8 正月(NEW YEAR) ※お遊び回
二〇一七年一月吉日、午前十時。
小さな魔物の群れが私達の命を喰らおうとやってくる。
「邪魔よ」
私は、七色に輝く無数の人型の影を、マシンガンで吹き飛ばす。
私以外の三人は耳を塞いでいた。耳がひりひりする。
弾丸を撃ちつくし、魔物がいないことを気配で察知する。
「耳がちょっぴりひりひりするけれど、なんとかなったみたい」
ほづみは安心しきって、胸を撫で下ろした。
「ほっ、よかった」
「イエーイ。かなえちゃん、やるぅ!」
「んじゃあ、もう結界解くぞ」
朱莉は結界を解いた。灰色の空間が、見慣れた自宅の一室に戻る。
強固な結界を貼り続けることもできるけれど、多くの魔力と精神力を消費する。
魔力が大量にあっても、精神力が持たなければ、いずれ、結界に綻びが出る。
私達が魔物の貼った結界に侵入できるように、魔物は私達が貼った結界の間隙を縫ってくる。強力な魔物になると、結界を貫いて襲ってくる。
本来、私達が魔力や精気の源を満たすためには、魔物を狩り続けなければならない。もっとも、ルナークから大量の魔力を得られている私にとって、魔物は邪魔ものでしかない。ただ私達が平穏に生きるだけなら、私の魔力をほづみ達に分け与えていれば、それでいい。
けれど、魔物を放っておくわけにはいかない。魔物は無防備な人間をいつ襲うかわからない。魔物や負の感情に、魂や肉体を喰い殺された動物、特に思念が強い人間は、自らが魔物になってしまう。
誰からも元の存在として認識されずに、世界を呪い続ける運命を背負う。そして、また、誰かが襲われる。誰かが食い殺される。誰かが魔物になる。
この循環を助長したのは、私。
最初に制御できない使い魔を放ったのも、私。
全部、私の責任よ。
「ほづみ。ちょっと寝かせて」
「かなえちゃん?」
私は何だか疲れが取れなくて、ほづみを抱きしめた。
ほづみを堪能してから、ふらふらとベッドで横になると、一日眠った。
「はっ」
私が目を覚ますと、カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいた。
携帯を見ると、二〇一七年一月三日、朝六時だった。
……私は二日も眠っていたの?
携帯を異空間ポケットに放り込み、うんと伸びをする。
そういえば、三賀日だというのに、まだ初詣をしていない。
とはいえ、悪魔が初詣するというのも、変な話か。
思い返してみれば、私は悪魔になってから、参拝していない。
いつまで経っても、正月が来なかったからよ。
「かなえちゃん、早いね。おはよう」
私は上体を反らして、ほづみの顔を見つめた。
冷たい空気が、少し肌寒い。
「起こしてしまったかしら」
「そんなことないよ。あのね、かなえちゃん。今日、行きたいところがあって」
私は妙に反った体勢のまま、小首を傾げた。
「かなえちゃん。人、いっぱいだね」
「ええ」
私とほづみは晴れ着姿で参拝しに来た。
私のクローゼットで眠っていた着物よ。私のほうは、菊が描かれた、紅い帯のものだ。ほづみは、桜色の生地に、桜の花が描かれたもので、若緑の帯をしている。袂の先から白い生地がそっと顔を覗かせている。
「美月ちゃんと朱莉ちゃんは? 起きたときには見なかったけど」
「……仕方ないわね」
私はテレパシーを送ってみた。
『美月、朱莉? いるの?』
『ヘーイ! いまね、朱莉ちゃんと、たこ焼き食べてるよ!』
『何しに来たの』
『参拝! ほづみんが、三日に行くって決めてたからね!』
『そう』
美月は休日、いつも寝坊している割に、ずいぶん早起きなことだ。
『もう参拝は終わったの?』
『うん! じゃあ、地下にあるおみくじのところで待ってるよん!』
