6 鋼鉄の魔物(IRON BOX)
二〇一六年十二月二十九日、午後八時。
私と美月はほづみを庇うようにして魔物と対峙していた。
朱莉は緊急時の護衛のため、ほづみの隣に待機している。
四角い鋼を繋ぎ合わせた不恰好な魔物は、鎖を伸ばして美月の足を狙う。
「どりゃあ!」
美月は光の剣を構えて、正面から魔物に突進した。
鋼鉄の箱はぎざぎざした口を開き、美月を丸呑みにする。
ほづみは身を乗り出して叫んだ。
「美月ちゃん!」
「落ち着いて、ほづみ」
私はほづみを片手で制する。
「とうっ!」
錆付いた箱が縦に裂け、剣を携えた美月が地面に降り立つ。
箱の断面は凍りつき、白い冷気をもうもうと立てている。
「美月ちゃん、食べられちゃったかと思ったよ」
「あはは、ほづみんってば、心配性だよね」
美月は頭の後ろで手を組み、のんきに笑っている。
けれど、ほづみは気が気でない様子だった。
「やっぱり、わたしも戦う!」
私はこころに冷たい針を刺されたような感じがした。
「ほづみ。心配しないで」
「かなえちゃんも、美月ちゃんも、朱莉ちゃんも、みんなわたしが守ってみせる」
私は少し悩んで、指輪を嵌めた左手を自分の胸にあてがった。
「魔物と戦うことは、自分自身の寿命を削ることでもあるのよ」
美月は、すたすたとこちらに歩きながら、小首を傾げた。
「うん? それはかなえちゃんだけだよ」
「ちょ、美月」
余計なことは言わなくていいのよ!
「だってこの指輪、かなえちゃんがくれた指輪だもん。かなえちゃんには大きな負担だろうけれど、いったんコピーしてしまえば、いくら魔力を浪費しても、何のデメリットもないはずだよね。だって、あたしの魂じゃないもん」
美月は指輪を私にちらつかせてみせた。美月、お願い。察して。
私は朱莉に目配せした。肩をすくめている。
私は少し疲れた目で魔物を睨んだ。
「まったく。後ろを見なさい、美月」
私は襲い来る鎖を、次から次へと迫撃砲で打ち落としていく。
「油断すると死ぬわよ」
「かなえちゃん、サンキュー」
美月が切り落とした箱は、別の箱にくっついた。
美月は鎖の鞭を避けて、後方に飛びのいた。
「ありゃ、もしかして効いてない?」
「面倒ね。ほづみ、ちょっとこれを預かっていて」
私はほづみの掌に、翡翠色の指輪をそっとのせた。
ほづみはぎょっとして、握りこぶしを胸元に寄せた。
私は黒髪を左手の甲で優雅にかき上げてみせる。
「私の命よ。大事に持っていて」
「待って、かなえちゃん、何をする気?」
「美月、念のため、結界を張っておきなさい」
「え、でも……」
「ほかに有効な手段があるなら、言ってみなさい」
「うう……わかったよ」
美月は小さく嘆息した。
私はほづみの肩に手を回して、身を寄せる。
「かなえちゃん?」
「少しの辛抱よ」
私はほづみの頭を軽く撫でてから、C4を片手に魔物の口へ飛び込んだ。
美月は沈んだ面持ちで周囲に結界を展開すると、ほづみを抱きしめる。
「かなえちゃん!」
去り際、ほづみの顔が、悲痛に歪んだのがちらりと見えた。……胸が痛い。
魔物の口の中は暗いけれど、私の目は夜目が効く。
指輪がなくとも、多少の魔法なら使える。
「ひとつじゃ足りないか」
異空間ポケットからC4を二つ追加する。
魔物の口蓋にC4を取り付け、無線式の発火装置を握った。
「こんなものだろうか」
私は間違っているのかもしれない。ほづみ達が何度蘇っても、何度肉体が再構築されようとも、魂はいつだって同じはずだ。普通の人間の身体は常に代謝している。常に死んで、常に生きている。何度怪我をしようとも、何度死のうとも、私達は同じ魂を持ち続ける、そうであってほしい。
けれど、記憶が引き継がれなければ、その先には、きっと残酷な運命が待ち受けているだろう。誰かを忘れてしまうことで、その誰かを傷つけてしまうかもしれない。でも、忘れたことすら忘れているのだとしたら、記憶をなくしてしまった張本人は、こころを痛めることはないのかもしれない。ほづみのことを忘れてしまった私の姿を想像してみると、胸が痛い。その痛みもなくなるのだろうか。なくなってしまうのだろうか。とても複雑な気持ちになる。
いずれにしても、私はこの程度の爆風では死ねないだろうけれど。
銃で脳天を打ち抜いても生きていたくらいだから。
私は自分の衣服を自宅に転送し、躊躇なく発破した。
鋼鉄の魔物は派手に吹き飛び、やがて、結界が解けた。
ほづみは美月の胸元でしきりにすすり泣いている。
「かなえちゃん、こんなの酷いよ……」
私は、ほづみの魔力とルナークの魔力を物にしている。これだけの魔力があれば、少々吹き飛んだ肉体の再生程度なら簡単にできるはずよ。加えて、私の指輪は、鋼鉄の魔物から溢れ出した生命力の一部を吸い上げていく。あまり魔力を溜め込みすぎるとほづみのように逆流したり、魂が耐え切れずに破裂したりするかもしれないから、ある程度、魔力を発散しておくべきなのよ。
私の肉体は徐々に再生し、もとの刈谷かなえの器を取り戻した。部屋着用に購入した白いブラウスと黒のベスト、水色のセミロングスカートを瞬時に着用する。
「ほづみ」
「もう、かなえちゃん! 何てことするの!」
私が声を掛けると、ほづみは私の懐に飛び込んできた。
私がほづみにした仕打ちと同じことよ。これでもまだ、生温い。
私はほづみから指輪を受け取り、左手の中指にはめる。
「ほづみ。戦いは死と隣り合わせなのよ。私はもう、ほづみを失いたくないのよ」
私はほづみの両肩を掴んで、力強く言い放った。
でも、ほづみは頬を膨らませて、首を横に振る。
私はなるべく優しい口調でほづみに語りかける。
「どうして? 私は指輪がある限り死なないし、ちゃんと元の私に戻るのよ?」
「わたしは、かなえちゃんが酷い目に遭うのを見ていられないから」
「ほづみ……」
ほづみは私の両頬をつまんで引き延ばした。ちょっぴり痛い。
「美月ちゃんも、朱莉ちゃんも、今度から、かなえちゃんを止めてあげてよ」
「……うん、わかった。いやあ、ちょっと焦り過ぎちゃったかな」
美月は涙をこらえながら、にこにこしている。
朱莉は呆れた様子で口を開いた。
「だから、あんまり無茶するなって言っただろう? アンタの身は、アンタだけのものじゃないってことさ。ったくさあ、ちょっと考えればわかることだろう? ほづみが死んだときと同じ思いを、ほづみにさせてどうするんだよ」
「それは……そうか。ほづみを戦いから遠ざけるための手段だったけれど、余計な心配をかけてしまった」
ほづみは小さな溜息を吐いた。
「まったくもう。かなえちゃんは心配性だよ」
「そう?」
私はとぼけてみせた。黒髪を指先でくるくると回す。