ラッパ飲みをしてからまた返した。
「おおきに」
「こちらこそやで」
男子の友情なんてこんなものだ。仲直りにあからさまな言葉は必要ない。多少のヒビが入っても面白いことや、大変なことを共有すれば、再び絆は結ばれ、より強固になる。
皆のところに戻ると、河の中で輪になって何やら話していた。
「皆なにしてーん?」
声を掛けると、こっちに来いと手招きをされた。コーラを河原に置いて、二人でじゃぶじゃぶと河の中を行く。
「何話してん?」
「あっこにさ、めっちゃ美人なお姉さんおるやん?」
涼がそう言って指さしたのは、先程頭の上を通り越したお姉さん二人。
「おい! そんなあからさまに見んなって!」
「で、なんやねん」
「おっぱい。ゆったれ」
ここで言った、おっぱいとはこの森澤のあだ名である。中一の時、彼女のおっぱいを揉んだと自慢していたからみんなからそう呼ばれるようになった。ちなみに彼女とは、このあだ名が付いたことが原因で別れた。
「あの髪長い方のお姉さんのおっぱいのサイズ当てようや」
「さすが、おっぱい。ようゆった。もう皆、賭けたから、あと二人だけや」
再び、なるやんと二人でお姉さん達のほうを見る。二人共ビキニの上にシャツをキテイルがはっきりと形は見て取れる。なるほど。確かに、でかい。
「九十九,九!」
「なるヤン、それ、峰不二子のバストサイズ!」
「いや、ワンチャンあるで。不二子超え」
「不二子...超え...」
「ほなやったら、俺は九十ニで」
「うっわ。お前、置きに行ったやろ」
「で」
健吾はみんなを見渡す。
「誰が聞いてくるん?」
公平なジャンケンの結果、健吾が聞きに行くことになった。貧乏くじも当たりくじも手当たり次第に引いてしまう質なのだ。
「日本の未来はー! 健吾に託されたー!」
「元気でなー!」
「達者でー!」
「靖国で会おーーう!」
「お前らホンマ! 覚えとけやあ!」
仲間の声援を背に、河原からお姉さん二人に近づいていく。途中で気づかれてしまい、かなり遠くの方から、見つめられてしまいドキッとしつつも、近づいていく。
「何? どうしたん?」
茶髪のショートカットの方がにこやかに声を掛けてきた。
思っていたよりも若そうだ。といっても十四歳からすると十七以上、二十五以下の女性は年齢が分からない。
「お姉さん達、この辺の人?」
急におっぱいの事を話しても、教えてくれる訳がない。まずは取っ掛かり。例えるならば、おっぱいという山に登っているようなものだ。会話のタネを見つけ、着々と登っていく。頂上に着いたときに初めておっぱいのサイズが聞ける。
「まぁ、そうやな。一駅向こうっかわやねんけど。君達、この辺の子ら?」
「あ、うん」
「てかさ、さっき私達の頭の上飛び越えてった男の子ちゃうん!?」
髪の長いほうがテンションを高めにして指差してきた。と、同時に揺れる山。目が離れない。
「そうそう! 驚かしてごめんなぁ!」
髪の長いほう、ナイスや!