前の列が少し進んだので、歩を進める。
「先に参拝したから、屋台を食べ歩きしながら待っているそうよ」
「そっか」
出店から、栗やどら焼き、焼き鳥などの香りがする。
人と車が大量に行き交い、凄まじい熱気が頬を撫でた。
視線の端には、パワーストーンを見つめる子どもが、母親らしき人物に手を引かれていた。前の子どもは、携帯ゲームに夢中になっている。
遠くのほうでは、警察官が交通整理をしている。
歩行者信号が青になった途端、人の波が横断歩道を走り抜けていく。
「はい、止まって下さい! 危ないので渡らないで下さい!」
笛の耳障りな高音が喧騒の中を響き渡り、人の波が足を止めた。
この先には鳥居がある。悪魔が鳥居を潜っても平気だろうか。
信号はなかなか青にならない。
栗を売っている男性の声がやかましい。
後ろで並ぶ幼稚園生くらいの子どもが唐突に泣き出した。
「よしよし、もうちょっとだからね」
心配したほづみは、子どもの頭を撫でる。
子どもの母親は「すみません」と繰り返している。母親は、せっかく泣き止んだ子どもを叱り付けて、また泣かせてしまう。
「ああ、かわいそうだよ……」
「…………」
呆れて、ため息が出る。
ふと、ほづみの身体がぴくりと跳ねた。
「かなえちゃん、目、目!」
「目?」
「光ってるよ!」
「……ごめんなさい」
私は両目をもとに戻した。少し、取り乱してしまったようだ。
信号が青になり、列が前に進む。
鳥居を難なく潜り抜ける。賽銭箱までの行列はまだ続いている。
人混みの中での牛歩を強いられ、後ろの子どもは泣き続けている。
いつまでかかるの?
私とほづみは、小銭を賽銭箱へと、そっと投げ入れた。二礼二拍手する。
願いは……悪魔が神に何を願えというの。
特に何も思いつかないまま、一礼して、ほづみとともにその場を去った。
ほづみは上機嫌のようだから、よしとしよう。
「かなえちゃん、何をお願いした?」
「秘密」
強いていうなら、ほづみとずっと一緒にいられるように。
「そっか、秘密かぁ」
「ほづみは何を願ったの?」
「ひみつ! かなえちゃんが教えてくれたら、教えてあげる」
「そう」
ほづみは私にぴたりと身を寄せて歩いている。
人混みの間隙を縫うように、近場の建物へ進む。
私達は地下の休憩場で美月と朱莉に会う。
美月はいつもの普段着、朱莉に至って制服姿だった。
「美月は私服なの?」
「うん。だめ?」
「別にいいけれど」
「あたしは、晴れ着のほうが珍しいと思うけどなあ」
美月はのんきに、ふらふらしている。
ほづみが美月と朱莉の食べているたこ焼きを、ちらちらと気にしている。
後で買ってあげなくては。
「朱莉ちゃんは制服なんだね」
「…………」
「朱莉ちゃん?」
「たこが、熱くてな……」
私は朱莉のたこ焼きをじっと見つめた。
まだ、ほかほかと湯気が立ち上っている。
「買ったばっかりなのね」
「腹、減っててさ。さっき、もう一船買っちまった」
朱莉は私と同じ魔物の類だから、その気にならなければ、決して太らない。
「朱莉、痛みを切ればいいのよ」
「ぶっ。飯食うのに感覚を切ったら意味ねえだろ!」
「笑うことないじゃない。私、味がわからなかったときは、痛みを消して、激辛料理に挑戦した。楽勝だったわ。朱莉も今度挑戦してみたらどう?」
私は後ろ髪を右手の甲で払った。さらさらとした黒髪が風に舞う。
「ほれ!」
「ちょ」
朱莉は私の口にたこ焼きを丸々ひとつ突っ込んだ。
痛覚を切る暇もなく、どろりとした中の熱湯が、私の口の中で踊った。
「は、はふ、はふい!」
痛覚を半分切り、舌の上で、とたこ焼きを転がす。
「ほふひ?」
ほづみ?
ほづみがうらやましそうにこちらを見てくる。
私は自分の口を指差した。
「はえふ?」
食べる? 何なら買ってあげるけれど。
「ほら~、かなえちゃんがほづみんに口移ししたいって!」
「えっ? えええっ? でも、そんなの、どうしよう……」
待って。口移しなんてしたら、私は気絶してしまう。確実に。
……まあ、やってみるか。
一歩、二歩、ほづみに歩み寄る。
「えっ、えっと……」
「ほら、かなえちゃん、はやくー!」
ちょっと待ちなさい。どうしてその気になっているのよ。
「そーれっ!」
「ほぉっ」
美月が私の背中からタックルした。
勢いに任せて、ほづみと唇を重ねる。
「ん……」
「いいねー、こういうのが見たかったんだよ、あたし!」
美月は結界を貼り、私達は周囲の目から隔離された異空間にいた。
ほづみの小さな唇に、とろとろとした、たこ焼きを送り込む。
互いの歯で、たこを噛み千切り、私はよろよろとくず折れた。
たこ焼きとほづみの味をたっぷりと堪能してから、飲み下す。
「ちょっと、急に、何なのよ、はぁ……」
「ひゅー、ひゅー!」
「うるさい」
私は拳銃を顕現させると、空砲を空に向けて撃った。
「げっ、ちょ、かなえちゃん! 銃はやめて! 洒落になんないって!」
美月は飛び退いて、朱莉の背後に隠れた、
ほづみは赤面したまま固まっている。
やがて、美月は結界を解き、あたかもずっとそこにいたかのように、私達は地下の休憩場にあらわれる。
「かなえちゃん、飲み物いる?」
美月ののんきな言葉が、私を現実に引き戻した。
右手の人差し指で、黒髪をくるくると巻く。
「ここの自動販売機で飲み物を買うより、屋台で購入したほうが安いわ」
「そっか。よく知ってるね!」
「ルナークと契約する前によく参拝していたから、たまたま覚えていただけよ」
我ながら、よく覚えていたものだと思う。
ほづみが私の懐に飛び込んできた。
「かなえちゃん、おみくじ引こうよ!」
「ええ」
おみくじは一回百円で、小さな金の福の神がついてくる。
悪魔が神に命運を訊ねるのか。嫌な予感しかしない。
けれど、ほづみの頼みとあっては断れない。
「じゃ、あたしから!」
美月はひょいとおみくじを引いた。朱莉も続けて引く。
「よっしゃあ、あたしは大吉! えーと……長寿の神様?」
「アタシは中吉。くまでがついてきた」
「かっこめ、かっこめ!」
美月がカーリングで氷を削るような動きをしている。
……何ともいえない空気になってしまった。
「ちょっと! 誰か触れてよ! 大吉なのに! ねぇ、朱莉ちゃん!」
「新年早々〈大〉スベリだから、〈大〉吉なんだろ?」
「ぬぅ、そうきたか」
「えへへ。じゃあ、わたしも引くよ」
ほづみは奥底のほうから引いた。
「どう?」
ほづみの顔がぱっと明るくなる。
「うん。大吉だった。招き猫さんが入っていたよ」
「そう。よかった」
ほづみに大吉を与えないようなら、誰であろうと許さない。
「さて、私か」
おみくじの箱に視線を落とす。
「じゃあ、これで」
おもむろに開くと、大きな字で凶と書かれていた。
福の神は、何故か入っていない。
「かなえちゃん?」
「…………」
外に出て、木の枝に結んでから戻ってくる。
苦々しい思いをしながらも、笑顔を保とうとする。
「もう一回」
「かなえちゃん、ファイト!」
次に引いたおみくじは、真っ白だった。
何故か福の神が入っていない。
私は福の神に見放されているのだろうか。
気晴らしに、屋台で鳥の串焼きを噛み千切った。
射的でマスケット銃を使おうとして、美月に止められる。
射的の景品を携えて、参拝を終えた。
何事もなく、ほづみと……ほづみ達と平穏に過ごすこと。
私がいちばん望んでいたことだ。
~舞台裏~
かなえさん
「『笛の耳障りな〈高温〉が喧騒の中を響き渡り、人の波が足を止めた。』ってなによ」
ほづみ
「あったかいのかな」
朱莉
「ヤバイ電子波でも出てんじゃねえの?」
美月
「新手の魔物か何かかな? 電子レンジの笛の魔物なんてどう?」
かも
「じゃあつくる」
かなえさん
「いらない」
かなえさん
「くまでが突いてきた……?」
朱莉
「新手の魔物なんじゃねえの?」
ほづみ
「えっ、ただの誤字なんじゃないかな……」