相手の方から振ってきてくれるとは、思わなかった。案外、おっぱい山は低い山だったのかもしれない。
「俺、健吾ゆうねん」
「あぁ、あたしは里香。で、こっちがゼゼ。城下高校ってわかる?」
髪の長いおっぱいが、ゼゼちゃん。ショートカットがリカちゃんやな。
「隣の駅のとこやろ?」
「そうそう! そこの生物部やねん」
「え!? マジで? なんか探しとったん?」
「ここらへんのヤゴのな、生態調べるために捕獲してんねん」
「うっわ。それは、ごめん。俺、あんな阿呆みたいな所から飛び込んだから、ヤゴ隠れたんとちゃうん?」
「そんなことないよー。元々、そんな見つかってへんかったし」
「ほんなら、良かったねんけど。てかさ」
「なに?」
「城下高校やったらさ、詩織ってわかる? 野々花詩織」
「え、なんで知ってんの!? あたし仲ええねん!」
ゼゼがまた、胸いや、おっぱいを震わせた。それにいちいち反応してしまう健吾。
「まぁ、なんしか。詩織とは昔からの付き合いやねん。っていうか、姉弟みたいな?」
調子に乗って、そんなことまで言ってしまった。言ったあとにこれが詩織の耳に伝わったらどうしようかと不安が過ぎったが、言ったものはしょうがない。
「えー! 弟くんなん!? かわいー!」
「普通にかっこいいやーん! やっぱ美形は遺伝するんやな!」
「え...」
え、むっちゃ勘違いされてんねんけど。まぁ、いっか。
「健吾ー! 何してーん!?」
待たせ過ぎたのか、それとも羨ましくなったのか皆がジャブジャブとやってきた。
「なんかな、リカちゃん達はヤゴ探してはんねんけど、俺らが川で遊んでるから、見つかれへんねんやってー。皆で見つけたってくれへん?」
「え、ええよー。そんなん! 元々あんまり見つかってへんかったし!」
「ホンマに! 申し訳ないわ! そんなん!」
リカとゼゼがそう言って体を激しく動かすと言わずもがな揺れる、山。男子中学生の目線が集中する。
「今日一日働いてもお釣りでるわ」
「おっしゃ、ほな探そっか」
「手分けしたほうがええなぁ」
「ぐっちゃん、一緒に上の方探そや」
「合点承知んちん」
「チャリから網取ってくるわ」
「お前ら、阿呆ほど見つけんで!」
「「おー!」」
「まぁ、好きにさせたってください」
バッと散開し、まるで軍隊のように組織的に行動する中学生一同。
「みんな、おおきにやで!」
「あとで! ジュース奢るからね!」
「ゼゼちゃん。俺達は、ただただしたくてやってるだけやからさ。ええよ、そんなん」
「えー。そんなん、気い遣うわぁ」
健吾には、頂上へ至る道がバッと光って見えた。ここだ。
「あ、でも、見つけたらさ、なんかあの、ご褒美くれへん?」
「えー。ご褒美? どんなん?」
「んー。なんやろ。あ、そうや」
白々しくそう言って、ゼゼにだけ聞こえるように小声でわざと恥ずかしがって言う。
「おっ...い...の...サイズ...教えてくれへん?」
「え!?」
「え、なんてゆったん? 健吾くん」
「うわっ! やっぱ恥ずかしいからやめて!」
「アハハハハハ! かわいいなぁ。弟くん。ヤゴ見つかったらな!」
「ホンマにっ!?」
「え、なんなん? 教えてーや! ゼゼ!」
「後でな!」
達成感が身体中を包む。確約だ。結婚で言うなれば、プロポーズ成功。
「よっしゃー!」
二人の視線も気にせずにガッツポーズをした。ゼゼは微笑ましそうに見ていた。
「ヤゴおったあ!」
「こっちも捕まえたでー!」
続々と、捕獲が報告される。数十分後には、水を張ったバケツに気持ち悪いほど入っていた。
「ほななー! バイバーイっ!」
「おおきになー!」
今から学校に持ち帰って飼育ケースに移すのだという。今年中に、今度は魚を捕り来ると言っていたので、近いうちにまた会えるかもしれない。
二人が原付きに乗って、エンジン音を鳴らしながら去っていく姿はなんだか大人の女っぽくて格好良く見えた。
二人の姿が見えなくなった後で、皆が健吾に思い思い感謝の意を述べた。
ヤゴを捕っている最中、身をかがめている女子高生二人を眺めることが出来たのだ。
みな、当初の目的も忘れ、和気あいあいと騒いだ。
生物室で、ゼゼは捕ってきたヤゴをバケツに移し替えていた。
「なぁ、ゼゼ。ご褒美って、なにお願いされたん?」
「胸のサイズ聞かれたねん」
「ハハハハハハ! アホや! そんだけのために十人でこのあっつい中、一時間働いたんや!」
「面白いやろ? フフッ」
「で、なんてゆったん?」
「皆の隙をみて、弟くんの耳元で」
「耳元で!?」
「Fカップ♡」
幾三が家に帰ってくると、健吾はビーズクッションで寝ていた。遊んでいたらしい。
「健吾ー。こんな時間に寝たら、寝られへんなるで!」
健吾がゆっくりと、目を覚ます。なんとも面倒くさそうな顔だ。
「なぁ、おとん」
「なんやねん」
「今から、時速八十キロくらいで車出してくれへん?」
「なにすんねん?」
「手ぇ出すねん。疑似登山や」